蒼き槍兵紅き蛮人

 強大なるガノンガノン・ザ・ギガンテス戦神せんじんの寵愛を受け、戦士として、指揮官として勇名を記した。そして南方蛮人の生まれでありながら、中原の王として時代に名を馳せるまでに至る。

 彼の築いた王国は、ほぼ一代のみの国でありながら壮健を誇り、黒河から白江に至るまでのあらゆる民を尽く、その威光によってひれ伏させた。

 しかしながら彼の道は、決して平坦なものではなかった。幾多の挫折、敗北。出会いと別れ。そういったものが、彼の人生を彩り、更なる魅力を与えている。

 これは、それらの中でも、彼の人生に一等影を落としたとされる男との出会いの物語である。


 ***


 荒野に満ちていたのは、血とうめき声だった。いずれも致命傷、あるいは手足を斬り飛ばされ、不具になった者どもの介錯を求める声である。

 その中にあって、一人健在な者がいた。髪は赤。蛇の如くうねり、肩より下まで伸びている。体躯は大きい。否。おおきいと言うべきだろう。おおよその人間より頭半分ほどは飛び出した高さに加え、全身に筋肉の鎧をまとっていた。並の者が出くわせば、初見にして圧倒されることだろう。そして、体躯が見て取れることからもわかるように、その者は上半身を荒涼たる風に晒していた。その姿から分かる通り、中原の民から見れば『蛮人』に類される男であった。陽に良く灼けた赤銅色の肌。多数を屠ってなお、不機嫌にけぶる黄金色の瞳。右手に提げた、手頃な剣。剣からは血が滴り、この鏖殺からさして時が経っていないことを示していた。


「…………」


 そんな男の後方百歩の距離に、息を潜める者がいた。髪は湖めいた青。短く刈り込まれ、切り揃えられている。背丈は中程度。鎧甲冑は相応に身に付けている。それだけ見れば、どこにでも居る傭兵の一人に見受けられた。

 だが、その男には二つの特徴があった。一つは、背丈よりも長い朱槍である。使い込まれた形跡がありながら、陽光を反射して輝いている。手入れが行き届いている証拠だ。そして今一つは、近付くとわかる。顔に刻まれている、意味、意匠不明の刺青いれずみだ。ただし、これについては見る者が見ればわかる。タラコザ傭兵が、己に刻む墨――敗北を経て、作り上げる絵――である。つまるところ、彼もその一人だった。


「強者」


 槍兵は小さく呟いた。彼の視界には、一人の男のみが入っていた。三十は下らぬ匪賊に襲われながら、たちまちの内に返り討ちに仕留めてみせた赤髪の蛮人。後始末か、あるいは敵勢の死を見届けているのか。まだ男はその場に残っている。名のある者かは不明だが、とにかく強者であることには相違ない。討ち取れば。


「名が上がる。名が上がれば、より良い契約が取れる。故郷へ送れる、金が増える。栄達だ」


 槍兵は、少しずつ足を早めた。彼らタラコザ傭兵の人生は壮絶だ。十五、六にして故郷を旅立ち、荒野を巡る。傭兵となる。一廉のつわものとして名を成す者もいれば、道半ばにして荒野に果てる者もいる。戦において不具となり、故郷へ帰らざるを得なくなった者も多い。彼は未だ、そのどれでもない。己の価値を高め、故郷を富ませる。その一念のみで、動いていた。つまるところ、若く、意気盛んな傭兵だった。


「悪いが、俺の栄達。その糧となってもらうぜ」


 口の中でつぶやき、槍兵はさらに速度を上げた。あともう少しで、必殺の間合い。気配は故郷で習い得た歩法で巧みに消しており、すべては完璧だった。あとは、槍を急所に打ち込むだけ。そのはずだった。しかし!


「む」


 寸前。赤銅色の男が動いた! なにをもって攻撃に感付いたのか、迷うことなく蒼き槍兵へと顔を向けたのだ! なんたる察知力! なんたる判断!


「っ!」


 必然、槍兵は止まらざるを得なかった。直後、蛮人が地を蹴る。剣をかざす。槍兵はそれを受け止めようとはせず、回り下がる形で逃げを打つ。結局蛮人の剣は空を切り、両者に再び、間合いが生まれた。


「何奴」


 先に口火を切ったのは、赤髪の蛮人だった。


「名乗りを聞きたいのなら、先に名乗れ。礼法だぞ」


 しかし青髪の槍兵も退く気はない。先に名乗れと、紅を責めた。たちまちの内、両者は睨み合う。しばしの時をおいて、先手を取ったのは蒼だった。


「俺はタラコザのサザン。傭兵だ。アンタを強者と見込み、首を頂きに来た」


 槍の穂先を下げ、右半身はんみに構え、攻撃態勢。これを見て、紅き男も構えを取った。腰を落とし、右手に構えた剣を引く。攻防両面において、どのようにも動ける態勢だ。


「ラーカンツのガノン。おまえたちが【蛮族】と呼ぶ類の人間だ。そう簡単に、首はやらんぞ」

「ガノン。なるほど、たしかに強者。その首、もらった!」


 次の瞬間、弾けるように蒼が動いた。爆発的な加速は、常人にはその場から消えたようにすら見えるほどだった。惚れ惚れするほどの、直線的な動き。続けて、彼の槍が舞う。突き。斬り上げ。振り下ろし。右薙ぎ。左薙ぎ。石突による突き。流れるように。踊るように。必殺の一撃が放たれ続けた。


「やらんと言っている」


 しかし紅も、言うだけはあった。必殺の一撃、その群れを。受け止め、かわし、受け流す。それも最小限の動きで、大きく退くこともなく。見ればその身体は、ほのかに輝いていた。なんらかの神による【加護】が、紅に力を与えていた。


「チイイイッ!」


 蒼が吠え、さらに速度を上げる。もはや並の眼力では捉えることも適わぬ速さだった。槍の穂先が、分け身しているかのようにさえも見える。しかもその一撃一撃が必殺の勢い。サザンなる槍兵が、並の者ではないことの証左だった。


「ぬううっ!」


 だが紅は、揺らがなかった。戦いを尊ぶ性質を持つラーカンツの男は、そのすべてをも受け流す。かわす。受け止める。そんな攻防を繰り返した果て。遂に。


「オオオッ!」

「ぐぬっ!?」


 紅が踏み込み、蒼が受け止める。瞬間の。ほんの僅かな隙に、紅が踏み込んだのだ。蒼は一瞬慌てた形になったが、それでもしっかと紅の剣戟を受け止めた。双方ともに、なんたる胆力。なんたる腕前。しかし紅は、蒼の腹をめがけて、脚を繰り出し。


「ふんっ!」

「チィッ!」


 蹴りによる間合いの創出を、されど蒼は身体を捩って受け流した。そのまま素早く下がり、間合いを測る。とはいえ、その程度で止まるほど紅は脆くない。凄まじい踏み込みで、己の間合いへと入り込む。


「シャアアアッッッ!」

「オオオッ!」


 蛮声が交錯し、剣が槍を責め立てる。突く。薙ぐ。斬る。凄まじい手数の攻撃が、たちまちの内に蒼を襲った。だが蒼とて強者を志す者である。そのすべてに対し、冷静に対処していた。かわす。かわす。かわす。げに凄まじき眼力。げに凄まじき体さばき。このままでは古文書に残る【千日攻防】――互いに攻め手を欠き、膠着した状態――に至ってしまう。見る者が見れば、そう思っても仕方がない様相になっていた。


 されど。


「その戦、しばし待たれよ!」


 突如として、割って入る声があった。両者が、声の方角を睨む。そこには、何処いずこの国のものかと思しき、豪壮な行列があった。王か? それとも。王に近い、高位の貴族のものか? 仔細はわからぬが、戦いは止まった。呼び止めた男が、急ぎ足で二人の間へと入り込む。いかにも文官という風体の、小柄の壮年だった。壮年は二、三度咳き込むと、再び声を張り上げた。


「我が主人に、お二人に頼みたき仕儀があり! どうか、どうか戦を止め、我らが列にご同行を願いたい!」

「……」

「……」


 二人は思わず、顔を見合わせる。そこにあったのは、互いに困惑した顔だった。


 ***


 翌朝。荒野を奇妙な一党パーティーが歩いていた。


「さて。やるとは決めたが、どうなるこったね」


 一人は青髪も鮮やかな朱槍の戦士、サザン。


「やると決めたからには、やるしかなかろう。昨日の敵が今日の同行。それもまた、傭兵の日々だろう」


 もう一人は、赤髪の蛮人。戦神の加護もあらたかな男、ガノン。


「わたくしのために、申し訳ありません……」


 そして今一人は、荒野に一等不似合いな存在だった。地味な装束に身を包み、砂塵に痛め付けられぬよう頭巾で髪を覆いながらも。その気品だけは隠し通せぬ、たおやかな娘。ガノンとサザンがこの状況に至った原因であり、護り抜かねばならぬ相手でもあった。


「おまえが謝る必要はない」


 縮こまる姫君に、ガノンが常の通りに傲岸な言葉を放つ。するとサザンも、それに続いた。


「それはそうだ。俺たち傭兵ってのは、使い捨てられてナンボな連中だ。お嬢の父君は、まったく間違っちゃいない。それに……」

「おれたちも、おまえの気概に乗ったところがある。顔を伏せるな、前を向け」

「は、はい!」


 娘が顔を上げ、足取りを早める。その姿に、男二人は胸を撫で下ろした。彼らによぎるのは、この奇妙な一党パーティーが生まれるきっかけとなった、昨晩のやり取りだった。


 ***


「貴君らの腕を見込んで、お願いがございます。娘の護衛を、頼みたいのです」

「……」


 戦半ばで行列からの使いに望まれ、結局は同行した二人。彼らを待ち受けていたのは、想定通りに高位――さくりと言えば、侯爵だ――の貴族であった。歓待され、屋敷の中までとは行かなくとも、相応の場での席が設けられる。この時点で、二人の意見は一致していた。


『相応に、厄介事と見ていいだろうな』

『たいてい蛮人には行わぬ、破格の厚遇。間違いなくそうだろう』


 はたして、二人の予想は当たらずとも遠からずだった。人払いの上に、紋様を利用した防諜までが成された場で、貴族は二人に頭を下げる。傭兵や漂泊に対しては、あり得ぬほどの振る舞い。それだけで、この貴族の置かれた立場が窺えた。


「貴君らでなくば、任せられぬことなのです。報酬は言い値で構いません。是非にもお願いしたく」

「話せる限りでいい。事情を聞きたい。いかに傭兵といえども、厄介が過ぎれば手を引く権利はあるぞ」


 恭しい物言いに対して、サザンが口を開く。ガノンは敢えて、見に徹した。サザンは傭兵を名乗った。恐らくは、実際にその稼業も行っている。対して己は。あくまで漂泊の稼ぎとして、些細な依頼を請け負う程度だ。この手の駆け引きならば、任せたほうが良い。そう値踏みした。


「実は……」


 そう言って、貴族は語り始めた。


「娘には、長年想いを通わせ続けた許嫁が居るのです」

「いいねえ。そういうのは、嫌いじゃない」


 サザンが、気安い態度で相槌を挟む。従来であれば嫌われる態度であるが、両者に主従関係は未だ発生していない。つまるところ、けして誤りではない態度だった。

 事実、傭兵の世界ではこういう言葉もある。『あまりに頭を下げるな。金目が下がる』。彼らが、過度におもねらない理由の一つであった。過剰にへりくだると、安く買い叩かれる。腕を見くびられて契約にならない。そういった不利益を、避けるための知恵である。


「……こほん。で。この度、娘と許嫁の婚姻が無事に整いまして。いよいよ先方の元へと向かう次第と相成りました」

「めでたいじゃないか。どうして俺たちが必要なんだ? 行列作って、盛大に向かえばいいじゃないか」


 サザンが、疑問を口にした。これにはガノンも、同じ心持ちだった。勢力の拡大を主眼とする貴族世界において、婚姻は慶事である。揚々と意気を示し、家格を誇示しなければならない。婚姻相手の家にも、参列した貴族たちにも。示せるものがなければ、見くびられてしまうからだ。


「それが……思わぬところから横槍が入ってしまいまして」


 貴族は、声を落とした。心なしか、幾分か表情も暗い。防諜までもが執り行われているにもかかわらず、男の声は小さかった。まるで、なにかを警戒するかのように。


「実は。我が国の大公家、その跡取り様から。娘への求婚……横恋慕が行われているのです」

「ほう!」


 これにはサザンも、驚きの顔を見せた。大公家といえば、大抵の場合は国王の親族にあたる家柄である。その跡取りからの求婚ともなれば、家にとってはまさに慶事。喜ばしいことではないか。なにをもって、声を潜めているのか。


「我が国の恥故、他言無用に願いたいのですが……。実はその跡取り様におかれては、かねてより不行跡の噂が甚だしく……。時期も時期ですから、丁重にお断りした次第なのです」

「……」


 サザンが押し黙り、ガノンも渋面を作る。才人ならばともかく、放蕩息子とあっては。いかに大公家からの縁談といえども、長年の思慕の方を遂げさせたくなる。そのくらいの親心は、子を持たぬ二人にも理解できた。とはいえ。


「しかし、それで引っ込んでくれるなら、最初から求婚なぞ」

「ええ、ええ。仰る通りでございます。大公家は、当家と相手方に不和を起こそうと目論みました。当家をあからさまに厚遇し、相手方を不当に貶めたのです。これには我々も辟易しました。相手方からも、密かに婚約破棄の打診が来たほどです」


 ガノンは閉口した。ラーカンツでも氏族同士の婚姻という事例は聞かないでもない。されど。己の求婚が通らぬからと、あからさまな妨害工作を行った話はついぞ聞いたことがない。あまりに揉めるのであれば、戦いの場において戦神に問う。それがラーカンツでの流儀だった。なんたる浅ましさか。


「だが、それでも婚姻をやるということは」

「相手方のお子――つまり娘の許嫁が猛烈に抵抗いたしまして。勘当覚悟で婚姻を強行すると」

「ほう! 良い胆力じゃねえか!」


 サザンが喝采の声を上げる。貴族の世界においては賛否両論どころか、否定意見ばかりが湧くであろう展開。しかしサザンは傭兵である。そんな思惑なぞ、関係なかった。


「しからばと、私も娘に問いました。答えは……聞くまでもありませんでした」

「それで、覚悟を決めた」

「はい。ですが大公家の求婚を蹴っての婚姻です。表向きには、ほとぼりが覚めるまで未婚の扱いでしょう。あちらに向かうにしても、なんらかの妨害があるかもしれません」

「合点がいったぜ」


 サザンが、首を縦に振った。聞いてみれば、なるほどな話である。貴族、それも大物のそれになればなるほど、裏の世界との繋がりを確保している者も多い。大公家の旗を掲げずとも、裏から手を回して阻止に走る可能性は十分に窺えた。


「つまるところあれだ。旦那の家から、表立って護衛は出し辛い。行列を組んでの出立なんてもってのほか。ほとほと困ってたところに、ちょうど使い捨てにしやすそうな俺と、こっちの旦那が戦っていた。そうだろう?」

「ご賢察、見事にございます」


 貴族が、サザンに頭を下げた。露悪的な物言いをされたにもかかわらず、なんたる度量か。否。そうまでするほどに、娘の婚姻に関して思うところがあるのだろう。ガノンは、一息に酒――これも過分に上等なものだ――を飲み干した。本番は、この後である。


「お二方の腕前を見込んで、頼みがございます。どうか、どうかわが娘を。荒野を徒歩かちにて五日。伯爵家の領土まで送り届けて欲しいのです。先刻申した通り、報酬は言い値で構いません。前金代わりではありますが、この場における酒食も受け持ちましょう。どうか、どうか!」


 貴族が、深々と頭を下げる。このままにしておけば、床に頭を擦り付けかねぬほどの勢いだった。ガノンとサザンは、目を見合わせた。互いに、口角が上がる。


「どうする」

「悪くはないな。決着はお預け。構わんだろう?」

「やろうか」

「やろう」


 ククク。と、どちらからともなく笑いが漏れた。妙なことになったと、ガノンは思った。しかし稼ぎには勝てない。いかに戦いを尊ぶとはいえ、生命のやり取りはそうそう多くないほうが良い。これも運命神の悪戯か。ガノンは、もう一度酒を飲み干した。


「かたじけない! 報酬は、お二人が帰還された折り、必ずに!」


 貴族が、改めて頭を下げる。こうしていかなるえにしか、ガノンとサザンは一人の女を護る旅路についたのだった。


 ***


 三人の旅路は、殊の外順調に進んでいた。幸いだったのは、姫君が旅慣れ、歩き慣れしていたことである。


「正直驚いたぜ。お嬢がここまで付いて来れるとはな」

「これでも幼い頃は野山を駆け巡っておりました。今も暇を見てわずかにではありますが、運動は欠かしておりませんので」


 二日目の夜。驚きを示すサザンに、姫君は笑う。焚き火に照らされたその顔はなるほど、横槍が入っても致し方なきような美貌であった。そんな彼女の口の端には、干し肉がぶら下がっていた。それを見て、ガノンが一言。


「食物に好悪を示さんのも助かる。おれたちの食事を食わせるのは、流石に気が引けたからな」

「父からは、なんでも食べるよう教育されておりました。飢饉、不作。他国の侵攻。それらの折り、わたくしどもが贅を尽くしていては民からの信を損なう。そう言って、時には民の食事などを」

「随分とできたお貴族様だな。ま、そのおかげで報酬の取りっぱぐれはなさそうだが」


 サザンが、干し肉を千切りながらぼやく。ガノンも、これにはうなずいた。彼ら傭兵が生きる上で如何ともし難いことの一つに、報酬の払い渋りや減額、理由をつけての不払いがある。そういう雇用先は総じて傭兵を下に見ていることが多く、繰り返されれば情報が共有されることもある。とはいえヴァレチモア大陸は広く、傭兵も多い。ましてや、それらは組織化されているわけでもない。故にその手の話題は、荒野ではよくあることの一つだった。


「……明日か、それとも明後日か」


 ここでガノンが、口を挟んだ。サザンも干し肉を飲み込み、それに応じた。


「そうだな。あまり向こうに近いと、コトの揉み消しに無理が出る。『荒野で野盗に襲われ、行方不明』。もしくは『あえないご最期』辺りが筋だろうよ。あとは大公家とやらと繋がる後ろ暗い連中が、どんだけの戦力を持っているかって話だ」

「……難しいところだな。一息に揉み潰しに来るか、強者をぶつけて来るか。初手に小手調べをぶつけて来るやもしれん。ともかく、備えは怠れん」

「だな。お嬢、俺たちから決して三歩以上離れるな。走り出したら、意地でも付いて来い」

「……はい」


 サザンの指示に、姫君が重くうなずく。ガノンがそこに、さらなる一手を添えた。


「仮に攫い手に襲われたらば、声を上げろ。だが無闇に抵抗はするな。抵抗されれば、向こうも手段が過激になる。最悪、大人しく連れ去られてしまえ」

「え……」


 これには姫君も目を丸くする。攫われれば問題になるというのに、報酬にも影響が出てしまうのに。抵抗するなとはこれ如何に。ましてや連れ去られたら。


「なに。俺たちが必ず見つけ出すってこったよ。ラーカンツの旦那が言ってることに、間違いはない。下手に暴れられる方が、向こうも困るんだ。なにせ、お嬢を殺すわけには行かないだろうからな」

「……あっ!」

「そういうこった。横恋慕をしてる跡取り様に、傷モノにならん形でお届けしたい。そう仰せつかってるはずだ。いや、確信を持って言っても良い。輩は絶対、そのための手段を取る」

「……気を付けます」


 姫君が、小さくうつむく。今更ながらに、色々と悟ったのだろう。だが、その目から光は消えていない。その事実だけが、傭兵二人を安堵させた。これで心が折れるようであれば、余計に先行きが怪しくなるからだ。


「さぁて。明日からは忙しくなる。早く寝るに限るぞ」

「わかりました」

「ならば、おれが見張りにつこう。三刻後」

「いいだろう」


 かくて三人は、それぞれに成すべきことへと移っていく。姫君は体力を回復させるべきだったし、男二人は夜襲に備える必要があった。いついかなる時でも、備えは欠かせない。荒野の旅には、危険がつきものであった。そしてきっかり六刻後、三人はまた歩み始めた。


 ***


 その違和感を最初に得たのは、蒼き傭兵だった。陽も中天高き頃、彼は突如、荒野の地面に耳をそばだてた。続けて。


「来なすった」


 短く告げる。瞬間、ガノンが姫を護る構えを取った。しかし。


「いんや、相手はなかなか多い。旦那が突っ込んだ方が、先手を取れる」


 サザンが姫の手を引き、護衛を交代する。その言葉一つで、ガノンは悟った。


「方角は」

「八刻。刻時機はわかるよな、旦那」

「ラーカンツを愚弄するな」


 ガノンが、口の中で戦神に祈る。するとその身体は、ボウとほのかに輝いた。


「これは」

「俺はやり合ったからわかる。こうなった旦那は強い」


 驚きの顔を見せる姫君に、サザンが言う。次の瞬間には、ガノンはすでに駆け出していた。そして。


「――っ!?」

「――――!?」


 ほんの少し経つ頃には、悲鳴じみた声が遠くより響き始めた。


「そぉら、始まった。お嬢、今の内に少し距離を取るぞ」

「は、はい」


 それを聞いたサザンが、姫君を抱き上げる。少しでも、戦場から遠く。少しでも、目的地へ近付く。その二つを兼ねた、戦略的な判断だ。無論彼は、ガノンの勝利を確信している。槍を交えたからこそ、彼にはわかるのだ。そして――


「はあっ!」

「んぐわっ!」


 それは真実となっていた。稲妻の如く敵勢へと襲い掛かったガノンは、見事に先手を取っていた。相手を小勢と侮っていた敵の、油断を突いた形である。


「オオオッ!」

「ぎゃあっ!」

「逃げろ! こんな奴が護衛だなんて、聞いていない!」


 最初の攻撃で馬を奪っていたガノンが、その身体能力で暴れ回る。時には馬の機動力で敵の首を薙いだかと思えば、時には馬上で舞い踊り、敵の攻撃をかわし、逆に討ち取る。その身体はほのかに輝き、敵からすればあまりにも早く、鋭い一撃が荒れ狂っていた。戦神の【使徒】たる男の、暴虐に晒されていた。


「退け、退けーッ!」

「もう指示なんて聞いてられん! 俺は降りる!」


 壊乱。ほんの数度の突進で、敵勢は瞬く間に散り散りとなった。飛び交う指示。逃げ惑う手勢。それすらも、今のガノンにはゆっくりと見える。戦神からの加護が、そうさせているのだ。


「ハアッ!」


 故に、ガノンは動いた。馬を駆り、逃げる面々に対して先回り。そのまま一人二人と首を狩る。これにより、敵勢の足は完全に止まった。不機嫌な瞳をくゆらせたまま、戦神の【使徒】は口を開く。


「馬を降りて武器を捨てろ。手は頭の後ろで組め」


 たちまちに鉄の音が響き、荒野に無様な隊列が生まれた。生き残りは、わずかに十人ほど。いずれも少なからず、手傷を負っていた。


「おまえたちの雇い主は」

「し、知らねえ! 本当だ! とある筋から、下命が回って来たんだ!」


 ガノンの問いに、投降者どもは首を振る。ガノンはその目を見た。どうやら、嘘は言っていないらしい。ガノンは小さく舌を打ち、尋問の手を切り替えた。


「おまえたちの他に、その下命とやらを回された集団に心当たりは」

「あ、ある! おそらく保険で、二、三の連中には手を回しているはずだ! たいていこういう話が回って来る時は、そういうモンなんだ!」


 投降者の一人が、早口で捲し立てた。ガノンは小さく息を吐く。どうやら、あと数回の襲撃は避けられぬようだ。ならば。


「良いだろう。だがおまえたちはここで死ぬ」


 ガノンは、剣を構えた。投降者どもが、震え上がる。再び一人が、言葉を発した。


「お、俺たちは報酬に釣られただけなんだ! 姫を攫い、然るべき場所に連れていけばポメダ千金! こんな護衛がいたなんて、聞いちゃいない! 俺たちも被害者だ! 助けてくれ!」

「命乞いか」


 ガノンは再び投降者たちのまなこを見た。震え、怯え、必死に首を縦に振る賊徒ども。どうやら、これも嘘ではないらしい。ガノンは相手に見えぬよう、再度息を吐いた。


「良いだろう。生命までは取らん。代わりに、その心当たりとやらと戦って来い」

「いっっっ!?」

「死にたくないのだろう? おれが崇める戦神は、おまえたちのような怯懦の者を嫌う。なれば、勇敢さを見せる他無い。そうだろう?」


 ガノンが条件に繰り出したのは、死よりも恐ろしい反逆の指示であった。


 ***


「それで、連中を生かしてやった、というわけか」

「そうだ」


 再び三人に戻った旅路はしかし、強力な援護を手に入れていた。ガノンが襲撃者より奪った、馬である。一頭でしか無いが、この一頭が大きい。姫君の足として、絶大な効果が期待できるからだ。いかに彼女が徒歩かちに慣れているとは言っても、疲労ばかりは隠せるものではない。剛健を誇る男二人に比するには、このくらいの足しが必要であった。


「上手くいくか行かないかで言うなら、賭けの部類がデケエな。だが、やらねえよりはマシだろう。上手くぶつかるなら良し、逃げられるにしても、無益な殺生は避けられる。上出来だ」


 男二人は、うなずき合った。彼らの目的は、あくまで旅路の完遂と無事の帰還である。姫君を先方まで送り届ければ、あとはどうなろうとも関係はない。故に、無駄に襲撃者を殺す必要はない。護衛――すなわち自分たち二人――の恐ろしさを十分に伝え、矛先を鈍らせれば良いのだ。それでも襲い来るような強者が居たら? それこそ、二人の真価を見せる時である。迎撃し、完膚なきまでに打ち倒し、相手の計画を頓挫に追い込むまでである。

 彼らはこの策を、請け負った日の夜には組み立てていた。窮余の策ではある。だがすべてをすべて、全力で迎撃するよりかは上策だった。


「やはり足が手に入ったのは大きい。これで俺たちも足を早められる。斥候見張りの類が厄介だが、ソイツを見つけて殺す暇はない。急ぐか」

「急ごう」


 ことが決まれば、話は早かった。一人が馬を引きつつ、もう一人が斥候めいて前方を探る。敵勢の気配がなければ、八分の力で道を開く。馬のおかげもあり、さらに行程は早まりつつあった。そしてまた、夜を迎えた。


「こうなると、夜襲が肝になるな」

「おまえもそう思っていたか」


 備え持っていた干し肉に口を付けつつ、男二人は合議する。すでにガノンは、サザンを認めつつあった。強さはともかくとして、傭兵由来の判断力はさすがのものである。本格的な襲撃ともなれば状況は変わるだろうが、少なくとも場を任せるに足る人物だとは判断していた。かつての敵ながらに、一端の男である。できることなら、剣を交えたくはなかった。相応の被害を負わなければ、倒せそうにない。


「寝ずの番はもとより、姫を逃がす算段も立てねばならぬ」

「先刻はおれが、戦に赴いた。つまり」

「もちろんだ。俺が行く。タラコザの槍術を舐めるな。相手が多勢だろうが、タラコザ傭兵は強い」


 サザンが己の胸を叩くと、ガノンも強くうなずいた。タラコザ傭兵の壮健強靭ぶりは、荒野において半ば常識であった。『百人近くの敵兵に囲まれたタラコザ傭兵が、全員を撫で斬りにして難を逃れた』、『追い詰めたはずのタラコザ傭兵がなかなか斃れず、遂には立ったままに果てた』などという逸話には事欠かない。つまりサザンも、それにならって生きている。そういう心意気を、彼はこの発言で示していた。


「わかった。おれは絶対に姫を逃がす。任せておけ」


 ガノンが、強い言葉を返す。それにサザンは、またもうなずいた。この男もまた、すでにガノンを認めつつある。単純に戦闘力が強いというのが大きいが、胆力、決断力も十分にあると見ていた。蛮人ではあるが、然るべき教育を受ければ一端の指揮官にもなりうる。そんな感想を、サザンは抱いていた。可能であれば、槍を交えたくない相手である。相応の労力は必要な上、相手は戦神の【使徒】。ならば――


「来るとすれば、なにで来ると思う」


 ガノンが、口を開いた。サザンは一旦思考を切る。少しだけ思考を回した後、淀みなく答えた。


「弓はない。狙いを外せば、姫が傷物になる可能性もある。やるならば、こちらの不意をついての夜襲だ」

「ならば誘うか」

「それも一手だ。だが姫君に迷惑をかける事になる。どうする」


 言われてガノンは考え込んだ。先に逃がすわけには行かず、姫の近くで迎撃する形になる。すなわち、搦手から姫のみを奪われる危険性があった。しかし――


「……おまえは、どうしたい」


 ガノンは敢えて、姫君に疑問を投げた。娘は、小首をかしげた。たおやかな顔、眉目秀麗と言っても差し支えないかんばせに影がよぎる。されど次の瞬間には、そんな様子は微塵もなく。しかも微笑んで。


「ならば、より確実に倒せる形を取りましょう。この場で敵勢を打ち据え、伯爵領に飛び込み、二度とそのような思惑を抱かせないようにするのです」


 あまりにも。あまりにも強い言葉を、しれっと言ってのけた。この胆力には二人も、口をあんぐりと開けるのみだった。


 ***


 夜闇。中天に浮かぶ星々には、その一つ一つに神々が座していると言われている。そんな神々の眼――星明りの中を、抜き足差し足で進む集団がいた。馬もなく。弓もない。全員が、剣と槍のみで武装している。装備は不揃いで、特に揃った意匠もない。旗も掲げてはいない。つまるところ、『そういう集団』であった。


「……」


 不意に、集団の先頭が手を上げた。その動き一つで、全体の動きが止まる。どうやら、相応に訓練が行き届いているようだ。その姿を見届けると、先頭の男は筒状の道具を取り出し、遠くへと目を向けた。初歩的な遠眼鏡――レンズによる補助機能はない――である。筒を目に当てた男は二、三うなずき、筒を懐へ戻す。すると再び、手を上げた。その上で、小さく指示。


「目標、四百と五十歩」

「散開」

「標的は油断。囲んで一息に仕留める」


 こく。こく。集団から、来るのはうなずき。それを確認した後、男は上げていた手を左右に振った。直後、隊列は素早く散開する。足音以外の音はない。男は、満足気にうなずくと。


「行け」


 上げていた手を、勢いよく振り下ろした。駆け出す。声無き咆哮が荒野に響き、野盗の群れが大地を駆ける。その数は二十数人。無論、先頭の男も走る。いかに首魁とはいえ、後ろでふんぞり返ってはいられない。否。首魁だからこそ、駆けねばならない。真っ先に敵陣に飛び込み、第一の戦果を上げねばならない。そうでなければ下の者に見くびられ、首魁の座を奪われる危険があった。


「……!」


 男は、首魁は走る。彼のもとにこの案件を持ち込んできたのは、知り合いの商人――商人の中には、裏で野盗と繋がることで、荒野での安全を得ている者も居る――だった。


『とある貴族の姫を襲い、無事に連れ来たればポメダ千金。なお、姫君を傷物にしようものなら生命はない。怪我を負わせても報酬は減額だという。すでに複数の筋に話が回っているようだが、受けるか?』


 このとんでもない話にしかし、首魁は敢えて冷静を装った。ここで色めき立った様子を見せてしまえば、商人に下に見られる恐れがある。野盗の首魁も、楽ではない。常に貫目を、見せておく必要があった。


『攫え。傷物にはするな。か。大金といい、さてはお貴族様の揉め事かね』

『知らん。ワシは標的の似顔絵だけを渡され、言付かったに過ぎん。深い事情には首を突っ込みたくもない。【荒野ではよくあること】。そういうことにしてくれとは聞いた』

『いいだろう。俺たちも詳細は要らない。金が入るなら構わんし、そういうことなら俺たち野盗に話が行くのも納得だ』


 首魁は立ち上がった。手下に指示を下し、早期に動かねばならない。これは機会チャンスだ。コトを上手く成せば、金に加えて荒野での名が上がる。名が上がれば手下も増える。傘下に加わろうとする野盗も出て来るだろう。そうなれば。彼は己の栄達を夢想した。目の前に居る商人だけでなく、直接貴族、あわよくばどこかの国家とも関係コネクションを築けるようになるかもしれない。そうすればもはや、荒野では一廉の大勢力だ。そのための第一歩が、この依頼にはあった。


『先方に伝えろ。俺は依頼を受ける。代わりに、金は必ず用意しろ』

『良かろう。その一点だけは、ワシが必ず掛け合う。アンタは成果だけを持って来い』


 両者はうなずき合った。おお、これこそが荒野の裏の姿。流通を担うはずの商人が、己が安全のために野盗と組み、仕事を流す。荒野に血と騒乱が絶えず、治安が著しく悪いのもさもありなんである。匪賊野盗の群れが、尽きぬはずである。首魁は髭をしごく。この仕事だけは、なにがなんでも成し遂げる必要があった――


「……!」


 思考を打ち切る。すでに彼は、一筋の焚き火が見える位置まで来ていた。そこに見張りの気配はない。火のみが煌々と輝いている。首魁は足を早める。彼は勝利を確信していた。夢見た未来へ。荒野の裏を支配する己を夢想し、歓喜さえ覚えていた。脳が、心の底から歓喜を覚えている。すべてが己を沸き立たせ、声だけを必死に堪えていた。


「――!」


 迫る。迫る。焚き火が迫る。百歩、五十歩。三十歩。周囲を見る。手勢も近付いていた。抵抗の気配はない。相手は夢の中だ。彼は確信していた。護衛は殺し、姫は連れ去る。それですべてが、終わるはずだった。なのに。


「よく来たな」


 恐ろしく野太い声が、残り十歩の所で耳を叩いた。


 ***


「ええい、旅慣れぬ娘一人を攫うのに、幾つの賊どもを消費しているのだ」


 荒野でも一等人気ひとけ少なき場所。そこに、人知れず天幕が立てられていた。中には男が数人。その内、一番上座に座る男は、頭を抱えていた。


「無策で襲撃した賊が一つ。その賊に死物狂いで襲われ、撤退した賊が一つ。夜襲を仕掛けて、罠に嵌った賊が一つです」

「そういうことを言っているのではない! ……いや、間違ってはない。間違ってはいないが」


 上座の男の言葉を、質問と受け取ったのだろう。一人の男が、几帳面に詳細まで付けてそれに答えた。しかしながら、上座の男――今般行っている作戦の、指揮者なのだろう――が求めていたのはそういう返事ではない。このままでは、己に影働きを命じた――実際には示唆のみで、後は忖度の折り重なった結果である――大公からの評価が得られない。それどころか、勘気を被ってしまう。彼らは自ら手を下すことはないが、配下には相応の働きを要求するのだ。その理不尽に、己が晒されてしまう。それだけは、なんとしても避けたかった。


「ああ、このままではどうしようもない。他の賊徒の尻を叩き、全軍で襲わせるか? 否。斥候から聞くに、護衛はたったの二人。仮に姫君にお越し頂けたとしても、大公様にお叱りを受ける恐れがある。どうする……」

「おれが行こうか」

「え」


 なおも頭を抱える指揮者の男に、福音があった。それは天幕の隅、仕事に取り掛からず、ただただ壁に寄り掛かる男からのものだった。ボサボサの黒髪。背は常人よりやや高い程度。黒の外套マントでその身は覆われ、得物や肉付きはわからない。とはいえ、立ち上る空気は刃の如し。他を寄せ付けぬ、鋭さがあった。


「ホジャどの。しかし、大公家のお抱え剣士である貴殿を動かせば……」

「構わん。興味が湧いた。賊どもは下げろ」


 なおも不安を訴える指揮者を、しかしホジャと呼ばれた男はにべもなく拒絶した。彼はそのまま、指揮者に対して冷たく告げる。


「馬を出せ。バンコでもダブでも構わん。おれが走らせれば、伯爵領の手前で、悠々待ち構えることができる。護衛は倒し、娘はおれが大公家へと捧げる。それですべては終わりだ。違うか?」

「ち、違い、ませぬ……」


 ホジャの鋭い眼光に、いよいよ指揮者は目をそらさざるを得なかった。そっと配下に視線を送り、準備を急がせる。これより先は、速さがすべてだった。


「ならば良いだろう。あとはおれがやる。いいな」

「はい……」


 ホジャは指揮官から視線を外し、糧食の指示などに意見を加えていく。もはや明らかな越権行為だ。しかし指揮官はうなだれたまま、それらを許した。彼にとっての本作戦は、こうなった時点で終了していた。あとに去来するのは、喪失の感情と、叱責への恐れであった。


 ***


 気付けば旅路は、終幕が近付いていた。策を講じて夜襲を難なく退けたあとは、無人の野を行くが如き旅路だった。すべてがすべて順調に行き過ぎ、逆に罠を警戒する様相である。とはいえ、ガノンとサザンは楽観していた。仮に罠があろうとも、己ら二人ならば食い破れる。おおよそ五日もの旅路をともにしたことで、二人の間には不可思議な信頼と自信が芽生えていた。されど。ああ、されど。


「……前」


 流石に旅路の疲れを隠せぬ姫君が、馬上より小さく二人に告げる。その声に、二人は目を凝らした。見える。旅路の先に、一つの影がおぼろげに見える。二人はうなずき合い、どちらからともなく口を開いた。


「敵だな」

「ああ、敵だ」

「急ぐか」

「急げば嬢に隙が生まれる。敢えてこのまま行くとしよう」

「わかった」


 短いやり取り。しかし二人は、わずかに足を早めた。旅も大詰めまで来て、一人で待ち構える者。間違いなく、手練れだろう。二人の心臓は自然と高鳴り、無意識の内に、足取りは軽くなっていた。戦士の魂が、震えているのだ。結果、半刻もせぬ内に彼らは影の元までたどり着いていた。


「お初にお目に掛かる。それがしは大公家お抱えの剣士、ホジャと申す者。姫君におかれましては、どうかこのまま某と旅路をともにして頂きたく」


 影はホジャと名乗り、一礼した。剣と思しきものを、右手に備えている。視線は鋭く、背丈はサザンよりわずかに高い程度。外套をまとって肉付きはわからぬが、とにかく視線が鋭い。刃物を思わせるものだ。二人には分かる。ホジャからは、強者の臭いしかしなかった。


「それはできんな。姫君に関しちゃ、俺たちは父上様から言付かってるんだ。『この先にある、伯爵領まで送り届けてくれ』ってな」


 それでもサザンは、姫君を護りに動いた。それが彼の仕事だった。たとえ甲冑の内側で汗を流していようと、仕事を阻まんとする者は許さない。それが、傭兵の気概だった。


「右に同じく。ここで戦わずに退くは、戦神に申し開きもできん行為だ。たとえいくら金を積まれようが、ここはどかんぞ」


 同じく、ガノンも動いた。額からは、一筋の汗。旅路故か。あるいは。


「左様か」


 ホジャは二人と目を合わせ、そしてうなずいた。しかし目の鋭さは、いよいよ凄みを増していた。


「ならば、これしかあるまいな」


 ホジャは、いともあっさりと剣を抜いた。それが一級品の業物であることは、鞘と柄の造りからも明白だった。その辺りにある数打ちの物とは、明らかに質が異なっていた。大公家お抱えという名乗りに、まったくもって嘘はないようだ。


「そういうこった」


 サザンが、槍を構える。こちらも額から汗。戦に、緊張しているのか。それとも。


「来い」


 ガノンも剣を抜いた。ホジャを中心に右にサザン、左にガノンが構える形だ。ガノンの赤銅色をした身体には、すでに玉のような汗が浮かんでいた。


「名乗るが良い。このおれ、ホジャに抗う者だ。その名前、永久とこしえに憶えておいてやる」

「タラコザ傭兵、サザンだ。覚える必要はない。アンタはここでおっ死ぬ」

「ラーカンツのガノン。おまえの名は、戦う者として戦神に伝えておく」

「それでよい。行くぞ!」


 瞬間、ホジャが低く、鋭い踏み込みを見せた。その身体はほの光り、剣からも彫り込まれていた紋様が輝きを見せる。光芒の突進はあまりに疾く、二人は分かれて飛び退かざるを得なかった。


「んなっ!」

「ちいいいっ!」


 一手立て直しが早かったのはガノン。飛び退いた後、即座に裂帛の踏み込みを見せる。しかしホジャの動きも早い。横合いから突っ込む形になったにもかかわらず、即座に対応してみせた。片手でガノンの剣を弾き、目線一つでサザンを牽制する。なんたる腕前。なんたる技量。これではさしものサザンも、安易な動きは見せられなかった。


「どうした。雁首揃えて口だけか」

「……せいっ!」

「槍の軌道が、直線的に過ぎる!」


 ホジャの嘲りを受けたサザンが、意を決して間合いへ踏み込む。されどホジャは、容易く避ける。その上欠点まで指摘する。ガノンは息を呑んだ。あれほどさばくのに苦労したサザンの槍さばきが、わずか一撃で手を止められる。ガノンは考える。この男に、打ち勝つためには――


「嬢、なるべく遠くへ……」

「構わん。搦手などは用意していない。最初からうぬらは殺し、その上で姫君を丁重にお連れする腹積もりだった。もっとも、今のままでは……」

「ハアアアッ!」


 サザンの警告を否定するホジャへ、ガノンが剣を掲げて突進する。だがホジャは受け止めもせず、余裕を持って剣をかわした。それも身体を、そらした程度。見切られていると実感するに、足るものだった。


「殺すまでもなさそうだがな」

「ちぇりゃあああっ!」


 ガノンの剣をかわした位置に、今度はサザンが雄叫びを上げる。必殺の槍はまたも早い。並の者には、穂先が三つにすら見えるほどだ。しかし。ああ、しかし。


「遅い」


 ほの輝く男の目には、それすらものろく見えるというのか。たちまちの内にかわし切り、続きを煽る。煽られしサザンはさらに穂先を繰り出す。されど。そのすべてが空を切った。最後にはホジャからの一撃を受け、再び間合いを押し戻されてしまう。


「……」

「…………」


 サザンは息を吐く。ガノンは剣を構えた。ホジャとのあまりの技量差に、気が遠くなる思いを抱いていた。二人は今一度、視線を交わす。目の前に立つ男を砕くには、今以上の連携が必要だった。そこに響くのは、ホジャの声。


「さあどうする。手がないのであれば、おれが殺してすべてが終わるぞ」


 耳を叩く挑発の声に、ガノンは顔をしかめた。同時に、サザンへと向けて視線を飛ばす。もはや、こういった策でしか届くまい。確信めいた、思惑があった。


「まだだ」


 ガノンの声を合図に、二人はホジャの前面へと立った。直線上に、ホジャ、サザン、ガノンの順で並ぶ形である。構えを取られてホジャは、それでも笑みを浮かべていた。


「なるほど。二人で来るか。面白い」

「ぬかせ!」


 サザンの槍が、唸りを上げる。その腕前は、今度こそ至高の領域に入りつつあった。穂先が幾重にも分かたれ、避けられる度、さばかれる度に勢いを増す。されど。ああ、されど。加護と紋様の力を併せ持つホジャには届かない。ホジャのほのかに輝く肉体は、サザンの攻撃を受けてなお霞まない。剣で受ける回数が増えてなお、その身体には寸分たりとも触れさせなかった。


「……っ!」


 しかしその究極たるせめぎ合いは、ガノンたちの本命ではなかった。攻防のある一点を見て、ガノンが駆け出す。彼が目指すは、サザンの背中。ただ音のみで連携を取り――その類稀なる脚力で背を蹴り――跳ぶ!


「むっ!」


 ここに至ってホジャも、二人の思惑に気付く。サザンの槍撃はあくまでも撒き餌。本命は!


「ちいっ!」


 ホジャは飛び退かんとした。ガノンの跳躍は、いや高い。いかに己の剣が紋様で強化されていようとも。己と同じく、なんらかの加護を受けている相手からの一撃だ。剣ごと斬り裂かれる可能性さえもある。逃げの一手が最適手。そのはずだった。が、その時。彼の腰に衝撃が走った!


「逃さねえよ」


 ホジャは衝撃の原因を見る。見てしまう。そこには、槍を捨てたサザンがいた。サザンが己を見上げ、笑う。その顔には、【絵】が描かれていた。タラコザ傭兵が、敗北の度に刻み込むといわれる、【絵】。ホジャは気付く。その【絵】――刺青の正体は。


「うぬよ、その絵はまさか!」

「そうよ。■■」

「オオオオオッッッ!!!」


 最後の会話を、蛮声がつんざく。ガノンのほの輝く身体が、舞い降りて来ていた。ホジャは、運を天に託し、両手で剣を掲げた。もはやサザンを見ている余裕はない。全神経を、ガノンに集中させる。ホジャの主観において、すべてが鈍化していった。


「~~~ッッッ!」


 まず、掲げた業物が無惨に断たれた。落下の勢い。全力の斬撃。そういった要素も、あるにはあるのかもしれない。だがすべては、紋様が加護に打ち消された。それだけだろう。そうでなければ、こんな手頃な剣などに。


「ッッッ!」


 もはやそこからは、剣を防ぐ暇などなかった。頭蓋に衝撃が走り、痛みがよぎる。骨が割られ、肉が断たれる。頭部から鼻にかけて、縦一文字に刃が走る。ホジャの視界が、赤銅色に染まる。身体から力が抜けていく。


「ここぉ!」


 その一瞬を逃すことなく、下から声が轟いた。タラコザ傭兵のものだった。身体が傾ぐ。押されていく。抵抗は叶わず、ものの数瞬で地面に打ち倒された。またも頭に衝撃が走り、意識が揺らぐ。それでも立ち上がらんと、身体に力を込めた。無理だった。肉体に反逆されたかの如く、力は入らなかった。


「……」

「やっと、一刀を浴びせられたぜ」


 霞む視界に、男二人の姿が入った。紅と、蒼。二人の傭兵。己を、打ち倒せし者。


「止め、刺さねえとな」


 蒼が、槍を構えていた。血のような、朱色の槍。業物かどうかは不明だが、使い込まれた痕跡があった。


「最期に、言うことはあるか。おまえの名とともに、戦神に言伝しておこう」


 輝きを収めた紅が、言葉を投げ掛けてくる。ホジャは小さく、息を吐いた。


「言うことは、ない。おれが、うぬらを見くびった。それだけだ。悔いもない。憎しみもない」

「そうかい。じゃ、やるぜ」


 蒼が、己の喉元に穂先を突き付けた。冷たい感覚。されど、身体は動かない。むしろ、気が遠くなりそうだった。直後。喉元に痛みが走る。そのまま一気に頸を貫かれ――。ホジャの意識は、そこで途絶えた。一廉の剣士として有名を馳せていたであろう男は、されど。ただ二人の戦士によって、無惨な荒野の骸となったのだ。


 ***


 すべては無事に、終わりを告げた。あらかじめ連携が取られていたのだろう。伯爵領は、漂泊二人を正しく受け入れた。姫君は伯爵領預りとなり、二人は丁重に礼を言われた後、領外へと解き放たれた。これにて、姫君の旅路は決着となった。あとは例の貴族と伯爵家が、どうにかすること。二人には関係のない話であった。


「終わったな」

「あとは報酬を頂くだけ、だが……」


 荒野を行く――報復の襲撃がないとも限らぬため、やや早足で、油断なく、だ――二人は、言葉を交わす。しかしサザンの目には、剣呑な光が宿っていた。


「だが?」

「ここで先の決着を付け、どちらかが報酬を独り占めする、って流れもある」


 サザンが、こともなげに言ってのける。槍こそ未だに構えてはいないものの、その目がガノンへの敵意を告げていた。


「やるのか。ならば相手しよう」


 ガノンはサザンと距離を取り、腰を落とした。先に決着が付かなかったのは、彼にとっても心残りである。やると言われれば、応じるのは必然であった。


「…………」


 荒野に、荒涼とした風が吹く。得物を構えぬままに両者は腰を落とし、睨み合った。主観時間では、永遠にも似た時が流れていく。ホジャと相対した時と同じか、それ以上の緊迫が両者を苛む。だが――


「冗談だ」


 突然にして、サザンが戦意を消した。落としていた腰を戻し、脱力の姿勢を取る。瞳に宿していたガノンへの敵意も、一切感じ取れなくなっていた。


「どういうことだ」


 ガノンの視線が、鋭さを増す。騙し討ちではないかと腹を、敵意の行方を探る。しかしサザンは、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。


「ラーカンツの旦那とやり合うと、こっちも尋常じゃない目に遭うってこった。だったら報酬は折半で、今後も付き合いを続けた方がマシだ」


 サザンはガノンに背を向け、背中を晒す。それを見てから、ガノンもようやく戦意を鎮めた。脱力の構えを取り、息を吐く。それから少し置いて、短く言った。


「怯懦か」

「怯懦じゃねえ」


 瞬時に、サザンは言い返す。それから、背を向けたままに言ってのけた。


「俺はいつか、旦那を倒す。だがソイツは今日じゃねえ。何年かかろうと、いつか。俺は旦那の首を取る。それだけだ」

「……わかった。おれもその日を、楽しみにしている。そして、おれが勝つ」

「言ってろ」


 こうして二人は、荒野を歩んだ。彼らはそのまま貴族の元へと戻り、その後言い値通りの報酬を手に、二手に分かれたという。

 その後も二人の旅路は幾度かに渡って絡み合い、やがて刎頸の友と言っても過言ではない仲へと変わっていく。

 されど、この日二人が交わした約定は。時を経て、思わぬ形で果たされることとなった。


 蒼き槍兵紅き蛮人・完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る