一刀命奪

 強大なるガノン。南方蛮人の生まれでありながら戦神せんじんの寵愛を受け、戦士として、指揮官として、そして王として名を馳せた男。

 彼の築いた王国はほぼ一代のみの国でありながら壮健を誇り、黒河から白江に至るまでのあらゆる民を尽く、その威光によってひれ伏させた。

 これはそのガノンが、【赤髪の牙犬】、【大傭兵】などと呼ばれていた頃の物語である。


 ***


一刀命奪いっとうめいだつの剣だと」


 ヴァレチモア大陸西部。今や大いなる進撃を続けるダガンタ帝国軍の一翼を担う【赤き牙の傭兵団】は、想定外の小都市に苦戦を強いられていた。その原因は――


「はっ。かの町に住まう薬師が刃を振るうと、かすり傷であってもたちまちのうちに討ち死にするとのこと。兵が怯えて、街に踏み込めぬありさまに」

「ぬう」


 【赤き牙の傭兵団】団長にして強健なる【大傭兵】、時として【赤髪の牙犬】と呼ばれる男、かつては『ラーカンツのガノン』と名乗っていた男は、顎下に蓄えた髭をいまわしげに指で撫ぜた。

 軽装備――変哲もない鎧兜と剣に身を包み、二本の白牙を斜めに交えた紅地の旗を後方に従え、今は指揮所としての天幕テントにてどっかりと座り込んでいた。謳われる通りの赤髪は肩を越えて今日も蠢き、あいも変わらず火噴き山を思わせる色をしていた。


「団長」


 椅子の傍らに立つ壮年の男が、ただ一言のみ口を挟んだ。およそ戦の臭いが抜け切らぬこの場において、彼は戦装束にさえ身を包んでいない。あたかも付き人、家宰の如くに、ガノンに向けて南方豆を挽いた茶を注いでいた。


「わかっておる。だが」


 みなまで言うなと、ガノンは壮年へ視線を向けた。しかし、男に動きはない。ガノンの持つ、燻るような金色の目。どこか遠くを見据えているような目を前にしてなお、動じない。もしやこの家宰じみた男もまた、一廉の戦士ということなのであろうか。

 茶を注ぎ終えた男は一歩引き、常に身に着けている手袋を整えた。その時。否、ほとんど一瞬に限り、彼の目が鋭く光った錯覚を場の者どもは覚えた。しかし鋭さはすぐに消え、泰然と口を開く。


「長がその席を外し、仮に討たれた場合」

「わかっている」


 ガノンは、やや鬱陶しげに壮年の口を止めた。本人も重々承知していることは、場の誰もが認めるところである。しかし同時に、ガノンの足がうずいていることもまた、この場の誰もがわかっていた。


「おれた……我々は傭兵団だ。かつてのようなはぐれ者の集まりではない。一つの軍団だ。長が消えれば、すべてが崩れる」

「ならば」

「だが、兵を無駄に失うことはできない。彼らとて人間だ。おれが判断を誤れば、奴らはすぐに逃げ出すだろう」


 ガノンは、渋面を浮かべつつも壮年に抗弁する。場の者ども――一定以上の隊長たち――もまた、同様にうなずいた。いかに小都市とはいえ、街道沿いの街でもある。下手に迂回をしては、知恵者がそこを起点に急襲や奇襲、非正規戦を仕掛ける恐れもあった。


「大将。俺が行こうか」


 ここで一人、声を上げる者がいた。傭兵団のうち、遊撃隊の一隊を預かる男であった。タラコザ傭兵の上がりで、名をサザンという。これまでにも幾度か功績を上げており、その腕前はみなが保証する冴えを持つ。

 刈り込まれた、湖を思わせるような青髪と、背丈よりも長い朱槍。そして顔の各所に刻まれた刺青いれずみが、彼の大きな特徴であった。


「サザン。しかしおぬしは」

「あー、大丈夫だ大将。万一の時に備えて、次の隊長は決めている。むしろソイツを、少ない手数で倒すほうが大事なんじゃねえか?」

「……」


 言われてガノンは考え込む。他の面々も、各々の思考に没頭する。サザンの口の叩き方には目に余るところがあったが、誰一人として口を挟まなかった。ガノンの鷹揚さと、サザンが傭兵団の古株であることが、彼らをそうさせていた。


「……ダーシア」


 沈黙を見て取ったガノンは、少し待ってからかたわらの壮年に話を振った。この戦場にあるまじき服を身に着けた男は、それでも饒舌に口を開いた。そして天幕内の誰もが、それを止めようとしない。

 それもそのはず。このダーシアという壮年は、ガノンが自身で幕下、己の補佐へと迎え入れた男だった。


「たしかに兵の損失を避けるには、誰かが一騎打ちを挑むのが先決でしょう。サザンどのは、非常に適任かと。しかし」

「しかし?」

「サザンどのが仮に敗れた場合。あるいは敵手に対して敵わぬと判断された場合。もはや団の沽券として、団長が出る他になくなるかと」

「むう」


 最悪の場合を示されて、ガノンは小さく唸った。たしかに、己の足は戦の予感にうずいている。さりとてそれが軍の命運を分けるともなれば、軽挙妄動は避けたくもあった。


「ダーシア。お前は先ほど、おれに慎めと」

「ええ、言いましたな」


 ガノンは、先刻との矛盾を補佐に尋ねた。箱の隅をつつくような問い掛けである。ガノンにしてみれば、半ば意地の悪い問い掛けだった。


「先の収穫祭にて、団の戦士が腕を競い合いましたな? 団長も、自ら腕を振るわれた」

「ああ。……。そういうことか」


 しかし、それも不発に終わる。ダーシアは表情一つさえ崩さず、前言を撤回するでもなく。ガノンが出るべき根拠となるものを提示したのだ。これにはガノンも、うなずかざるを得なかった。

 しかし、補佐にしてみれば突っつかれたことそのものが不快だったのだろう。彼はそのまま、言葉を続けた。


「左様。サザンどのと団長がついの勝負を行われ、団長が団長たるを示されました。故に」

「わかった。わかった」


 結局ガノンは、側近の言を遮らざるを得なかった。そして、豆挽き茶を一息にあおった。

 側近の、意地を刺激してしまったことを心中で悔いる。しかし同時に、だからこそ。己の金で幕下に迎えたのだと思い出した。

 さもなくば、自身が武勇に任せて、すべてを放棄しかねぬからだった。傭兵団の運営とは、武勇のみではおいそれと行かぬ。知恵や資金繰り、軍略なくして、【赤き牙の傭兵団】は立ち行かぬのだ。


「会議は終わりだ。先の方針――一騎打ち――で攻略を進めることにする」


 ガノンは自虐と反省を胸中に飲み込むと、鬱陶しげに終焉を布告した。


 ***


「大将ォ、今回ばかりは、イレズミで終わんねえかもしれねえや」

「終わらせる。そうなる前にな」


 翌朝、兵馬を連ねて街へと向かう中、ホクソー馬の馬上にて二人は語り合う。

 二人の付き合いは、すでに五度目の秋祭りさえも越えたほどである。元々は敵同士であり、互いに致命のやり取りを幾度か繰り広げた後、団を同じくする戦友ともとなった。

 その後も技を交えることは多くあり、その度にガノンは、彼の腕前に舌を巻かされた。だからこそ、彼を失いたくはなかった。


「大将、助っ人なら俺はお断りだぜ?」

「割って入る。それだけだ」

「戦神様に怒られそうだなあ。そんなことで、【使徒】の助けを得るなんざ」


 青髪の男は大きく首を傾げた。しかし赤髪の男は、遠慮なく遠くを見据えていた。そのくすぶった黄金色は、今はなにを見ているのだろうか。


戦友ともを助けることさえも許さぬとのたまう神ならば――」


 ガノンは力強く言い返しかけ、そこで言葉を止めた。しかしその先は、サザンにも理解はできた。発したが最後、ガノンがすべてを失いかねないことも含めてだ。


「そいつが聞けるのなら、俺ァ嬉しいぜ。一刀のもとに、死んだって構わねえや」

「……戯言も程々にしておけ」

「つれねえな、大将」

「そのくらいで、ちょうどよかろう」


 団長の言い草に、青き槍兵は、舌を打つ。もっとも、彼がこれだからこそ、彼の旗の下にあることをやめられないのだが。


 そうこうしているうちに、目的の街が見えてきた。しかし街からはすでに、人の気配というものが感じられなかった。おそらくは、軍隊にさえも見捨てられた街。護るべきものなど、もはや皆無に見えるのだが。


「総員、ここで止まれ。おれとサザン、ダーシアの三人で街に入る」

「団長!」


 ガノンが指示を下すと、すぐさま兵たちがざわつき始めた。いくらなんでも危険が過ぎると、直に訴え掛けてくる者までいた。しばしの間、陣が荒れる。すると。


「うるせえなあ……」


 街の方から、一人の男が現れた。風が砂を巻き上げるのにもいとわず、段平めいた剣を担いだ男が、ガノンたちに向けて進んで来たのだ。


「ゆ、弓隊」

「やめとけ。狙ったところで、奴さん強えぞ」


 慌てて指示を下そうとする隊長の一人を、サザンが押し留める。彼には、その弓が弾かれる未来が見えていた。彼は上司の機先を制して、馬を一歩前に出した。


「アンタだな。噂の一刀命奪ってのは」

「その二つ名は知らんが、貴様らの軍勢を追い払った者であれば、それは儂だ」


 段平の男は、ダーシアに似て壮年であった。

 異なるとすれば、ダーシアが白髪で男は黒髪。ダーシアが髪を短くまとめているとすれば、男は腰さえも越えるほどに伸ばしていた。

 白い布一枚を紐でまとめて身に着け、戦場に向かうとは思えぬ軽装で彼はこの場に現れた。槍兵は馬を下り、剣士に告げた。


「爺さん。名乗りな。俺はサザン。【赤き牙の傭兵団】で、遊撃隊の部隊長を張っている。格は低いが、腕じゃ二番目だ」

「マーサラザ。この街の薬師。避難できぬ民を守るため、幾年かぶりに剣を抱いた」


 サザンが提げていた槍を構え、マーサラザが担いでいた段平を抜く。幾年かぶりという言葉とは裏腹に、使い込まれた艶が見受けられた。そして。


「おいおい。一刀命奪ってのは、そういう仕掛けかい」

「はてさて、なんのことやら」

「ふざけんな。ウチの団長が本気出した時ぐらいしか、そいつァ見たことねえぞ」


 黒髪男の全身が、にわかに光を帯びる。それだけで、サザンは敵手がなんらかの祝福――神々の威光を、借り受けること――を得ていることを見切ったのだ。


「まあいい。団長に啖呵を切っちまった以上、一合も交えずに手は引けねえ。爺さん、一本勝負だ」

「良かろう。千の生命を斬り、千の生命を救った。その深淵を、見るがいい」


 両者の間に、砂混じりの生暖かい風が吹く。それが戦の合図。しかし両者は即座に打ち合わず、互いにけんの姿勢を取った。その姿はたちまち、傭兵団の面々にも伝播する。あっという間に、静寂が生まれた。

 しかし静寂の中、ガノンにはまったく異なる光景が見えていた。剣戟の音が、耳に響き渡っていた。

 青き槍兵と黒白の剣士は、すでに互いの意図をもって数回どころではない殺し合いを繰り広げていた。

 わずかな表情の動きから、彼はその結末を見取っていく。戦神を尊び、奉じ、その加護を振るう【使徒】であるがゆえの、少々非凡な力。その力が、いくつかの結末を切り取っていく。

 見える。槍兵の刺突が、わずかに勝るさまが。

 見える。剣士の一刀がほんのわずかの差でかすり、槍兵の生命を刈り取るさまが。

 見える。両者が互角に致命を叩き込み、ほとんど同時に倒れるさまが。


「まだですぞ」


 馬を手繰る手に、力が籠もったのだろう。横合いから、ダーシアが口を挟んだ、わかっていると、ガノンは返した。

 昨日からそうではあるが、己のうずきが、いかようにも止め難かった。身を任せ、暴れ回りたい。そんな衝動が、幾度も彼を襲っていた。急き立てていた。


「わかっている」


 ガノンは、それらすべてを吐き出すように、補佐役へと告げた。現状で自身が躍り出たところで、タラコザ傭兵に恥をかかせる以外の行為にしかなり得ない。ましてや、名誉ある一騎打ちを破壊する行為である。彼が奉ずる戦神でさえも、死をもって贖わせるであろう無法であった。

 しかし、そんな逡巡のさなかであっても。両雄は決して動じようとはしなかった。あたかも二人の周囲だけが切り取られたかの如く、静寂の中に佇んでいた。


 ……みゃあ。


 少し離れたところで、子猫が無邪気に鳴いた。猫に罪はない。かの者は畜生であり、今この場で起きているものを、不可思議に見つめているだけだ。だが、これにて勝負は想像上のものではなくなった。互いに刃を交え、命を削るものへと変化した。


「ハッ!」


 まず初手。右半身はんみ、下段に得物を構えていたタラコザの傭兵が、雷もかくやの速度で踏み込み、穂先を切り上げた。並の戦士であれば、その一撃で絶命に至る。基礎にして、鍛え上げられし妙技。


「っ」


 しかし剣士は、一歩の足さばきのみでこれをかわした。それはあたかも、最初からこの手が打たれると予期していたかのような回避だった。下段からの切り上げは、見事に半月に近い円弧を描く。同時にそれは、壮年剣士にとっての付け入る隙となった。


「行くぜぇ」


 段平の剣士が選んだのは、最短距離での突きだった。刃金がぼうと光り、生命を刈り取る軌跡を描く。


「なんの!」


 だが迎撃がわずかに早い。サザンは巧みに距離を取り、槍の金属部位を使って打ち落とした。剣先が下がったところを、反動を利して長く持ち替え、一息に突き出す。たわみによって穂先がブレる。たまらず壮年は、下へと屈んだ。


「くっ」

「そぉらよ」


 しかし壮年は笑う。屈んだところからの、地を摺るような、諸手での斬り上げ。肉はおろか、骨までも断ち得る斬撃は、屈んだが故の爆発力か。今度は槍が間に合わず、槍兵は大きく後ろに跳ねた。


「チイイイッ!!!」

「ふんっ」


 攻防で後手を踏んだサザンに襲い来るのは、すべてが致命になり得る斬撃の嵐だった。上、下、右、左。薙ぎ、袈裟、唐竹、斬上きりあげ。ありとあらゆる軌道からの一刀命奪が、タラコザ傭兵の身を苛んでいく。


「クソッタレ……!」

「どうしたどうした! その顔の墨は、タラコザ傭兵の証であろう! 精強なりとの噂は、この程度か!」


 サザンが下がれば、マーサラザは裂帛の踏み込みでそれを追う。

 サザンが槍を振るえば、マーサラザは間合いを詰めて剣を突き付ける。

 サザンが猛威に抗えば、マーサラザは反動を利してより猛威を叩き付けた。

 そして。


「ぐうっ……!」


 ついに抵抗は終わりを告げる。暴威に逆らえず、大きな隙を晒してしまった青き槍兵に訪れたのは――


「かはっ……!」

「無益に生命を刈るつもりはない」


 段平の柄による、壮烈な突き。みぞおちを的確に打ち抜き、槍兵を沈めた。そして剣士の視線は、傭兵団の頭領へと向く。


「旦那が、頭領なんだろう?」

「ああ」


 ガノンは短く応じた。続けて、補佐の目を見る。ダーシアは、力なく首を横に振った。それを許可とみなしたのか、ガノンは身軽に馬より飛び降りた。


「ラーカンツのガノン。【大傭兵】。【赤髪の牙犬】。呼び名は数あれど」

「ガノンだな」


 蛮人の口上は、中途にて遮られた。壮年は段平を天を突くように掲げ、上段に構え、そしてのたまった。


「呼び名などどうでもいい。儂が、おぬしを討ち取る」


 途端、【赤き牙の傭兵団】が色めき立った。踏み潰せ。街ごと滅ぼせ。怨嗟に満ちた怒号が、ガノンの背を叩いた。しかしガノンは無言のままに抜刀し、剣を掲げた。ロアザ鋼を使った鋭い剣が、陽光を高らかに跳ね返す。その仕草一つで、傭兵団は規律正しく沈黙した。団長の命を、正確に読み取ったのだ。


「この首。取れるものなら取ってみるがいい。だがその前に」

「すでにおぬしの補佐官が動いている。殺す気はないからの。持って行け」


 ふむ、とガノンが首を巡らせると、たしかに己の補佐がサザンに寄り添い、活を入れていた。サザンが力なく目を覚ますと、補佐は彼を肩に担ぎ、戦の場から立ち去っていく。ガノンはうなずきをもって、己が補佐に礼を告げた。


「かたじけない。では、始めようか」

「うむ」


 互いに剣を掲げた大上段のままに、両者はジリジリと間合いを探り始めた。同時にガノンは、相手の仕掛け――一刀命奪――についての推論を進める。戦友ともの敗北を糧に、その一部については予想を付けつつあった。


「いい剣だな」


 間合いを探る中、ガノンは唐突に話題を振った。答えは期待していない。ただただ、予測を深めるためだけの問いかけだった。


「見てくれはな」


 だが答えは、存外素直に返って来た。長髪の男は苦笑いを浮かべ、あたかも雑談に興じるかの如く、口を開いた。


「軍人でも扱いに困るっちゅう、バンコ馬ってのがあるだろう? アレに似ている。抜き身を晒したが最後、操るには苦労するんだ、コイツが」

「捨てれば良いだろう」

「冗談じゃないな。おぬしが見て取った通り、この剣は良いものだ。元盗賊としちゃあ名折れだが、手元にある方が損しない」

「……」


 敵手の正直な答え――おそらく、正規軍に服したことはないのだろう――に、ガノンはさらに推論を進めた。いずこで薬師の術を手に入れたかは知らねども、最初の最初に放った啖呵の意味は予想がついた。ガノンはそこから、結論を下す。同時に踏み込む。


「一刀命奪。恐るべき力ではあるが、貴様の能力ではないな」


 踏み込みは並よりも速い程度、振り下ろしも見極めが効く程度。戦士の領域であれば、『並』と評しても良い一撃だ。もはや大きく避けるまでもない。マーサラザは言葉を返しつつ、一歩で避けた。


「さて、どうであろうな」

「ふむ」


 とはいえ、ガノンもそれで隙を晒すほどの使い手ではない。振り下ろしから即座に、正対に戻す。変化とすれば、相上段が解けたぐらいか。しかし双方ともが、口の端に笑みを浮かべた。


「後は、らねばわからぬな」

「いかにも」


 続いて動いたのは、段平の剣士。しかし単純な振り下ろしでは、いかに速度を乗せたとて難がある。彼は一瞬で構えを解くと、鋭い横薙ぎの一刀を繰り出してガノンに挑んだ。


「解せんな」


 ガノンは、余裕を持ってその一撃をかわす。すでに彼は、己に宿る戦神の加護を発動していた。若い頃に比して取り回しを効かせているが、別段衰えたわけではない。


「なにがだ」

「一刀かすれば良いのであれば、大仰に剣を振るう必要はない。騙し討ちの如く無害を装い、一刺しをもって仕留めれば良い。このような一騎打ちなぞ、無用の長物だ」

「だろうな」


 黒白の壮年は、小さく笑みを浮かべた。己の本分――元盗賊の薬師――を振り返ったのか、かすかに表情を崩す。しかし直後。首を軽く、横に振った。


「だが、一で百を打ち払うには足りぬよ。仮に儂がおぬしを騙し討ったところで、他が穴を埋める。そうなれば、結局は同じだ」

「違いない」


 【大傭兵】は、鷹揚に応じた。実際にはそうもいかない部分があることは、彼自身が心得ている。だがそれを、敵手に明かす義理はなかった。


「だからあえて大仰に振る舞い、おぬしらを引き寄せた。おぬしの軍を釘付けた。後は――」


 ここで、マーサラザの姿がかき消えた。予備動作なき、見事なかき消えであった。彼に備わった体術か、それとも盗賊らしく隠形か。ガノンは一瞬考えを巡らす。しかし熟考する前に、彼は口内にて戦神に祈りを捧げた。同時に彼のまとう光が、力強さを増した。


「そこか」


 ガノンのくすぶった黄金色が、やにわに光る。敵手は己が真右、わずか二歩の位置に立っていた。あと一歩でも遅れれば、ガノンは生命を刈り取られていただろう。しかし、そうはならなかった。ガノンが横へと突き出していた刀は――


「見事」


 正鵠あやまつことなく、マーサラザの喉を突き穿っていた。


「街、に残りし、者は、ほとん、どが病の者……」


 薬師が、末期の言葉を放つ。喉を穿たれたそれは、ほとんどかすれるような声だった。


「病人たちが抵抗せぬならば、生命と治療は保証しよう」

「かたじけ、ない」

「構わん。ただし最低限の兵は置く」

「よか、ろう……」


 それが元盗賊にして今は薬師。千の生命を斬り、千の生命を救ったと謳った男の最期だった。


 ***


 戦後処理。街の者の説得。すべてが終わった後の夜。指揮所として接収した領主の屋敷。その部屋の一つから、時ならぬうめき声が上がった。


「……っく、ぐうううっ!」


 部屋の中では、タラコザ傭兵が一人、顔を押さえて崩折れていた。彼が執り行ったのは、己の敗北を自身の顔へと刻み付ける所業。およそ一般の民には正気とは思えぬ沙汰であった。

 タラコザの男子は、十五、あるいは十六となったところで、よほどでない限りは傭兵として里の外へと送り出される。その金が家族を富ませ、里を豊かに変えるのだ。

 そんな彼らの風習――奇習こそが、顔に行われる刺青いれずみだ。彼らは戦場、あるいは闘争の場において敗北を喫する度に、自身の顔を痛め付けていく。そうして敗北を重ねるうちに、己を識別し、定める【絵】が完成する。そして、完成した【絵】にまた一筆を加えることとなった時。彼らは、己の運命をそこに決するのだ。もっとも、圧倒的に多いのは【絵】の完成に至るまでに戦死する者。あるいは心を病み、五体壮健を失って傭兵を退く者の方だった。


「終わったか」


 そんな作業を終えた男の耳に、声が入った。低く、重い声。雇い主のものであることは、明白だった。


「ガノンの大将……」

「処置の手伝いに、何人か置いていく。済まんが」


 呼び掛けに答えると、『大将』からは心底申し訳無さそうな声が響く。彼が己の部屋に目を向けていないことは、声の質ではっきりとわかった。

 タラコザ傭兵が墨を刻む儀式は、部族秘中のものとされている。ただし後処理については、儀式には含まれていなかった。


「無茶を……いや、後で行く……。あの剣、だろう?」


 うめくような声で、サザンは召喚に応じる。この儀式は危険極まりなく、術後の処置を誤れば高熱を起こすことがあるとも言われている。しかし彼にとっては、ガノンからの呼び出しは命相応の重要性をともなっていた。


「済まない」


 最後に一声を置いて行き、大将は立ち去っていく。その足音が遠ざかるのを確認してから、サザンは小さく嘆息した。


「さしもの【大傭兵】も、変わる、か。出会った頃はもっと……」


 遠い憧憬に浸りかけた彼を引き戻したのは、少々落ち着きに欠ける足音の群れだった。


 ***


 およそ一刻後。世にも奇妙な人間が指揮官の間に誕生していた。ガノンを始め、上位の隊長たちは、『それ』を相手に、噴き出したい衝動を必死に堪えるハメと相成った。


「っく……」

「なんだよ、大将」

「くく……おも……いや、もう少しなんとかならなかったのか?」

「処置の連中がやたら手厚くてな……結果がこれだ」


 サザンは死んだ目を浮かべながら頬を掻く。それもそのはず。彼の頭部は、目と口の部分を除いてすべてが包帯でぐるぐるに巻かれていたのである。

 これではまるで、古い寓話に出てくる動死体マミーのようではないか。サザンは、生の喜びより先に、怒りが出てくる己を呪った。


「本題を」


 いま一つ緩みがちな空気に楔を打ったのは、ダーシアだった。温かみの一つさえない声で、彼は場の空気を一瞬にて引き締める。ガノンは強く横に首を振ると、一振りの剣を机上に置いた。一見変哲もない鞘に包まれたそれは、間違いなく。


「あの男が使っていた奴だな。幅はやたら広いが、こうして見る限りは普通の剣だ」

「明察。刃を交えただけはあるか」

「ああ。で、これがどうした」


 槍兵が問うと、雇い主はおもむろに剣を取り上げ、中身を引き抜く。途端、場の全員がどす黒い靄を知覚した。


「――」


 しかしガノンは、冷静に戦神への誓句を口にする。するとガノンの身体がほのかに輝き、靄は剣の中へと沈んでいった。冷や汗を浮かべつつ、サザンはガノンに問うた。


「……今の靄。コイツぁ【闇の七武具】、あるいはそれに準ずるブツってことか?」

「原理は似たようなものだな」


 ガノンは、流れるような仕草で剣を鞘へ戻す。しかしタラコザ傭兵は、その頬に汗が垂れるのを見逃さなかった。しかし雇い主は意に介さず、言葉を続けた。


「闇は、人の心につけ込む」


 槍兵がうなずく。否。全員がうなずいていた。この性質が故に、闇はいずこにでも現れる。今この場に闇が訪れたとて、それは否定しようもなく起こり得ることの一つだった。


「だが逆に、人の想念が闇……あるいは、それに近しいものを引き寄せてしまうこともある」

「わかったぞ。コイツぁ、【情念剣】か」


 槍兵の言葉に、【大傭兵】の首が縦に動いた。【大傭兵】は、そのまま口を開く。口の端を噛んでいるのは、失意の表れであろうか。


「この剣のいわれを、おれは聞くべきだった」

「あの戦況で、そこまでは難しいかと」


 彼が吐き出す言葉を、家宰じみた男が引き取った。彼は手袋越しに剣に触れると、そのままガノンの近くへと立てかけた。


「いかなる情念によりてか、あの剣は『一刀にて命を奪い、使い手を狂気に堕とす』性質を得た。マーサラザなる男が剣を操れていたのは」

「『千の生命を斬り、千の生命を救う』、か。若干ながらも、あの男には【使徒】の気配があった」

「だろうな」


 黒白の剣士と刃を交わした、二人の男が言葉を紡ぐ。おおよその結論が見出だせたところで、ガノンは椅子に座り、大きく息を吐いた。補佐がたしなめるが、彼は意に介さなかった。


「そういうわけで、この剣はひとまずおれ預かりとする。使ってみたけりゃ……」


 心底気だるげに言葉を吐き出すガノン。しかし最後、彼は大きく息を吸い。


「おれを倒してからにしろ」


 その二つ名【赤髪の牙犬】に相応しい、猟犬のそれに似た佇まいを放って終わりを告げた。


 ***


 武具録

【情念剣・無銘】

 誕生経緯も、打ち手の名も不明の名もなき剣。いかなる情念――一意専心、殺意充填の鍛鉄――によりてか、闇の武具にも似た性質を持つ。

 一刀にて生命を断ち切り、使い手を狂わせる――もしくは腕前を引き上げる――性質だ。

 闇には近いが闇そのものではなく、神の加護を持つ強力な【使徒】であれば、前者の性質をもって大いに戦力を振るうことができるだろう。

 なおマーサラザがこの剣を扱えたのは、低級生命神の加護による相性勝ちによるところが大きい。


 一刀命奪・完

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