監獄の夢(1)
真っ暗だ。前も見えなければ自分の身体も見えない。地面の感触もない。重力を失ったかのような浮遊感だ。真っ暗で、浮いている。死後の世界ってこんな感じなのかな。宇宙ってこんな感じなのかな。
物珍しい感覚だと思っていると引っ張られる感覚があった。足がしっかりと何かを踏みしめる感覚があり、重力を感じる。次いで、声が聞こえた。
「九空埜、生きてる?」
このハリのある声は、……染石の声だ。そう思った瞬間、急に視界に光が戻る。
「う……」
一瞬の宇宙を超えて辿り着いたのは薄暗くてホコリ臭い場所だった。地面は石畳。壁も同じ。上を見ても塞がれており、空は見えない。石で出来た廊下のような場所。そこに僕と染石、師階田も立っている。光源はどこだろうと思って見回すと壁にかかる松明。こんな密閉された場所で火を熾すだなんて酸欠になりそうだな……と思ってから考え直す。
そうはならない。そうだ。ここは、夢だ。……乙百か鞘草、いずれかの『悪夢』だ。
「大丈夫かー、九空埜ー、無視すんなー」
声を受けてハッとした僕は「あっ、大丈夫です」と返事を戻し、それから染石と師階田に向き直る。あの『宇宙』を通ってきたというのに二人とも落ち着いている。これまでの口ぶりからすると二人は過去にも悪夢に言ったことがあるのだろう。慣れているのかもしれない。
師階田は胸元からペンを取り出して、空中に絵を描いていく。見慣れたオーソドックスな剣の絵だ。
「人によっては夢を渡る時に『酔う』ことがあるからね。九空埜くんがそうじゃなくって良かった。……さて」
彼女の固有能力である『筆術師』によって、絵空の剣(つるぎ)が具現化していき、彼女はそれを宙から引き抜く。
「りっちゃん、九空埜くん。ふたりとも準備は良いかな……来るよ」
来るよ。どういうことだ。
そう思ったのもつかの間、師階田の隣の染石も腰の日本刀を鞘から抜いて睨む。僕の背後だ。僕は振り返りながら左手首へ右手を持っていく。腕時計に触れておきながら、視界に現れた『相手』を見つける。
石の通路。その遠くから松明の火に照らされた金属光沢。剣を携えた兵士だ。もちろん顔にはいつものちゃっちいお面である。
「九空埜、いける?」
染石の声に、振り返らずにうなずいた。広い通路じゃないから並んだり囲んだりして戦えはしない。先頭の僕が何とかできればそれが一番だし、きっとそれを期待されている。
僕は腕時計からメイスを取り出す。槍は閉所では不利だし、逆に敵もそうそう動き回れない。そうなると、多少当てにくくても兵士の鎧を破る破壊力を持つコレが適任だ。
メイスを右肩へ担ぎ、構え、息を止めて走り出す。そしてそのまま兵士の前まで滑り込み、左足を地面に刺す杭が如くのように突き出して止まると、慣性でメイスの鉄球に自然と力が乗っていく。そこに僕自身の振り下ろす力も乗せて一撃。勢いよく敵を叩いた衝撃が手に伝わり、兵士も威力に後ずさる。メイスの鉄球に引っ剥がされて、胸元の鎧がめくれている。
僕はメイスを捨て、すぐさま右手を腕時計へ。今度は剣だ。一番はじめに師階田にもらった西洋剣を取り出し、僕は鎧のめくれた無防備な部分を目掛けて突きを放つ。だが、それは兵士の剣によって弾かれてしまう。
反応が良い……。ちょっと前に戦った兵士ならこれで倒せたのに。
「九空埜、しゃがんで!」
僕は聞こえてきた声のままに地面へしゃがみ込む。僕の頭の上を何かが飛んでいく。……刀を構えた染石だ。
「とうっ」
彼女は一声、刀を鎧の剥がれた胸元へ差し込み、それから蹴飛ばす。蹴飛ばされた兵士は地面を転がり、淡く光って空中へ溶けていった。
それを見届けてから染石は僕を振り返って「上出来じゃん」と笑いかけてくる。僕はというと、一人で対処できなかった悔しさと、『いける?』と聞かれて頷いたのに、という恥ずかしさで目を合わせられず、小さな声で「どうも」と返すのがやっとだった。
「ふたりとも大丈夫?」
師階田に呼ばれてそちらに目をやると、彼女の足元には兵士が三、四人転がっていた。どれもが淡く光って空気に溶けていっている途中である。
……いつの間にあんなに倒してたんだ。というか、僕が気づいていないだけで挟み撃ちにされてたのか。
師階田は左手に持つペンを空中で走らせる。今度は剣や槍のサイズではない。通路全体を使って何かを描いていく。
「こっち進むのは不味そう。そっち側からの方が良いかな」
彼女がそう言い終わる頃には、通路を塞ぐ岩の絵。具現化されていくと、師階田のいる方の通路は完全に通行止めとなった。
彼女はペンをポケットにしまいながら歩いてくると、僕の前で立ち止まって手を差し出してきた。
「しっかり動けるようで安心した。……それじゃ、進もうか」
○
僕たち三人は染石、僕、師階田の順番で石の通路を進んでいく。警戒しながら進んでいると、師階田が口を開いた。
「それにしても、九空埜くんは随分心変わりしたもんだねえ」
急な発言に驚いて足が止まりかけるも、師階田が背中を小突いて「足は止めないよ」と言ってくるので何とか歩く。それから僕は「そうですね。心変わりしました」と呟いた。
「……そんな風に改めて言われると照れくさいです」
「そう? なんか主人公感あって格好良かったよ? 『流れに逆らう――』みたいな話」
自分の顔が熱くなっていくのを感じる。夢でも恥ずかしいとしっかり血が巡ってくるんだな、などと見当違いのことを頭のどこかで考えながら、上手く返答できずに「うう」と変な唸り声を上げてしまう。
すると前を歩いていた染石がちらりと振り向いた。
「きい姉、あんまりイジメないであげてよ。ホントに九空埜は今日頑張ってたし。……ね」
助け舟だ。有り難く乗っかろうと口を開いたところで後ろからの声が割り込んでくる。
「おっ。流石に誰かの心を変えるきっかけになった人の言うことは違うねえ」
容赦無いイジりだ。助け舟ごと沈められた気分。前を歩く染石の耳も赤くなっているような気がする。それから彼女は「今から私語厳禁!」と吐き捨てた。
「ふふ」
小さな笑い声が師階田の方から漏れてくる。
「やっぱり怒ると怖いなあ。じゃあ、私語以外を話そうか。……りっちゃん、その扉、気をつけて」
彼女の言葉を受けて、染石の足が止まる。前が止まったので連鎖して僕も立ち止まる。何があったのかと思って染石の方を覗き見ると、彼女の眼の前には鉄の扉があった。
「九空埜くんは誰かの夢に入るのはじめてだよね。……夢によっては扉や、領域を線引するものには意味があって、そこを越えると一気に雰囲気が変わることがある。場合によっては夢魔の巣に当たったり、とか」
僕はつばを飲む。腕時計に手を当てて、いつでも武器を取り出せる準備。染石はため息を一つ。それから「でも、ずっとこうしてるわけにもいかないから……開けるよ」と言って、鉄の扉の取っ手に手をかける。
押し開けられてゆっくりと開いていく扉。その向こうから冷たい空気が流れ込んでくる。染石は注意を払いながら慎重に外へ。僕も続いて出ると、そこは鉄格子が並ぶ――。
「――監獄」
僕はつぶやく。冷たく暗い、人を囚えるための場所だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます