淀み(2)

「ににん……いや、ちょっと」


 予想外過ぎて戸惑う。

 何なら言われてから『そんな種目あったな』と思い出したくらいだ。黒板には確かに『二人三脚』と染石が呑気に書いていっている。こんな目立つ種目に出るなんてとんでもない。しかもペアの相手が乙百だ。さらに無駄に注目されてしまうだろう。一個も良いことがない。

 それに、このクラスで半ば空気と化している僕と二人三脚を組もうという意図もわからない。石をひっくり返して裏からダンゴムシが無様に出てきて逃げ惑うのを見て楽しむタイプの猟奇犯かこいつは。


「急に、どうしてですか」


 素直に気になってしまって質問してみる。乙百は軽く手を振った。


「いや、そんなかしこまるような理由はないよ。席も近いし、そのよしみ。……というか、敬語もナシでいいって。どう、やる? やらない?」


 本当にそうなのだろうか。脳内でしっかり審議したいところだ。本当に猟奇犯かも知れないし……。なんて思っていた僕の視界の端で、綱引きの項目の隣に名前が書かれ始めていた。


「あ、えっと」


 まずい、どんどん埋まっていく。新木田と仲の良さそうなグループのやつらがワラワラと壇上に上がって各々の名前を書いていく。お前らみたいな一軍はもっとこう花形っぽい種目をやれよ!

 仕方ない、切り替えていこう。次だ。玉入れだ。


「あ」


 染石が素頓狂な声を上げて玉入れの項目を消し始める。なんだ。一体どうしたんだ。


「ごめんごめん、玉入れは全員参加の競技だった」


 そしてその隣にいる味吉が言った。


「大縄も二年生の競技だから消さないとねえ」


 一瞬である。一瞬で僕の生きる道が潰えてしまったのである。犬コウモリの一撃よりも早いくらいである。

 僕は目の端に映る中距離走やら障害物走やらの項目を一瞥してから慌てて乙百に向き直った。


「やる。やらせてもらえたら……ありがたい」


 ガチの運動神経勝負に放り込まれて、見ている方が憐れみで悲しくなるような状況にさせられるくらいならば、色物競技に参加するほうがまだマシだ。

 複雑な気持ちがこもった僕の返答を聞いた乙百は「そうか、よかった!」と大きくうなずくと、黒板の方を振り向く。


「陽也(ようや)!」


「あいよ、どうした乙百」


 教卓の周辺で騒がしくしている新木田が反応する。陽也って名前だったか。彼の視線をしっかり捕まえた乙百が右手でピース。そこから蟹のように人差し指と中指を動かして「2」のジェスチャー。


「俺と九空埜、二人三脚に入れてくれるか」


「ええ! 乙百は何かもっとこう……激しめの種目出てくれよ! 運動できるんだし!」


 あからさまに驚く新木田。そうだよな。分かる。乙百が運動神経抜群なのは僕も知っている。その上二人三脚の相手はお世辞にも目立っているとはいえないような僕なのだ。どういうつもりでこうしているのか全くわからないよな。


「掛け持ちしてもいいからさ、頼むよ」


 押し込む乙百。新木田はため息をついてから「いーよいーよ」とのたまった。


「そこまで言うなら仕方ないか。えーと、乙百とクカラノね。……ん? 『クカラノ』って漢字はどう書くんだ?」


 新木田が乙百に向けていた視線を僕の方へと寄越してくる。ばっちりと目が合う。


「おお、『高橋』じゃん」


 今日も言われてしまった。いつまで言う気だこいつ。



「うお」


 魚(うお)ではない。驚いて口に出した言葉だ。何に驚いたかというと、今僕がいる場所だ。気がつくと誰もいない教室に一人で机に突っ伏していたのだ。

 やばい、何だ。授業中に寝てたのか。もう放課後なのか。

 焦って僕は窓から外を見る。晴れた青空の向こう側に幻想的な青い星空が広がる。真昼間と真夜中とが重なり合ったかのような摩訶不思議な光景。それを見て理解する。これは夢だ。さらに言えば共有夢だ。良かった。授業中に居眠りぶちかました挙げ句に誰にも起こされずに放課後へ突入したわけでは無いらしい。

 左腕の時計を見る。11時を指していた。一時間程度しかない。これだけすぐに目覚められる状況となると、なるほど。


「放課後じゃないけど、授業中に寝てるのは本当みたいだな」


 思い出してきた。昼食後の数学で眠くなってしまった自分のことを。


「情けない……」


 気を取り直して席を立つ。時間はあるし、少し出歩こうかな。

 誰もいない教室から外に出る。廊下まで来てふと気がつく。自分が制服を着ているのは分かる。服は寝る時に着ているものに結構影響されるからだ。どちらかというと気になるのは場所だ。家スタートじゃない。学校の教室で寝たら、夢も学校の教室スタートになるってことか。

 僕は廊下を進む。上靴が床を削って軋む。まだ入学して日が浅い学校である。どこに何の部屋があるかもあまり把握できていない。ちょっとした探検でもしてみようか。


「ん……?」


 急に背中がゾワゾワする感覚を覚えて僕は振り返る。誰もいない。耳を済ませる。音も聞こえない。気のせいだろうか。いわゆる気配のようなものを感じた気がしたのだけど。

 大きく息を吐く。嫌だな。誰もいない学校って、ちょっと怖い。

 それから僕は前を見た。再び廊下を歩いていこうとしてから視界に違和感を覚える。夢の中で意味があるのかもわからないが、目をこすって、凝らす。廊下突き当りにある階段のあたりが何やら蠢(うごめ)いている。背筋だけが勝手に粟立っていくのを感じる。

 何か居る。

 僕は左腕の時計に触れ、それから『柄』を握り込む。そのまま、遠くに蠢く影から目を離さないように引き抜いた。僕の右手に現れるは一振りの西洋剣。メモリ化で腕時計に格納していた師階田(しがいた)の作った剣だ。


「何だっけ……夢魔だっけ……」


 夢魔なんてそんなに出くわしたりはしないって、誰かさんは言ってなかったか……? 脳裏に浮かぶ染石の顔。適当なこと言いやがって。いや、今はそんなこと考えている場合じゃないだろう。

 僕は剣を構えてみる。まっすぐに持った正眼というやつだ。その格好のまま息をひそめて待つ。願わくば蠢いている存在がこちらまで来なければいいが、そうもうまくはいかないのだろう。現にうごめく影は徐々に近づいてきている。徐々に姿が見えてきて、形がはっきりと見えてくる。

 ゆったりと近づいてきたそいつは人の形をしていた。ボロ雑巾のようによれよれの布地をまとっており、その上に鎖帷子を身に着けている。手には木製の棍棒を持っており、地面を引きずっている。首から下は恐ろしげな中世の兵士という出で立ちだ。

 だが、その不気味さを引き立てているのはむしろ首から上である。どこからどう見ても、縁日で売っているようなプラスチック製の安物のキャラクター面をかぶっているのだ。面の端々からはみ出ている散切り頭から考えるに、面をしているのは成人男性と見ていいだろう。

 おどろおどろしい戦場の出で立ちと、対比するような幼いお面。意図も読めない奇妙なギャップに僕は一歩だけ後ずさる。


「はあ、はあ」


 自然と息が上がってくる。恐怖が自身を包んでいるのが分かる。お面の兵士は僕の前数メートルのところまでやってくるとゆっくり棍棒を上段に構えた。その緩慢な動きに、僕は上がった息を呑む。

 これは、もしかして。もしかしなくても。

 鎖帷子の金属がこすれるジャラリとした触りの音と一緒にお面の兵士がのたのたと走り出す。それから僕の目の前まできて、上から棍棒を振り下ろしてくる。……来た!


「ひいい!」


 僕は剣の構えも忘れ、慌てて後退した。さっきまで僕の居た所に棍棒が落ちる。床とぶつかったガツンとした鈍い音が響いて、僕は硬直。そこまできて気がつく。動きがずいぶんと、鈍い。

 逃げようかとも思ったが、僕は右手にある剣を見てからちょっと迷って、構え直した。それから呼吸を止める。棍棒をおろしたままの兵士を相手に、思い切り斬りかかった。


「てやあああああ!」


 これだけの大声を出したのはいつぶりだろうかと思うほどの大声だ。振り下ろされた剣の重みに、しっかりと僕の体重も乗り切り、棍棒を持つ兵士の腕を叩いた。いや、……砕いた。

 まるで粘度のように兵士の腕がくだけて落ちる。僕は確かな手応えを感じながら、今度は剣を横へ振り抜いた。軌道上にはお面を乗せたその首級。クリーンヒットするが、その威力は打ち下ろしよりも乏しく、首を飛ばすほどとはいかない。しかし、兵士は横っ面をはたかれて体勢を崩し、しっかりと地面に横たわった。そして、その全身を黒い靄に変えていき、空中へと霧消していった。

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