レムポイント(10)

 先程、僕の存在に気がついていなかった嘉手村が、必死になって師階田に訴えかけていた内容。その中にあった『レムポイントへの強制執行』というワード。文脈からするに、師階田はそれを嫌がっていて、嘉手村とぶつかっているのだ。

 嘉手村がすぐ後ろにいた僕に気づけないほどに熱くなる言葉である。夢警を理解するに欠かせないピースだと思った。

 だが、快く質問に答えてくれると思っていた師階田は真剣な顔をして僕を見つめる。首を傾げ、僕に問いかけてきた。


「……どうしたの、九空埜くん。この件には関わらないって言ってたよね」


「あ……」


 そうだ。僕はあくまで彼女らへの協力について保留の身だ。この件に関して、無関係を貫くということで師階田にも、染石にもスタンスを示している。無関係な人間にべらべらと喋る人間がいるわけがない。彼女は染石と違って、利害もちゃんと考えている大人なのだ。


「意地悪しようと思って言ってるわけじゃないよ。ただ、『知ってしまう』という現象は不可逆だから。わかってくれるかな」


「それは、……そうですね。知ってしまったら、知らなかったころには戻れません」


 だけど、どうしてだろうか。僕には今のまま、何も知らずに踵を返して過ごそうとは思えないんだ。

 脳裏には、調査で消耗していた染石の姿――。


「――知っておいて、損は無いかなと思ったんです」


 口走ってしまった自分らしく無い言葉に、慌てて付け加える。


「もちろん、関わるつもりは無いです、今も。だけど……」


 上手い言い訳が思いつかない。いや、言い訳が思いついたとしても、それを目の前の師階田にぶつけようという気にならない。協力という対価を出さずに『大人』を納得させるだけの言葉が出せる気がしないし、僕も自覚している。協力せずに教えてもらおうなんて、卑怯だし都合が良すぎる。


「えっと……あの」


 どうにか説得材料を探そうと空転する頭。どうにか妙案を思いつくまでの時間を稼ごうと声を繋ぐ口。師階田はしばらく黙って僕を見つめてから、諦めたようなため息をついてきた。


「そっか。……私はりっちゃんほど必死に君を大切にしてあげるつもりは無いから、興味があるなら何でも話しちゃうけどね」


 彼女はそう言うと髪をかきあげ、横目で僕を見てからささやき声で言う。


「……りっちゃんには内緒だよ。怒ると怖いから」


 意外だった。『大人』であった彼女が頷いてくれるなんて。僕の不細工な悪足掻きに呆れて見逃してくれたのだろうか。


「はい。もちろんです」


 いずれにせよありがたい。僕は感謝を込めて「秘密にします」と約束した。

 師階田はうなずくと、まるで教師のように人差し指を立てて、口を開いた。


「……『レムポイント』っていうのは、この共有夢と誰かの悪夢を繋いでいる境目のことだよ。悪夢の中で増えた夢魔はレムポイントから共有夢へ滲み出してくる。私とりっちゃんがずっと探してた『淀み』の根源だね」


 淀みに夢魔は現れる。その淀みの根源を彼女たちは探していた。だとしたら嘉手村と師階田の会話はおかしい気がする。彼女たちがレムポイントを探していたのは……壊すなり、どうにかするためじゃないのか? それを嘉手村が強制執行と言っていただけなのではないのか? だとすれば、衝突する理由は無いだろう。


「根源ということなら、そこを壊せば解決するんですよね」


 確認してみると師階田は首を振る。


「そうだね。でも、レムポイントを壊せば、悪夢の持ち主の命は長くない。」


 彼女はそう言うと、厳しい顔つきで腕を組んだ。


「夢での死が、何をもたらすのかは知ってるでしょ? それを酷くしたものだと思ってくれればイメージできるかな。もっと悪ければ、そのまま目を覚まさなくなることもある」


 僕は息を呑む。

 夢での死は、人を死に近づけると聞いている。

 幸(さいわい)にして僕はまだ夢の中で死んだことはないので、実際のところでの『死が近づく感覚』は分からないが、どうやら夢での死を繰り返すと自死してしまうということらしい。

 それを見過ごすというのは……一般的な価値観と照らし合わせるに、まともなことじゃない。


「それなのに、夢警のあの人は……嘉手村さんは壊そうとしているんですか」


 夢警はそれなりの規模の組織であり、それがはるか昔から存在していたとするならば――組織が瓦解せずに残っているならば――それなりの規範があるはずだ。そして、規範の元になるものはモラルである。

 モラルのある組織の構成員が本当に『まともじゃない』ことをするだろうか。

 疑念とともに尋ねた質問に対する回答は、師階田の弱い笑みとともに返ってきた。


「……夢魔はね、夢見以外にも宿るの。弱い心に感染って悪夢を見せる。心が健全なら自力で治せるかもしれないけど、治せないでいればどんどん夢魔は悪夢の中で増えて、強くなって、レムポイントから共有夢へ飛び出していずれまた他の人に感染る。だから夢警の執行部は――それで誰か一人の命が潰えることになったとしても。その誰かが、自分の大切な一人だったとしても――大勢の人間の脅威となるレムポイントを壊して、悪夢をこの世界から切り離す」


 夢警が、大きな規模の組織を永きに渡って護持し続けてこられた理由が分かった気がした。ここの構成員に宿る使命感とでも言うべき強烈な意志が、その巨体の統制をとっていたのだろう。

 師階田は小さくため息をついた。


「今回の悪夢は、執行部が出てこなければならないほどに大きくなりすぎた」


 夢警の執行部という組織が、そしてそこに所属する嘉手村が、世界を守るためなら人の命を消すことも飲み込んで行動できる集団らしいことはわかった。そして、そのために相応の覚悟を持っているということも。

 ただ、だとしたらわざわざ師階田のところに顔を出すのはおかしいと思った。

 そこまでの覚悟があるのであれば、律儀に師階田に話をしに来ないでレムポイントを潰しにいきそうなものだ。それなのにさっきのように嘉手村が尋ねて来たということは、何か理由があるということ。例えば――。


「――師階田さんは、レムポイントを見つけたんですね。そして夢警側はまだ見つけられていない。嘉手村さんはここへ、レムポイントの場所を聞きに来た……違いますか」


「当たり。最近、ようやく見つけたんだ。だからもう、その気になれば壊せちゃう。だけどね、私はそうしたくない」


 そうしたくない。でもこのままこの問題を放置するつもりでもないと僕は感じた。放置するつもりなのであれば、レムポイントを壊しに来る執行部とは価値観の上で到底分かち合え無い。であれば問答無用で即戦闘行為に移るはずだ。しかし、先程の嘉手村との折衝を見るに、武力的な敵対があるわけでもないし、しっかり問答している。

 それはつまり、執行部が目をつぶれる余地が……『落とし所』があるということだ。この場合は、悪夢には『レムポイントを壊す』以外の対処法があるということを示唆している。

 そして、そこに繋がるのは師階田の仲間である染石が必死に行っていたこと。


「『誰の夢なのか』が、鍵なんですね。それが分かればレムポイントを壊す以外の対処ができる」


「りっちゃんからは授業中に居眠りしてたって聞いたけど。……案外成績は良さそうだね、九空埜くん」

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