監獄の夢(3)

 白熱した体育祭を終えた維目高校の中にはかすかな熱気が残っている。その熱はきっと、一緒に戦った仲間たちとの団結という形になって現れていくのだろう。現に、僕が廊下を歩いている中で横目に見た各クラスの教室は朝だというのにいつもよりも活気づいているように感じる。

 入学したての頃に古岩井先生から配られたプリントを思い出してから僕は感心する。あの紙面に書かれていた体育祭の目的は生徒同士の団結だった。……しっかりと教師陣の思うツボだったのだ。大人というのはなかなか侮れない。

 いつも通り、始業時間より少し早めの登校をした僕は自分のクラスまでたどり着いて席につく。カバンを机に掛け、中身を取り出そうかと手を伸ばしたところで急に肩を乱暴に叩かれた。


「うい、九空埜」


 同時に聞こえたのは気だるそうな声。振り向くと新木田がいた。これまでなかったことだ。どうしたことだろうと戸惑っていると、彼は眠そうな様子で「おはおは」と言う。


「あ……おはようございます」


 考えもまとまらぬままに返事。すると彼は「いや固すぎだろ」と笑いながら自席へと向かって着席し、スマホを弄りだした。

 特に用があるわけではなかったのか。つまりは単なる挨拶。そういえば、『高橋』とは呼んでこなかった。しっかりと『九空埜』と名前を呼んでくれていた。……これも一つ、体育祭による団結の結果なのかもしれない。そんなことを思っていると、またもや乱暴に肩を叩かれた。

 次は誰だ。乙百か。

 そう思って振り向くと、予想はずれて染石がいた。その隣には味吉もいて、小さく手を振っている。

 染石は大きな笑顔で口を開く。


「九空埜、おはよ!」


「相変わらずの馴れ馴れしさだねえ。大丈夫? 九空埜くん引いてない?」


 染石の唐突さを横目に見ながら味吉が苦笑しつつも僕へ話を振る。僕は小さく首を振り、作り慣れた笑顔を浮かべる。


「あ、いえ。大丈夫です。おはようございます」


「いやその反応は引いてるよね……」


 間髪入れずに味吉。染石は「うるさいうるさいー」と言いながら味吉を遮る。仲の良さそうな様子を見て、僕も自然と頬が緩んでしまう。そんなやりとりがあった後、染石は思い出したようにカバンからスマホを取り出した。


「あ、九空埜さ。後で連絡するからスマホ出してよ」


「スマホ……?」


 出してどうするのだろう、と訝しんだところで染石が「連絡先!」と補足。僕は一瞬考えてからポケットのスマホを取り出した。

 普段からしょっちゅう夢の中で会っているからだろうか。連絡しようなんて発想にもなっていなかった。


「……確かに知りませんでした。お願いします」


 不慣れな操作でコードを出す。染石が手慣れた様子でそれを読み取ると、続けてスマホがもう一台伸びてくる。持ち主は……味吉だ。


「ついでに私も~」


「あ、どうも……」


 味吉が読み取ったあたりで早速メッセージが一件。『りのか』からスタンプだ。追いかけるようにして『あじたん』からもスタンプ。どちらも『よろしくお願いします』の意のスタンプだった。


「えと……」


 僕も慌ててスタンプを送り返す。すると染石が吹き出した。


「ちょ、デフォじゃん!」


 楽しそうに笑う染石と、「笑わないの!」と染石の服の裾を引っ張る味吉。自分の耳に血が登ってくるような感覚を覚えながらスマホに目を下ろす。

 親族と男子の友人数人が精々の連絡先に、随分と華々しい名前が並んだものだ。不思議な感覚を覚えながら画面を見ていると「熱心に何見てんだ」と声。


「あ、乙百くん」


「よ。……朝から騒がしいな」


 乙百は冗談交じりのしかめっ面で染石と味吉を見る。視線を受けた味吉が「お騒がせしました~」と染石の手を引いて去っていった。彼女らを苦笑して見送った僕は、その視線を下ろす。

 思い出すのは体育祭での痙攣した彼の足。


「……足は、大丈夫?」


 すると乙百は元気よく屈伸してみせる。スムーズに動いている様子だ。


「ばっちり。一応あの後病院行ったけど、ちょっと休めば良いって」


「良かった……」


 彼は陸上部だ。しかも、同じく陸上部の女子である小谷弦いわく、『一年エース』とやらなのだそうだ。足は命と言っても過言じゃないだろう。

 乙百は頬を掻きながら歩き、僕の斜め前の自席へ荷物をおろして座る。


「九空埜には迷惑かけちゃったな。……そうだ。今日空いてる? 俺、今日は念のため部活休みになっててさ。奢るから飯でも食いに行かね? 俺の代わりに走ってくれたお礼ってことで」


 魅力的なお誘いだと思った。夕食の準備をしなくて済むのもありがたい。

 ただ……気になるのは鞘草のことだ。

 昨日の夢のこともある。まずは調査を進めたいところだし……。


「えっと……」


 迷い始めたところで、手の中のスマホが短く一度震えた。それから二度、三度。画面にはメッセージアプリからの通知が表示されている。染石からだ。

 一番最初のメッセージには『OKして!』と指示。それから猫が怒ってるかのようなスタンプが二つ。聞かれてるのか。僕は咄嗟に染石の席の方を見る。僕と目が合うと彼女は頷いてきた。

 僕も、乙百に視線を戻してから同じく頷く。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな」



 古岩井先生がそそくさとショートホームルームを終わらせてから一時間目の授業が終わり、時間つぶしも兼ねて飲み物でも買いに行こうかなと席を立った時、ポケットの中でスマホが震える。通知画面には『りのか』から『中庭来て』と表示。染石からのメッセージだ。

 教室を見回すと、いつの間に抜け出したのか染石はいない。都合は良いのか。僕が染石と一緒に中庭に向かうなんて、教室の人から見れば違和感しかないだろう。

 流石に一時間目の終わりからウロチョロする人は少ないのか、昼休みなどと比べると比較的空いている廊下を渡り、階段を降りていく。ひと気のない中庭までたどり着いて、すぐに染石の姿を見つけた。


「染石さん」


 中庭のベンチに座ってスマホをいじっている彼女に声をかけると、すぐに反応して画面から目を離す。そしてベンチから立ち上がった。


「すぐ来たね。感心感心」


 ふざけた様子で腕組み仁王立ちをする染石。僕はどんな表情をすれば良いのか分からず、紛らわせようと自分のスマホを取り出した。


「え、と……そうだ。さっきのはどういうことだったんですか? 乙百くんとのご飯『OKして』って。……鞘草さんの件もある中で、染石さんだけにお任せするのは……」


 染石は組んでいた腕を解き、それから優しく笑う。


「大丈夫大丈夫。折角友達と遊べるんなら、行ったほうが良いじゃん。……それに、乙百ってさ、蓮ちゃんと仲良かったでしょ? だから何か知ってるかなって」


 後者については確かにそうだ。中学から一緒だった乙百なら何か知っているかもしれない。……でも、これは本音では無いのだろう。多分、本心は前者の方だ。染石はそういう人間なのである。


「確かに、乙百は何か知ってるかもしれないですが――」


「――じゃあ問題ないね! それでさ、肝心の蓮ちゃんとのお話なんだけど……今日の三、四って体育じゃん。だから私が直接話しに行こうと思って」


「あ……成程。でも……」


「まあ任せてよ! 結果はまた報告するから!」


 自信満々で勢い良く小走りで駆け出してしまう。彼女は振り返りざまに「じゃ、私ちょっと友達のとこ寄って教室戻るから」と言って姿を消してしまった。

 中庭に一人残された僕は染石に言えなかった言葉をつぶやきながら反芻する。


「多分だけど、染石さんは鞘草さんに警戒されているような……」


 体育祭での鞘草の様子を思い出すに間違いないだろう。

 とはいえ、どちらにしても僕が鞘草に働きかけられるのは昼休みか放課後だ。染石の試みの結果を踏まえてから動きはじめてもタイミングはそう変わらない。


「待ってみるか……」


 僕も染石を追いかけるように、中庭から校舎に入った。

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