レムポイント(2)

 師階田は「そんなにかしこまらないで」と微笑みながら言う。「むしろ君にとっては良い話かもしれない」とも言う。


「これまで続けていた訓練だけど、一旦終わりにしようと思ってる。もう、夢魔と戦う力もある程度ついたでしょ?」


「あ、そういう……」


 拍子抜けだった。染石の前では強がっていたものの、やっぱりどこかで何か怒られるんじゃないかな、とは思っていたりしていたからだ。

 確かに師階田の言うことは分かる。彼女らの実力には到底及ばないものの、今のところ出会う夢魔は一人でどうにか出来ている。何となく、敵わなそうだと思ったら逃げたりもしているし、案外僕には一人でも何とかこの共有夢を生きていける力がついているのかもしれない。

 ただ、懸念はある。


「でも、ちょっと気になることがあります。……ここのところ、お面の兵士の夢魔が強くなっていっています。そのうち、僕の力で退けられなくなってしまうんじゃないかと、心配です」


 実際、はじめて出会ったお面の兵士と、先程戦ったお面の兵士では天と地だ。このペースで夢魔がどんどん強くなっていくのであれば、僕はどこかで負けてしまう気がする。

 師階田はそんな僕の心配を首肯した。


「そうだね。ちょっと強くなりすぎてる。だから、それもあるかな。……私とりっちゃんは、これから本腰を入れて夢魔を狩って、『淀み』の原因を探さなきゃいけない。そっちに時間を使わなくちゃいけなくなってきたんだ」


「『淀み』の原因……」


 いつだか、染石が言ってきたやつだ。夢魔が湧き出る原因があるのだという。一度その対策について彼女から協力も求められたが保留したままでいる。ちょっと気まずさを感じて目を伏せる。そんな僕の気持ちを知ってなのか、知らないのか、師階田は話を続ける。


「九空埜くん。真面目な相談」


 伏せた目を再び上げた僕は師階田の目を見る。先程までのふざけたような雰囲気のない、真剣な眼差し。すでに僕は嫌な予感がしている。でも、そんなことお構いなしに彼女は僕を見る。


「この夢魔を……悪夢を除くのに、力を貸してくれない?」


 案の定な言葉に僕は一瞬硬直した。若干予想はしていた。当たり前だろう。誰が好き好んで、何の見返りもないのに人を鍛えるだろうか。僕を鍛えてくれていた理由。そこに何かしらの意図があって然るべきなのだ。

 それに、僕もそれを否定はしない。思惑があってはじめて動く。とても合理的だし、ある種の誤解を恐れずに言うのであれば、人は皆そうあるべきだ。むしろ師階田は良心的とも言える。夢魔と自身の無力に怯える僕に対して、『守り、鍛える代わりに、こちらに協力せよ』という取引を持ちかけることだって出来たんだから。

 それを僕の意志を尊重してくれるだけで……うん。充分に良心的だ。


「僕は……」


 どう答えようか。

 もう、以前染石に唐突に誘われた時とは事情も変わってきている。何度か夢魔から守ってもらったこともあるし、僕を鍛えてもくれた。僕自身はまだ、戦う恐怖を乗り越えられているわけでもないし、手放しで同意は出来ない。

 でも、そうなったらそうなったで自分を納得させることは出来る気がする。早い話『流される』ための心の準備は終わっているのだ。

 別に、これまでと変わらない。状況に流されて、その現実を自分に納得させるだけの話だ。体育祭で、流されて種目を選ぶ時と同じだ。乙百に誘われて、鞘草と体力づくりを始めた時と同じだ。高橋と呼ばれ、訂正しなかった時と、何も変わらない話だ。

 ……いつも通り、流されるだけだ。


「わかり――」


「――やんないよ」


 僕の言葉を遮ったのは、横で見ていた染石だった。


「きい姉。九空埜はやんないよ。まだ考え中なんだ。どうするのか」


 彼女ははっきりそう言うと、それから僕に視線を寄越し、「ね」と同意を求めてくる。僕はその勢いに飲まれて「あ、うん。そうだった……」と呟いた。


「すみません。以前、染石さんにも同じ提案をもらったのですが、まだ悩んでまして……」


 言い訳のように僕は言う。それから師階田の方を覗き見ると、彼女は「わかった」とだけ言って僕の肩を二度叩く。


「まあ、気が向いたら教えてよ。りっちゃんに言ってくれてもいい。……もし不安なら他の夢見も紹介する。まだ戦えない小さい子を保護しているところも知ってるから、そこに行くっていうのもありだし」


 それから彼女は肩を回しながら校門の方へ向かっていった。


「じゃあ、そういうわけだから私はこの辺で調査してくる。……りっちゃん、各々調べたらまた後でここで合流しよ。……九空埜くん」


 振り向きざまに彼女は、いつもの微笑みに戻っていた。


「気をつけてね」


 師階田が去ると、残された僕と染石は数瞬、無言になり、それから染石が口を開いた。


「九空埜、さっきはゴメン!」


 言うやいなや、僕の方を向いてガバっと頭を下げる。驚いていると、その下げた頭をまたもガバっと上げて彼女は続ける。


「もしかして、九空埜、本心はやりたかった?」


 僕が流されそうになったときに止めたことを気にしての発言だろう。僕の本心に関しては――。


「……わからない」


 ――言葉のとおりだ。本心で、どうしたいのか決まりきっていない。そもそも、ちゃんと自分でどうしたいのかを考えて何かをすることなんて、ずっとなかったようにも思えてしまう。

 だが、複雑な気持ちを抱く僕とは対照的に染石は盛大に息を吐いて安心していた。


「よかったああ」


 それから彼女は「私が九空埜の邪魔してたらどうしようかと思った」と言って、僕の背中をバシバシと叩く。ちょっと痛い。


「九空埜がしたいことをしようよ! 私も手伝えることは手伝うからさ! ……とは言っても、しばらくはこっちかかりきりになりそうだけど」


 そう言ってもらえること自体、悪い気はしない。そこで反発するほど捻くれてはいないつもりだ。でも、やはり気になってしまう。どうしてそうまでしてくれるのか。行動の理由だ。

 以前、『夢での動きを練習しよう』と彼女に誘われたときもそうだった。僕があの時頷けなかったのは、それが見えなかったからなのかもしれない。

 師階田は多分、考えていただろう。良心的なことに違いは無くとも、見返りのような、何か。僕はその考え方のほうが分かるし、いっそ安心できるとも思っている。だから染石のような行動は……そうか。不気味に思っているのかもしれない。


「染石さん」


「ん? どした?」


 あくまで脳天気、かつ妙に気の抜けた様子の彼女。毒気を抜かれて聞きづらくもあったが、僕は改めて聞いてみた。


「どうして――」


「――出た! それ! 九空埜のそういうとこ!」


 聞いてみたつもりがまた話を割られてしまった。染石はというと「頭かたいなー」とまでぼやき始めている。実に不本意である。


「九空埜は、何かをするために、明確なメリットみたいなのがないといけない? したいから、は駄目?」


「それは……。でも、そうだと思います。普通は何にでも理由があるんだと思ってます。話をするのは相手を知るという利点がありますし、食べることだって、栄養を取るという利点があって――」


「――『好きな食べ物』ってあるでしょ?」


 みたび、話を割られる。話が飛んでいてつかめないが、一応「ハンバーグ、好きですけど……」と返す。すると彼女は「私は甘いもの好きだよ! パンケーキとか、クレープとか!」と言った。


「それに何の関係が」


「私は好きなものを食べる時、食べたい時、今の九空埜みたいに真面目な顔して『これを食べることによって栄養素が取れて』とか考えない。『おいしい』『好きだなあ』が一番。九空埜は違うの?」


 言葉に詰まった。彼女の言う事に理があるように思えてしまったからだ。もちろん、美味しいと感じるのは舌から脳にポジティブな信号を伝える成分が入っているから、とか、色々考え得るものはあるだろう。でも、彼女が言っているのはそこじゃないとも理解できる。

 すべてが自分と同じように考えているわけではない。捉えているわけではない。


「……わかりました。この話、僕の負けです」


 言ったものの、不思議と悔しさはなかった。染石は腕を組んでにこやかに笑う。


「分かればよろしい。……あれ、九空埜にこういう話で勝ったのはじめてじゃない?」


 向こうから言葉にされるとちょっとムッとするものの、納得し、それから僕は思う。自身の『やりたいこと』は何だろう。見つかると良いな。

 ……そう思ってしまうのは、『やりたいこと』が多そうな目の前の人が、少し羨ましいからだろう。

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