レムポイント(5)
生憎の雨、とはならず、燦々と輝く太陽。この時期には珍しく雲ひとつ無い晴天が広がる空の下で、校舎に反響してたわむ音声。この学校には放送部があり、学内のイベントごとには実況などしているようだ。それに負けじと大勢の歓声も響いている。その中心では校庭を駆ける生徒たち。かすかに感じる土ぼこりの匂い。
維目高校の体育祭は、万事つつがなく執り行われていた。
複数の種目に出場して八面六臂の大活躍をしている乙百を応援するのも程々にして、若干手持ち無沙汰な僕は日差しから逃げたいという目的もあり、隙を見て校舎へお手洗いに向かったり、水飲み場へと避難しながら時間を潰していた。
観客席にいればダラダラ話をする程度の仲のクラスメイトは居るものの、屋外でずっと話をしているのも疲れてしまう。僕は今も友人たちとの会話を切り上げて、トイレに行くという名目で校舎の中へと入り込んでいった。
昇降口で土埃のついた靴をしまい、上靴代わりのサンダルに足を通す。空調の効いた校舎内を往くと、購買近くの食堂前にあるベンチに鞘草の姿を見つけた。
相変わらず、必死にスマホを指で叩いている。何かしらのゲームを堪能しているのだろう。
――鞘草さんの件、本当に、気をつけてね。
ふと、数日前に小谷弦から聞いた話を思い出してしまう。目にクマを作って必死にゲームに打ち込んでいる彼女を見ていても、友人からの盗みといのはどうも結びつかない。そもそも彼女が誰かと仲良くしているところ自体見た覚えがない。何かをやらかして一人ぼっちになってしまうというよりも、理由なく常態的に孤立しているようなイメージのある人物なのだ。
今自分が考えているものごとの性格上、『声をかけるのも憚られるな』などと思っていたら、ゲームが一段落ついたのか、急に顔を上げた彼女とバッチリ目があってしまった。
「妙に視線を感じるなと思ったら、九空埜か」
「あ、すみません。……集中してるなあと思って、つい見てしまいました」
大あくびをかましてから、「そうかい」とぶっきらぼうに言葉を放る鞘草。彼女のこの変わった話し方は怒っていたり、不機嫌だったりすることが原因というわけではない。ただの彼女の個性なのだ。
目にキているのか、彼女は目頭をぎゅうと摘み、揉み込む。
「失礼。ちょっと寝てなくてな」
いつも眠そうな鞘草なので、これに関しても特別というわけではない。ただ、乙百の話していた『いつも徹夜の久地沢先輩』とやらとは違って本当に寝ていないリアリティはある。
「いつだか乙百くんが言ってました。ゲームのしすぎだろう、って」
僕は彼女の手にあるスマホを横目に言う。スマホの画面は見えないが、何らかのゲームアプリが起動しているのだろうことは容易に想像できる。
だが、鞘草は首を振る。「最近は、違うかな」と言ってスワイプ。起動していたアプリを落とす動作だ。そして、真っ暗になったスマホをゆらゆら振りながら言う。
「夜になったら『これ』は止めて目を閉じてる。……ちょっとした考え事だよ」
「そうですか」
彼女の言う『ちょっとした考え事』。普通に考えれば『深掘りして欲しい話』の振り出しだ。でも、今回は違いそうだ。無機質な表情や冷たい声色、小さなため息。踏み込みづらい空気を感じた僕は話題を変える方へ作戦を切り替えることにした。
話の種を探そうと視線を逸らすと、窓の向こうには体操着を来た生徒たち。炎天下というほどではないが、今日もしっかりと暑い。それに対して屋根の下で汗の一つもかいていない僕ら。咲かせる話はこれしかあるまい。
「見ないんですか、競技」
「無いんですわ、興味」
せっかくの種。即答で切り捨てられてしまった。
「韻を踏みながら酷いこと言いますね。乙百くんも頑張ってますよ」
「酷い、か。でも、ここにいるってことは君もその一人だろ。それにほら――」
周囲を見回す鞘草。窓から差し込む光の他に蛍光灯の明かりが照らす下、数名の生徒がぽつりぽつりと校舎の風景の中に溶け込んでいる。別に隠れているというわけではない。ただ、目を凝らしてレンズの焦点を当てねば認識することが出来ないその様は、溶け込んでいると表現する他ない。
「――案外居るぞ、私らみたいな人種は」
「そうみたいですね……ん?」
同意しながら周囲を改めて見回す。溶け込む人々の中に、異彩というのだろうか、明らかに場違いな雰囲気を纏う人間が入り込んできたのが見えた。
普段はこっち側にいないような人間だ。彼女のことは知っている。……染石璃乃果。普通に考えれば、この体育祭を全力で楽しんで、こんなピントを合わせないと見えないようなぼやけた存在が屯(たむろ)している場所に来ることはないだろう人間だ。
彼女は一人で歩いている。目的を持って歩いているようには見えず、誰かを、もしくは何かを探すようにフラフラと歩いているように見える。
僕の視線を辿られたのだろうか。鞘草もそれに気がついたようである。
「君のクラスの染石か。彼女はこっち側じゃなさそうなのに、珍しいこともあるもんだな」
太陽が見えているのに雨粒が落ちてきた、程度の驚きを込めた彼女の言葉。僕も珍しいとは思いながら、染石の進行方向が気持ちこちらへ向かっていることに気がつく。目があっているわけではないので、あくまでもたまたまだろう。
まあ、別にやましいことをしているわけではない。こちらから声をかけることは無いが、向こうが気づいたら挨拶くらいはしないとな。
しかし、そんなふうに気にも留めていなかった僕に対し、僕と違って染石の進行方向と自身の位置が重なってしまっていることによって、そわそわと落ち着きがなくなってしまっている鞘草がいた。
「おいおい。勘弁してくれ。こっちに向かってきてないか」
まるでハリウッドのアクション映画のキャラクターのようなセリフを吐いて、彼女はいそいそと荷物を片付けて立ち上がる。僕はそれを見て尋ねる。
「鞘草さんは、染石さんと仲が悪いんですか?」
かぶりを振って否定の意思を示す鞘草。
「違う。君らのクラスとの合同体育とかで、私が一人でいると話しかけてくるんだよ、気を使っているのか知らんが。……そして、いざ目の前にしたら共通の話題も何も無くて辛い時間を過ごすことになる」
染石が自ら鞘草に話しかけている様子。確かに二人は所謂(いわゆる)属性というか、所属しているグループが違うのだが、……案外想像できるものでもある。これも、僕が共有夢の中で染石の妙なお節介を何度も見ているからであろう。鞘草は若干迷惑そうではあるが。
鞘草はスマホや水筒を手にすると、自身の教室があるであろう階上への階段へ向かう。途中、僕を振り返りながら言う。
「……君はくれぐれもついてくるなよ。追いかけられる可能性があるからな。もし何か聞かれたら充電しに教室に行ったと伝えてくれ」
そして、彼女はそそくさと去ってしまった。心の中で『結構普通に急いで逃げたな……』などと思って、少しだけ呆れていると、視界の端の染石がこっちを見た。僕に気づいたのだろう。
「九空埜ー! なにしてんのー!」
共有夢で聞いても、現実で聞いても……何度聞いても元気な声である。
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