強者、強者を想いて
荒野は、相も変わらぬ風景であった。今後恐らく、千年、万年たりとも変わり得ぬ光景であろう。そんなまばらな草木と、街道もなき平原。仮に国境が定まったとしても、整備が行き届く日はまだまだ遠いに相違ない。
そんな中に、一つ。焚き火があった。それはすなわち、野営の証である。荒野の変わらぬ光景が一つ、漂泊の旅人がそこにいるのだ。かつては旅烏とも言われていたそれらも、今やその固有の名は持たぬ。賞金稼ぎ、傭兵、漂泊、遊び人、ただの旅人――多種多様に分かたれた彼らは、もはや一つの名では呼び表せなくなっていた。
「……」
見よ。この野営の主は、剣を持ち歩いている。長さはほどほど。鞘の形状から見ても、やや細身だろうか。軽さを中心とした、取り回しだろうか。とにもかくにも、剣士であることには相違ないだろう。枯れ木や草を火にくべながら、炎の命脈を長持ちさせている。
「……」
野営の主は、無言だ。炎を見つめ、何事かを考えている。擦り切れた黒色の外套が火に照らされ、主の顔を映し出す。わずかに覗く銀髪。そしてエメラルドグリーンの瞳が、奇妙に印象強い。その眼差しは鋭く、なんらかの意志を秘めていた。
「ヴァンデサクロは、ガノンを殺す」
聞け。野営の主が、意味のある言葉を放った。強い言葉だ。鋭い眼差し、擦り切れた外套の意味が、そこにあるかのようだ。その対象たるガノンとやらは、なにをしでかしたのか? ともあれ、強い憎悪が篭っていた。
「ヴァンデサクロは師の仇を討つ。ガノンは師、イッパッタを殺した。戦場のならいなれど、弟子として仇は討たねばならぬ。故に、ガノンは殺す」
それは、己に刻み込むかの如き言葉の羅列だった。ただ一人を。師の仇を殺す。ヴァンデサクロなる者は、そのために。
「……とはいえ。奴は強者。数多の追手を殺し、幾多の賞金稼ぎを葬ってきた。まさしく戦神の申し子。【使徒】たるに相応しき者。ヴァンデサクロは、これを討たねばならぬ」
おお、聞くが良い。ヴァンデサクロに、驕りはない。さりとて怯懦も、寸分も見えぬ。あるのはひたすらに正しく見ようとする意志。そして、明確なる殺意であった。
「なればこそ」
おお、見よ。ヴァンデサクロが立ち上がった。彼は細身の剣を抜く。炎を照り返して、
「ヴァンデサクロは雷神の【使徒】。その御意志に従う限り、ヴァンデサクロに負けはない」
彼の身体が、大地を蹴る。瞬間、姿が消える。次に現れた時には、数歩の彼方。常には起こり得ぬ、不可解な現象。一体、なにが。だがこの場に、彼を見届ける者などいない。彼はただただ地を蹴り、飛ぶ距離を伸ばす。気付けば彼の移動距離は、百歩近くにまで伸びていた。なんたる所業。なんたる跳躍。これが、雷神の【加護】だというのか? ああ、しかし!
「そこの旅人! 身ぐるみ剥がされたくなけりゃ、有り金置いてけ!」
なんたること。荒野を織りなす風景が一つ、匪賊野盗がそこにいた。複数人にてヴァンデサクロの前に立ち、斧や金砕棒をチラつかせて屈服を迫る。だが、もはや察しは付くだろう。こうして現れた輩どもも――
「ヴァンデサクロの剣は雷。雷が余人に、見えるはずもなし」
「がっ!?」
見よ。銀の刃が、瞬く間に走る。かすかに稲光が見えた次の瞬間。彼の剣は上段から一息に半円を描いていた。なんたる迅さか! これでは並の者には見えるはずもなし。まさしく雷であった。
ああ、げに悲しきは匪賊の先頭に立っていた不幸な男。頭から顔を断ち割られ、自身になにが起きたかさえも知ることなく斃れていった。
「お? おおお!?」
「この野郎!」
「くたばりやがれ!」
これには匪賊も即座に動く。起きた事象は掴めずとも、仲間が殺されたことはわかる。故に、束になってヴァンデサクロへと襲い掛かった。世の常であれば、ヴァンデサクロはひとたまりもないはず。なのだが。
「っ!?」
「がはっ!?」
「ぐえええっ!?」
そんな予想は、雷によって覆される。たちまちの内に、四、五人がバタバタと倒れた。皆、雷めいた一閃によって斬られたのだ。それを回避し得た生き残りも、また運命は同じであった。ヴァンデサクロの剣が、余人には追い切ることさえ適わぬ軌跡を描く。その度に、荒野に死体が積み重なった。
「ひ、ひぃいいい!!!」
わずかに生き残った数人が、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。あまりの力量差に敗勢を悟り、せめて生命だけでもと決断したのだ。彼らは散り散りに逃げていく。並の相手であれば、一人、あるいは二人ぐらいしか斬れぬであろう。運命神に愛されていれば、生き残れる。皆が皆、そういう腹づもりだった。自分だけは、どうにかなる。そう信じていた。されど。
「ヴァンデサクロは、すべてを滅ぼす」
おお、匪賊どもよ、嘆くがよい。運命神の意地悪さを呪うがよい。己らが対峙していたのは、並の相手ではない。【剣聖】と呼ばれし剣神の【使徒】イッパッタ。その一番弟子にして雷神の【使徒】たる男、ヴァンデサクロなのだ。つまるところ、彼らの行く末は――
「ヴァンデサクロは雷神に乞う。今こそその
聖句じみた請願の文言。しかし同時に、ヴァンデサクロの四肢へと稲光が走った。そして。
「疾ッ!」
ヴァンデサクロの姿が、掻き消える。わずかなあと、その姿が二百歩の彼方に現れる。その道中に在りしは。
「かっ……」
「お、おお……!?」
「……」
物言うことも許されなかった、幾つかの
「……」
ヴァンデサクロの顔に、快哉はない。討ち取った屍を振り返り、不満げな顔を浮かべている。一体なにが、気に障ったのか?
「足りぬ。ヴァンデサクロには、腕前が足りぬ」
しばしののち、ヴァンデサクロは吐き捨てた。彼が見ていたのは、己の技だったのだ。二百歩を一息に駆け、余人の目には見えぬ剣筋を放つ。それをもってして、なお足らぬとはこれ如何に。
「ヴァンデサクロはガノンに届かぬ。戦神の前に、雷神は捻じ伏せられる」
おお、彼は嘆く。己の修練が足らぬと
「戦神とは、およそ戦いすべてに加護を授ける神。雷神と向き合うもまた戦いである。故に、ヴァンデサクロの技は見破られる」
おお、おお。なんたること。ヴァンデサクロは、ガノンを識る。ガノンを識るが故に、己の技に余念がない。余念なきが故に、磨き続ける。なんたる克己。なんたる研磨。雷神が愛すべき子と見定めしも、わかろうものである。
「なればこそ。ヴァンデサクロはさらに斬らねばならぬ。雷神のご意志を、より受け止めねばならぬ」
ヴァンデサクロが、一つの屍に近付く。未だ息があるらしく、小さく吐息を漏らしていた。
「ヴァンデサクロは死人を起こす。雷神よ。冒涜を許し給え」
彼は、瀕死の屍に手を添える。その手に稲光を起こし、強く押し付けた。瞬間、屍が大きく跳ねる。血溜まりを吐き捨て、それは息を吹き返した。
「か、かふ? ひぃ!」
なにが起きたかわからず、混乱する屍。しかしヴァンデサクロは意に介さず、その喉元に剣を突き付けた。
「ヴァンデサクロは問う。近辺にいる、匪賊野盗のねぐらを吐け。さすればヴァンデサクロが、楽にしてやる」
「ひ、ひぃ……。あ、あっちに二刻も歩けば、きっと……」
「良いだろう。ヴァンデサクロは別れを告げる」
瀕死の男がねぐらを漏らした直後、ヴァンデサクロは男の喉を掻っ切った。そのまま彼は、男が指差した方角へと足を向ける。すべては男の差し出した匪賊野盗を、己が剣の糧にするためであった。
「ヴァンデサクロはガノンを殺す。そのためならば……」
【闇】に呑まれようとて構わない。魔道へと
***
きっかり二刻後。ヴァンデサクロの姿は、名もなき廃城の前にあった。そのエメラルドグリーンの瞳で廃城を睨み付け、潜みし敵手の気配を探る。十、二十。否、三十は下らぬであろうか。死に際の回答にしては、なかなかの獲物を差し出してくれた。彼が抱くは、少々見当のズレた感想。ともあれ、彼は中への侵入を試み。
「おめぇ、ナニモンだあ?」
さもありなんとしか言いようはないが、当然の如く見張りからの
「ヴァンデサクロは汝らを殺す」
堂々と目的を告げる。必然、返って来るのは確認の問い。
「あ!?」
「ヴァンデサクロは二度とは言わぬ」
されど、彼に容赦はない。すでに目的は告げた。ならば、あとは斬るのみである。雷の軌跡を使うまでもなく、見張りの身体を見事な袈裟斬りに仕留めた。断末魔はない。そうならぬほどに、さくりと殺したからである。だが。
「おおい! 侵入者がいるぞ!」
「何人だ!」
「一人だ! だが見張りがやられた! みんな出て来い!」
戦場は朽ち果てた城である。そこかしこの視界が開けており、目撃者がいた。それ故、たちまちの内に情報は伝播した。次の瞬間、起こるのは。
「うおおお! 死ね!」
斧。棍棒。槍に剣。めいめいに得物を持った、匪賊野盗のお出ましである。事前に気配を探った通り、三十は下らぬ数が群れている。遮蔽物はあれども、開けた場所。それ故に、ヴァンデサクロは囲まれていた。
「ヴァンデサクロは、囲まれている」
「そうだなぁ。嬲り殺しだぁ」
「それじゃぁ足りねえよ。手足を削いで、苦しませなくちゃぁなぁ」
「おれはそいつの血が飲みたい」
「じゃあオイラには肉をよこせ」
「ならば俺は骨だな。人骨で斧をしごくとな、良く斬れるんだ」
勝利を確信しているのだろう。連中はめいめいに勝手なことを言い放つ。どうやら、統率の「と」の字も取れていないらしい。典型的な野盗の類と言える連中だった。
それでもバラバラに襲い掛かったりしないのは、仲間内で呼吸を合わせているからだろう。ヴァンデサクロは、そう推し測った。
「まあええわな。すべては
「おうよ!」
一人が議論を終わらせ、皆が応える。それが、連中の合図だった。三十の内、十人ほどが一斉にヴァンデサクロへと襲い掛かった。野盗にしてはタイミングの揃った、そこそこ見事な一斉攻撃。されど。
「ヴァンデサクロは、弱者にあらず」
ヴァンデサクロが腰に提げていた、剣が抜かれる。瞬間、稲光が走る。直後。彼の身体が、凄まじき速さで旋回した。その薙ぎ、一つで。
「あ……え……?」
「ん……?」
「はい?」
大なり小なり、十人ほどの身体に、なんらかの傷が付いた。ある者は一撃にて死し、またある者は腹を斬られ、直後に崩折れた。腕を斬られ、痛みのあまりにのたうち回る者もいる。一瞬にして、残酷な絵図が廃城に生まれた。しかし。
「え、ええい! こんなのまぐれだ! 全員で行っちまえ!」
「お、おう!」
野盗の類に、この状況を正しく読み取れる者などいない。そもそも読み取れるほどの強者であれば、ヴァンデサクロの侵入を許した時点で、逃げの一択を取ったであろう。それができなかった時点で、この野盗どもの結末は定まっていた。
「なっ!?」
「ぎええっ!?」
「ほぎょぉ!」
そして事実。野盗どもの武具は、一つたりとしてヴァンデサクロには届かなかった。雷めいた彼の動きに対応し切れず、その剣が掻き消える度に死人が増えた。肉体、剣、すべてが雷。それが叶ったのであれば、並の剣士には触れようもない。ましてや、統制もない野盗どもになど。
「く、か……」
「ヴァンデサクロは問う。汝、怖気付いたか」
それでも一人、討ち漏らしがいた。偶然か。あるいは襲撃に際して腰が引けたか。なにはともあれ、一人残ってしまった。哀れな一人は剣を構え、震えながら。ヴァンデサクロより距離を取っていく。しかし蛇に睨まれた蛙が、思うように距離を取れるはずもない。両者の距離は、刻一刻と縮まって。
「あああああ!」
遂に、哀れな一人が前に出る。剣を振りかざし、狙うは上段からの一撃。されど、苦し紛れの攻撃がヴァンデサクロに通じるはずもなく。
「ヴァンデサクロは、望みを断つ」
それよりも早い雷が、哀れな男の希望と身体を両断した。
***
「……」
およそ半刻後。ヴァンデサクロの姿は、廃城の外にあった。悶え苦しむ斬り損ねを始末し、すべてに片を付けたあとである。彼は半ば絶望とともに、言葉を吐いた。
「ヴァンデサクロは嘆く。匪賊野盗どもでは、やはり腕慣らしにしかならぬ」
それは、目的の未達を嘆く言葉。ヴァンデサクロが目指したのは、ガノンに届き得る剣技の修得である。そのための叩き台として、今回の野盗に目を付けた。
しかしながら、出て来たのは統制もない烏合の衆。彼の剣をかわすような猛者もいなければ、彼と武具を交えられるような戦士もいない。これでは、荒野の平穏に骨を折っただけである。目的からすれば、非常に不満な結末であった。
「ヴァンデサクロは判断する。やはり、強者と剣を交える他になし」
彼は夕闇迫る荒野を見つめ、ひとりごちた。四の五の言っても、やはり
「ヴァンデサクロは、噂に聞いた。しばし前。ガノンが名を隠し、ここより北、七日ほどの距離にあるログダンに現れたと」
おお。ログダン。ログダン王国。ガノンが『ガナン』として大武闘会に名を連ね、そして制覇した地。その事実は諸般の事情によって巧みに隠され、『ガナン』がガノンである事実は伏せられていたはず。されど地下では、細々と。まことしやかに語られていたのだ!
「ヴァンデサクロは知っている。ログダンには剣神に愛されし強者、パリスデルザどのがいる。彼の者と剣を交わすことができれば、あるいは……」
かくてヴァンデサクロは、その足を北へと向けた。目指すはログダン、武門が力を持つ、防衛重視でありながら武技を重んずる国家。そしてログダン戦士の頂点に立つパリスデルザは、かつてガノンと技を交えたこともある。
ああ。ヴァンデサクロは、ガノン攻略のきっかけを得てしまうのか。それとも王家武術指南役筆頭というパリスデルザの持つ地位が、雷神【使徒】の想いを阻むのか。すべては北へと向かった、彼の足取り。その果てにのみあった。
強者、強者を想いて・完
饗宴に続く
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