レムポイント(4)
僕も染石と同じくレジで会計を済ませた。いつまでもおにぎりを見つめているわけにもいかない。購入した食べ物を乙百のもとまで届けて、その代金を新木田から回収せねばならないのだ。
「はあ」
小さくため息をついた。新木田に対する苦手意識は拭えない。お金を素直に回収できるだろうか。……もちろん、この高校も一応は進学校の枠組みには入れてもらえるような場所ではあるので、新木田とてマジのカツアゲのようなことや、いじめのようなことはしないだろう。退学のリスクを負ってまで変なことをしようとするほど頭が悪い人間では無いはずだ。
ただ、いじりの延長程度のパシリなんかは全然あるし、現にさせられている。状態化してしまわないためにもしっかりお金を回収して、これっきりにしなくちゃ。最悪乙百はお金を払ってくれるだろうが、それじゃ駄目だ。
「どうにかしないと」
作戦も思いつかず、具体的な想定もまとまらないままに、僕は体育館へ向かうべく廊下を歩き始める。そして、校舎から体育館へつながるひと気のない渡り廊下に差し掛かったところで、またもや後ろから声をかけられた。今日、急に後ろから声をかけられるのは何度目だ。
「ねえ、君。何かたくさんゴハン持ってる君!」
今度は何だろう、と思いながら僕は恐る恐る振り向いて、それから声の主を見て首を傾げた。
軽いウェーブのかかった茶髪をショートカットにしており、その下には人懐こそうな笑顔。記憶を辿ってみたが、僕の脳に引っかかる情報はない。全く知らない女子だ。少なくともクラスにはいない子だ。
一応周囲を見るも、ひと気はないし、間違えようはない気がする。
「え。……僕で合ってますか?」
「そう! ふふ、君くらいかな。『たくさん』って言えるくらいの人は」
彼女は僕の真似なのか、ジェスチャーでおにぎりや惣菜パンを『たくさん』抱えるフリをして笑う。
「確か、九空埜くん、だよね。……私、陸上部の小谷弦(こやつる)。大地(だいち)と一緒の」
大地と言われて思い当たらず一瞬固まるも、乙百のことだと思い当たる。そうだ。フルネームは乙百大地だった。名字が珍しいこともあって、ほとんどの人は彼のことを乙百と呼ぶ。下の名前で呼ばれているのはあまり見たことがない。
親しい仲なのか何なのかは分からないが、とりあえず僕は頭を下げた。
「はあ……どうも」
陸上部の小谷弦、か。そういえば乙百は陸上部だ。体育祭のリレーを走ることになったのも、それ故だったっけ。……この小谷弦という人は、僕に何か用だろうか。何か、乙百絡みの話かな。
何故か乙百は僕に声をかけてくれることが多い。それもあって僕は良く乙百とつるんでいるから、そちらの線のほうが濃厚そうだ。
疑る僕の心が表情に出ていたのか、小谷弦はちょっと困ったように頭をかく。
「あはは。何の用じゃ、って顔してるね。ごめんごめん。ちょっとさ、この前の放課後、君と鞘草さんが一緒に歩いてるの見かけちゃって……」
乙百ではなかった。まさかの鞘草である。予想外のことで素直に驚いてしまう。
「ぶっちゃけなんだけど……九空埜くん、鞘草さんと、仲いいの? 付き合ってたりする?」
驚愕に重ねて、結構なトンチンカンさの質問である。それに、出会って五秒でする質問でもないだろうし、仮にそうだったとしてもそれが何だというのだろうか。突然のように湧いてきた疑問の類に飲み込まれて、僕は頭の上に「?」を浮かべながら、それでも質問にはちゃんと答えようとして首を横に振った。
「いや……。今言われたような、そういうことはないです。まあ、普通に話とかはしますけど」
「あ、そうなんだ。……ふー」
大げさなため息だ。やや芝居がかったようにも見える安心のポーズを見届けたあと、彼女から発される『是非深掘りしてください』の雰囲気を読み取った僕は「鞘草さんがどうかしたんですか?」と聞いた。
小谷弦は待ってましたと言わんばかりに眉を潜めて顔を近づけてくる。距離の近さで月並みに人並みにどきりとさせられてしまう。心の何処かで『この娘は男子に人気がありそうだな』など考えながら、僕は彼女から意図的に視線を外して耳を傾けた。
「あのね。あんまり周りに言わないで欲しいんだけど。……鞘草さん、良くない噂があってさ。中学のころ友達に酷いことしてハブられたりしてたみたい」
「酷いこと、ですか」
「そう。一緒に遊んだ子の荷物がなくなったりとか。……九空埜くんは大丈夫?」
直接的な表現は避けているものの、わかりやすくはある。鞘草が中学生のころ、友人のものを盗んで村八分に追い込まれた、と。そういうことだ。
少なくとも、伝聞の形で話をしている彼女は直接的な関係があったわけじゃなさそうだけど、鞘草と同じ中学校から進学している人がいれば、……そういう話はすぐに広まるものだ。悪意の有無に関わらずに。
「……そうですね。僕は何も盗られたりとかは、なさそうです。……盗られて困る物自体、あんまり持ってきて無いですし」
「そっか、よかった……と見せかけて隙ありっ!」
いきなり小谷弦が僕の腕から惣菜パンとおにぎりを抜き取ってきた。それから彼女は「盗られて困るもの、発見!」と言いながら食糧を見せてカラカラ笑う。
焦って抗議しようと「返してくだ……」と言いかけたところで、小谷弦が「冗談だよ」と微笑む。
「実はね、さっきの新木田と大地のやりとり、見てたんだ。災難だったね。……これ、大地に渡せばいいよね?」
それから彼女はスカートのポケットに手を突っ込む。そして、無造作に何かを掴むと――。
「お代はコレでいいかな。たてかえとく」
――彼女は手を差し出してきた。手のひらの中には銀色の小銭が数枚。お代は丁度だ。
「新木田も女子の私相手には払いっぱぐれることはないからね! 代わりに取り立ててあげるよ!」
「あ……見てたんですね」
情けない気持ちになりながらも、僕は少し考える。
新木田からのお金の回収。自身でやらねばと思っていたけど、実はその必要はないかもしれない。小谷弦の言う通り、彼女みたいなタイプの女子に責められるのを新木田は良しとしないだろう。だから、素直に払うはずだ。さらに言えば、今後僕をパシろうとした時に小谷弦の顔がよぎってくれれば言うことなし。
打算的だが、僕は彼女の提案に乗っかることにした。それに、僕の想像が当たっているならば、この彼女の提案は彼女にとっても良いものであるはずだ。
「……ありがとうございます。それじゃあ、あとはお願いしてもいいでしょうか?」
「もちろん! ちょっとしたお節介ですから」
違う。彼女の意図は何となく分かる。『大地』と、乙百の名前を出している時、彼女の表情に茜色が差しているのを僕は見つけたからだ。乙百との接点が欲しい、それが彼女の一番の目的だろう。お互いの利益に繋がっているから、いい取引だ。
「すみません。では……」
僕は教室へ引き返すべく小谷弦に背を向ける。同時に聞こえてくる彼女の声。
「鞘草さんの件、本当に、気をつけてね」
いくらかトーンが低く、真剣味を感じるその声色に僕は足を止めて、頭だけ振り返る。肩越しに見えた彼女の目は笑っておらず、じっと僕を見ていた。
「……えっと――」
鞘草が盗み。そんなこと、本当にするだろうか。
確かに鞘草はいつだか、乙百との関係性について色々とあるようなことも言っていたし、それが何か今回の小谷弦のタレコミに関連するのかもしれない。
ただ、一方僕はこれまで何度も彼女と乙百主催の体力づくりで同席している。愛想は無かったが、誠実さに欠けている印象も無かった。少し変わっているけれど、おとなしい女子生徒という印象だ。
「――はい。そうですね。気をつけます」
空気や雰囲気に流されてうなずく僕。小谷弦はそれを見てニコリと笑い、渡り廊下を体育館に向かって走っていく。彼女の後ろ姿を見送ってから、僕は居心地の悪さを感じた。
いつも通り流されて、それで満足してもらって。けれどなぜか。普段通りのことなのに、妙に居心地が悪かったのだ。
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