第14話 言葉で伝えて
「天は我に味方せり!」
雲ひとつ無い青空の下で、ミュラは両手を上に伸ばしてそう言った。それを見たハヤテはくすっと笑う。
「時代劇の台詞みたいですね」
「時代、劇? なんだ、それは?」
首を傾げるミュラに、ハヤテは説明する。
「えっと……僕の世界のドラマとか映画の種類で、侍とか、織田信長、とか、水戸黄門とか……結構昔の時代の出来事を再現した作品のことです」
「なるほど。昔の出来事の映画ならこの世界にもある。今度、一緒に観よう」
「ありがとうございます」
「それに、オダ……は分からないが、侍は知っている」
「えっ? 本当ですか!?」
ハヤテは驚く。まさか、こちらの世界にも侍が存在していたのだろうか。
ミュラは顎に手を添えて口を開く。
「ああ、王室に伝わる、ご先祖様が勝手に拝借……手に入れた書物に載っていた。剣を持って戦うのだろう? あれは美しいな。波のような模様があって素敵だ」
「剣ではなくて、刀ですね」
「カタナ、か。あれには芸術のにおいを感じる」
そう言いながら、ミュラはてきぱきとビニールの赤いレジャーシートを広げ、風で飛ばされないように四方に大きめの石を置いた。
ふたりは、出会った時に居た草原に来ている。約束をした次の日に、ハヤテはコールにミュラとピクニックに行くことになったと話した。休みが欲しいと言ったハヤテに、コールは「いつでも行っていらっしゃいまし!」と快く休みを取ることを承諾してくれたのだった。
天気予報の言葉を信じて、ピクニックの日を決めたのが三日前。無事に晴れてくれて一安心だ。
「あの……この国のことを訊いても良いですか?」
「ああ、なんでもどうぞ?」
シートの真ん中に座りながら、ハヤテは隣のミュラに訊ねる。
「この国は、歴史が浅いのですか? それとも、長いのですか?」
「歴史? 他国と比べてか?」
「いえ……僕の世界と比べてです」
ハヤテは少し疑問に思っていたことを口にする。
「なんだか、本当に不思議なんです。お城は和と洋の文化を取り入れて造られたとお聞きしましたが、この世界にはテレビも電気も車もありますよね。そういった文化は、大きく見れば最近のものです。ご先祖様はいったい、いつ頃の僕が居た世界を見に来られたのかな、って……」
「ハヤテ……気付いてしまったか」
ミュラはぐっとハヤテに顔を近付ける。
「この世界の秘密を知ったからには、もう逃げられない……」
「っ……!?」
ハヤテは息を呑む。この世界の秘密とは、いったいなんのことなのだろう。どきどきしながら固まっているハヤテを見て、ミュラはぷっと吹き出した。急に笑い出したミュラにハヤテはきょとんとする。
「ミュラさん……?」
「ふふ……冗談だ。秘密なんか無い。可愛いな、ハヤテは」
からかわれていたことに気付いたハヤテは、ぷいっと顔を背ける。
「そんなに笑うなら、お弁当は無しです!」
「ああ、機嫌を直しておくれ、天使様……」
「……なんでも天使って言えば許されると思っていますね?」
「ふふ」
ミュラはそっとハヤテの頬に触れながら言った。
「ご先祖様の魔力が強かった話は覚えているか?」
「はい、覚えています」
「記録によると、とてつもない力の持ち主だったそうだ。誰も敵わない力。それは国を越えて、次元を越えて……時間までもを越えてしまった」
「え? 時間を……過去とか未来とか、そういう話ですか?」
「ああ、そうだ」
ミュラは頷く。
「彼は様々な世界の過去と未来を見た。そして文化を持ち帰っては発展させた。だが、そんな彼にも見れないものがあった。それは、自分の国の未来だった。だから、この国には予言書というものは存在していない……これは勝手な考えだが、きっと怖かったのだろうと思う。自分が居なくなった先の未来を見てしまうことが。始まりがあれば終わりがあるからな。畏れを抱く気持ちは分かる」
「……そうですね。終わりがあるから、生きている今を大切にしようって……思います」
「そうだな、後悔の……無いように……」
ミュラは目を細める。美しい瞳に射抜かれて、ハヤテの心臓が跳ねた。
「あ、あの……すみません。なんだか、踏み込んだことを訊いてしまって」
「問題無い。ご先祖様の能力については、学校の教科書にも記載されていることだ。この国について興味を持ってくれてありがとう」
「そうなんですね……国家機密だったらどうしようかと、心配しました」
「ふふ。ハヤテは真面目だな……今日、早く起きてくれたのだろう? 眠くはないか?」
「大丈夫です。あ、そろそろお昼にしましょうか?」
「そうだな、早く味わいたい」
ハヤテは持って来たバスケットから、弁当箱をふたつ取り出した。コールが調達してくれたものだ。最初は重箱を薦められたのだが、そんなにたくさんの料理を作れる自信が無かったので、長さが五百ミリリットルのペットボトルと同じくらいの大きさで、底が深めの弁当箱にすることにした。
ミュラは弁当箱を受け取ると、そっとその蓋を撫でる。
「開けても良いか?」
「はい、どうぞ……」
ミュラはゆっくりと蓋を開ける。ハヤテはその様子を、どきどきしながら見つめていた。
「こ、これは……素晴らしい!」
中身を見たミュラは感嘆の声を上げる。その様子を見たハヤテは、安堵の息を吐いた。
今日は朝の五時から、弁当作りに取り掛かったハヤテだ。場所も食材も、すべてを手配してくれたコールも早起きして応援をしてくれた。広く美しさを保たれた、専属シェフが普段働いている厨房でハヤテは緊張しながらフライパンを握ることになったのだ。
「ああ見えてミュラ様は、卵焼きは甘めが好きなタイプです」
「そうなのですか?」
「いつもクールぶっていても、好みは顔に出るものです」
ミュラのだいたいの好みは、コールが丁寧に教えてくれた。さすがは生まれた時からのお世話係だ。ハヤテにはコールのことが、とても頼もしく見えた。
「このくらいでひっくり返して……」
鉄製の卵焼き器を慣れた様子で扱うハヤテを見て、コールは「まぁ……」と息を漏らす。
「前の世界では普段からお料理を?」
「ええ、まぁ……」
「素晴らしい! ミュラ様の胃袋を掴んで握ってがんじがらめにしてやって下さい!」
「あはは……」
卵焼きが終わったら、次はポテトサラダだ。隣のコンロで茹でていたジャガイモの皮を剥いて潰し、あとはニンジンとタマネギを加えるのだが……。
「っ、う……」
ハヤテは涙を流しながら包丁を握る。タマネギが目にしみて堪らない。こんなことなら伊達メガネを用意すれば良かったと思った。
「ああ、ハヤテ様……」
コールは落ち着かない様子でハヤテを見守る。
「わたくしが代わりに切るのは、駄目なんですよね……?」
「はい、すみません……僕が作るって約束したので……心配していただいて、ありがとうございます」
「ああ、なんと健気な! ミュラ様には勿体無いくらいのお心……」
「私がどうかしたのか?」
「ぎゃあ!」
「ミュラさん……!?」
どうも、ミュラは気配を消すのが上手いらしい。いつから立っていたのか知らないが、ひょっこりと厨房の中を覗いている。
「ハヤテがここに居ると聞いて……ん? ハヤテ、泣いているのか?」
「あ、いえ、タマネギが目に……」
「コール!」
「ひぃ!」
ミュラの顔から表情が消えた。
「ハヤテに何をした」
「いえ、わたくしは……」
「今すぐに答えれば、この城からの追放で許してやる」
「ええっ!?」
「ミュラさん! 落ち着いて下さい!」
「……ふふ」
朝のやり取りを思い出してハヤテは笑みをこぼす。あの後、誤解が解けてご機嫌斜めになったコールを宥め、弁当の中身を覗き込もうとするミュラを厨房から追い出すのが大変だった。
「ハヤテ、どうした?」
「あ、いえ……ミュラさんも朝が早かったな、と思って」
ハヤテの言葉に、ミュラは照れくさそうに頬を掻いた。
「子供みたいで恥ずかしいが、今日が楽しみで早く目が開いてしまった」
「……ちゃんと眠れていますか? 最近、僕は子守唄を歌っていないので……何かあれば、いつでも言って下さいね」
「ありがとう。ハヤテは優しいな」
そう言いながら、ミュラは箸を使って卵焼きを口に運んだ。ハヤテはその顔をこっそりと観察する。ミュラの頬が僅かに緩んだ。どうやら、当たりの味付けに成功したらしい。
「どうした? 食べないのか? とても美味だぞ?」
箸を止めているハヤテを、ミュラは不思議そうに見た。慌ててハヤテは添えてあるミニトマトを口に放り込む。
「本当だ、美味しいです!」
「それはハヤテが調理したやつでは無いのだが……」
「大地のうま味を感じています!」
「そ、そうか……この国の野菜を褒めてくれてありがとう。それにしてもハヤテ、ハヤテの色彩感覚は大変に優れているな」
「色彩感覚ですか?」
そんなことを言われたことは無い。小学校でも中学校でも、美術の成績はいつも真ん中辺りだった。
「この弁当の中身の配置、素晴らしい色使いだ」
「そ、そうでしょうか?」
「ああ。芸術家の私が言うのだから間違いない」
「……」
「卵焼きの黄色にミニトマトの赤、そこにポテトサラダの優しい色合いが混じり、そこにこのブロッコリーの緑が入った! 米の白の上には鮮やかな梅干しの紅ときて……」
「そ、それ以上は良いです! その……恥ずかしいので……」
「ハヤテは照れ屋さんだな」
「お、お食事中は静かにしないと、王妃様に叱られますよ!」
「ここには今、ハヤテと私のふたりだけだ。誰にも叱られやしない」
「……」
この草原は王族の所有地で、一般人の立ち入りは禁止されている。なので、今はハヤテとミュラの貸し切り状態だ。しっかりと警護はされているのだろうが、それをしている人間の姿は見えない。なので、まるでここだけ世界が切り取られてしまったかのような錯覚を覚えてしまう。
弁当を食べ終え、ふたりは丁寧に手を合わせた。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
「こら、謙遜しなくて良い」
「……ご馳走様でした」
ミュラは満足そうに笑うと、軽くハヤテの肩にもたれかかった。
「今日は本当にありがとう。とても美味しかった」
「喜んでいただけて嬉しいです」
「ハヤテ、さっきの話を覚えているか?」
「さっき? ご先祖様のことですか?」
「そうだ……」
ミュラはそっと目を閉じる。
「始まりがあれば、終わりがある。それは、恋も同じだとは思わないか?」
「こ、恋ですか?」
ハヤテはミュラを見る。ミュラはまだ目を閉じていて、長い睫毛が僅かに震えていた。
「どんなに好きな気持ちがあっても、いつかは情熱は冷めてしまうのかもしれない。そして、別れてしまって終わってしまう……私はそれが……どうしようもなく怖い」
「ミュラさん……」
「だが、いつか終わる人生を、気持ちを伝えなかったという後悔を抱えたままで過ごすのは、嫌だ。どうせなら、当たって砕けてから終えたい」
ミュラは目を開けて姿勢を正し、青い瞳で真っ直ぐにハヤテを見て、言った。
「ハヤテ、君が好きだ。結婚を前提に付き合ってほしい」
「……あ」
突然の告白に、ハヤテの思考が止まる。嬉しくてたまらないのに、その胸に抱きつきたいのに、身体が動かない。自然と涙が流れて、それが頬を伝って手の甲に落ちた。
「は、ハヤテ! 泣かないでくれ! そんなに嫌だったか!?」
慌てふためくミュラに、やっとの思いでハヤテは口を開いた。
「違います……嬉しくて、僕……」
「う、嬉しい……? 本当か? 嫌で泣いているのではないのか?」
「っ……はい……やっと、聞けたから……」
「ああ、ハヤテ……抱きしめても良いか?」
いつもは何も言わずにくっついてくるミュラが、慎重な声で訊ねる。ハヤテは頷く。それと同時にミュラはハヤテを抱きしめた。
「ハヤテ……私はハヤテを泣かせてばかりだな……」
ミュラの手がハヤテの背中を撫でる。優しい温度が伝わって、それはハヤテの心にゆっくりと染み込んでいった。
「ミュラさん、僕、僕は……」
「……うん」
「僕は、ミュラさんのことが好きです。ずっと、好きでした……」
「ありがとう、ハヤテ」
ミュラはハヤテの耳元で、そっと囁く。
「愛しているよ、ハヤテ。ずっと一緒に居たい、ずっと……」
柔らかなぬくもりに包まれて、ハヤテはそっと目を閉じた。いつまでもこうされていたい。そう思いながら、しばらくの間、涙を流し続けたのだった。
「その……上手く伝わっていないかもしれないが、私はずっとハヤテのことを目で追ってしまっていて……」
ミュラの身体にもたれながら、ハヤテはその言葉を聞いていた。時折吹く風が心地良い。ハヤテは、涙で少し腫れた目でミュラを見つめている。
「最初は、反応が可愛いと思って、ついつい構ってしまっていて……気がついたら、ハヤテに夢中になっていた」
「……僕は、ミュラさんにいっぱい構ってもらっているうちに、好きになっていました」
「そ、そうか……いつから、両思いだったんだろうな」
「……本当ですね」
「ハヤテ、この紙のことを覚えているか?」
「紙、ですか?」
ミュラは上着のポケットから折り畳まれた紙を取り出した。ハヤテはそれに見覚えがあった。確か、ピクニックに行く約束をした時に渡したノートのものだ。
「覚えています。冷凍食品の……」
「そう、それだ。ハヤテは新しいページを破ってくれたが……この前のページに書かれていた文字が確認出来たんだ。強い筆圧で書いたんだな……ほら、見てごらん?」
「……え?」
ミュラが指で示した場所をよく見ると、ペンの跡で紙が凹んでいた。
「ええっと……いつも優しい愛をくれる、花束も嬉しいけれど、言葉が欲しい、告白、好きという言葉……あ、ああっ!?」
ハヤテはその紙をさっと背中に回して隠した。
「こ、これはえっと……よ、読んじゃ駄目なやつです!」
「分かるぞ。誰だってポエムをしたためたくなる時はある」
「ポエムじゃないです! でも、なんで……これは日本語で……!」
「ハヤテ、忘れているかもしれないが、ハヤテの身体にはこの国の魔力が入っているんだ。その影響で、君は意識しなくてもこの国の言葉を自由に操っている。自然に文字も読めるし、ポエムだって書ける」
「うわぁ……!」
ハヤテは真っ赤になって俯いた。自分の心の叫びを書いたものを、人に見られるのはとても恥ずかしい。どうしてもっと後ろのページを破らなかったのだろう、と頭を抱えた。
「ハヤテ、前に好みを訊いた時に、歳上で男で芸術家が好きだと言ってくれたな。それで私は自信がついたのだが、どうしても一歩が踏み出せなかった……何も伝えないで、ものばかり贈ってしまってすまなかった」
「い、いえ……」
「母の真似事をして、手紙もたくさん渡してしまった。そうすれば、いつか思いが届くと思っていたのだ……だが、ハヤテのこの心の声を読んではっとした。私はちゃんと言葉にしていない、と。空っぽの手紙で何が伝わるだろうと、反省した。ハヤテはきっと私のことを呆れていると思っていた。もう嫌われていると思っていた。だから、フラれる覚悟で今日は戦いに挑んだのだ」
「た、戦い……」
「恋愛は駆け引きの戦いだ」
「よく、分かりません……」
苦笑するハヤテの頬に、ミュラはそっと触れた。
「ハヤテ、本当に私が好きか?」
「……はい、好きです」
「ああ、嬉しい……キスがしたい。しても良いか?」
「えっ?」
ハヤテは戸惑う。そんなことを経験したことは無いので、心の準備が出来ていない。黙ったままのハヤテの顔を、ミュラが心配そうに覗き込んだ。
「駄目か?」
「あ、そうではなくて……」
「嫌か?」
「嫌と言うわけではなくて……」
「恥ずかしい?」
「……だって、そういうのって、まずは手を繋いでから始まって……」
ハヤテの言葉にミュラは微笑む。
「手なら何度も繋いでいる」
「次にデートをして……」
「街でジェラートを食べたな」
「……歯を、歯を磨いてからしないと!」
「ハヤテ、それなら心配しなくても良い」
ミュラの顔がゆっくりと近付く。
「今するキスは、初めてのキスだから、くちびるをくっつけるだけだ」
「……っ」
「目を閉じて、ハヤテ……私は狼ではないから、すぐに取って食ったりしないから」
「……」
ハヤテは腹を括って目を閉じた。数秒遅れてくちびるに柔らかいものが当たった。ハヤテはうっすらと目を開ける。すると、青い瞳と視線がぶつかった。
「っ……!」
ハヤテは慌てて顔をずらす。そんなハヤテにミュラは笑いながら言った。
「ハヤテ、キスの最中に目を開けるのはマナー違反だ」
「ミュラさんだって見てましたよね!?」
「仕掛ける方は開けていないと上手く出来ないだろう?」
そういうものなのだろうか。首を傾げるハヤテに、ミュラが楽しそうに言う。
「もう位置を覚えたから、次は目を閉じて出来ると思う」
「……本当ですか?」
「たぶんだが」
それなら……と、ハヤテは目を閉じる。すかさず二度目のキスをされて、思わずハヤテは手探りでミュラのシャツを掴んだ。
くちびるの温もりがゆっくりと遠ざかる。目を開けたハヤテに、ミュラは甘く囁いた。
「本当にハヤテは可愛いな……」
「ん……」
間髪を入れずにまたキスが落ちてきて、ハヤテの頭は溶けそうになる。もう、目を閉じるタイミングも分からなくなって来た。
「愛している、ハヤテ……」
「ん……僕も……」
夢中でくちびるを重ね合う。ハヤテは甘美なこの行為に、ただただひたすらに酔いしれていた。
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