遊興の女、奔る

「いや、そう言われてもな。この俺もウチの組織も。この件に関しちゃなに一つ噛んではいない」

「本当か? 嘘だったら、タダじゃおかない」


 都市の抱える闇にも似た、暗い一室。二人の人物が、言葉を交わしていた。一人はいかにもな裏社会風の人物。いま一人は、男にしてはいやに顔立ちが美しい。女が男の服をまとっていると言われても、違和感のないような姿をしていた。


「運命神に誓ったっていいぞ。本当だ。そのガノンとやらを、俺は知らん。エトワーニュぎみと、人殺しの一件が関係ある? もってのほかの話だ。俺はかかわり合いにもなりたくない。他を当たってくれ」


 裏社会風の男が、観念したかのように首を横に振る。すると美しい男も、首を縦に振った。


「しょうがないね。神様まで持ち出されだら、ボクも引かざるを得ない。その代わり」

「ああ、わかったわかった。なにかわかったら、真っ先にアンタに提供する。賭けに負けたんだ。そのくらいは呑まなくちゃな」

「ありがたいね。やはり持つべきは同類だった」

「まったくだ。できることなら、二度と会いたくない。さあ、することは済んだ。とっとと出てってくれ」


 強い言葉に追い出される形で、美しい男は陽の下へと姿を見せた。黒一色の出で立ちに、短く切り揃えられた髪。紅の類も、引いてはいない。だがどこかに、男性にはない柔らかさが隠れていた。否。そもそもこの人物、我々はどこかで目にしていなかっただろうか。口元に紅を引き、薄化粧を施し、男物の黒装束を、女物の一枚装束へと変えたならば。


「……ガノンの旦那が捕縛されてはや二日。いつ死刑のお沙汰が下るかさえもわからないというのに、手掛かりは皆無。せっかくの男仕立ても、効果がないと来た。これじゃあこのアタシ、【賽の目繰りのガラリア】の名が、すたっちまうよ」


 なんたること! 美しい男の正体は、【賽の目繰りのガラリア】。かつてガノンに勝負を挑んで敗北、以来旅路をともにしていた女だった。

 しかし今、さらに聞き捨てならぬ事実が吐露されていなかっただろうか? 戦神の愛し子、巨躯にして偉容を誇る、あのガノンが捕縛? 死刑もかくや? 一体全体、彼の身になにが起きたというのか? そもそもこの都市まちで、なにが起きているというのか?

 それを知るためには、刻時機――時を示す機巧からくり――の針を、二日ほど巻き戻さなくてはならぬ。一時いっとき、時間軸を過去に置くことをお許し願いたい!


 ***


「……なんだ、おまえたちは」

「そこな蛮人。お前を殺人の罪で拘束する」


 街の門を潜ってそうそう。そう、ものの半刻すら経たぬ内に、ガノンは警邏の兵士に囲まれていた。その数、ゆうに三十人。当然いっぱしの騒ぎになっており、周囲には人垣が生まれていた。場所は都市の大通り。もはや、人々の耳目は避けられぬ状況にあった。


「どういうことだ。おれはまだ、この街に……ぐぅっ!」

「口答えをするなっ!」


 疑問を呈したガノンの背中を、警邏兵士が手にしていた棒で引っ叩く。するとどうだ。たちまちガノンが大きな身体を仰け反らせ、苦悶に喘いだ。常のガノンには、とても起こり得ぬ反応であった。


「どうだ! 貴様がいかに我らを謀ろうとも、審判神の目は欺けぬぞ!」


 警邏どもが勝ち誇る。おお、彼らが手にする棒を、よく見るが良い。そこには審判の神を崇める聖句が、余す所なくびっしりと刻み込まれている。この聖句が審判神の加護を呼び、敵対者の抱える罪を苛むのだ!


「ぐおおおっ……だが、おれは」

「白を切るなっ!」

「うぐうっ!」


 それでも抗弁を試みたガノンが、再び棒で打ち据えられる。必然、ガラリアが止めに入った。旅装束、外套をすっぽりとまとった出で立ちになっているとはいえ、その動きは軽やかだった。ガノンを守るように、警邏との間に割って入る。


「ちょっと! この人はまだこの街でなんにもしちゃいないよ! 旅路をともにした、このアタシが証人だ!」

「うるさい! お前も打ち据えてやろうか!」

「ああ、いいさ! やってごら……んひぃっ!」


 ああ、なんたる非情! ガラリアもまた、審判神を崇める棒の餌食とされてしまった。審判神は善行を尊び、悪行を大いに憎む。殺傷行為もさることながら、賭博、過剰飲酒、詐取など、およそ人の行いにおいて悪に分類されるすべてに、審判神の怒りは下されるのだ。荒野を才覚に依りて旅する遊び人であるガラリアは、幾度となく賭博、詐取などに手を染めている。打ち据えられるのも、さもありなんであった。


「おお! 隊長、この女も!」

「捨て置け! 我々が捕らえるべきは殺人犯だ! エトワーニュぎみにかかった疑いを、なんとしてもすすがねばならぬ!」

「はっ!」

「ちょ……待っ……」


 おお、見よ。ガラリアの制止を聞くこともなく、ガノンが審判神称揚の棒に打ち据えられる。複数人にて囲んで叩くその様は、権力による暴行にも似た有り様であった。しかしガノンは応戦しない。いや、間断なく打ち据えられているが故に、かなわぬのか。それとも怒りを溜め込み、応報の時に備えているのか。その意図は、ガラリアにさえもわからなかった。そして。


「よし、連れて行け!」

「ははっ!」


 いつしかその目から力が消えていたガノンを、警邏兵士どもが数人がかりで連行していく。戦闘力を持たず、棒に打ち据えられる類の人間であるガラリアには、ただただ見送ることしかできなかった。このような真似が許されていいのかと、周囲の民に視線を向ける。しかし彼らは視線をそらした。中にはそそくさと場を後にしていく者もいる。彼女はそこから、幾つかのことを悟り。


「待っていてくれよ、旦那。アタシが必ず、なんとかするからさ」


 ガノンを見送るその瞳に、一方的な決意を込めた。


 ***


「駄目だ駄目だ! ソイツは重篤犯だ! そう簡単に会わせられると……」

「まあまあ、これでちょいと頼むよ。な?」


 時は再び現在いまへと戻る。重篤犯が拘束されているという収容所の前、男姿のガラリアは、ひっそりと衛兵にまいないを手渡していた。それも、相応の額。ありていに言えば、ポメダ銀貨複数枚であった。無論これは、彼女がこれまでに溜め込んだ財産である。重ねて言えば、一衛兵の給金、その百日分以上に相当する。これらの使い所を見極められぬほど、彼女は愚鈍ではなかった。衛兵二人に同額を渡し、思考を惑わせる。さすれば、あとは。


「え、ええい! 上に相談はして来る。通るとは思うんじゃないぞ!」


 相方の金をむしり取り、いかめしく去っていく衛兵の後ろ姿。それを見ながら、ガラリアはひっそりとほくそ笑んだ。上の者がよほどの堅物でもない限り、彼女の要望はほぼほぼ通ったと言えるからだ。女の姿で向かったならば、貞操をダシに今少し容易に踏み込むこともできる。だがすでに、女の姿では街の者に醜態を晒してしまっている。これ以上の悪目立ちは、確実に避けておきたかった。そして。


「運が良かったな。半刻ならば接見の許可が出た。せいぜい別れを告げて来い」


 彼女の読み通り、いともあっさりと許可は降りた。衛兵に連れられる形で、ガラリアは内部へと向かう。静謐に満ちた空間は、法の砦を思わせるに相応しい。だがその砦も、内部の者が緩ければ。


「入れ」


 衛兵の指示に従い、奥まった場にある一室へと入る。衛兵も入り、鍵が閉められる。脱獄や、違法な物品の融通を防ぐための措置だろう。ガラリア自身も、そこに文句をつける予定はなかった。そして、程なく。


「誰かと思えば、おまえだったか」


 おお、牢中にあっても偉容変わらぬ男が一人。赤く、蛇の如くうねる長髪。鎧じみた筋肉を誇る肉体。すべてが大ぶりな、かんばせの構成物。そして不機嫌にけぶる、黄金色の瞳。ラーカンツのガノン、その人であった。


「ああ、そうだよ。わかってくれて助かった。なんとか旦那をここから出せないか、今動いているところさ」

「それで男の姿なりを……いや、これは無粋か」

「ああ、無粋だね。まあ、今のところは手がかりがないのが、手がかりだけども」


 再開を喜ぶ暇もなく、ガラリアはガノンの軽口を咎め、情報を受け渡す。とは言っても、朗報と言えるものは皆無だった。


「……それでなんとかなるのか」

「なんとかしなくちゃ、旦那の首が落とされておしまいなんだよ」


 むう、と唸るガノン。それを尻目に、ガラリアは言う。


「なに。さっきも言ったけど、手がかりがないのが、手がかりなのさ。そこまでできる相手は、限られているからね」

「……」

「さて、そろそろお暇するよ。なんとかかんとか、取り調べを生き延びとくれ」

「無理は、するなよ」


 去ろうとするガラリアにしかし、ガノンはなおも案ずる言葉をかける。だが、ガラリアが振り向くことはなく。


「無理には無理の、しどころがあるのさ」


 右手を上げて、そう応えるにとどまった。重い扉が閉められたのは、その直後だった。


 ***


「さて。今までにわかったことを整理しようか」


 夜更け。ガラリアは宿にて男装束を解き、思考にふける。本来であれば素泊まりの雑魚寝宿を選びたいところであったが、悪目立ちを避けるためにもそうは行かない。周囲の目があっては、考えをまとめることもかなわない。結果、個室が許されるそこそこの宿を取らざるを得なかった。常から考えれば、途方もない出費である。だが先にも述べた通り、彼女は金の使い所を見極めていた。ここで金を惜しみ、ガノンを救えずに終わる。そのほうが彼女は、己を許せなかった。


「まず最初に。旦那はあからさまに無実の罪で捕縛された」


 彼女は、二日前を思い返す。この都市まちに入ってから捕縛までの間、およそ半刻。その間ガノンに、一切怪しい動きはなかった。無論、街に入る前もだ。交代で務めた夜営や、他の街での一泊。それらにおいて、彼が移動する隙は一切なかった。そのはずだった。唯一問題があるとすれば、これがガラリアの主観でしかないこと。すなわち、ガノン無実の裏付けとしてはあまりにも弱いことであった。


「そして旦那とアタシを打ち据えたあの棒。アレは多分、審判神――法にかかわる神様を称えているね。だからアタシたちの抱える罪――旦那なら戦における人殺し、アタシは賭博――に反応し、手酷く打ち据えた。まったく、酷いもんだよ。古い裁判じゃないんだからさあ」


 彼女は、古い歴史に思い至る。古のヴァレチモア大陸では、審判神に祝福された熱湯に手を入れ、火傷やけどを負った方が罪人だという審判方法が用いられていたとされている。無論、それが真実か否かは不明。だが、彼女にしてみれば。


「そんな穴だらけの方法で罪人を見極めようだなんて、阿呆と言っても良いんじゃないかね。悪戯し放題じゃないか」


 そう。ガラリアは遊び人である。己の才覚――手業てわざに依りて、荒野を渡り歩く者。つまるところ、そのような審判には。


「細工のやりようは、いくらでもある。今回、ガノンの旦那に罪が降り掛かったのも、似たような話だ」


 おお、見よ。ガラリアの目に、決意の炎が灯る。必ずやこの、陰謀じみた罪科を解く。そんな想いが、滲み出ていた。だが、それを成し遂げるには。


「続けて。今回の一件には、エトワーニュぎみとやらが一枚噛んでいる。ちょっとした調べで重要人物の一人――平たく言えば、この街の跡継ぎ――だとは判別が付いた。だが詳しく聞くと、誰もが口をつぐんでしまう。逆に言えば」


 誰もが口をはばかるほどに、その悪行が知られている、という可能性もある。そう彼女は呟いた。そして、ガノンから託されていた糧食――干し肉を頬張った。女性らしかぬ勢いで、肉を噛み千切る。味は素っ気ない。塩味が強い。だがその分、思考が研ぎ澄まされていく気もした。


「ああ、口止めという可能性もあるね。だけど。いくら相手が大物でも、街中にそれを張り巡らせられるとは思えない。まだ前者のほうが論理的だ」


 干し肉を噛みつつ、彼女はさらに思考する。しかし、どう考えようとも。


「どうにも困ったことになってしまった。相手はこの街の支配層、その関係者だ。エトワーニュとやらは、自分の犯した所業を他者に被せようとしている。それも、たまたま見つけた蛮人に。そうとしか思えない」


 彼女は、あらかじめ用意していた水を飲んだ。さして高級でもない、ざらついた感触の器。柔肌が少々傷むが、今の彼女には関係なかった。


「ちょーっとアタシ一人じゃ荷が重いかもしれないね……。やり口は穴だらけだというのに、相手が強過ぎると来た」


 さて、どこから攻め込もうか。そんな言葉を吐きつつ、彼女は己の荷物から骰子さいころを取り出した。二、三、と振り、集中を深めていく。どのような環境でも怠らぬ、彼女なりの修練だった。


「やっぱり、中枢を攻める他ないのかね……」


 そうして骰子の音とともに、彼女の夜は更けていった。


 ***


 翌日。ガラリアの姿は、城の近くにあった。装いも、昨日と同じ男姿。近くの暗所に張り付き、様子を窺っていた。それも、幾刻も掛けて、慎重に。時には場所を変え、決して怪しまれぬように。


「出入りの者はおよそ九刻から十二刻に集中……。だけど、これに紛れ込むのは多分無茶だね。だとすると……宴席に手配される接待娘……にしても、相応の警戒はしているはず。遊び人の小娘が、安易に潜り込めるかといえば難しい。どうしたものか……」


 しかし、その進捗は芳しくない。先の牢獄に比して、城の警備は厳重と言えた。ちょっとやそっとの賄賂で、どうにかなるとも思えない。良くも悪くも、相手は一都市の支配層なのだ。その事実を、改めて痛感させられてしまう。さりとて、だからこそ。


「とはいえ、こんだけ光が強いんだ。きっと陰はどこかにあるはず。いくら強い光を当て続けたからって、陰は散らせないんだ」

「ご明察」

「っ!?」


 己を励ますように呟いた、一つの言葉。それにまさかの、反応があった。それも、背後から。彼女は身体を震わせる。相手が警邏ならば、一巻の終わり。すべてが水の泡。ガノンを助ける手立て以前に、己が捕縛されてしまう。振り向くか、振り向かざるか。葛藤を、隠せずにいると。


「まあ落ち着いて。キミの勘は、基本的に正しい。真っ当な方策じゃあ、握り潰されて終わりだ。そして、そのままでいて欲しい。振り向こうだなんて、もってのほかだ」


 小さいながらも、確実な声。口ぶりからは、敵とは感じられないのだが。


「うん。いい子だ。この声がなくなり、足音が遠のいたら、キミは振り向いても構わない。その時目に入った物を、確実に手にしてくれ。それでは」

「……」


 ガラリアは、意を決した。言葉に従い、あくまで自然を装って前を向き続けた。視線の先では、民が日々の営みを繰り広げている。己の立場が日陰にあると、改めて理解するには相応しい。そうこうしている内に、足音が遠のいていく。彼女はゆっくりと、背後を振り返った。そこには。


「石を包んだ……紙!」


 一見ただの石に見えたそれを拾い、包み紙を広げる。そこには、確かな筆跡で。


「……。罠か、助けか。行くしかないね」


 今宵の夜更け、常の姿である場所を訪れるように記載されていた。他に手立てもない以上、ガラリアはこれに従う他はなく。


「少々、出かけます」

「あ、はい」

「では……」

「……? あんな客、宿におったかな?」


 指定された時間に宿を抜け出し、その場へと向かう。女姿では少々厳しい、路地裏のいかがわしき場所。客層も悪く、油断をすれば、すぐ暗所に引きずり込まれかねなかった。しかしガラリアもさるもの。それらの誘いを、言葉巧みにかわし続けて。


「着いたね」


 指定された場所、小さな酒場へとたどり着いた。周囲の空気に比してあまりに酒場然としており、彼女にしてみれば拍子抜けしかねなかったが。


「行くよ」


 それでも決断し、扉を開ける。すると、その先には。


「ようこそ。やはり見立て通り、キミがあの蛮人さんの連れだったんだね」


 一人の、身なりの良い優男が待ち受けていた。


 ***


 その優男を見た際のガラリアの感想は、『胡散臭い』であった。

 さもありなんである。警邏が待つか、野盗が出るか、と言わんばかりの心持ちで扉を開けたらば、現れたのがこの男である。街の様相に不似合いなほどに身なりが良く、瞳の色が見えないほどに目が細い。そしてなにより、己について知っている。彼女の直感が警鐘をかき鳴らすのも、致し方のない話であった。それ故彼女は、後ろ手に扉を握ったままであった。しかし。


「おう、【坊っちゃん】。それが、例の蛮族男のお連れさんかい?」

「そうだよ。今連れて行くから、ちょっと待ってて欲しい」


 奥から掛かった声が、彼女から退出の隙を奪い去る。【坊っちゃん】と呼ばれた優男は、あくまでガラリアに視線を合わせたまま、話に応じた。これでは、逃げようにも逃げられない。彼女は遂に、扉を手放した。すると、見計らったように。


「まずは落ち着いて欲しい。これは罠じゃない。昼間も言った通り、ボク……ボクたちはキミの味方だ。味方になろうとしている。そこを、わかってもらえると嬉しい」

「……そう。アンタが昼間の」


 ガラリアは、得心する。たしかに、同じ声色だ。そこを間違えるほど、彼女は聴力も記憶力もあやふやではない。確信を持って、同じ声だと言えた。


「そうだよ。その辺りについて、ボクたちが嘘をつくつもりはない」

「わかったよ」


 幾分かの用心は残しつつも、遂にガラリアは首を縦に振った。すると【坊っちゃん】は、彼女を奥へと案内する。そこには。


「だいぶ用心されたみてぇだなぁ、【坊っちゃん】」

「【坊っちゃん】、決して良い人相じゃねえからなあ」

「いや、人相は良いだろう。こう、笑って人を罠に嵌めそうなツラをしてるってだけだ」

「ソイツを、人相が悪いって言うんだよ」

「間違いねえ!」


 見るからに快活な男どもが七、八人。酒も飲まずに、卓を囲んで待ち受けていた。しかも、その中には。


「……アンタ、どこかで見たような。いや、気のせいか」


 なんたること。かつて接触し、追い詰めながらもかわされた、あの裏社会風の男さえもがいるではないか! これは、一体。ガラリアは、この集団を訝しんだ。しかしそのことは、おくびにも見せずに。


「そうだね。きっと気のせいだよ」


 かつて男姿を選んだ自分を讃えつつ、素知らぬ振りをした。やり返し? 否。ここで恥をかかせても、互いのためにならないからだ。のちのち、ゆっくりと明かせば良い。もっともそんな時間は、ほぼほぼ皆無なのだが。とにもかくにも、今は時間がなかった。


「【親分】。その違和感は大事だけど、多分今じゃないね。ひとまずボクから、今回キミに声を掛けたいきさつを明かしたい。みんなも、それで良いね?」


 【坊っちゃん】が二人の間に割って入る。どうやら彼が、この集団の主導者らしい。ガラリアはそう見定めると、ようやく腰を据えて集団を見回した。皆が皆、一様に若い。おそらくは全員、この街の在り方に疑問を覚えているのだろう。自分も含め、若い頃には罹りやすい病気と言えた。


「まずコトが起きたのは三日前。この街に入った蛮人が、半刻も経たぬ内に殺人の罪で捕らえられた」

「ん」

「うむ」


 【坊っちゃん】の言葉に、全員がうなずく。ガラリアもまた、同じように振る舞った。ここはひとまず、様子見をしておくに限る。


「だが実際に発端となる出来事は、さらにその半日ほど前に起きた。夜更け、市井の娼婦が横死を遂げたんだ」

「へえ」


 ここでガラリアは、初めて声を発した。そう。その事実は、いくら嗅ぎ回っても掴めなかった。否。より正確には、誰に聞いてもだんまり、素知らぬ振りを通されてしまった。己の力不足か、それとも。


「まあ敢えて言ってしまえば、この街ではそこそこ起こり得ることだ。娼婦は、実に不幸だった。だが、今回だけは話が違ったんだ」

「ふむ?」


 ガラリアは、思わず相槌を挟んでしまった。彼女とて、市井で横死、悲惨な死が多いことなどよく知っている。警邏だけでは手が足りず、余程のことでなくば動かぬこともよく知っている。だが、話が違ったということは。


「その横死――正確には斬殺に、目撃者がいた。その者は警邏に駆け込み、この街に住む者なら、誰もが知るであろうその名を告げた。領主の息子、エトワーニュぎみであると」

「まさか」

「そう。そのまさかだよ」


 【坊っちゃん】の言葉に、ガラリアは唖然とした。だとすれば、すべてに説明が付く。ガノンが目を付けられた意味。誰に聞いても、素知らぬ顔をされた意味。そして今ここに、奇妙な一団が集っている意味。ああ、それは。


「そう。キミの連れ、蛮人さんは。その出自と目立つ図体が故に、格好の押し付け先となったのだ。悲しいことだよ。目撃者の娘も消されている、もしくは、なんらかの手法で記憶を改竄させられている。かの男を救える者は、誰もいない。かねてより素行不良の傾向があるエトワーニュぎみは護られ、すべてはこともなく収まる。蛮人一人が、刑場に流す血と引き換えにね」

「そんなこと……」

「許されない。させたくもない。だからこそ、キミは男の姿をまとい、街の闇へと潜り込んだ。闇の社会に、活路を求めた。そして偶然とはいえ、【親分】とも出会った」


 名前を出された【親分】が、顔を引きつらせる。そう。彼はガラリアに嘘をついた。己にかかわりはないと、嘘をついた。ガラリアに当時、ただでは置かぬと宣言をされた。両者の視線が絡み合う。しかし、【坊っちゃん】は。


「そこまで。その時点ではボクらにも確証がなかった。ここに顔を出している【親分】も、表向きにはこの街を統べる者に従わざるを得ない。不幸な行き違いだった。そう思って欲しい」


 再度二人の間に入り、両者が動くのを差し止める。こうなってはガラリアも、あの折の宣言を引っ込める他なかった。相手にも理があると知れれば、怒りも多少は収まるものである。むしろ怒りの対象は。


「わかったよ。しかし」

「そうだね。コトのあらましと経緯がわかったところで、解決策がなければどうしようもない。そして肝心なことに、ボクたちが何者であるかも、ハッキリとは明かしていない」

「その通り」


 ガラリアは【坊っちゃん】へと間合いを詰めた。今こそ、この不思議な男が何者であるかを見極めねばならなかった。この都市まちの、裏の裏まで知る人物を。


「だからこそ、ボクは堂々と名乗ろう。はじめまして。荒野を旅行く、遊興のお方。ボクは、この街を統べる者の三男坊。かのエトワーニュぎみの弟。コズニックだよ」


 おお、見よ。【坊っちゃん】。否、コズニックは、紳士の礼をもってガラリアへと正体を告げた! その流れるような一礼は、ガラリアが抱いていた疑いを解くには十分過ぎるものだった。


「……」


 否。実際にはまだ疑いを抱いている。だが、荒野を旅行く漂泊に対して、曲がりなりにも貴族に列する者が一礼を捧げる。この事態そのものが、破格に過ぎた。破格に過ぎて、疑うことそのものが吹き飛んだ。というのが正しい表現になるのだろう。


「…………」


 苦し紛れに、ガラリアは周囲を見渡す。すると、なんたることだろう。他の者たちも、大半が呆気に取られていた。さすがに【親分】はそうでもなかったが、腑抜けた表情さえ晒してしまう者もいた。

 今この場で警邏に踏み込まれたら、一巻の終わりやもしれぬ。ガラリアでさえそう思うほど、場の空気を【坊っちゃん】、いや、コズニックに持って行かれてしまっていた。


「か、顔を上げておくれよ」


 ガラリアはコズニックに近付いた。彼が礼を行ったままでは、話が進まない。そういう懸念もあった。そもそも、【坊っちゃん】の正体がわかったところで、この集団――彼が率いる、酒場に集う者ども――の真実がわかっていない。話を止めるわけにはいかなかった。


「そうだね。そうしなくちゃ、話が進まない」


 はたして、コズニックは顔を上げた。しかし彼は【親分】を手招きした。そして自身は、脇へと退いていく。怪訝な顔を見せる、ガラリアだったが。


「だけど。ボクはキミの伴侶……正確じゃないな。同行者を捕縛した者の身内だ。キミには、いくら謝罪をしても事足りない。この中にも、ボクに疑いを持った者がいるだろう。だからここから先は【親分】に引き継ぐ」

「おうよ。だが、打ち合わせもなしに振ってくれるな。どこから話をすればいい」

「そうだね。まずは自己紹介からか。そこの遊興のお方も含めてね」


 コズニック自身から論理を展開されれば、彼女も従わざるを得ない。かくしてコズニックは、あまりにもあっさりと【親分】に権限を移譲してしまった。引き継ぐ【親分】の顔は、少々緊張気味であったが。


「まあ……なんだ。そこの【坊っちゃん】……正真正銘の坊っちゃんだったわけだが。から、話を引き継がせてもらう。俺のことは、そのまま【親分】と呼んでくれ。名を明かす気はない。だが、お前たちは好きに名乗れ」


 【親分】が、全員に水を向ける。すると場にいた者どもが、めいめいに名乗り始めた。【鍛冶師】、【両替商】、【賢者】……少々荷が勝ち過ぎるのではとさえ思えるような名もあったが、それでもそれぞれが一端の若人であることはガラリアにも理解できた。そして、ガラリアも。


「アタシはガラリア。荒野を旅行く、明日をも知れぬ遊び人が一人。【坊っちゃん】が言っていた通り、過日捕縛された、蛮人の連れにあたる人物だよ」


 頭を下げ、皆に名乗る。そして【親分】とも。


「昨日は済まなかったねえ。今は怒りの分別も付いている。許してくれれば、嬉しいよ」

「理解してくれりゃあ、別に構わん。こうして、同じ目的に進むわけだからな」


 互いに許し合い、手を重ねる。その傍らで、【坊っちゃん】も大きくうなずいていた。そして再び、皆の前面へと躍り出た。


「一応、計画についてはボクから説明しよう。まずは兄上……エトワーニュぎみが娼婦殺害の下手人である証拠を、掴まなくちゃいけない。目撃者だけではどうにもならないというのは、すでに明白になっているよね」

「そうなるよねえ」


 ガラリアは大きくうなずく。そう。今回の件は、目撃者がいたから問題になった。しかしながら、それについては恐らく片が付いている。今さら二人、三人と目撃者を揃えたところで、同じ事態になるのは明白だった。目撃者をどうにかされ、すっとぼけられておしまいである。そうならないためには。


「事態は、極めて難しいね。利害関係者であるボクが訴え出たところで、家督相続を混乱させようとしているだのとイチャモンを付けられておしまいだ。なにより、こうして遊び呆けているボクよりも、なんやかんやであっちの方が信用されている。だから、この線も放棄だ」

「……」


 これには全員が沈黙した。感想は皆同じ。『八方塞がり』である。これでは、哀れな蛮人一人を救うことさえままならないではないか。そんな怒りを、ガラリアは押し殺した。【坊ちゃん】に怒りをぶつけたところで、事態を覆す発想には至らないからだ。


「……まあ、そうなるよね。ボクにも予想はついていた。だけど。だからこそ、覆す手段がある」


 そう言うと、【坊っちゃん】、否、コズニックは。小さくニヤリとほくそ笑んだ。


 ***


「だからと言って……アタシに給仕のマネをやらせるかね……」

「ほら! 怠けていないで、とっとと運ぶ!」

「はい、ただいま!」


 翌日。ガラリアの姿は、なんと街の高級酒場にあった。長髪のかつらを身に着け、化粧でもって人相を誤魔化している。コズニックの顔利きで、エトワーニュぎみが常用するという店へと潜り込んだのだ。もちろん、店の主人はコズニックの立場を知らない。街で浮世を流す、どこぞの放蕩息子だと信じ込んでいた。


『家の者は兄上ありきだし、ボクも市井に潜む時は人相を弄っているからね。そうそう、身元は割れやしないよ』


 コズニックの弁を思い出しつつ、ガラリアは慣れぬ仕事に精を出す。とはいえ、高級であることを除けばその辺りの街にある酒場と変わりはしない。彼女とて、駆け出しの折には酒場女の仕事でもって日銭を得ていた。それに比すれば、客層も悪いものではなく。


「なるほどね……だいたい思い出せては来たよ……おっと」


 ガラリアは、仕事をこなすふりをしつつ入口を見やる。コズニックからは、エトワーニュの人相書を貰い受けていた。おそらくは夜になるだろうが、目標がいつ忍んで来るかはわかりはしない。注意を欠かしてはならなかった。


「はい、そこの新入り! こっちの配膳を手伝う! 大事なお客様だからね! 粗相するんじゃないよ!」

「はい?」


 そんな彼女に掛けられた声には、棘があった。なにが気に食わないのかわからないが、指示役はガラリアに対して思うところがあるらしい。

 とはいえ、それをいちいち追及する理由も価値も、現在のガラリアには存在しない。作業が与えられるのであれば、それに従うのみだった。


「ウチをご贔屓にして下すってるお方が来てるんだよ! わかったら、とっとと動く!」

「はい、ただいま」


 きちんと理由が明示されれば、むやみに逆らう必要もない。料理を運ぶ列に同行し、自身も料理が乗った皿を手に取る。

 場末の酒場が出す物とは異なり、どれもこれも思わず手が出かねないほどの食材や調理である。だが、そこで些末な振る舞いに及ぶほど、彼女の精神は薄弱ではなかった。

 目的はただ一つ。エトワーニュの行う食事、会合の場に潜り込み、本人の口から此度のガノン拘束、その真実を吐き出させることにあるのだ。


「大仰な騒ぎにするつもりはないけど……。最悪、脅しだって辞さないよ。どうして、ガノンの旦那がやってもいない罪状を押し付けられなくちゃならないのさ」


 胸に潜ませた暗器の感触を確かめながら、ガラリアは進む。コズニックとは、事前に確認し合っていた。


『ボクは、今のところは面倒を背負う気はない。家督は要らないけど、父や兄の行う、理外の行いは正したい。そんなワガママの結果が、この徒党なんだ』


 そんなコズニックにとって、今回の件はまさに理外であった。とはいえ、兄を追い込むには自身の価値が足りない。なにより、仮にエトワーニュが退場したとしてもまだ次兄がいる。故に、取引などによって哀れな蛮人が冤罪から解き放たれれば、まずは『良し』と言えた。


『まあ、その後に面倒は起こるだろうし、火消しもあるだろうけど、キミには関係のない話だからね。蛮人とともに、旅立つがいいさ』

『面倒を引き受けてくれるなら、ありがたい話だねえ』


 かくして、ガラリアとコズニックは手を組んだ。あとは彼の組織にも手を借りつつ、先述した通りの手段でこの場にまでたどり着いた。だからこそ、彼女は慎重に進む。わずかとて震えれば、見抜かれる。その一心で、己を押さえつけていた。そして、進んだ先には。


「やはり」


 彼女は、口の中で呟いた。入った個室にいたのは、人相書き通りの男。金の長髪。切れ長の瞳。どこかいやらしさのある笑み。長身痩躯。まごうことなき、エトワーニュぎみであった。指示を受けた折に抱いた奇妙な予感は、間違いではなかったのだ。その対面には、恰幅のいい男。軍装めいた装いをしている辺り、武門にまつわる関係者なのだろうか。ガラリアは思考を巡らせる。だが本命たるエトワーニュに比べれば、些末な話であった。


「……」


 ガラリアは、努めて慎重に皿を置く。ここで逸って粗相でもしでかそうものなら、なにが待ち受けているかすらわからない。弁償のために生涯タダ働きなどでも強いられようものなら、彼女の存在意義すら崩壊してしまう。彼女の魂は、あくまで遊び人。今こなしているこの稼業も、ガノンを救うための手段でしかなかった。


「……」


 そんなガラリアに、視線が延びる。奇妙なまでに、じっとりとした視線であった。当然ながら、彼女はそれに気付いている。エトワーニュのものだ。長らく遊び人を続けてきてそれに気が付けないほど、彼女は無為に時を過ごしていない。と、いうより。彼女は常に粘り気、欲望を含んだ視線を受けてきた。好奇の視線を受けてきた。そういった含みを持たず、純粋な勝負をした人間の方が、数少ないと言っても過言ではない。


「失礼します」


 それでも気付かぬふりをしながら、ガラリアはテーブルより去った。必然だ。そうでなくては給仕は務まらない。あとは部屋から退出し、のちのち自然に部屋へと近寄る。そして、証拠を取れぬか試み――


「待て。全員、こちらを向けい」


 不意に掛かった声が、ガラリアの思考を押し止めた。奇妙に高めの声が、室内に響く。長身痩躯にして、じっとりとした視線の主。エトワーニュぎみによるものだった。己を含んだ、給仕の列が見られていく。その視線が、ガラリアとぶつかった。人差し指が、向けられる。


「そこな給仕。余と客人に酌をしろ。構わんな?」

「ええ、ええ。エトワーニュ様の仰せでしたらば。貴女はここに残って、エトワーニュ様に従いなさい」

「は、はい!」


 ガラリアは思わず、身を引き締める。その脳裏に去来するのは、コズニックの言葉。


『もしかすると。キミの風貌をもってすれば、好色な兄上を引っ掛けるくらいにはいけるかもね』


 ***


「フッフッフ。乾杯」

「乾杯」


 すべての給仕が立ち去ったあと。残されたのはエトワーニュぎみと客人、そして酌を命ぜられたガラリアのみだった。貴人と客人は杯を打ち鳴らし、傾ける。その勢いは、両者ともに一息に飲み干してしまうほどで。


「注げい」

「余にも頼むぞ」


 たちまちの内に、ガラリアは二杯目を要求されてしまった。もちろん、文句も言わずに酒を注ぐ。その辺の安酒ではない。最高級たるクガナチの物とまではいかぬが、それに勝るとも劣らぬ産地からの葡萄酒であった。さして強くないとはいえ、一息に飲めば泥酔は避け難いものである。されど二人は、ぐいぐいと酒を喉へと送り込んでいた。そして訪れるのは。


「フッフッフッフッフ!」

「ハッハッハッハッハ!」


 タガの外れた、男どもの高笑いであった。そこにおいて、客人の正体もつまびらかとなる。警邏兵士の取りまとめを行う男、都市の警備を一手に預かる者であった。すなわち。


「いやあ。それにしても、目撃者が現れたと聞いた折には、肝を冷やしたぞ」

「エトワーニュ様が、己になびかぬ娼婦を斬り捨てる。これ自体は幾度かございましたが、すべて闇に葬っておりましたからな。それがならぬとなれば」


 いきなりの核心に、ガラリアは自然を装いつつも、その心臓を跳ねさせた。どうやらここにきて、運命神が己に味方したようである。歓喜に打ち震えかねない自身を押し殺し、彼女は耳をそばだてた。

 使える証拠ならば怪文書にでも仕立てて街へと流し、使えぬ証拠ならば本性を示して二人を脅す。それが、コズニックと立てた計画だった。現状、彼らの話は後者寄りのようである。


「我が街の民、皆が納得しそうな罪人を用意する。余は、余の天才ぶりに涙すら流したぞ。この先も、好き放題に振る舞えるのだからな。余が犯した悪行は、この世の誰ぞに負わせればいいのだ。こんな便利なことは他にない」

「ちょうど翌日、蛮人が街に入りましたからな。しかも都合の良いことに罪も犯していた。審判神の棒に打ち据えられた、その事実こそが罪人の証。無実の罪にて捕らえたところで、なんの後腐れもない」

「その通り。蛮人の身でありながら、中原の街に土足で踏み込もうとする。それそのものが、罪なのだ。罪には、罰をもってわからせねばならぬ。よって、早う裁け。死罪に処せ」


 酔いが回っているのか。閉塞の場だと気を大きくしているのか。エトワーニュはすべてのカラクリを吐き出し、警邏の長を急かす。されど、長は首を横に振った。


「そうしたいのはやまやまですが、そうもいきません。過度に死罪を急げば、裁きの者に疑われ申す。適度に、早く。急ぎ過ぎず。焦り過ぎぬことが、肝要にてございます」

「むぐぐ。面倒なものだのう。なにゆえにこの街を一手に預かる側に立つ我らが、そのような些事に気を遣わねばならぬのだ」


 エトワーニュが、わずかに声を荒げる。ガラリアは小さく、怯えた声を上げた。隙と見たのか、警邏の長が彼女を引き寄せる。そのまま長は、嗜めるように口を開いた。


「エトワーニュ様、娘も怯えており申す。世の常としまして、慌てれば慌てるほどに貰いが少ないことが多くあり申す。より大きな、果実を得るためにも」

「むむ。狩りと同じであるか」

「その通りでございます。すでに街の者どもは口をつぐんでおります。これもすべては、エトワーニュ様とそのお父上の威光によるもの。ですが」

「わかったわかった。余の素行が明るみとなり、父が領土たるこの街を失う。そうなれば余はすべてを失い、叩きのめされる。そればかりは、許すわけにはいかん」


 エトワーニュが、首を横に振った。警邏の長は気を良くしたのか、より強くガラリアを引き寄せた。酒臭い吐息が、顔にかかる。顔をしかめてやりたくなったが、そうもいかない。あくまで酒場女の体を、この場では保たねばならなかった。怒りと反骨心を押し殺し、ガラリアはそこに在り続けた。すべてはガノンを、無実より救うためである。


「ところで長よ。その娘は、余が見定めたのだぞ」


 そうして再び、酒宴が始まる。しばらくとりとめのない話が続いたあと、エトワーニュが唐突に警邏の長を睨み付けた。流れに任せたとはいえガラリアを、己に引き寄せ続けていたからである。わずかながらとはいえ、エトワーニュは不快を示してもいた。彼の本性がなんたるか、垣間見えた瞬間である。


「いえ、私は……」

「ならぬ。ならぬものはならぬ。そちは余が見定めた。すなわち余のものである。余のものであるが故に、今宵の伽を申し付ける。わかったか。おまえもだ、長。いつでも首を飛ばせると思え」

「は、はい」

「ははっ。失礼いたしました」


 一度は不快ではないと示したガラリアも、この言い草には思わず首を縦に振ってしまった。警邏の長も、不敬を詫びた。酒臭い息から解放され、エトワーニュの方へと送り出される。わずかに呼吸が楽になったのもつかの間、今度は香水臭い胸へと抱き寄せられてしまった。鼻につく匂いが、彼女の脳を痛め付ける。そろそろ、堪えなくてもいいのではないか。彼女の脳裏を、決起の二文字が満たし始めた。だが、それを抑える言葉もまた、この敵どもからもたらされていた。


『慌てれば慌てるほどに、貰いが少ない』


 そう。先刻、酒臭い吐息で吐き出された言葉。それは、世の真実における、一側面である。ガラリアとて、遊び人の端くれに立つ女だ。機会というものを、心得ている。故に、その言葉を心中にて唱えて。まだ、まだ、と逸る己を押さえ付けたのだった。


「はてさて。とにもかくにも、あの蛮人は処す。冥界神への土産も、くれてやる必要はあるまい。なに一つ真実を知ることなく、無実を訴えながら、惨めに首を断たれる。それが蛮人の末路にはお似合いよ」

「ですな。蛮人の死をもってエトワーニュ様への疑いは完全に解け、引き続き自由の身。さすれば」

「うむ。今後も変わらず、やりたいようにやれるということだ」

「ハッハッハッハッハ!」


 おお、聞くが良い。今こそ悪党二人は大いに高笑った。しかし蛮人救出に燃えるガラリアは、耳を塞ぎたい衝動を押し殺しつつ、すべてを聞き届けた。あとは先に聞いた事実を、コズニックの一派に送り届けるのみ。さすれば街に噂が残り、エトワーニュの威厳に影を残すだろう。だが、それだけでは。


「足りない」


 彼女は、口の中で呟く。そう。その行いだけでは、ガノンの救出には至らない。街に不穏な噂が蔓延ったところで、無実に苦しむ蛮人の助けにはならないのだ。ならば。先に決めていた通りに。決断し、服越しに暗器を握る。無論、死角を利用しての行いだ。遊び人として手業てわざを身に付けた以上、そこをぬかるようでは三流以下である。


「さあ、女よ。伽をせい。名はなんと申す」

「ガラリア、でございます」

「おお、そうか。長よ。いずれにせよ、手筈通りに」

「仰せのままに」


 警邏の長が、部屋を去る。残されたのは、ガラリアとエトワーニュ。男は女を抱き寄せたまま立ち上がり、出入り口とは異なる扉を開ける。なんたること。そこには人間二人が寝ても余りある寝台が用意されていた。ガラリアはそこへと向けて。


「きゃ」


 放り込まれた彼女を、柔らかい感触が受け止めた。寝具である。


「逃げようなどとは、思うでないぞ」


 エトワーニュが、おもむろに装束を脱ぎ始める。ガラリアは、逃げようともがく。否、正確にはもがくふりをした。死角を使い、胸元から暗器を取り出す。ろくに使いこなしたことはないが、護身の術だけは心得ていた。あとは、一念を込めて。


「ゆくぞ」


 エトワーニュが寝台へと飛び込み、ガラリアへと被さる。長身の男が、さして大きくもない彼女を覆う。しかし彼女は、狙い澄まして。


「逃げなどは、致しません。ですが、お願いしたい儀がございます」


 その首元に、暗器――細長い、針じみたナイフを突き付ける。鋭い感触に犯されたエトワーニュは、たちまちの内に狼狽した。


「こ、これは一体」

「動くんじゃないよ? わずかでもアタシを襲おうとかしたら。いや、大声を上げようとでもしたら。その瞬間にズブリだ」


 まだ灯が点いている寝室に、男と女の声が交錯する。恐怖からであろうか。エトワーニュの表情が引きつる。彼は、震えた声でガラリアに問うた。


「お、女。いや、ガラリアよ。おまえは、何者」

「答える義理が、あると思うかい? いや、これだけは伝えないと駄目だね。アンタが娼婦殺しの罪を押し付けた蛮人。女連れって、聞かなかったのかい?」

「ま、まさか。おまえは」

「そのまさか、だよ。蛮人の連れさ」


 気付けば、ガラリアの口調は常のそれへと戻っていた。否。ことここに至りて、本性を伏せる必要はどこにもなかった。脅しの効果を高めるためにも、こちらの方が良い。


「余を、その暗器にて脅そうてか」

「ご明察。アンタも察しは付いてるだろうが、今回のからくり、アタシがこの耳でしかと聞いた。世間に流されたくなければ」

「ぐ、ぬ……」


 一瞬冷静を装おうとしたエトワーニュ。だが、わずかに話したのみですぐに目を白黒とさせた。異様に小さい目が、やたらとしばたたいている。己の権威――父の威光を借りたものではあるが――が通用しない相手に、恐れを抱いたのだ。


「……願いとは、なんだ」

「アンタが罪を着せた、蛮人の解放。それだけだよ」


 絞り出すように放たれたエトワーニュの言葉を、ガラリアは手短に切って捨てた。それ以外の選択肢はない。暗器を持つ手に力を込めて、彼女はその事実を指し示した。


「……余が許そうとも、この街が」

「それがどうした。アンタの許し一つで、アイツは罪人ではなくなる。それを無視するほど、アンタの権威はおざなりなのかい?」

「くっ……!」


 苦し紛れに放った詭弁も、冷徹なる事実をもって切り伏せられる。こうなってはエトワーニュも、遂に首を縦に振らざるを得なかった。


「わかった……。即刻とまではいかずとも、今宵のうちにことが済むように取り計らってやる。夜が明ける前に、どこなりとでも行くが良い」

「できるんだね」

「余を舐めるでないぞ。なんとしてでも、果たしてみせる」

「わかったよ」


 ガラリアは暗器を突き付けたまま、エトワーニュを座らせた。言質こそは取ったが、あくまで口約束である。自由の身にしたあとに警邏を差し向けられ、襲われたとしても。それは彼女の落ち度となるのだ。『相手をむしり取る時には、皮も残すな』。彼女が、師から受けた教えであった。


「解放してくれるのではないのか」

「甘いね。アンタが余計な手筈を打たないよう、見張らせてもらうよ」

「くっ……」


 唸るエトワーニュを尻目に、ガラリアはあくまで慎重に振る舞った。まずは酒場の主人を通じて、先刻帰されたはずの警邏の長が内密に呼び寄せられる。通された長は、驚きの顔を隠せなかったものの。


「ご下命とあらば」


 エトワーニュの置かれた状況を知ると、即座に来た道を戻っていった。ガラリアは、男に悟られぬように固唾をのむ。己の身体を二つに分けることはできない。すなわち、警邏側の動きを掣肘することは不可能である。エトワーニュを見捨て、酒場ごとガラリアを制圧する。警邏の長が、そちらを選んでしまえば。

 カチ、カチ。刻時機が脈打つ音が、彼女にとっては、異常なまでに煩わしかった。半刻でさえもが、永遠にさえ感じられた。

 そうして、一刻ほど経った頃。扉を叩く音が、彼女の耳へと飛び込んだ。


「仰せの通りに、蛮人を連れて来ました」

「よし、通せ」


 ゆっくりと、扉が開く。ガラリアは再び、つばを飲む。はたして、視線の先には。


「おれの命数は、まだ尽きるべき時ではなかったようだな」


 容貌魁偉という言葉では足りぬほどの、筋肉にくに覆われた巨魁。

 よく陽に灼かれた、赤銅色の肉体。

 大ぶりという言葉では表し切れぬほどの、顔の構成物。

 蛇の如くうねる、火噴き山めいた赤髪。

 そう。数日牢に繋がれた程度では陰らぬ、誇りも気高き蛮人がそこに在った。


「……交渉成立だね」

「その通りだ。エトワーニュ様を」

「もちろん一、二の」

「三」


 駆け引きにならぬよう、数をもって呼吸を合わせて。両者はほとんど同時に、拘束していた相手を解放した。互いが互いの、待ち人の元へと辿り着く。即座に、街を統べる側の者どもが声を上げた。


「さあ、約定は果たされた。この上は疾くと去れ。どこなりとでも行け。この街には、二度と姿を見せるな」

「ああ、もちろんそうするさね」

「同じくだ。犯してもない罪を押し付けるような卑劣に、戦神はその威光を示しはしない。いずれは定めし罰が下る。その折に、報いを与えに来てやろう」


 捨て台詞めいたエトワーニュの叫びに、二人は堂々と応じた。それは偽らざる心境であり、明確な宣言でもあった。


「行くぞ。もはやこの街に長居する意味はない」


 ガノンがガラリアの手を引き、エトワーニュの前に立つ。彼の迫力に圧されたのだろう。その行く道は、するりと開いた。男としての格の差が、滲み出た瞬間であった。ガノンは振り向くことなく突き進む。様子を窺っていた給仕の群れも、その先に立つ酒場の主人さえも。その圧でもって道を開かせた。主人はなにやら言いたげだったが、ガノンが止まることはない。必然、ガラリアにも言い残せる言葉はなかった。やがて、二人の身体は外に出る。街は未だ、夜闇に包まれてはいたのだが。


「……」


 二人の先に、無言で佇む男がいた。その男を、ガラリアは知っていた。身なりの良い、優男。瞳の色が見えないほどに目が細い。街を統べる者の三男坊。ガラリアを、手助けした男。エトワーニュの、弟。コズニック、その人であった。


「幸運だったねえ」

「そうだね。アンタにも、運命神にも感謝を捧げることにするよ」

「ありがとう。さて。そこまで言ってくれるのなら、ボクの言うことについても」


 目を細めたままに、コズニックはのたまう。ガラリアから見れば、笑っているようにさえも見える。だが、その真意はわからなかった。ともかく彼女は、首を横に振る。彼の言いたいことはわかるが、そうもいかないのだ。


「そうしたいのはやまやまだけどね。一応、これでも所払いの身なんでね。とっとと去らないと、なにを言われることやら」

「だろうね。誰が入れ知恵したかは知らないけど、腐っても兄上か。しょうがない。キミたちを引き入れるのは、諦めよう」

「そうしておくれ」


 コズニックが、道を開けるように脇へと退いた。ガノンはわずかに首を折り曲げたのち、開けた道を突き進む。止まるつもりは、毛頭なかった。彼らは結局、振り返ることもなく街を去っていった。


「未練から出て来てしまったけど、惜しいなあ。本当に、惜しい。恩を売って引き込められれば、この街の未来を変えられたかもしれないのに」


 その姿を見送りながら、三男坊はぼやく。とはいえ、すでに思考は切り替えられていた。兄が己の罪を蛮人に押し付けるも、脅迫に屈して未遂に終わった。この事実を、いかに己の有利に変えるか。その方向にのみ、頭脳を稼働させ始めていたからだ。しかし。


 コズニックがこの都市まちに感じていたほの暗い未来。そして、ガノンが言い残した報いの宣言。

 幾年かの時を経てその二つは、現実のものへと変わるのだった。


 遊興の女、奔る・完

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