起きたら身の回りのものがメモリになってた(2)

 今僕が住んでいる部屋から徒歩で十分歩くと最寄り駅である西維目(にしいめ)駅。そこから電車で駅ひとつ行くと維目(いめ)駅。安頼(やすらい)市のやや西寄りに位置するこの駅から更に十分歩けば維目高校という公立高校が見えてくる。

 桜も最盛期を過ぎ、葉桜の姿で生徒たちを見守る並木を越えて、僕は校門をくぐり、そして教室まで辿り着いた。1年C組が僕の所属するクラスである。

 始業前、数人の生徒が疎らに屯する教室に入ると、廊下から二列目の後方の席に座り込んで、カバンの中から筆入れや教科書の類いを取り出す。朝のホームルームが始まるのを待ちながら、筆入れを開けてシャープペンシルをつかんだ。そして、一緒に替芯もつまむと、シャープペンシルをメモリ化して、替芯を『格納』した。

 こうすれば芯が切れた時に直ぐ様補充できる。……普通に筆入れから補充するのと大差はないけど。

 折角の能力なのでどうにか悦に浸る方法を探したいものであるが、なかなか面白い活用方法が思いつかない。スマホに充電器を入れてみたり、重たくなりがちなペットボトルをカバンの中ではなく、カバンそのものをメモリ化して格納してみたりはしているが、その程度だ。


「何か無いかな……」


 いっそのこと手品師でも目指してみたほうがいいだろうか。種も仕掛けも無い手品だ。大層驚かれはするだろうが。


「ナイな」


 手品に必要なのはマジックのスキルだけではない。あれはあくまでパフォーマンスである。手品師で将来身を立てようなどと思うのであれば、演技力や話術、演出力、構成力などの総合的なパフォーマンス能力を統合した部分で戦わなければならない。もちろん僕にそういった才は無い。

 やはりスリだの万引きだのというくらいしか見つからないな、と腕を組んで思案していると、気づけば始業時間寸前。生徒たちも教室内に充実してきた。まだまだ皆入学してからの日の浅さがあってか、うるさくはないが。

 チャイムの音がなる。追いかけるようにして、がら、と教室のドアが開く音。眼鏡を掛けたうつむき加減の若い女性が入ってきて、教壇に立つ。室内に散っていた生徒も秩序を取り戻して各々の席についていく。


「そ、それでは、朝のホームルームを始めます。皆さん、おはようございます」


 彼女は1年C組の教師である。名前は古岩井(こいわい)先生。下の名前は忘れた。リサとかリカとか何かそんな感じの『リ』っぽい名前だったと思う。歴史の教師だ。

 セミロングの暗い茶髪を自信なさげに弄くり、出席簿を手にする。名前を呼ぶことはしない。わざわざ出欠を取っていたのは最初くらいだった。以降は彼女がクラスをざっと見て、欠席の有無を確かめて記入するのみ。毎日返事を求められた小中学校よりも楽でいい。


「は、はい。今日も全員揃ってますね。素晴らしいです。今日は皆さんに一つお知らせがあります。入学時のガイダンスでもお話があったかと思いますが、体育祭の準備についてです」


 言いながら、プリント用紙を配っていく。前から回された用紙を後ろに回して、僕は紙面に目を落とす。素人目にもワードで作ったのだろうなと感じ取れるデザインで文字が組まれている。新たなクラスの団結力向上を目的として、五月下旬の開催日までに準備を進めてほしい旨が記載されていた。意図までしっかり説明するあたり、結構あけすけである。

 古岩井先生がテンパっているような吃りを見せながら文字を追いかけて読んでいく。あまり頭に入らずに僕は考え事。もちろんテーマは体育祭の競技で、何か『メモリ化』が使えるようなものはあるだろうか、である。

 運動は正直それなりで可も不可もない自分だ。普通に身体能力の差が出てくるような徒競走やリレーは出たくない。大縄跳びも能力は活かせないだろうし、騎馬戦も同じく。玉入れで一つの玉に複数の玉を格納すれば、一個入れるだけで大量得点……とも考えたが、僕の能力は手で触れないと発動できない。企画倒れだ。


「……後は、今日の終礼時のホームルームでお伝えします。参加種目ぎめや練習の計画設定含め、放課後に準備を進めていくことになりますので、今日はか、帰らないようにしてください」


 放課後か。僕は部活にも入っていないし、何か習い事をしているわけでもない。下校してすることといえば、スーパーで適当なものを買い出ししてから夕飯の準備をするくらいのものである。


「それにしても妙案、浮かばないな」



 退屈な午前の授業をやり過ごし、昼休憩の時間が始まった直後のことである。

 クラスの男女数人が教壇に上がって、直前まで熱心に授業していた数学教師を追い出していくと、黒板にデカデカと『体育祭に向けて』という文字を書いていった。

 中心にいる男子が教室中に響くように声を張り上げる。名前は、えーっと――。


「――どうも! 新木田(しんきだ)です! みんな昼、ここで食うでしょ? 少し話きいてほしくて」


「ヨウヤうるさ! 変な声がけするから皆かしこまっちゃってんじゃん!」


 横にいる女子が声を張り上げた男子……新木田ヨウヤ? というのだろうか。彼の肩を叩いてから教室内に向かって手をひらひらと振る。


「ぜんぜんおおごとじゃなくって! はじめまして多いし、放課後行ける人だけでもいいから皆でどっか行かない? ってお誘いだよ~」


 笑顔を見せながらその女子生徒は呼びかける。僕は名前も知らない人物であるが、クラス内では目立つ方だ。他の級友に『アジタン』という渾名(あだな)で呼ばれていたのは知っている。

 そんなアジタンに向けて、教室の何処かから声が飛んでくる。


「どっかってどこー?」


 問いかけに対して、アジタンがちょっと悩んだ顔を見せると、横の新木田が「はい! はい!」と手を挙げ、誰も促していないのに話し出す。「カラオケ!」と一言。周囲の男子も「いーねー」などと同調していく。

 あんまり好きじゃないな。カラオケ。

 そう思うものの、僕は声を上げたりはしない。代案があるわけじゃないし、流されていたほうが楽だからだ。好きじゃないカラオケに行くことになったとしても、多分楽。

 しょうがないのだ。僕みたいな力のない人間には大勢の言葉や流れ、ノリというものを止めたり変えるようなことは出来ない。そんなこと、小学生でも分かっている。メモリ化の能力を持っていても関係の無いことだ。これは、この場における力ではない。……折角の異能なのになあ……。

 がやがやとした雰囲気。結構人数いそうだけど、どこのカラオケになるのだろうかと思っていたら、割って入る声があった。


「えー! 私カラオケはやだー」


 女子の声だ。なかなか勇気のある者がいるなあ、と視線をやる。先程黒板に文字を書いていた子だった。茶髪でサイドテール。キリッとした眉に眼力のあるくっきりとした目元。感情を精一杯示せそうな口を開き、彼女は元気よく両手でバッテンを示す。


「私、音痴!」


 一瞬の間。それから笑い声が起きる。新木田が「いーじゃん、美声聞かせてよ」など軽口を叩くも、サイドテールの子は「ヤダ! むしろご飯が食べたい。ファミレスがいい!」と返す。

 それを聞いていたアジタンが両手を開いて『やれやれ』と言わんばかりの表情。


「璃乃果(りのか)らしいな~。じゃあファミレスにしますか~。駅と逆側のファミレスは結構大勢入れたはず!」


「さすがあじたん! 地元民!」


 璃乃果と呼ばれた彼女は楽しそうにアジタンに抱きつく。そんな彼女らのふざけてじゃれ合う様子を見て、僕は少し苦い気持ちになる。

 たまにいるんだ。自分の意志を持っていて、しかもそれを外に出せる人間が。そして、その意志で大勢の動きを変えることのできる人間が。……僕みたいに、異能があるわけでもないのに。


 ……何か。ムカつくな。


 まだ教室の前方で数人の生徒たちがじゃれている。それを見てから僕は、カバンから弁当箱を取り出した。くだらない。さっさと昼飯にしよう。今日の弁当には昨日スーパーの冷食コーナーで見つけたちょっと美味しそうな惣菜を入れてある。うまい具合に自然解凍されているはずだ。

 弁当箱を開ける。うん。うまく溶けてる。小さな満足感を覚えて箸を手にしようとした僕。そこに降り掛かってくる声。


「ちょっ! 弁当食べ始めちゃった! 興味なさすぎるでしょ!」


 新木田だ。明らかに僕を見て言っている。僕はというと、うまいこと返す言葉が思いつかず、ものを入れているわけでもないのに口をパクパクさせる。すると僕の斜め前の席に座っている男子が「お前の話がつまんなかったんだろ!」と冗談交じりに言う。それから彼は僕を振り返ってこう言ってきた。


「だよな! 高橋!」


 それから新木田も「ひっでー!」と言ってから僕を見る。


「まあ高橋もちゃんと放課後来いよな! 来るだろ?」


 屈託のない笑顔だ。屈託のない笑顔なんだけど、僕は高橋ではない。九空埜(くからの)だ。結構珍しい名字なのにこの間違え様。わざとなのか?

 いや、新木田たちの表情に他意は感じない。本心から僕のことを高橋だと思っているのだ。


「あー……」


 繰り返しになるが、僕には先程の璃乃果とやらのように、跳ね除けられるような意志も力もない。諦めてから言った。


「もちろん、僕も行きます」


 自身を高橋だと認める異例の敗北宣言である。

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