レムポイント(3)
「何ぼーっとしてんだ?」
声をかけられて驚いた僕は、その声の主の方を向いた。乙百大地。陸上部の爽やかスポーツマンであり、僕のクラスメイトであり、二人三脚の相方でもある。
彼が話しかけてきたのは教室である。もちろん、夢などではない、現実の教室だ。周囲はざわついていて、思い思いの事柄を話し、動き、食べる。時計を見るとお昼時。……そう、昼休みに入っていたのだ。
……僕は机に広げていた教科書を閉じてから、乙百に返事をした。
「ごめん、何かちょっと……ぼーっとしちゃいまして」
「九空埜にしては珍しいな。今日も購買だろ? それしまったら一緒に行かねえ?」
「そうですね、いきましょう」
慌てながら教科書と筆記具をしまい込んだ僕は席を立つ。先に教室を出ていった乙百を追って廊下へ。昼休み開始時の喧騒を掻い潜りながら、僕は乙百に並んだ。
彼は大きくあくびをして、身体を伸ばしている。
「すごいあくびですね」
見ているこっちまで眠くなってしまいそうだ。乙百は照れたように笑いながら、「睡眠には気をつけてんだけどなー」と言う。いつだかの体力づくりの際、いつも眠そうな鞘草に向かって「睡眠は大事だ。寝ている時に成長ホルモンが……」などと言っている本人がこのザマなのだ。鞘草が一向に寝不足を直そうとしないのも仕方ないような気がしてきた。
そういえば、鞘草は深夜までゲームをやっていて寝不足だと聞いたことがあったが、乙百はどうしたのだろう。それとなく聞いてみると、「漫画」という短い答えが帰ってきた。まあ、男子高校生なんか、大抵漫画は読んでるよな。僕だってそうだ。
「でもさ、眠れないアピールするやつってあるあるっていうか、良くいるよな。そう見られるのはかっこ悪いからやめたいんだけど……」
「確かにそうですね。眠れないアピールする人結構みますもんね」
「そうなんだよ。うちの部活の先輩に久地沢さんって人がいるって話したじゃん。あの人しょっちゅう徹夜してるって言ってる。部活で不調の時は大抵言ってる」
ありありと想像できる。本当に寝不足なのかもしれないが、どちらかというと自分のプライドを守るための方便なのだろう。
「この前なんか、三日連続で徹夜してるって言われたから、『久地沢さん三日寝てないなら帰ったほうが良いですよ。自分から監督に言っておきます』って言ったら『いや大丈夫。気のせいだった。昨日は寝てた』だってさ」
その先輩とやらの物真似をしながら、カラカラと笑う乙百。
どこにでもそういう手合はいる、ということなんだろう。廊下を歩いている今だって、耳をすませば『ねみぃ』だの『だりぃ』だのが聞こえてくるようだ。方便というものを通り越して、最早これは僕たちの年代の男子の一種の口癖なのかもしれない。
そんなことをおぼろげに考えながら乙百と廊下を歩いていると、後ろから声。
「おーい、乙百ー」
気さくそうな明るい男子の声色。呼び止められた乙百にならって僕も足を止めて振り返ると、僕のクラスの誇る一軍選手、新木田が気だるそうに手を振っていた。
乙百は「ん。陽也(ようや)か」と返事。新木田は手を下げて近づいてくる。
「ちょっと今からいい? リレーの作戦会議したくて」
彼の言葉に乙百は一瞬、答えあぐねたように僕をちらりと見る。
「……ああ。でも俺、まだ飯も食ってないんだけど」
「えー。……あ、じゃあさ」
乙百しか視界に入っていないような様子の新木田がはじめて僕を認識したように視線を寄越してくる。乙百に向けるものとは温度の違う視線が、僕の心には少し痛い。
「あのさ。高橋、ちょっとこいつの代わりに購買行ってきてくんね? 金はちゃんと俺が出すからさ。お、ご、り」
彼はそう言うと、乙百の肩をがしりと掴む。掴まれた乙百はというと振りほどこうとしながら「ちょ……俺は、そういうのは」と嫌がる様子を見せる。最初はじゃれているように見えたが、よく見れば目が笑っていない。僕個人も少し空気がきしむのを感じたところで新木田は「えー、でもさー」と言葉を付け足した。
「ほら、さっき乙百が話してた『寝不足の久地沢さん』も待ってるみたいだぜ。……寝ずに」
そう言って新木田は笑う。告げ口を匂わせるような彼の物言いに、乙百の表情に陰りが見えた。逡巡している。
……ここまで抵抗してくれただけで充分だ。何より僕は流されることに慣れている。
僕は「わかりました。大丈夫ですよ」と頷いた。
「それじゃあ、いつも通りおにぎりとパンで良いですか? 買ってきます」
「えー。悪いね。サンキュ高橋」
悪いとは思っていなさそうな新木田はすんなりと乙百から手を離し、それから踵を返して僕の方へ指をさしてきた。
「場所は体育館だから、ヨロシク」
「お、おい、陽也!」
呼び止める乙百。しかし新木田は背越しに「早く来いよー」としか言わず、足を止めない。それを見て乙百はため息をつく。
「……いいのか、九空埜」
「仕方ないですよ。……大丈夫です。元々暇でしたし。苦手なものとかありますか?」
「ああ、いや、何でも食べる。……ごめんな。もし新木田が払わなかったらちゃんと俺がお金も払うし、今度埋め合わせるから」
乙百は申し訳無さそうにそう言うと、新木田を追いかけて駆け足で去っていく。放置したら部活の先輩を怒らせる未来に繋がってしまうのだ。焦っているだろう。
……さて。頼まれたことはやらないと。購買に行こう。
○
維目高校には購買部があり、一部の学生はそこで昼食を確保している。学校の外にはコンビニもあるのでそちらに行く生徒も存在しているものの、コンビニの割高感は否めない。
何はなくともお金がない学生なのだ。弁当派以外はほとんど購買の安い食事に流れている。
「どうしようかな……」
乙百の惣菜パンとおにぎりは早々に確保し、自分の食べ物を選ぶ中で梅とおかかおにぎりの二択で迷う。正直、栄養的には大差ない。値段も一緒。どっちにしてもいい。暑くなってきているから殺菌作用のありそうな梅のほうが良いだろうか。
「どっちにするの?」
急に声をかけられてびっくりする。抱えている惣菜パンを落としそうになりながら振り向くと、今や見慣れたサイドテールの女子がいた。
「染石さん」
「おっす」
気の抜けた挨拶を返される。共有夢の中でこそ話をすることは多いものの、学校の中で話すことは中々ないので少し新鮮だ。
そんなことを考えていたら「で?」と彼女は視線をおにぎりに向ける。
「どっち? 両方は買わないよね? 残ったほう、私買うから早く早く」
急かされた僕は梅のおにぎりに手を伸ばす。瞬間、何も考えてなさそうな染石の顔が目に入る。
「……ん」
僕は梅ではなく、おかかのおにぎりを手にとった。
「じゃ、梅は私もらうね!」
そして彼女は梅おにぎりを手にすると、背を向けて素早くレジへ。……と思いきや、顔だけ僕を振り返る。
「九空埜はおかかおにぎりが好き、と。……じゃあねー」
染石はサクサクと会計を済ませ、購買の近くで屯していた女子生徒たちと合流する。染石が買い物するのを待っていたのだろうか。見覚えのない人たちなので、他クラスの人かな。随分広い友好関係だ。
僕は手に持つおにぎりに視線を落とす。
「……嫌いじゃ、ないかな。おかか」
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