共有夢(1)
気がつくと、僕は自分の部屋の真ん中で立ち尽くしていた。布団の敷かれていない慎ましやかな部屋で、壁を睨みつけている。視線を落とせばいつもの寝間着。それから僕は左手の腕時計を見る。7時過ぎであった。窓の外を見るが、明るい。どこか変哲な感覚で察する。
これは夢だ。でも、いつも見ている『ウロの夢』じゃない。……初めてだ。普段どおりの明晰夢ではあるけれど、がらんどうの空間じゃない。
「そういえば」
ウロが言っていたか。器の能力はウロの夢を去る僕への手向けだと。どういう話の流れなのかは分からないが、僕があの場所を追い出されたということには違いない。じゃあここはどこだ、という話ではあるが、ここは皆から聞くような夢の世界とも違うような気がする。聞いていた『夢』というものは、いないはずの人がいたり、化け物がいたり、あるはずのない建物があったりと、もっと素頓狂なものではなかったか。
それがどうだろう。今僕がいるのは現実から地続きのような場所だ。部屋も現実と変わりないし、置いてある家具もだいたいこんな感じだった気がする。
「喉乾いたな」
あまりにも普通過ぎる景色に、僕は素でつぶやく。おもむろに部屋を出て、廊下と一体化しているキッチンの冷蔵庫前まで行く。扉を開けてお茶の入ったペットボトルを取り出して、その中身を飲み下す。冷えた液体が喉を通り過ぎていき、胃に落ちていく。
「ふう」
キャップを締めて、腕時計を見る。これが夢と言うならば、腕時計が示すものは起きるまでの残り時間のはずだ。そうだとするとまだ5時間近くある。部屋で転がっているのも悪くないが、退屈そうだ。外へ出て歩いてみよう。夢の中で歩くのは慣れている。僕の数少ない得意分野だ。
僕はお茶を仕舞おうと冷蔵庫の扉に手をかけてから、思い直る。ペットボトルは冷蔵庫の中ではなく、腕時計をメモリ化してしまい込んだ。容積から見ると溢れるかと思ったが、普通に入ったみたいだ。
歩いていて喉が渇いたときにでも飲もう。
「……行くか」
僕は扉を開けて外へ出る。住んでいるのは集合住宅の二階だ。空を仰いで天気を伺い見ると、雲はない。晴れと言っていいだろう。ただし、目を凝らすと青空の向こうに透けるようにして星空のようなものが見える。太陽は出ているから夜ではない。……と思いきや、遠くの空に白い月も見える。
不思議な光景だ。地面から生えている建物は現実とそう変わらないというのに、そこから天空へ離れるにつれて現実味を失っていく。そんな様子もひっくるめて、ここが夢の世界であると腹落ちした。
「夢だし鍵は要らないか」
コンクリートの外廊下を歩き、突き当りの階段を降りる。敷地から出ると、今朝登校時に見たのと変わらぬ景色。ただの住宅街である。
本当に何も変わらないな。よく聞く話じゃ夢の中では空をも飛べるとは聞いたけど。
試しに僕が空を飛ぼうと思いっきり跳ねてみても、ただの高校生の垂直跳びであった。
歩道の真ん中でアスファルトを叩くスニーカーの音が響く。乾いた音は反響して僕の耳に還ってくる。残響に恥ずかしくなった僕はそそくさと歩き始めた。咄嗟に歩き始めたから順路は馴染みのある通学路。何とはなしに駅へ向かう。
「……ん?」
歩きながら僕は疑問に思う。どうも違和感が拭えない。立ち止まってから周囲を見渡す。何か変だ。何が? ……そうか。音がしない。さっきのジャンプの反響音だって、普通は周囲の音に掻き消されて聞こえない。そして、音がしないということは……人がいないのか。
まるで深夜の街並みのようだ。道を通る車もない。何もいない世界だ。ものがあるだけで、僕がこれまで見ていたウロの夢と大差ない。
結局『こう』か。僕の中身が空っぽであることを改めて噛み締めてから奇妙な風合いの空を見上げた。視界の端には街路樹。きちんと見たことはなかったが、歩道に植えられていたのか。特徴的な形――扇のような――をしている緑の葉。イチョウ並木というやつだ。
……イチョウ並木ということを、僕は知っていただろうか。
夢はあくまで個人の記憶を再構成している程度のものであるはずだ。僕が知らないことが描かれているのはおかしい。それとも、それも含めて夢であるということだろうか。
「不思議だな。夢っていうのは」
そんな僕の声も無音の街に響いてしまう。それから再び歩き出す。別に路上の真ん中を歩いてもいいし、律儀に横断歩道を渡らなくたっていいというのに僕は、今この世界にいない人々が作ったルールに従って規則正しく歩道を往った。
○
歩いていく。まずは駅までだ。運転する人がいないので当たり前のことであるが、電車は動いていなかった。仕方ないのでホームから線路に降りて歩いてみた。方角は東。隣駅の維目(いめ)駅を目指す。線路に降りて歩き続けるなんて昔観た映画のようだと思いながら、案外維目駅まではすぐについてしまった。ホームの端にあった路線点検用か何かの階段から登り、誰もいない駅の改札を出る。
隣駅まで来てもやっぱりというかさっぱり人はいない。ニュースで見るような大都会ではないものの、一応大都会まで電車で出られるような場所の地方都市なのに人の声一つ聞こえてこないというのは不思議な感覚だった。
僕はここ安頼(やすらい)市の出身ではあるが、維目の方にはこれまであまり来たことがない。中学校を卒業するまで住まわせてもらっていた所はもっと西の方なのだ。そういうわけで、引っ越してきたばかりの僕が時間を持て余したとして、足を向ける場所は一箇所である。
そう、学校だ。
維目駅から学校に向かう通学路を石けりしながら進んでいく。途中、戯れに石を蹴ると見せかけて石を能力で靴に格納するなどしてみる。当然、見る人もいないので味気はない。見る人がいればちょっとした手品として驚いてもらえただろうか。
……少なくとも、僕の名前を級友に覚えさせることはできるだろうか。
「もう二度と行かねえ」
今日、放課後に僕はクラスの親睦会という体裁の集まりに加わった。学校近所のファミレスで開催されたそれ自体には別に文句も何もないが、主催していた男女数名――特に新木田という男子生徒――は、僕のことを高橋と呼び続けていた。九空埜(くからの)だと訂正を試みようかと思ったものの、あまり僕が話をする『間』がなかった。
こういう風にして、クラスという小さな人間関係の中でいわゆる『カースト』というものが出来ていく。新木田や、『あじたん』と呼ばれていた味吉(あじよし)という女子生徒らがスクールカーストのトップに陣取っていくのだろう。彼らに意見していた璃乃果(りのか)……染石(そめいし)璃乃果(りのか)というやつもそこに加わるのか。
そして、その次の階級が彼らの取り巻き勢力だ。今日の懇親会に積極的に来るような人たち。続いてその他大勢の存在。僕もここに含まれる。ここから溢れると、はぐれ者だったり変わり者扱いである。
もし『1年C組』という物語があったとして、役名がつくのはカースト上位の人らと、逆にはぐれ者と変わり者だ。僕のようなその他大勢になど名前はもらえないのだろう。もし貰えるとしても『九空埜』のような珍しい名字ではないに違いない。そういう意味では『高橋』という日本の名字ランキング3位に位置する名が与えられたのは必然だったか。
あんまり愉快じゃない懇親会ではあったが、僕はちゃんと最後まで居て、僕と同じその他大勢たちが帰る段になって一緒に帰った。誰がどんな話をしていたかはそこまで覚えていない。ただ、流される方が楽なので皆と同じ行動をしていただけだ。
だから、さっき僕がつぶやいた言葉は嘘になってしまうのだろう。もう二度と行かねえと言ったけれど、また同じような機会ができれば僕は参加すると思う。ちょっと言ってみただけだ。
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