悪夢払い

 その噂がヴァレチモア大陸の裏社会を駆け巡ったのは、あまりにも突然のことだった。


「【大陸東部域の覇者】【大傭兵】【赤髪の牙犬】【強大なるガノンガノン・ザ・ギガンテス】などと呼称される男、ヌルバダ王ガノンが、夜な夜な悪夢に魘され、眠れぬ夜を過ごしている。本人はいたって壮健そうに振る舞ってはいるが、目の落ち窪み、苛立ちなど、睡眠不足から来る症状を隠せずにいる。自身の老いも相まって、かつてほどの凄まじき強さは見られぬらしい」


 この噂に、彼の生命を狙っていた者は歓喜雀躍した。一廉の傭兵であり、漂泊の冒険者であり、多くの国を踏み躙ったこともあるガノン。彼を恨む者は多く、命を狙う者も多い。

 そもそも、かつて西部域にて【赤き牙の傭兵団】を率い、タガンタ帝国の大侵略に参画した罪状が消えていない。彼の首には未だに、ラガダン百金――時節の経過により、現在に至っては五百金にまで値上がりしていた――の賞金がかかっていた。さもありなんである。故に。


「王の寝所にこれほどの有象無象が集うとは……。ヌルバダの威も、堕ちたものですな。む、衛兵。外にまだ二人隠れているぞ」

「おれが不甲斐ない様を見せたからだな。なんとしてでも、打ち払わねばならぬ」


 夜更け。ガノンの寝所。今やそこは、暗殺者どもの遺骸と苦悶の声によって蹂躙されていた。ガノン憔悴の噂を聞き付けた仇敵どもが、こぞって魔の手を差し向けたのである。されど。


「王よ。ご安心召されよ。このウリュバスある限りは、我が手によってしか王は討たれませぬ」

「いかにおまえといえども、おれは安易には殺せぬぞ、覚えておけ」


 刺客どもはたったの二人。憔悴したるはずのガノンと、近習にして天賦の才を持つ剣士、ウリュバスによって殲滅されてしまったのだ。

 身体を穿たれ、苦しみに悶絶する者こそ居れども、戦闘可能な者は二人以外には存在しなかった。今は衛兵が外部の掃討を行っている。先に指摘した二人が討ち取られる声も、ウリュバスの耳は確かに拾っていた。


「なるほど。しかと覚えておきましょう。されどいつかは、貴方をも」

「ふん。せいぜい剣を極めてみよ」


 王と近習は、極めて軽々けいけいとしたやり取りを繰り広げている。しかしその傍らで、刺客どもから情報を引き出さんとしていた。刃を使って死なぬ程度に痛め付け、依頼人を吐かせようと試みていたのだ。なんたる凄惨な行い。されどこれを行わなくては、何年時を経ようが禍根を断つことは叶わぬのだ。


「なるほど。あ奴はたしかに、昨今その目が濁っていた。……死ぬが良い」

「ふむふむ。なるほど、王の抱えた因縁によるものでしたか。おさらばです」


 彼らは次々と情報を拾っていく。中には先手を取って自決する者、最期の最期まで裏を吐き出さぬ者もいた。だが二人にとっては、むしろその者どもこそが褒め称えるべき対象であった。二、三痛め付けただけであっさり背後関係を吐き出す者など、怯懦にして惰弱である。戦神の教え、そしてウリュバスの信条において、それらは滅するべき対象であった。


「……さて。一通り始末は付けたか」


 王が、ロアザ鋼にて作られた剣を拭う。最近鍛造の都から献上された、一品物の剣である。ガノンの性質に合わせて、紋様や文言は彫り込まれていない。だがその輝きは、東部域の覇者に相応しいものであった。


「こちらも、ですね」


 若く、高い背を持つ近習もまた、己の剣を拭っていた。こちらの持つ剣は、ガノンの物より少々細長い。どちらかと言えば、突き刺す類の剣と言えるだろうか。ガノンのそれと同じく、紋様や文言が彫り込まれた気配はない。だというのに、本人はそれを飄々と、恐るべき速さで取り扱っていた。くるくると回し、そして鞘に納める。見た目に似合わぬ、手慣れた扱い。長年の付き合いが、あるのだろうか?


「……ウリュバスよ」


 わずかな沈黙のあと、王が口を開いた。


「なにか?」


 近習の言葉は、短い。込められている敬意も、わずかなものだった。しかしながら、ウリュバスにはそれが許されている。とあるいきさつにより、ガノンはウリュバスを大いに認めていた。不敬不遜な振る舞いを、容易く許してしまうほどにである。


「おまえに、『悪夢払い』を命じる」

「悪夢払い」


 王の、不可思議な言葉。美しき相貌――長いまつ毛。くすんだ青の瞳。銀の短髪――を持つ近習は、思わずオウム返しを行ってしまった。本来であれば、許されぬ行為である。だが、それほどまでに想定外の言葉であった。


「そうだ。悪夢払いだ。おれを夜な夜な襲う、悪夢を払え」

「お言葉ですが」


 王からの命に、近習が抗弁を立てようとした。それに対し、ガノンは小さくうなずいた。なんたること。常であれば、その場で殴打、叱責。あるいは捕縛されても文句の言えぬ行為であるというのに。


「悪夢払いとは本来、まじない師を立てて行うものではないでしょうか?」

「そうだ。呪い師を立てるものだ」

「では、なぜ我に」


 ウリュバスの疑問は、そこにあった。本来祈りの行為である悪夢払いを、何故剣士である己に託すのか。それは、もしや。


「おれを呪っている者がいる」


 ガノンの言葉は、ウリュバスの懸念を証明するものであった。ガノンは、極めて真剣な顔で、推測に過ぎぬはずのことを言ってのけたのだ。故に。


「証拠は」


 ウリュバスは尋ねる。王の勝手な推測に従って、明後日の方向に進むわけには行かぬのだ。王の采配には、根拠が要る。近習はその事実を、ただただ問うた。すると王は、毅然とした顔で。


「……あの者が。おまえには語って聞かせただろうが、あの男が、おれに恨み言なぞ吐く訳がない」

「かつて人生の最期を賭して王に挑み、そして散った。戦友ともたる槍手のことですな」

「そうだ。あ奴は最期に笑って死んだ。笑っておれに識別票ドッグタグをよこしたのだ。自らおれに、恨み言を吐くはずがないのだ」

「なるほど。それで」


 近習はようやく得心した。王は南方蛮人の出身ではあるが、知性なき獣ではない。中原のことわりに沿わぬだけで、むしろ見識や知見、ものの見方については優れている人物だ。そんな王が、己の経験を元に言う。ならば。


「つまり、王を呪っている人物を見定め」

「冥界神のみもとへと、送り付けてやれ。その上で」

「背後に潜む悪辣者を、炙り出せ。ですな」

「その通りよ」


 王はそう言い、血溜まりの中に胡座をかいた。近年とみに白いものが増してきているとはいえ、その顔と言動は今なお、精悍さを保っている。赤い長髪と髭、なにもかもが大ぶりな顔の構成物、虚無の見え隠れする黄金色の瞳。なに一つ、欠けたるものはなかった。少々目が落ち窪んではいるが、まだまだ隠せる程度である。ガノンの強さは陰りこそすれ、失われてはいなかった。


「承知しました」


 ややあって、ウリュバスは静かに頭を下げた。ガノンは、鷹揚にうなずく。ウリュバスが作戦に掛かる間、場合によっては、ガノンは頼れる近習を欠くことになる。にもかかわらず、ガノンの態度に喪失感、悲壮感などは見受けられない。憔悴の渦中にありながらも、戦いの意志は揺蕩っていた。


「頼むぞ。おれに呪いなどは通用しない。手痛い報復を味合わされる。そのことを、大陸すべてに刻み付けねばならん。盛大に、やれ」

「はっ。王には我が剣しか届かない。その事実を、大いに喧伝してみせましょう」


 ガノンからの言葉に、ウリュバスは己が胸に手を当て、不遜なる一礼を捧げた。その仕草に、ガノンは苦笑いを見せて。


「ぬかしおる。おまえの剣ですら、おれに届くことはない」


 傲慢とも、これまでに培ってきた事実とも取れる言葉を返した。これにはウリュバスも、今一度頭を下げる他なく。


「承知しました。必ずや、王に吉報を届けます」


 ただただ一つ。承服の意を王へと示した。


 ***


「さてさて。王相手には、ああのたまったが」


 一刻後。近習の姿は、自室にあった。側には一人、女が侍っている。本来であれば、近習如きが側女を侍らすなど不可能である。だが、ガノンは敢えてウリュバスにそれを許していた。彼を認めるが、故にである。


「とはいえ、策は実ったのでしょう?」


 側女が、ウリュバスに微笑みかける。黒髪長髪の、女であった。仕草はたおやかで、柳のように細い。目は切れ長。彫りは浅いものの、目鼻立ちはくっきりとしている。平たく言えば、美人と呼ばれるものであった。

 その特徴は、大きな黒瞳こくどうにあると言っても良いだろう。見る者を惹き付け得る、いと美しき瞳であった。


「ああ。君のおかげで、僕の策は実った」


 ウリュバスが、しなだれかかる側女を撫でる。側女はうっとりと、目を細めた。


「悪い人。王の憔悴を裏に広めて、暗殺者の手を一箇所に集めようだなんて」

「そうでもしなければ、我が王は動かないよ。あの性格で、あの強さだ。なにが起きようと、鷹揚に受け止めてしまう。危機感を、持たせないと」


 ウリュバスは、眉目秀麗たる顔を歪ませた。そこには、明確な悪意が伴っている。それこそが、彼の持つ『歪み』であった。


「なるほど。で、目論み通り王は悪夢払いを命じた訳だけど。策はあるの?」

「あるね。むしろ無い状態で、コトを起こすと思っていたのかい?」

「だろうね。アンタは二手も三手も先を読む。策を作る。そうじゃなくちゃ、アタシはここに居ないわよ」


 今度は側女が、不敵な笑みを浮かべる。口ぶりから見るに、この女もまた、ただの側女ではないようだ。


「ふふふ。そんな君だからこそ、僕は傍に置いている。そして使う。早速だけど、次の策を……!?」


 流れるように次の策を開陳しようとしたウリュバス。されどその唇は、側女の人差し指によって封じられた。


「その前に。アタシはまだ、褒美を貰ってないわよ?」


 男に向けて、妖艶な笑み。しかしウリュバスにはわかる。その奥は、笑っていない。同類が故に、彼にはわかる。物腰の奥に、煮え滾るものを秘めているからこそ。


「良いだろう」


 ウリュバスは人差し指を除ける。そしてその奥にあった唇を啄んだ。女から声が漏れ、やがて水音が響く。そして秘め事の声が、部屋を満たしたのだった。


「……僕の煮え滾る思い、これを使う」


 たっぷり数刻後。ウリュバスは、寝物語めいて口を開いた。両者ともに、生まれたままの姿である。ウリュバスは細身ながらに筋肉にくをしっかり付けており、側女は一見細く見えるが、程よくメリハリの付いた身体であった。二人は寝所をともにし、心赴くままに言葉を並べていた。


「ふうん。つまり?」

「僕は、あの王を死ぬほど殺したい。これは事実だ。この噂を流布すれば、どこかしらから手が上がると思うんだよ」

「なるほど? 『自分があの王を呪っている。近習のあなたなら、ガノンも油断するであろう』。みたいな?」

「そういうことだね」


 女の疑問に答えてやるウリュバス。しかしこの近習、さらりと恐ろしいことを口にしなかったであろうか? 王――すなわちガノンを殺したいなどとは、口が裂けても言えぬはずの身分である。だというのに。


「そんなお手軽なものかしら」

「その懸念はもっともだね。裏に棲まう者は大抵、用心深い。だから、普通はこんな餌には釣られない」

「じゃあダメじゃない」


 女は口を尖らせた。さもありなん。せっかくの計略が実らぬのでは、女も動く意味がないのだ。意味がなければ、報酬もない。彼からの悦楽が得られない。それでは、なんにもならないのだ。


「なに。すぐに釣ろうとは思っちゃいないさ。二十日。三十日。いや、もっと掛けても良い。真実味を、徐々に吊り上げていく」

「そんなに時を掛けたら、王が業を煮やさないかしら」

「煮やさないように、説明するさ。なにも王だって、僕を行ったきりの矢玉にしたい訳じゃないはずだ。方策を上げなきゃ、信用を欠く」

「へえ……」


 側女が、感嘆じみた声を上げる。その周到さに、ある意味呆れているようでもあった。


「うん。僕の目標は、王が健在剛健なうちに、王を歯牙にかけることだ。だからこそ、いつまでも憔悴しててもらっちゃ困る。やり遂げるさ」

「……アンタって、ホントに陰険ね」

「冗談じゃない。僕は敵を減らしたいだけだよ。王を討ち取り得る敵なら、なおさらにね」


 側女の心底嫌そうな発言にも、男は動じない。無論、彼女とてそのくらいは読めていた。それでもなお。言わなければ収まらなかったのだ。口ぶりから窺える付き合いの長さと深さが、そうさせるのであろうか? 本当のところは、誰にもわからなかった。


「まあ、いいわ。それならアタシも、アンタを心底振り向かせることを目指せば良いわけだし」

「これは意外だ。まさかこの僕に、そこまでお熱だったとは」

「なに寝ぼけたことを言ってるのよ」


 ウリュバスの減らず口を前にして、遂に側女は舌鋒を鋭いものにした。これにはウリュバスも、口をあんぐりと開けた。長い付き合いの中で、ここまで言われたことのほうが稀だったのだ。


「たしかに。お互い目的があって、腐れ縁をやってるわよ? だけどそれだけで、アタシが身体を許すと思って? そもそも側女なんて……」


 迂闊な一言から始まってしまった、側女による説教。さしものウリュバスも、これには黙って甘受せざるを得なかった。


 ***


「それで、おまえはじっくりとあぶり出す算段を整えたというのか」

「はい。少々……いえ、恐らく相応に時間は掛かりますが、いざという時までお側に仕えることは可能でございます」

「……ふむ」


 翌朝。ウリュバスから【悪夢払い】の策を聞かされたガノンは、玉座にて、わずかに考えにふけってしまった。されど、ウリュバスの表情に動揺はない。少々疲れが見え隠れしないわけでもないが、一見するにその眉目秀麗たる顔に変化はなかった。


「つまりこうか。おまえはおれに、悪夢を耐えろと。そう言うわけだな?」

「つまる所は、その通りでございます。王ならば、今しばらくは持ち堪えられましょう」

「言ってくれるわ」


 ガノンは、まんざらでもないという顔を見せた。たしかに表情だけ見ていれば、憔悴こそすれども不敵さは失われていない。肉体のハリも、まだまだ頑健そうに見える。ウリュバスがのたまった通り、今しばらくはおろか、百日、二百日でも保ちそうな身体つきと顔つきであった。なんたる心身の壮健さであろうか。これが戦神の【使徒】たるということか。ウリュバスは、改めて自身が相対する者の恐ろしさを、ひっそりと噛み締めた。


「まあいい。おまえはおれに対して、そのような無粋な殺し方はしない。それをわかっているからこそ、おれもこの件を預けられる」

「お見通しでございましたか」


 ガノンの言に、ウリュバスは慇懃に頭を下げた。あいも変わらずの態度は、文武百官の立腹を招きかねぬもの。されどこの場は、二人だけの場となっていた。なにしろ未だ、百官の登城前であるのだから。要はこの件は内密であり、ウリュバスに下されしは密命であった。


「見通すもなにもだ。おまえの野心は、おれをその剣で縫い留めることだろう? しかも、『強いおれ』を、だ」

「その通りでございます」

「だったら結局話は早い。おまえはなんとしてでも、その陰気な呪い手を始末しなければならない。そうしなければ、おれが弱るばかりだからな」

「まことに、その通りで」


 ウリュバスは、再び頭を下げた。今度は慇懃ではない。心底からのものだ。同時に彼は、この関係に感謝もしていた。

 ガノンは、ウリュバスの野心を認めている。認めた上で、自身の最も重要な配下に据えている。寝首を掻くことさえも、叶えることができ得る位置だ。

 そんなガノンの懐に、ウリュバスは幾度となく心服しかけた。しかしその度に野心をくゆらせ、こうして向き合って来た。綱渡りめいた、異様な関係。されどこの関係は、二人の奇妙な信頼があってこそ、成立するものだった。


「ならば、やれ」


 王が、気怠げに命じた。これ以上のやり取りは望まぬと、気配がそう語っていた。


「承知」


 近習が傅き、頭を下げた。言外の意まで汲み取った、見事な一礼であった。

 こうして二人は、公の関係へと切り替わる。東部域の覇王と、近習たる天才剣士。ヌルバダの王と、その護衛。百官に見せるその姿もまた、真実の一つであった。


 ***


 そうして、三十日の時が過ぎた。彼らの周りに、変化はない。王は悪夢に悩まされ、近習はそこに群がる討ち手を殲滅する作業に追われていた。しかし陰では、着々と策が進行していた。裏の世界に、少しずつ『ガノン殺害を目論む側近』の噂が広まりつつあったのだ。では、その担い手は?


「今しがたガノン王の悪口が聞こえましたが、お嫌いでして?」

「ああ。嫌いだ。奴は我々から権益を奪い、庶民どもに分け与えている。我々の間では、憎き者としてしか捉えられていないぞ」


 夜のヌルバダ王都。いささか猥雑な酒場に声が響く。肥えた商人が女を侍らし、酒を嗜んでいる。その中の一人、商人にしなだれかかる女は……


「あら。もしかしたら、近い内にお亡くなりになるかもしれませんわよ?」

「む? 奴が昨今悪夢に魘されているらしいとは聞いたが、それでもあの偉丈夫ぶりだ。そうそうすぐには……」

「そうでもありませんようでして……」


 女が、商人に向けて声を潜める。しかしそのかんばせに、見覚えはないだろうか。黒髪長髪。切れ長の目。そして大きな黒瞳……もしや!


「王宮に、まことしやかに伝わる話がありまして……」


 そう。ウリュバスの側女、まさにその人! ウリュバスの講じた策を果たすべく、彼女自身がその一翼を担っていたのだ! 先述したガノン憔悴の噂も右に同じ。彼女がこうして、少しずつ裏を駆け巡らせたのだ。それが大いに広まり、爆発した結果こそが、先の大規模襲撃だった。


「…………」


 こうして夜を巡っていく噂は、巡り巡って裏にも伝わっていくこととなる。彼女のやり口は大したもの。こんな大事おおごとの噂にもかかわらず、民草や王宮には、真実味の薄い戯言としてしか伝わることはなかった。

 かくして。


「僕に会いたいという人物がいる?」

「ええ。呪い手とやらに行き着くかはわからないけど、そこそこの集団みたいね。夜のツテを使って、接触があったわ」

「へえ。君にたどり着くというなら、それなりに力はあるんだろうね」


 命が下されてから、五十日ほどが経過したある夜。ウリュバスと側女は、酒を酌み交わしていた。議題は、策の進捗。網に掛かる者があったと、側女からの進言があったのだ。


「アタシもそう思うわ。周りに人がいないのを見計らって、声を掛けて来たからね。多分、アタシの正体辺りまではたどり着いてる」

「わかった。まあ……結局そいつら、僕に消されるんだけどね」

「あら? 悪夢の下手人じゃないとしても?」

「当たり前だよ。あの王を嫌う者は多い。嫌う以上、いつかは王の敵になる。敵は、少ないに越したことはない」


 決然とした表情のウリュバス。側女は、『怖いわね』と言葉を漏らした。もっとも、真に恐れているかは解り難いのだが。


「当然だ。僕は王の刃、そのものでもある。刃が錆びていれば、王が見くびられる。そんな王は、僕の望みではない」

「どこまでも、王なのね」

「どこまでも、王だよ」


 呆れ混じりの側女の声さえも、ウリュバスは堂々と肯定する。おお、これこそが、彼の生きる道だというのだろうか?


「まあ、わかったわ。連中の根城アジトは……」


 側女がウリュバスに身を寄せ、耳に口を運ぶ。そんな妖艶にさえ見える仕草にも、彼は微動だにしない。一分の隙も、見せたりしない。それもまた、彼の精神性の体現であった。


 ***


 数日後。ウリュバスの姿は、王都の外れにあった。もっとも、忍んだ姿である。フードの付いた外套を身に着け、ひさしを目深にかぶっている。眉目秀麗は巧みに隠され、並の人物では、ウリュバスその人とも気付けぬであろう出で立ちとなっていた。


「……」


 さしものヌルバダ王都といえども、外周部ともなると整備は行き届いていない。荒れた道が多くなり、建造物も無作為、無法に建てられたものが多くなる。違法な賭博の声や怪しげな物売り、いかがわしい声掛けなどが横行さえもしている。

 おそらくは、王都へ不法に住まっている者も多いのだろう。周辺地域からの移民は、増えるばかりだ。王都の住居から人が溢れ、野放図な拡大が始まりつつあった。


「…………」


 ウリュバスは、そんな風景に目を配りながら考える。この風景が、己とは関係のないものか。それは嘘になる。王の治世がこの状況をもたらしているのであり、自身はそれを側で支える者である。なれば。この風景の一因を担っているのも、また己なのだ。


「………………」


 そんなウリュバスの表情かおが、ピクリと動いた。周囲に、気配を感じたのだ。それでも渋面を見せることはなく、淡々と呟く。


「五……六。遠くのものまで含めれば、十を越えるか? 大した展開力だ」

「なるほど。その察知力、まさか王の最側近が出て来るとはな」

「む」


 最後の気配は、目前に現れた。襤褸ぼろを被った、やや背の低い人物。声色からするに、男だろうか。ウリュバスは、密かに警戒値を上げる。この眼前に立つ人物、その直前までまったく気配を感じなかった。強者か。あるいは襤褸に紋様を隠し持つか。いずれにせよ、油断はならぬ。


「……面体風貌を隠せども、腕前は隠せぬ、と」


 ウリュバスは、先手を取って顔を晒した。無論、ここまでしたからには腹は決まっている。この場に立つ全員を、斬り伏せる覚悟だ。そうでなくばいずれ、己が謀反人として告発される危険がある。なにをどう言い繕おうとも、王への殺意だけは歴然たる事実なのだ。


「その通りだ。察しも良い。腕もある。立場も丁度良い。我らの潜伏同志たるに、相応しい存在だ」


 襤褸の人物が、首を縦に振った。しかし、襤褸を取る様子はない。ウリュバスは、さらに警戒を厳にした。この用心深さ、只者ではない。否、叛徒ならば必然か? とはいえ、油断せぬに越したことはない。


「付いて来い。我らの企み、その一端をお見せしよう」


 それに気付いてか気付かずか。襤褸の人物が背を向けた。ウリュバスを、そして気配どもを導くように、歩き出す。ウリュバスはひとまず、素直に付き従うことにした。やがて見えるは、廃墟と化した聖堂だった。


「これは」

「お前たちの王が、先代王を弑した時に焼かれたものだ」

「では君たちは先代王の」

「そこは関係ない。使いやすいから、使っているだけだ」

「そうか」


 襤褸の人物に従って、ウリュバスは廃墟へと踏み込む。途端、彼を強度の陰気が襲った。じっとりとした、なんとも言えぬ重苦しい空気。これは、環境のせいではない。気配察知に優れた彼の感性は、瞬く間に陰気の正体へと近付いていく。

 しかし、徐々に一歩が重くなっていた。額を通じて、滴る汗。気配どもも、付かず離れずながらに、近付いて来る。


「ほう。さすがの察知力だ。だが、もう少しだけ耐えてもらおうか」


 襤褸の人物が、声を漏らす。ウリュバスは軽く口内を噛み、己に強いた。自身の感性が正しければ、この先に。それは百歩先か。二百歩先か。わからぬのであれば、歩くほかない。

 やがて彼らは、聖堂跡の最奥へとたどり着いた。陰気はいよいよ色濃くなっており、襤褸の人物を除いて、誰もが足取りを重くしていた。ウリュバスには、それさえもが感じ取れる。だが歩いた。

 そうして進んだ先に、一人の人物と紋様陣が見えた。瞬間、ウリュバスは直感した。ここが、こここそが! 陰気の発信源である! すなわち!


「ご明察。大したものだ」


 襤褸の人物が、ウリュバスに顔を向けた。同時に、顔を覆っていた襤褸を外す。見立て通りに、男だった。さして歳は取って見えないが、それでも十人近くの人間は束ねている。相応の力はあると、見るべきか。


「我々がお前たちの王を呪い、悪夢に魘されるように仕向けた」


 陰気の発信源たる人物が、のっそりと立ち上がった。襤褸の人物よりも大柄で、顔中に紋様刺青いれずみを刻んでいる。いかなる神を称揚するものかまでは、解読せねばわからない。だが、ガノンを悪夢にて呪うとなれば。


「王を悪夢にて弱らせ、王権を緩ませる。しかるのち、我々の手、あるいは近しき者によって討ち取る。それが、我々の計画だった」

「それで、私に接触を図った」

「その通り。手頃な噂が転がり込んだのでね。発信源を慎重に探り、声を掛けた。結果、今に至る。重畳だ」


 襤褸の人物……というのはもはや正しくない。陰謀の首魁は、饒舌となった。呪いの男は、無言のままにその傍らに立っている。この二人こそが、集団の頭領だと見るべきだろう。


「さて。お前は王を殺したい。そう、我々は判断している。されど、まだ真なる言葉を聞いてはいない」


 陰謀の首魁が、右手を差し出した。そして呼び掛ける。


「我々と組み、潜伏同志となるのであれば、この手を取れ」

「そうだな」


 ウリュバスは、同じく右手を差し出した。その手を、首魁の手に……添えない。寸前でかわしたあと、手は流れるように剣へと向かい……


「私は我が手で、あの王を殺したい」


 次の瞬間、凄まじい剣速が空気を薙いだ!


 ***


 陰謀の首魁たる男にとって、それはあまりにも急転直下であった。


「そうだな」


 その言葉を耳が拾った時、男は『勝った』と思った。憎き者、ヌルバダの王ガノンを弑するに、もっとも相応しい人材を手に入れた。そう感じていた。

 それが、彼にとっての致命だった。自身の差し出した手がかわされたことに、違和を感じられなかった。その後の動きも、どこか現実と乖離して見えて――


「私は我が手で、あの王を殺したい」


 同意の言葉。されど、向けられたのは細身の長剣。空気を薙ぎ、腹部へと襲い掛かる。それは見事に、己の腹を裂いていた。


「なっ……1?」


 思わず声を漏らす。だが相手――ガノンの近習たる男、ウリュバスだ――からは言葉はない。代わりに、剣が突き出された。その軌道は、過つことなく心臓をめがけていて――


「~~~!」


 彼は息を止めつつ、その絶命剣をなんとかかわした。しかし代わりに、己で外した、襤褸ぼろのフードが斬り裂かれてしまう。彼は密かに、汗を垂らした。夜の女神を称える、隠形の紋様が使えない。つまるところ。


「その襤褸、やはり隠し紋様か」


 ウリュバスが、踏み込んで来る。同志が、先刻までガノンを呪い続けていた男が割って入った。これはいけない。呪い手を失っては、策が遠のく。


「もう隠れる必要はない! 出会え!」


 首魁は下がりつつ、建物の隙間から外へと飛び出す。呪い手の腕を引きつつ、叫ぶ。ここは、人身御供を使ってでも。期待通りに、仲間たちが飛び込んで来た。その数、十数人。これだけ居れば――


「囲めば倒せる、と。甘い。甘いね」

「っ!?」


 ウリュバスの口ぶりが、にわかに変わった。退きながら、思考を巡らせる。目の前の男の、なにが変わった?


「うぐわ!」

「ぬぐうっ!」

「ぐわあああ!」


 そうしている間に、断末魔が三つ。瞬く間であった。おかしい。同志たちは、こちらの紋様で強化していたはずだ。だというのに。


「ぐうううっ!」

「ぐえっ!」

「ぎゃあっ!」


 思考を回す間に、またもや断末魔。さすがに首魁も、これには動揺が隠せなかった。裂かれた腹の痛みを無視して、叫んでしまう。


「なんなんだ、これは!?」

「そういうことだよ、これは。僕の剣は、君たちよりも強い」

「な……な……」


 思わず立ち止まる。呆然と、惨劇を見つめる。その間にも、屍が増えていく。気が付けば、腕を引いていたはずの男に、逆に腕を引かれていた。意志に反して、身体が惨劇から遠ざけられていく。


「こんなの、おかしい。こんなの……」

「おかしくはないよ」


 いつの間にか、ウリュバスが近付いて来ていた。信じ難い光景。十数人からなる肉壁が、ほぼほぼ無傷で殲滅されたとでもいうのか? おかしい。こんなことがあってはならない。連中は、夜の女神の紋様で――


「自分で言うのもなんだけど。僕の剣には、天賦の才があるらしい」


 ウリュバスが、ほとんど一歩の距離まで来ていた。呪い手が強引に体を入れ替え、肉壁に立つ。されど、時間稼ぎにすらならなかった。一刀命奪の境地を思わせるような鋭い剣が、たちまちの内に呪い手の心臓を穿つ。呪い手が崩折れる様を、彼はただ。見ていることしかできなかった。それほどまでに、鮮やかだった。


「……あの凄まじい察知力も、そういうことか。だが、問いたいことがある」

「なんだい? 冥界神への手土産に、答えることもやぶさかではないよ」

「お前は、たしかに王殺しの意志に賛同した。だというのに――」

「なんだ。そんなことか」


 首魁の問いに、天賦の剣士はカラカラと笑った。あまりにもの、乾いた笑い。それは首魁の、怒りに触れた。


「なにがおかしい! お前は、我々に――」

「そうだね。王を殺したい。その意志には、僕は共感した。だけどね……」


 首魁の叫びを、ウリュバスが受け流す。直後。首魁の眼前に、その顔があった。まつ毛が長い。くすんだ青の瞳。高い背が、屈んでいる。銀の短髪が、静かに揺れる。思わず、首魁は息を呑み。


「僕はね、『強くて、健康で、心身整った。万全の王を殺したい』んだ。その点で、君たちとは相容れない」


 直後、心臓に痛みを知覚した。ウリュバスの握った剣が、己の心臓を一突きにしていた。認識したと同時に、意識が遠のいていく。


「さようなら。死体は見分し、背後についても改めさせてもらうよ」


 それが首魁の、最期に耳にした声だった。


 ***


 翌日。朝の王宮にて。王と近習は、再び語らいの場を持った。


「よく眠れましたか」

「ああ。しばらくぶりによく眠れた。あの男の夢を見たが、痛罵も恨み言もない。ただただ、武具を交える夢だった」


 それはようございました。げに美しき近習はそう言い、王の近くに傅いた。王の持つ、虚無にくすんだ黄金色の瞳。それが鋭く、ウリュバスを見透かす。されどウリュバスには、一切の動揺がない。敬意も殺意も、すべてあからさま。隠すところなく開陳しているが故にだ。


「それで、なにが見えた」


 王が、短く問う。近習は首を縦に振り、応じた。


「夜の女神、はご存知か」

「知るもなにもないだろう」


 途端、王のかんばせに、不機嫌が生じる。しかしウリュバスは笑って頭を下げた。王は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、仕草だけで続きを促した。


「失礼しました。かの女神、扱う範囲が広範故に、いくつもの派閥がありますので。それこそ、ねやの術から殺し、盗みの術。夢にまつわる呪いの術。おおよそ夜に生きる……」

「御託は良い。結論は」


 いよいよ王の顔に赤みが増す。その姿に、ウリュバスは密かな満足を覚えた。どうやら己が目指す相手は、一夜で想像以上の回復を遂げたようである。彼は小さく頷き、王が望む通りの言葉を発した。


「まだ定かではありませぬが、夜の女神を奉ずる一派が噛んでいるものかと。紋様の性質からするに、本流ではないとは思われます」

「ふむ。小勢か」

「おそらくは」

「捨て置け……とは言わぬが、付かず離れずに徹しろ。此度の目的は果たせた。連中が次の手を打って来た時、対応を考えるものとする」

「承知しました」


 王の言葉に、今度こそウリュバスは心からの礼を発した。己の王には、敵が多い。国家もそうだし、政敵や旧勢力、その他恨みを抱く有象無象。国が広がるにつれて、その数はいよいよ増えてきている。過日の大襲撃も、それが故に起こった出来事だ。

 だが、王に敵を減らしていく腹積もりはない。尻尾を見せれば潰すし、国家に対しては併合するという手法がある。

 だが、政敵や旧勢力はあまり過度に潰せば弾圧と呼ばれ、支持を失う。有象無象に至っては、潰せば潰すほど増えていく。雲霞の如し。潰す速度が、追い付かぬ。

 ならば、己の道に邁進し、他者については省みぬ。それが、ウリュバスの奉じる王が出した結論だった。王が悪しざまに言われる際、原因の最たるものにはなっている。だが、すべてを拾うことは不可能なのも、また事実だった。


「さて、また新たな一日が始まる。我が軍は今も、敵地の攻略を進めておる。采配を下すぞ」

「ははっ」


 王が密議の打ち切りを告げ、近習がそれに傅く。こうして王宮では、また新たな一日が始まろうとしていた。新たな不穏を、置き去りにして。


 悪夢払い・完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る