報仇の乙女

 広大無辺なるヴァレチモア大陸の荒野。その一点に、あまりにも不似合いな存在がいた。

 乙女である。歳の頃は十五ほどと思しき、麗しき乙女がいた。

 乙女は、歩いている。豊かな金髪を荒涼たる風に預け、白磁の肌に汗を流し、目を血走らせていた。いかように見ても、普通の状況ではない。

 乙女は、歯を食い縛っていた。口の端から、血を流していた。荒野を行くにはか細い手足を、必死の形相で動かしていた。


「ハア……ハア……!」


 乙女の口から、熱の籠もった吐息が漏れる。見る者が見れば、手に取るようにわかるだろう。乙女の体力は、すでに尽きつつあった。否。命運そのものさえもか。

 よくよく見れば白磁を包む薄衣、その太股の辺りに、溢れるものがある。おお、なんたること。暴虐に、晒されたのであろうか? そうであれば、実行者は残忍であると言わざるを得ぬ。匪賊か。野盗か。あるいは、それよりも。


「あっ!」


 おお、見よ。乙女は遂に蹴躓き、倒れた。手足を震わせ、必死に立ち上がらんと試みる。しかしながら。悲しいことに、それを遂行するだけの力が尽きていた。歯を食い縛り、身を起こさんとする。されど途中で、支えが尽きる。もはや乙女に、歩き続けるだけの力は残っていなかった。


「……」


 乙女は転がり、天を仰いだ。その向こうに、己をこの立場に追い込んだ者どもの幻が見える。おお、おお。覚えている。いと狡猾なる女首領。その傍らには、悪名高き領主もいた。匪賊野盗の群れはもとより、腕っ節、腕前に溢れた者どもも。


『そうだねえ。この白磁、ただただ犯して殺すには惜しい。一つ、面白い遊びをしようか』

『ぐへへ……ヤッちまってもいいんだな?』

『ああ、そうだよ。褒美はやる。ただし殺すな。領主どのも、良いだろう?』

『ああ、構わん。ここの家人は好きにしろ』


 長き黒髪を揺らした女が、凶相の男どもに囲まれている。女は、残忍な笑みを浮かべてのたまった。


『今からアンタは犯される。その後荒野に打ち捨てられる。目が覚めたアンタが、ここまで戻って来られるか。そういう遊びだ。面白いだろう?』

『んーっ!』


 手足と身体を縛られ、跪かせられ、猿轡を噛まされた乙女。彼女は必死に、首を横に振った。いっそ殺せ。そう言ってやりたかった。だが、すでに家族は全員死んだ。村の者も焼け出され、炎に巻かれ、嬲られて死んだ。この上自分が殺されれば、誰が敵を討つというのか。絶望非道の二者択一。その答えはすでに、生き地獄めいて敵方からもたらされていた。


『っ!』


 せめてもの思いを込め、乙女は女首領を睨み付ける。しかし首領は、カラカラと嗤った。足で乙女を小突き、転ばせる。するとその周りに、醜悪な男どもが寄せ集った。


『さあ、ヤッてる間にくたばるんじゃないよ? 楽しみが減るからね』

『いっ……!』


 乙女の顔が、大きく引きつる。それを嘲るように、女首領の高笑いが響く。ナイフで足の拘束が解かれ、一人の男が覆いかぶさり――


「――っ!」


 乙女はそこで、現実へと引き戻された。身を起こし、辺りを見る。すでに星が、瞬いていた。自分に、なにが……


「目覚めたか」


 低い声が、耳を叩いた。そちらに、目を向ける。焚き火と、座っている男がいた。赤く、蛇めいた長髪。上半身は、いかめしい肉体。下穿き、粗末な靴。背に手頃な剣。大ぶりな、顔の――


「いっ……!」


 乙女は思わず、顔を引きつらせた。男の持つ、五角形の盾めいた顔。それを構成する、とかく大ぶりな目鼻立ち。それらが、自身を慰みにせしめた男どもを思い起こさせたのだ。必死で身体を起こし、尻を引きずって後ずさる。怖い。嫌だ。もう犯されるのは――


「……興味はない、と言ったところで。どうにかなるわけでもないか」


 再び、低い声。男は困ったように小首を傾げると、はたと思いついたように、腰の袋から布を取り出した。男はそのまま、己の口元を布で隠す。顔の下半分が布に隠され、鋭い目つきだけがあらわになった。


「これなら、恐怖も減るか」


 男が、乙女を見据える。乙女は、必死にうなずいた。今なお、その目の端には涙が浮かんでいる。されど、男の意志を無碍にはできなかった。乙女は深く、呼吸する。数回繰り返した後、ようやく落ち着いて口を開いた。


「助けて、下さったのですか」

「通りがかりに、倒れていた。寝覚めが悪いのでな」


 男の口ぶりは、ぶっきらぼうであった。されど、嘘はないように乙女は感じた。改めて、己の有り様を確認する。すると。


「……整えて、下すったのですか」

「斃れるにしても、そのままで葬るはあまりに無情」


 薄衣は整えられ、無法の痕跡がある程度消え失せていた。傷やらのどうにもならぬ部分はともかく、外面だけは乙女と呼ぶに相応しき姿となっていた。


「ありがとう、ございます」


 乙女は小さく、頭を下げる。未だに男の目を、真っ直ぐには見られなかった。


「本来であればその薄衣もどうにかしたいが、手頃な隊商キャラバンが見当たらぬ。今しばらくは我慢してくれ」

「いえ。ここまでしていただいただけでも……」


 乙女は、立ち上がらんとした。夜であることは、とうにわかっている。されど、足を止めている暇はなかった。あの忌まわしき連中の鼻を明かし、報仇の一撃を浴びせる。そうしなければ、死んでも死に切れなかった。生命を捨ててでも。なんとしてでも。己が生まれ育った街に、帰りたかった。しかし。


「あっ!」


 足がもつれ、倒れかける。荒野の荒々しい地面が、目に映る。そこに、差し込まれるものがあった。丸太じみた、太い腕だった。


理由わけがあるのだろうが、無謀だぞ」


 己を助けた、いかつい男のものだった。


 ***


 結局、乙女は男を振り切れなかった。強く説き伏せられたわけではないが、逆らう理由も特にはなかった。少なくとも、己を助けようとはしてくれている。その事実に、すがる他なかった。乙女は男と火を囲み、ここに至るまでのいきさつを打ち明けた。


「そうか。家族と村を奪われて」

「はい……。犯され、打ち捨てられて、このざまに……」


 乙女が、伏し目がちにあらましを語る。事の発端は、あまりに単純なことだった。非道極まりない領主に対して、乙女の父――村長だった――は覚悟を持って逆らい、村に善政を敷いていた。これを疎んだ領主が村に野盗を引き込み、さらには己が裏で契約した強者でもって蹂躙した。なんたる極悪非道。無法なる行為。されど、領主とは法である。領主が己に良いように事実を曲げれば、なんとでもなってしまう話だった。


「……それで、なんとしてでも」

「ええ」


 男が納得の声を上げると、乙女は力強くうなずいた。体力は未だ戻らずとも、その目には光が宿っている。男はその姿を見、思った。この眼力を前にしては、いかなる説得も意味を成さぬであろう。ならば。


「仮に村へ戻ったところで、届ける刃はあるのか」

「ありませぬ。呪詛を吐き、死ぬのみでしょう。ですが」


 男の問いに、乙女からは決然たる言葉が返って来る。仮に死するとしても、連中に消えぬ爪痕を残したい。その存念に、満ち満ちていた。男は軽く息を吐く。そして、一つの提案をした。


「本来であれば捨て置くところだ。だが、いきさつを知ったのも運命神の導きだろう。どうだ。おれを刃にしてみぬか」

「……えっ!? でも。あなたには、あなたの」


 乙女は逡巡した。そして、それを隠さない。いと真っ直ぐに、男へとぶつけた。自分のすることは、自分のわがままである。自分の復讐である。それに、他人を介在させるわけには。


「おれは、荒野で金を稼ぐ漂泊だ。今は特に行き先もない。懐も、そこそこに潤っている。なにより。ここまで聞かされては、その連中に対して怒りがおさまらん。中原の常道にもそうだが、戦神せんじんの教えにももとる。非道非法、極まりなしだ」


 男の声は低く、力強いものだった。乙女は、自らの選択を後悔した。己のうちに秘めておけば良かっただけのものを、他人ひとに対して打ち明けてしまった。その決断が今、己の復讐に他人を巻き込もうとしている。顔から、火が噴き出しそうであった。恥ずかしい。あまりにも恥ずかしい。


「……わかりました。でも。せめて、この一点だけは」


 それでも彼女は思考の果て、一つの決断に至っていた。たとえ刃に人の手を借りようとも。最後の一線は己の手で。その想いだけが、この言葉を導いていた。


「女首領と、真の仇敵たる非道領主。その二人への応報。それだけは、わたくしにやらせてくださいませ」


 決然たる目を差し向け、乙女は男へと乞う。しかし男は、鷹揚にうなずくのみだった。


「構わん。むしろそうでなくては応報にならぬ。その手が震えていようが、やってもらうつもりだった」

「ならば。この情動をあなた様に預けましょう。……お名前は」

「ガノンだ。ラーカンツの、ガノン。ガノンと呼べば、それで構わん」


 乙女が、己の刃に名前を問う。そして刃は今こそ、己が名を開陳した。それに応じて、乙女も名前を打ち明ける。あたかも、騎士の契約かの如く。


「わたくしは、マルティアと申します。もはや姓など意味を為さぬでしょう。そのままに、呼んで下されば」

「わかった。マルティアの意に従い、剣として動こう」

「よろしく、お願いいたします」


 乙女が頭を下げ、男がうなずく。一見立場が、あまりに真逆に見える行動。だが二人の間は、それで良かった。芝居がかった動作ののち、二人はうなずき、元の体勢へと戻った。そうして夜は、明けていった。


 ***


 翌日。半刻ほど掛けて隊商キャラバンとの交渉を終えたガノンは、一頭のダブ馬と、旅に相応しい女物の衣服を手に入れていた。


「その、手に入りましたか……?」

「上々だ。少し吹っ掛けられたが、こちらとて先を急ぐ。大人しく払ってやった。着ろ」

「ありがとうございます……」


 乙女はガノンの視線に入らぬ場に立つと、いそいそと着替えを開始した。荒野には遮蔽物が少ない。旅人の一人でもいれば、彼女の白磁はあまりにも眩しいことだろう。匪賊野盗が、その魔の手を伸ばしてくる可能性もある。マルティアは手早に、さりとて着崩さぬよう、心掛けて衣服を変えた。そして。


「よし。似合う似合わぬはさておき、無駄に大きくはなかったようだな。さあ、急ぎ跨がれ。横乗りで構わん。おれが引く」

「は、はい!」


 息をつくまもなく、ガノンは次の行動を促す。マルティアは、白磁の肌をほぼほぼ十全に隠していた。これならば、匪賊野盗の目を引く率も減るだろうか。否、匪賊の類は狡猾である。残忍である。急ぎ彼女の生地へ向かわねば、余計な手間が増えるだろう。それ故に、ガノンは敢えて叱咤した。


「さあ急げ。敵は馬に乗るを待ってはくれぬぞ。連中の手先が、今にもやって来るやもしれん。かわさねば」

「え、ええ」


 とにもかくにも、準備を終える。男が、馬を引く。女は、震えを抑えつつ、その手綱さばきに従った。すべては、報仇を果たすため。されど。ああ、されど! 敵手の目は、やはり荒野にも行き届いていた!


「……どうやらかの娘、助力者を手に入れたようで」


 村の跡地に陣を構える、女首領と男ども。そして非道領主。彼女らがここに残る理由は唯一つ。『遊び』の結末を見届けるためだった。期限は三日。それ以上掛かるのであれば、二度と報仇の機会は与えぬ腹積もりだった。


「やるじゃないか。これで面白くなってきた」


 酒を片手に、女首領がほくそ笑む。周囲の男どももカラカラと笑った。さもありなん。勝ちが決まり切った『遊び』などつまらない。彼ら彼女らにあるのは、享楽のみであった。非道領主が連れて来た腕利きどもも右に同じだ。彼らが望んでいるのは、強者との戦。かの乙女が助っ人を引き込んだのであれば、その助っ人を討ち取れば良い。五人の腕利きの内、すでに何人かは立ち上がらんとさえしていた。


「な、なにが面白い。余はく帰り、政務を」

「領主さんよ、なにを言ってるんだい?」


 悦に入る悪党の群れに、割って入るは非道領主の声。しかし即座に、女首領に窘められた。領主はすでに、顔面蒼白。さもありなん。彼は悪党どもに、この場へ引き止められていたのだから。


「よ、余はこの村も含む幾十もの土地の領主……」

「意に沿わぬ村へ悪党を引き込み、裏で契約した腕っこきと一緒に潰していてもかい?」

「租税だってそうだろう? 私腹のために、収穫の三割で良いところを、五割もぶん取ってやがる」

「ソイツがココの村長にバレていたから、オレたちに潰させたんじゃねえか」

「『遊び』が終わらん内に帰るなら、オレたちは証拠を持ってお上に掛け合うだけだぜ? 『我々を使って、意に沿わぬ村を潰す外道がいる』ってな」

「お上? ヌルいねえ。アタシなら、コイツの首根っこを握って、支配下の村を差配するよ。その方が、たんまりアガリが見込めそうだしね」

「うわぁ! やっぱりアネゴはあったまいい!」

「匪賊にしておくにはもったいない。裏の世界へ連れ帰りたいぐらいだな」

「ハッハッハッハッハ!」


 おお、哀しきかな。非道尊大極まりないはずの領主が、悪党の、幾重もの声に叩かれている。己で引き込んだはずの匪賊どもに、逆に己が命運を握られてしまっている。彼は身体を震わせつつ、後悔に励んでいた。どうしてこうなった。いつから手綱の握り方を間違えた。すべては、己の思うままに進んでいた。そのはずなのに。


「まあ、領主さんを虐めるのはここまでにしておこう」


 しばしの嘲笑ののち、女首領が口を開いた。彼女は腕利きを、あるいは配下どもを睨みながら、一声漏らした。


「ともあれ、だよ。『遊び』に助っ人が入ったのなら、ちょっと難しくしてやらないとねえ」

「刺客か」


 即座に反応したのは、腕利きの一人。先刻も、即座に動かんばかりの仕草を示していた。腕全体に威圧的な刺青が施されており、頭部はおろか、その肌すべてに毛というものがない。一見若くは見えるが、緋色の目も含めて、あまりにも鋭い風貌であった。


「その通り。アンタ、行くかい?」

「ああ、行かせてもらう。我が名はスカー。助力者など即座に討ち果たし、貴様も我が褥に放り込んでくれよう」

「おお、怖い。だが楽しみだ。面白い。アンタが成し遂げたなら、考えるとしようか」


 悪党二人が、口角を上げる。周囲の悪党どもも、止めようとはせぬ。むしろ酒の肴だとでも言わんばかりに、二人を煽り立てていた。

 こうして緋色の矢が、報仇の道を行く二人へと解き放たれた。


 ***


 おお、荒れ果てた荒野に、荒涼たる風が吹く。そこに対峙するのは、二人の男。一人は頭部の地肌を陽光に晒し、一人は蛇めいた赤い長髪と、容貌魁偉にして赤銅色をした肌を、荒涼たる風に晒していた。


「戦を戦神せんじんに捧げる前に、名を聞こうか」


 容貌魁偉の男が、口を開く。あいも変わらず、口元は隠されている。乙女の恐怖を、荒立てぬためだ。


「我が名はスカー。貴様など一蹴し、そこの乙女は我が褥へと送り込む。これは定められた未来だ」

「そうか」


 頭部に毛のない男――スカーの凄みを、魁偉の男は柳に風とばかりに受け流した。これにはスカーも、顔を赤くする。怒りのあまりに、今にも戦の火蓋を落としかねない勢いだ。


「貴様……我を愚弄するか?」

「愚弄ではない。おまえの目的を、受託した。それだけだ。おれはラーカンツのガノン。おまえの下種な目論見は打ち砕き、その首を戦神に捧げる。決めた以上は、曲げられぬ」

「ヌウウウッッッ!」


 かくしてスカーは、遂に憤激した。右手に提げていた斧を振り上げ、両の手で大きく振り回す! やがて斧を持つ両の手が発光。腕に施された、威圧的な刺青。その正体は、神を称えて彫られた紋様だった!


「カアアアッッッ!」


 十分に試運転を済ませたスカーは、そのままガノンに向けて突進を開始。動きはけして早くはないが、紋様で強化されし斧の威力がわからない。されどガノンは、右手に手頃な剣を持ったまま。直立し、ただ見据えている。しかし気付ける者は気付くであろう。その容貌魁偉の身体は、ほのかに光っていた。そして両者の交錯する音が、荒涼たる原野に響いた。されど!


「んなっ……!」

「おれは曲がらぬ。おまえは死ぬ。それだけだ」


 決着は、あまりにも早いものだった。スカーの斧が振り下ろされる前に、ガノンが彼の胴を薙いでいた。なんたる速さ。なんたる眼力。戦神の恩恵を受けたるガノンには、スカーのすべてが遅く見えていたのかもしれぬ。それこそ、あくびが出るほどに。


「ぐっ……ぬ……!」


 腹を斬り裂かれたスカーが、膝を付く。ガノンはすでに、その首元へ狙いを定めていた。その行為に、躊躇などない。ガノンは、戦う者だからだ。


「その首、戦神への捧げ物とする。さらばだ」

「が……っ!」


 己の頸部に、刃が当たった感覚。それこそがスカーが、この世で最後に覚えたものだった。


「……目を開けても、構わんぞ」


 ガノンは首に対してしばし瞑目したのち、離れた箇所にいる馬に向けて声を掛けた。必死に目を閉じていた馬上の乙女は、その声を合図に、目を見開いた。視界いっぱいに、容貌魁偉の姿が目に入る。


「ああ……よくぞご無事で」

「造作もない。腕利きではあったのだろうが、攻め手が単純だった」


 目に涙さえ浮かべる乙女に対して、ガノンは無感情だった。黄金色の瞳は不機嫌にけぶり、赤銅色の身体には汗の一つさえもない。彼の言葉が、正しいことの証明だった。


「進むぞ。恐らく、おれたちには監視が付いている。そいつが向こうへ知らせれば、次の刺客が来るだろう」

「そんな……。いかにガノンが強くとも……」

「構わん。いずれにしても戦う相手だ。一人一人で来るも良し。轡を並べて来るも良し。道中で会おうが先方で会おうが、刃は刃の務めを果たすまで」

「は、はあ……」


 マルティアには、ガノンがわからなかった。消耗を強いられる戦になるというのに、どうしてこの男は意気軒昂なのか? しかし、この男を刃としたのは自分である。彼なくしては、己は報仇と言いつつ、呪詛を撒き散らして死ぬのみなのだ。あるいは荒野で行き倒れ、骸と化すか。いずれにせよ、目的を果たせる未来は皆無。故に、ガノンの意志を汲む他にない。


「まあ見ていろ。戦神の御心に沿う限り、おれは簡単には負けん」


 ガノンの言葉は、変わらず力強い。マルティアも、こうなってはうなずく他にできることはない。そして――ガノンの言葉は、まさしく真実だった。


 まず四刻後――


「んなぁ!?」

「疾風のカゼル。たしかに速いが、技が軽い」

「バカ、な……!」


 さらにその五刻後――


「夜襲。二人掛かり。判断は悪くなかった。だが、連携がない」

「くっ……」

「なぜ、だ……!」


 連戦と言っても差し支えないであろう二つの襲撃を、ガノンはすべて、ほぼ一撃にて切って捨てたのだ。襲撃者が弱かったのでは? と言われれば、それだけの話ではある。だが、ガノンはわかっている。スカーも、疾風のカゼルも、夜襲の二人も。決して弱くはない襲撃者だった。ただただひとえに、戦神崇敬の賜である。ガノンは心から、そう信じていた。一歩間違えれば己と乙女が、荒野の亡骸。あるいは鳥どもの餌となっていたことだろう。


「ここまでの襲撃は、四人。恐らくはいずれも腕利きの方か。次は匪賊の群れか。それとも……」


 夜襲の後始末を終えたのち、ガノンは独りごちる。乙女は体力維持のため、すでに眠っていた。先の夜襲とて、乙女を起こさぬべく離れた場所で捉えた次第である。

 ともあれ。方向さえ正しければ、明日には目的の地へと着くだろう。その前に、もう一山。有るか無きか。それこそが、最大の鍵と言えた。


「おれの体力とて、けして無限ではない。おれが敵手であるならば、必ずや、なにかの手を打つ……」


 焚き火を見つめ、ガノンは思考を練る。いつしか視界は、狭くなっていく。やがて意識は集中に入り……


「何者だ」


 突如として、その目が見開かれた。視線の先には、短剣にて乙女を手に掛けんとした人間が一人。闇に溶け込むような、黒の装束に身を包んでいた!


「これは驚いた。気配は伏せていたはずなのですが」


 闇から、声が返って来る。心底からの、驚きの声だった。


「否。危うかった。戦神のお導きがなくば、むざむざと嬢を殺させてしまうところだった」

「そうですか。ですが、やることは変わりませぬ。死になさい」


 言うか否や。黒装束が、闇へと溶ける。隠形の術か、体術か。いずれにせよ、刺客である! ガノンは目をつむり、気を張った。わずかでも、違和が起これば。


「シッ」

「ぬんっ!」


 勝負は、寸毫の差であった。黒装束の放った、ほんのかすかな声。それを頼りにガノンは短剣をかわし、己が剣を突き込んだ。荒野に落ちるは、一筋の血。黒から滴る、朱色だった。その発端は、ガノンの正面。一歩にも、満たない距離。黒の腹部に、剣が刺さっていた。


「そん、な」

「隠形、見事。技量も、見事。されど、おれに戦神の導きがあった。それだけだ」

「ぐふっ……」


 黒装束が、腰を落とす。ガノンはそこに向けて、名を問うた。


「戦神に捧ぐ前に、名を聞こう」

「私は黒。ただの黒。それ以外の名は、すべて捨てました」

「そうか」


 ガノンが、剣を引き抜く。黒装束は口から血を零し、前のめりに倒れた。絶命である。


「……」


 それを見ている、視線があった。乙女――マルティアのものだった。彼女はすべてを見ると、一言だけ漏らした。


「勝ったの、ですね」

「ああ、勝った。起こしてしまった以上、先へ進むぞ。後始末の間に、支度を済ませろ」

「……はい」


 乙女は、周囲を見る。三つの骸を見る心境は、いかばかりか。さりとて乙女は。


「これが、応報の道なのですね」

「そういうことになる。後悔は」

「ありません」


 夜闇に決意の光を宿し、今だ遠き旅路を見据えていた。


 ***


 一方。廃墟にしつらえられた敵陣中では、一騒動が起きていた。


「一体全体どうする気なのだ!? 余が引き入れた腕利きも、汝が放った黒とやらも! 一人として帰って来ぬではないか! 余は無策にて討たれるは御免被るぞ! 側周りをまとめて、帰らせてもらう! 否、そうしようとした! それを何故に、このような!」


 天幕の中央、声を荒げるは髭も見事な非道領主。されど、現況はあまりに情けない。配下ともども縄で縛られ、座らされていたのだ。


「言ったろう? 『今回の遊びが終わるまで、アンタにはここにいてもらう』って。勝手に帰るなら、アンタの首根っこを握らせて貰うとも」


 長い黒髪も艷やかな女首領が、領主を鼻で嘲笑う。彼らになにが起きたのか? それは簡単な話だ。領主一行が荷をまとめ、勝手に陣を引き払わんとしたのだ。しかしその行為はいともあっさりと見破られた。そして全員が縛り上げられ、現在に至る。悪逆非道を謳われた男も、こうなっては形無しだった。


「くっ……百歩譲って、首根っこを握られるのは構わん! だが、我が手勢が殺されるのは聞いておらん! このままむざむざ殺されるのも、帳簿に合わない! 故に城に戻ろうとした! それの、なにが……」

「領主さんよ。アンタ、わかってないね」

「いっ!?」


 領主は、首元に冷たさを得た。女首領が、剣を押し当てていただのだ。


「アンタは、アタシにこの話を持ちかけた時点で、終わっていたのさ。やるならもう少し、脅しの手段を講じておくべきだったねえ。あるいは、カネを引っ張るか。まあ、カネの切れ目は縁の切れ目。遅かれ早かれ、こうなっていたのかもしれないね」

「ぐ、ぐぬ……!」

「オイオイ。これでも俺たちの『元』雇い主だ。あまり邪険にしないでやってくれねえか? ホレ、今にも小便を垂れ流しちまいそうだ」


 声を震わせる領主に、助け船が入る。否、これは助け船と言って良いのだろうか? 割って入った男の声は、あからさまに領主を侮蔑していた。しかも女首領と交わす視線が、妙に柔らかい。これは、まさか。


「お、おい! バザルァ、貴様まさか……」

「そのまさかよ、領主様。こっちの女に付いた方が、今後の実入りが大きそうなんでね。ヨロシクやらせてもらうことにした」


 バザルァと呼ばれた髭面の男が、ケラケラと笑う。この男、領主が引き入れた五人の腕利きの中でも、一等腕の立つ者であった。ただしその腕に比例して悪辣さも凄まじく、また機を見るに敏な者でもあった。要は領主が不利をかこった時点で、この男は女首領と手を組んでいたのだ。これでは仁も礼もへったくれもない。否。これこそが荒野の掟。時局を読めぬ者は、滅びるのみなのだ。


「く、く……」

「まあ、俺の顔に免じて生かしてやるから。二度と余計なことを考えるんじゃねえぞ?」


 バザルァが、領主の肩を気安く叩く。もはや威厳など皆無。領主は完全に、傀儡へと成り下がっていた。もはや反論の一つさえも叶わず、うなだれるのみ。バザルァはその姿をよそに。


「ところで、例の娘はどうする。この様子だと、伝令を待つまでもなくこの村に帰って来るぞ」

「アンタを除いて、打てる手は打っちまった。あとはここで迎え撃つ。それだけさね」

「逃げねえんだな」

「逃げないね。ソイツをやっちまったら、『遊び』の約定違反だ。悪党の振る舞いじゃない」


 女が、口の端を吊り上げる。バザルァはその姿に莞爾と笑った。


「ハッハッハ。コイツは面白い。どうやら、一本芯の通った悪党様のようだ。やっぱりオメエ、匪賊にしておくにはもったいねえよ」

「褒め言葉と、受け取っておくよ。さぁて。どんな男を、あの乙女は誑し込んだやら。この目でしかと、拝んでやろうじゃないか」

「ガッハッハ! それはいい! そののち、嬲り殺すとしてやろうか!」


 おお、おお。悪党どもが、皮算用の高笑い。されどこ奴らはまだ知らぬ。乙女が戦神の【使徒】を引き当てたことなど、露知らぬ。悪党よ、刮目せよ。汝らに訪れるのは、死の結末のみ。そして……


「無惨な……」


 二日目の夕刻にして、遂に死をもたらす男は到着した。ダブ馬と乙女を引き連れ、廃墟となった村を睨む。乙女もまた村を見、ひっそりと涙した。ここで報仇を果たしたとしても、もはや村は元に戻らない。なにもかもが失われてしまった。その事実を目の当たりにし、実感したのだ。しかし、感傷はそこまでだった。蛮声と武装の高鳴り音が、押っ取り刀で二人の前へと訪れたのだ。


「おー! オレたちに犯されに戻って来たか!」

「グヘヘ……よっぽどオレたちのが良かったんだなぁ?」

「またヤッてやるとするか!」

「ハッハッハッハ!」


 おお、おお。匪賊どもが下衆な声を響かせる。報仇の乙女は顔を背け、嫌悪をあらわにした。ガノンがそこに、割って入る。容貌魁偉の身体が、乙女の姿を覆い隠した!


「おー? こりゃ随分とデカブツだなあ?」

「デカブツだけに、アッチもオレたちを忘れるほど、ってか?」

「ハハハ! 冗談がウメえなあ、おまえはよ!」

「忘れたってんなら、囲んで叩いて思い出させるだけよ!」


 匪賊が皆、高笑う。しかしガノンは、ただ静かに剣を抜き。一言。


「……それだけか」

「あ?」

「それだけかと、言っている」


 低く、押し殺した声。されど、匪賊は。


「そうさなあ。もっと言ってやることはできるぜえ?」

「そうそう。いかにデカブツのアンタとはいえ、オレたちは百人からの仲間がいるんだ」

「皆で囲んで押し潰し、あっちの女は慰み者にする。それでおしまいよ」

「ハッハッハッハッハ! ……ハッ!?」


 散々に言ってのけたあとの、最後の高笑い。しかしそれは、直後驚愕へと変わった。ガノンが踏み込み、横薙ぎ一閃。それだけで、数人の身体が裂かれ、吹っ飛んだのだ。なんたる一撃、なんたる威力。これが、戦神の【使徒】たる顕現なのか?


「ち、ちくしょう! やっちまえ!」

「おおう!」


 直情径行たる賊徒が動く。数でもって押し潰さんと、ガノンへ真っ直ぐに襲い掛かる。しかしガノンは、冷静だった。冷徹だった!


「フン」


 先頭の数人めがけて、空振りめいた横薙ぎを一つ。されどそいつは、いとも容易く腹を割いた。瞬時に踏み込み、瞬時に斬る。敵手には、なにが起こったかさえわからぬであろう。それほどの隔絶たる差が、両者の間に存在した。


「ぬん!」


 ガノンは踏み込む。容貌魁偉がほのかに光り、ガノンに力が宿っていく。敵手を上回る速度で四肢を振るい、百人からと称した敵勢を次々にねじ伏せていく。ガノンが暴れる度に人が吹き飛び、人が膝を付く。あまりにも、無惨な光景。されどこれは、報復である。報仇である! 哀れな村長を、村人を露に変えた無法の輩に、掛ける慈悲など微塵もなし! 故にガノンは、徹頭徹尾無慈悲であった!


「お助け!」

「無理だ! 勝てっこねえ!」


 やがて、ガノンの暴力旋風から逃げ出す者が現れた。弱者を打ちのめす狂気から解き放たれ、己が弱者であるという現実を悟った者どもである。しかし彼らには。


 ドスドスドスッ!


 その眉間へと、矢が突き刺さる。寸分過つことなく、ただの一矢でもって絶命へと追い込まれていた。その主は!


「壁にもなれず、逃げ出すような腰抜け。私の配下には、必要ないね」


 おお、見よ。黒髪も艷やか。鎧兜ではなく、艶めかしげな装いに身を包んだ女首領が、弓を構えているではないか。そして、その傍らには!


「なるほど。あの輝ける赤銅、噂には聞いたことがある。【匪賊殺しのガノン】じゃねえか」


 双剣を携える、髭面の男。すなわちバザルァ! さらにその膝下には!


「たひゅ、たひゅけ、て……」


 縛られ、引きずられ、縄でバザルァと繋がれた非道領主! ここに三悪、報仇の対象が揃い踏みである!


「どきな!」


 暴虐の場へ、一喝が響く。海割りめいて割れた手下どもの間を、三悪はカツカツと進み行く。否、一人は地面に引きずられているが。


「よく帰って来たねえ。褒美に、報仇の権利をくれてやろう」

「……」


 馬から降りたマルティアが、女首領と対面する。その身体は、かすかに震えていた。されど、目には憎しみの光。それを一瞥したあと、女首領はガノンへと目を向けた。無論、見上げる形になる。


「で。コイツがアンタの刃と。大きいねえ。いろいろと、大きそうだ」

「……」


 ガノンの肉体に、舌なめずりさえする女首領。されどガノンは、黄金色の瞳を不機嫌にけぶらせるのみだった。


「無反応は、堪えるね。まあいい。【匪賊殺しのガノン】とやら。相手は私ら二人だ。私は弓で、そこのバザルァは双剣でアンタと戦う。アンタが負ければ、そこの乙女は永久に慰み者だね。いいかい?」

「構わん。戦神に捧げる価値も無き者よ。ただ滅びるがいい」


 ガノンから、再び押し殺した声。そして、乙女を護るように、腰を落とした。その時、戦の開闢を告げる一矢が放たれた! それは、超至近距離からの、やじり


「シッ!」

「むうっ!」


 ガノンは、完全に思惑を外されていた。げに狡猾なる女首領が、下手投げにて矢を投げ放ったのだ。貫通力はともかくとしても、かすれば相応に害をもたらす襲撃。されど、ガノンは。


「ちいっ!」


 ためらいなく飛び退き、鏃から距離を取る。その動き一つで、己が身を守ることには成功した。しかし。ああ、しかし!


「見事。だけど乙女がガラ空きだよ!」

「そういうこった!」


 ああ、なんたること。ガノンが退いたがために、乙女が無防備となった。そこに間合いを詰めるはバザルァ! このままマルティアは、むざむざ悪党の手に落ちるのか?


「ぬんっ!」

「おっとぉ!」

「きゃっ!」


 だがガノンは、その思惑へ向けて剣を投げ込んだ。すんでのところで乙女は逃れ、双剣使いは身をよじって回避。再び乙女が、ガノンの背後へと舞い戻る。しかしガノンは、無手と化した。戦うための道具が、己の四肢だけとなってしまった。


「さあ大変だ。大事な得物を、投げちまったねえ」

「おいおい。俺の得物を貸してやろうかぁ? ま、使いこなせるとは思えんがな」


 その姿を、悪党二人が嘲笑う。されどガノンは、鼻を鳴らすのみ。この態度には二人も、少々訝しんだ。


「なにがおかしい」

「おまえたちなどに得物は要らぬ。この四肢でもって、くびるのみ」


 直後、咆哮もなくガノンが飛び掛かった。狙いは定めていない。とにかく襲い掛かった。

 悪党二人は、定石を選んだ。すなわち男が防御に当たり、女が視界を維持したままに下がっていった。必然、無手にて剣を受ける形になる。が。


「懐、取った」

「ぐぬう!」


 戦神の加護を受けしガノンが、わずかに速い。双剣には近過ぎる間合いへと潜り込んだのち、直ちに土手っ腹めがけて拳を放った。


「ぶごぉ!」


 豚めいた声を上げ、バザルァが顔を歪める。ガノンはその隙にバザルァの脇をすり抜け、落ちたる剣へと向かった。そこへは行かせまいと、女首領の矢が飛び来たる。ガノンはかわし、腕でもって鏃以外を叩き、跳ね除ける。たちまちの内に、間合いが詰まった!


「くっ!」

「今ここでおまえを殴るのもいいが……それはしない」


 顔を歪める女首領を尻目に、ガノンはまず剣を取った。続けて己に強いて足を踏み込み、無理矢理半分に後退へと進路を切り替える。下手に間合いを詰めれば、また乙女が無防備となる。千載一遇の好機といえど、調子に乗るのは禁物だった。


「アンタの選択、間違いに変えてやるよ!」


 女首領の弓矢が、ガノンを襲う。狙いは定めておらず、速さを重視した攻撃だった。必然、ガノンは冷静なままに距離を取る。されど、バザルァを討つことは叶わなかった。


「げほっ! やってくれたなぁ……!」


 かくて、反吐を吐きつつバザルァは起き上がった。女首領を手で制し、ガノンへと向かった。ガノンも乙女を護り、剣を構える。両者の視線が、入り交じった。


一対一サシの勝負だ。あの女は黙らせる。俺の矜持に賭けても、このまま終わるわけにはいかん」

「構わん。構わんが、騙し討ちの類は戦神にもとる。その場合は」

「知ったことか……と言いたいが、オメエの流儀じゃあそうなるか。良いだろう。おい」

「しょうがないねぇ。これだから男って奴は」

「オメエがいい女で、助かるぜ」


 肩をすくめた女首領が、距離を取る。つられてだろうか、乙女マルティアもガノンから距離を取った。そして生まれるは、男二人の圧縮的戦闘空間。


「やろうか」

「やろう」


 両者がともに、口角を上げる。ガノンの身体が、ほのかに輝く。バザルァの双剣が、にわかに輝きを放った。


「そう簡単に負けてたら、男が廃るんだぁよっ!」


 見よ! バザルァが稲妻の如き疾さで双剣を振り落とす! その矛先は、ガノンの肩! これにはガノンも、直ちに下がって間合いを取る! 両者の距離、五歩から七歩。しかし、されど。


「同意はする。だが負けてやる気はない」


 ガノンは即座に、攻め手を発した。ジグザグに踏み込み、双剣を再度振り上げるまでの間を狙う。無論、これ自体も高度な襲撃。速さがなくば、成し遂げられぬ。双剣は連撃性を重視し、一般的な剣よりは軽く、短く造られている。故に、なおさら速さが必要だった。とはいえ、ガノンはさしたる者で。


「ふんっ!」

「これでも喰らえ!」

「チイイイッ!」


 瞬く間に踏み込んだガノンが、胴を狙って横薙ぎを飛ばす。だが、バザルァは双剣の一本をもって打ち落とした。打たれたガノンの剣が大きく下がり、明らかな隙が生まれる。すわ、絶体絶命か?


「もらった!」

「まだだ!」


 ああ、見よ! ガノンは薙ぎの勢いを殺さぬまま、バザルァの前で一回旋を決めた! そのまま巧みに距離を取り、バザルァの片剣を空振りにせしめる。ここで両者は、軽く息をついた。なんたる応酬。なんたる高速戦闘。見守る乙女と女首領も、気付かぬままに頬に汗。いつしか気運を、戦いの場へと持って行かれていた。


「こぉおお……」

「かぁああ……」


 両者が深く、呼吸を交わす。一度ひとたび間違えれば、それだけで戦の趨勢を持って行かれかねない。恐るべき緊張が、場を支配していた。じり、じりり。互いに小さく、刻むように足を動かし、間合いを、攻撃の機を図る。空気の密度が濃さを増し、互いの顔に汗が生まれる。剣を振るわぬ争いは、永遠にも似て長きに渡り……


 ひゅううう……


 その時。荒れ果てた廃墟に、荒涼たる風が吹いた。砂塵が巻き起こり、両者の身体を、顔を引っ叩く。瞬間、バザルァが僅かに顔をしかめた!


「っ!」


 ほんのかすかな隙である。しかしガノンは、戦神の寵愛を受けたる男は、一切を見逃さなかった。彼から見て、右側の目。一瞬だけ閉じられたその死角から、大きく踏み込み、鋭い突き!


「チイイイッ!」


 されどバザルァとて腕利きの戦士である。輝ける双剣でもって、裂帛の突きをなんとか逸らした。されどその動きで、身体に大きな隙。そこを襲うは――


「ぐえっ!?」


 ガノンの足。剣を逸らしてガラ空きになった腰に、ガノンの即断たる左足が突き刺さった。逸らされた瞬間に剣を引き、瞬く間に身体を捻って中段の蹴り。げに恐るべき判断力。げに恐るべき身体操作。


「っぐ!」


 蹴りを思い切り喰らったバザルァが、たたらを踏む。すでに身体は、平衡を失っていた。なんとか態勢を整えんと、敵手を見る。そこにあった光景は。


「さらばだ」


 すっかり構えを整えていたガノンによる、上段からの唐竹割りだった。


 ***


 一人を唐竹にて斬り捨てたガノンに残されたのは、残り二人の処遇であった。女首領の手下どもは? 彼らはすでに漏らすか、逃げ出すかをしていた。わずかに残った無事なる者にも、すでに戦意は残されていない。ガノンは無人の野を行くが如く、女首領へと迫っていった。


「取引……とはいかないようだねえ」

「無論だ」


 いと狡猾な女首領はされど、同時に自身の敗北をも確信していた。まずもって、腕っ節では絶対に敵わない。さりとて知恵を振るおうにも、もはや使える手駒がほぼほぼない。そして今、そのための提案さえも撥ね付けられた。


「あ、ああ……おたしゅけ……」


 そんな女首領に残された手段が、こちらである。かつて、非道領主だった『もの』。今や縛られ、涙し、命乞いを繰り返すだけの生き物に堕したもの。ただし、女首領は理解していた。『これ』をガノンに差し出したところで、己の生命は保証されない。その奥に立つ乙女。その強い憎しみの視線が、己を向いていた。

 女はしばし、逡巡した。思考に耽った。しかし、ややあってから弓を置き、携えていた矢も捨てた。抵抗の意志を、捨てたのだ。ガノンを見据えたままに、彼女は口を開いた。


「参ったよ。せめて、最期の願いだけは聞いとくれ」

「なんだ」

「死ぬなら、強い男に抱かれて死にたい。そう。アンタに絞め殺されたいのさ」

「……。また奇矯な趣味だな。だが、叶えてはやれん」

「なぜだい?」


 半ば答えを知っていながら、女首領は訊ねた。せめてもの、時間稼ぎである。浅ましいことは、彼女もわかっていた。さりとて、このまま終わるわけにも行かなかった。最後に残された、些少の意地。この間に、切り抜ける策が浮かべば――


「こうするからだ」

「!?」


 おお、なんたること。いつの間に身をねじ込んでいたというのか。気付いた時には、彼女はガノンの羽交い締めを受けていた。しかも、軽く宙に浮かされていた。


「な、なにをするんだい!?」

「抱擁の真似ごとをされるだけでも、ありがたく思え」


 ガノンの低く押し殺した声が、耳元近くに響く。それは常であれば、彼女の好色を満たし得るものであっただろう。されどこの危地にあっては、そんなものなど吹き飛んでしまう。女首領は、必死に足を蠢かせた。ジタバタと動く、悪足掻きの足。その先に。


「今こそ、ですね……」


 決意を固めた、乙女がいた。その手には、どこで手に入れたのか、短いナイフが握られている。先の交渉時に、ガノンが買い付けていたのだろうか?


「……チッ。どうやらアタシも、租税の納め時のようだねえ」

「その通りだ」


 ガノンが諸手で、女首領の口を塞いだ。もはや彼女に、抗う術はない。白刃を握り締めたマルティアが、そのはらわたをめがけて、襲い掛かる。


「皆の仇ッッッ!!!」

「ふぐうううっ!」


 深々と突き立て、そして抜く。それだけの行為で、女首領の衣服は朱色あけいろに染まった。ガノンが拘束を解くと、その身体はいとも容易く崩れ落ちる。狡猾にして残忍なる女首領は、ここにその命運も尽き果てた。


「はあ……はあっ……!」


 興奮と動揺に、震えを隠せぬマルティア。ガノンは大いなる手でその肩を叩き、地面近くを指し示した。そこには、もう一人の仇敵。


「あ、ああ……! ひゅまなきゃっひゃすまなかった……たしゅ、け、て……」


 うわ言めいて命乞いを繰り返す、かつての非道領主。しかしその目に正気はない。己の上を行く非道に蹂躙され、尊厳を壊され、なにもかもを失ってしまった。その結果が、今の哀れなる姿である。見下す目つきのまま、ガノンが口を開いた。


「戦いの矜持を捨てた、戦神にもとる惰弱の男だ。どうする」

「……本来であれば、仇敵として殺すところです。ですが」


 仇敵に目を向けたまま、マルティアが答弁する。『殺す』の言葉で、非道領主は一瞬顔を引き攣らせた。どうやら、死への恐怖は残っているらしい。その姿を見届けつつ、マルティアはたおやかな笑顔で。


「領主様。『遊び』を致しましょう」

「ひっ!?」


 屈んで領主に目線を合わせ、言い放つ。その意味を、なんとなくでも悟ったのだろう。領主の顔は、ことさらに引き攣った。


「あなたは、解放されます。しかしそれ以上の情けはありません。城に戻りたくば、自分の足でお戻りください。それができるかどうかの、『遊び』です」

「いぎーっ!?」


 聞かされた領主は、目ん玉が飛び出んばかりに目を見張った。彼が犯した醜態は、すでに枚挙に暇がない。この上生き恥のまま居城に戻るなど、とても許される失態ではなかった。


「ああ、別に道中で自裁なさっても結構ですよ? わたくしは責めません。ですが、そのための道具も。あなたがご自分で手に入れてください」

「あ……あ……」


 領主の双眸から、大粒の涙が落ちる。彼は、悟ったのだ。死よりも厳しい裁決を、無慈悲に下されたのだと。彼は必死に、首を横に振る。だが、ガノンの剣により、無情にも身体は解き放たれた。


「行け」


 なおも震えたままの領主に、ガノンが冷たく言い放った。二人の視線が絡み合う。僅かな無言ののち。


「ひ、ひいいいっ!!!」


 最初は這いずるように。やがて四肢の自由を確認したのか、立ち上がって。一目散に村から立ち去っていった。ガノンたちは、その姿が見えなくなるまで見送って。


「……まあ、戻れはしないだろうな」

「わたくしも、そう思います。そもそも戻ること自体が、生き恥でしょう」

「違いない」


 ガノンがそう言うと、二人は軽く笑い声を上げた。乙女にとっては、久方ぶりの笑い。ひとしきり、カラカラと笑って。


「で、おまえはどうする」


 ガノンが常の顔に戻り、乙女に尋ねた。乙女もまた、ガノンを真っ直ぐに見、告げた。


「わたくしの手は、報仇によって血に塗れました。身寄りもありません。よって、どこかの聖堂にて懺悔し、そのまま出家しようかと」

「……そうか。ならば、近くの街まで送るとしよう」

「えっ……」

「構わん。行き掛かりの娘に死なれて精神が保てるほど、おれの心は無慈悲でも、頑健でもない」

「は、はあ……」


 戸惑う乙女を、ガノンは馬に乗れと促した。木に繋がれていたダブ馬に、彼女が跨る。ガノンは手綱を器用に解き、言った。


「行くぞ」

「参りましょう」


 こうして乙女と、その刃たる男は報仇を果たし、地平の彼方へと消えて行った。


 なお。非道なる領主の行方は、その後杳として知れなかった。行き倒れたか。匪賊に狩られたか。あるいは自裁を果たせたか。ともあれ、罪に相応の死に方を遂げたのであろう。そう信じて、この話を締め括るものとする。


 報仇の乙女・完

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