レムポイント(11)

 師階田はここに来てふわりと笑みを見せた。『大人』に認められたように思えて、僕は少し嬉しくなる。……と、そう思ったのもつかの間、今度は僕の背後から駆けてくる足音が聞こえて来て、僕は振り返った。

 現れたのは染石だった。彼女は僕たちのところまで来ると雰囲気だけで会話内容を察したのか、開口一番師階田へ不満そうに言う。


「きい姉! 今何の話してたの!」


 文章は質問だが、訊いているのではなく不服を訴えている言葉だった。師階田は「やっぱ怖いなあ」と苦笑してから「りっちゃんに誤魔化しは効かないよね」と、諦めたように呟いた。


「りっちゃん、執行部が来たよ。もう時間切れだと思う」


 その言葉を聞いて染石は目を見開く。


「そんな……! レムポイントの場所は……!」


「まだ知らないみたいだね。調査部も人が足りないから、しばらくは八課の嘉手村が一人で探し回るつもりじゃないかな……。今回は九空埜くんを言い訳にしてお引取りお願いしたけど、そう何度も追い返せない。あんまり非協力的だと、そのうち大勢連れて来るだろうし」


「まだ知られてない……!」


 染石は安心したのか、大きいため息と共に地面にしゃがみ込む。髪をくしゃとかき上げ、表情は見えないが暗いものであることは見なくても伺い知れた。


「きい姉、ごめん。今日も見つけられなかった。このままじゃ……」


 このままじゃ。続く言葉は彼女も発さない。だけど僕はさっき師階田から事情を聞いた。それ故に伝わってしまう。

 このままじゃ……『人が死ぬ』。

 知るということは不可逆である。知ってしまったからこそ、今この状況がのっぴきならないものだと分かってしまう。それは師階田が予め教えてくれていたことだ。……こういうことだったのか。

 僕はしゃがみ込む染石を見て、それから拳を軽く握る。今日、バトンを渡した時の彼女は頼れる第二走者だった。リレーで一位になった時の彼女は無邪気に喜んでいた。そんな彼女がこんなに重いものを抱えていたなんて思っても見なかった。


「あの」


 僕は小さく手を挙げる。


「レムポイントの鍵……『誰の』悪夢か。それが分かったらどうするんですか」


「レムポイントまで行って、その人を思い浮かべる。それだけだよ。それでその人の夢への道が出来る」


 即答したのは師階田。慌てて染石が立ち上がる。


「きい姉!」


 抗議の表情で呼ぶ染石に、師階田は視線も寄越さない。その目は、僕を見ている。


「りっちゃん。九空埜くんはもう、知ることの重さも分かってるはずだよ。馬鹿じゃないみたいだから。それでもまだ知ろうと……質問をしてきてるってことは、覚悟できてるってことでいいんだよね」


 覚悟という言葉に僕は頷きもせず、否定もせず、無視して会話を続ける。あくまで、僕の質問に対する回答にだけフォーカスする。


「その人を思い浮かべれば道が出来る。……じゃあ、うちの学校の生徒が怪しいなら、片っ端から試せばいいですよね。思い浮かべるだけならタダです。それをしないのはどうしてですか」


 覚悟という言葉を無視した僕だが、師階田は気にした様子も無く「それができれば良いね」と穏やかに言う。


「共有夢と同じように、個人の夢……固有夢でも『認識』が重要なんだ。だからレムポイントを介して人の夢に入るには、お互いに『知っている』必要があるんだよね。それこそ夢に出てきてもおかしくないくらいには」


 師階田は素直に答えていく。横では染石が驚いた顔で口を開閉させている。そんな彼女の肩に手を載せながら師階田は続ける。


「でも、流石のりっちゃんでもそんなに沢山の人達と短時間で仲良くはできないから、当たりをつけてから関係を深めて、認識を植え付けようとしてたんだよね」


「……レムポイントに、案内してもらえますか。僕も試してみます」


 僕の言葉を聞き、師階田はようやく染石の方へ視線をやった。


「だってさ。どう、りっちゃん?」


 振られた染石は気を取り直し、動揺をどうにかおさめようとしているのか、小さく頭を振る。


「でも、九空埜は――」


「――僕はお二人に、協力します」


 言ってしまった。はっきりと立場を示す言葉を。僕は、ついにその一歩を踏み出した。

 驚いた様子の染石は、目をまんまるにさせてから、師階田の方を見る。師階田は特に大きな反応もなく、ただ、彼女は「急だね。どうしてかな」と問いかけてきた。

 さっき覚悟を問われた時みたいに無視するわけにはいかない、と思った。

 僕はまだ動揺している染石を一瞥して、それから目をつむる。


「全然、関係のないことなんですけど。今日、流れに逆らってみたんです。いつも従っていた流れに。……怖かったけど、新しい景色が見えた気がして……良かったなって思ったんです」


 『あの時』自分の名前を名乗るだなんて、少し前の僕では考えられない。自分の意志で走ることを決めることができただなんて、少し前の僕では考えられない。

 僕は目を開いて、染石を見た。

 不意に思い出すのは購買での会話。あれから僕はおにぎりを選ぶ時に、おかかを手にとってしまいがちだ。


「染石さんは、きっかけをくれた一人です。だから、お礼をしたいって思ったんです」



「レムポイントを見つけたのは偶然。……てっきり校舎のどこかにあると思ってたから手こずっちゃった」


 師階田に連れられ、尾行に細心の注意を払って辿り着いたのは僕にとっては見覚えのある場所だった。維目高校にほど近い場所。何度来ても『僕たち』以外の利用者が居なかった、ひと気の無い公園である。

 走り込んだ地面。待ち合わせたベンチ。無口な僕たちを盛り上げようとしていた彼の顔と、興味が無さそうなのに毎回一番最初に到着している彼女の姿を想起する。


「ここって……」


「知ってるの?」


 横を歩いていた染石が聞いてくる。僕は頷いてから「よく知ってます」と答えた。……この公園は、放課後に乙百、鞘草と運動していた場所だ。

 ただ、何もかも見覚えのある場所で、それでも違和感のあるものがあった。公園の中央に黒い穴がポッカリと空いている。大きさは拳より一回り大きいくらい。野球ボールとか、そのくらいか。切り取られたように不自然に真っ黒な円が腰の高さに浮いている。

 説明されなくてもわかる。


「これが……『レムポイント』」


 師階田を先頭に、僕たちは目の前まで来る。それから僕は周囲を見回した。

 成程、公園は木々に囲まれていて外からの見通しはそれほど良いわけではない。これでは中々見つからないのもうなずける。

 染石が一歩前に出た。そして僕の手首を掴む。


「来て」


 引かれて、僕は黒い球体の前に躍り出る。染石の手はそのまま黒い球体へと僕の手のひらを導いた。


「触って大丈夫。やり方は簡単。手を当てて、顔を思い浮かべる。当たりなら道が開く。……いけそ?」


「はい。……やってみます」


 僕は黒い球体に触れた。つるつるしていて、ガラス質の感触だ。それにひんやりしている。悪夢に繋がっていると言われて納得するような冷たさだ。まるで磨かれた黒石に触れているような触感に、『ウロの夢』で触れた黒い壁を思い出しながら不思議な気持ちになる。

 よし。始めよう。

 僕は集中するために目を閉じる。誰を試そうか。いや、僕はそんなに友人が多いタイプじゃない。手当たり次第にやってみよう。

 まずは……。


「ふふ」


 音に出ていたかも分からないくらい、隣りにいる染石にも聞こえないであろう小さな笑い声が出てしまう。

 まずは、も何もない。公園という場所で思い出してしまうのは二人の顔しかないだろう。


「開いた……!」


 僕はその染石の声に驚いて目を開けた。触れていたレムポイントの輪郭が崩れて溶けていき、地面へと滴る。ガラス質の触感は消え、僕の手は宙を掻く。地面に染み込んでいく黒い雫。その雫が落ちた場所だけが黒く染まり、マンホール程度の円をかたどった。


「スゴイよ! 九空埜!」


 嘉手村に聞かれないように気をつけている小さな声で、それでも嬉しさの伝わる声で染石が言う。彼女は声を抑えている分の感情を発散させるためか、乱暴に僕の背中を叩きながらはしゃぐ。


「誰だったの?」


 僕は「わからないです」と返した。


「今、同時に二人を思い出しちゃって……どっちなのかが分からなくて」


「充分だよ、九空埜くん。……今は目の前の結果が一番大事」


 師階田が僕に並びながら言った。そして彼女は黒いマンホールを指さした。


「あれから先は、悪夢の世界。多分、危険な場所になると思う。……今から私とりっちゃんは入ってくるけど、君はどうする?」


 レムポイントが開いたということは、悪夢の持ち主は乙百か、鞘草かのどちらかだ。でも、どちらであろうと僕の答えは変わらない。

 二人だって、染石と同じなんだ。僕が名乗れて、走れるようになるために必要な人間だったと、今は思える。


「行きます。……僕も、連れて行ってください」

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