第15話 楽しい夜

「と、言うわけで、今日から交際を始めることになりました!」

 ミュラは笑顔でハヤテの肩を抱く。ハヤテは恥ずかしくて、視線をそわそわとさまよわせていた。

 ミュラの言葉に、国王も王妃も目を丸くする。

 ピクニックを終えて城に戻った直後に、ミュラは国王と王妃に伝えたいことがあるから時間を作ってほしいと頼んだ。すぐにその申し出は通り、国王と王妃は揃っていつも夕食会を行なっている部屋に顔を出した。何か、緊急事態が起こったのかと心配するふたりに、ミュラは高らかと交際の宣言をしたのだった。

 国王は、ふうと息を吐く。

「……大事ではなくて良かった」

「私にとっては一大事です」

「というか、お前たち、まだ付き合ってなかったのか……私はてっきり……」

「城中、あなたたちの話題で持ち切りだったのよ?」

 王妃は苦笑しながら言った。

「毎日のように侍女たちが騒いでいたわ。あなたたちの仲睦まじい様子はとても目立って……ミュラがハヤテさんに夢中なのは、目に見えていたものね」

 王妃の言葉に、ミュラは照れくさそうに頬を掻いた。

「ですので、父上、母上、しばらくは食事会は無理です」

「えっ? 何故だ? 外食でもするのか?」

「……ふふ」

 ミュラは口元を緩める。

「これからしばらくは、ハヤテを独り占めすると決めているのです!」

「な、何だって?」

「皆の前では、堂々とあーんが出来ないでしょう?」

「な……」

「オムライスにはハートのケチャップ」

「おお……」

「テーブルの下では手を繋いで……」

「羨ましい!」

「あなたたち、いい加減にしなさい。ハヤテさんが困っているわ」

 呆れたように王妃が言う。ハヤテは耳まで真っ赤になって俯いていた。ミュラの語る理想の食事の光景は、甘すぎる。

「ハヤテさん」

「は、はい……」

 王妃に呼ばれ、ハヤテはゆっくりと顔を上げた。王妃は優しく微笑んでいる。

「困ったことがあれば、なんでも、いつでも相談してね。あなたのように、的確なアドバイスは出来ないかもしれないけれど、お話を聞くことは出来るから」

「……王妃様、ありがとうございます」

「いつか、あなたに母と呼ばれる日が来るのかしら。今から楽しみね」

「王妃様……」

「それなら、私は父になるな! 今からでも呼んでくれて構わないぞ?」

「ふたりとも、気が早いですよ。まだしばらくは恋人としての時間を楽しむと決めています」

「早く結婚しなさい。人生の先輩として、いろいろと伝授してやるから」

「結構です」

 明るいやり取りを見て、ハヤテは心があたたかくなった。いつか、この家族の本当の一員になるのだと思うと胸が高鳴る。目の前の優しい光景に、ハヤテは太陽の光のような暖かさを感じていた。

 

 夜の支度を済ませたハヤテは、ミュラの寝室の扉をノックした。数秒して、中からミュラが顔を出す。

「どうぞ」

「……お邪魔、します」

 かちかちに固くなっているハヤテの頭を、ミュラはそっと撫でた。

「冷えるといけない。早く入ると良い」

「はい……」

 ハヤテの心は落ち着かない。今までとは違って、恋人として一緒に夜を過ごすのだ。ハヤテは変に意識してしまって、そわそわしながら部屋に足を踏み入れた。

「夕食を一緒に取れなくて悪かった。急な仕事が飛び込んで来てしまってな。昼間に期待させるようなことを言っていたのに、申し訳ない」

「いえ! お仕事は大切ですから」

 今日はお互いに一日中空いている予定だったが、夕食前にミュラに急な仕事が入った。むくれるミュラを宥めて書斎に送り出してから、ハヤテは昼間の楽しい時間を胸に、夜が来るのを待っていたのだった。

 だが、いざ夜になると緊張してしまう。それを悟られないように、ハヤテは平静を装って、いつものようにミュラに話しかけた。

「あの、すぐにでも歌いましょうか? 子守唄を……」

「いや、いい」

 ミュラはハヤテの手を引いて、ベッドに誘導した。

「今日はすぐに、一緒に寝たい」

「えっと……」

「朝起きて、一番にハヤテの顔が見れたらとても嬉しい」

「……分かりました」

 ふたりでベッドに横になり、ゆっくりと視線を交わす。ミュラの熱い瞳を感じ、ハヤテの心臓はいつも以上に忙しない。緊張で震えるハヤテの手を、ミュラは自分の手のひらで包み込んだ。

「今日は楽しかったな」

「は、はい」

「次はどこでデートをしようか?」

「び、美術館はどうですか?」

「ハヤテさえ良ければ、行きたいな。この国の芸術に触れてもらえたら嬉しい」

「……はい」

 ミュラは目を細めて、うっとりとハヤテの顔を見つめる。

「ハヤテ、今日は一段と可愛らしいな」

「えっと……」

「キス、したい」

「でも、昼間にいっぱいしましたし……」

「嫌か?」

「……」

 ハヤテは返事の代わりに目を閉じた。ミュラの笑う気配を感じたかと思うと、くちびるにぬくもりが触れた。

「ん……」

 何度も何度も繰り返されるキスに、ハヤテの頭はぼんやりとしてくる。互いの熱が混ざり合って、溶け出しているかのようだった。

 ミュラの舌がハヤテのくちびるをなぞった。ぞくぞくとする感覚に、思わずハヤテは目を開ける。

「っ……?」

「……ハヤテ、もっとハヤテを味わいたい」

「……え?」

 体勢を変えて、ミュラはハヤテに覆い被さる。そうして、右手の人差し指でハヤテのくちびるをつついた。

「口、開けて?」

「……は、ふ……!?」

 言われた通りに口を開くと、口内にミュラの舌が入ってきた。ハヤテは目を見開く。くちびる同士をくっつけるだけの時には感じなかった刺激が、足の先まで駆け巡った。

「ま、待って……息……」

 口を塞がれて呼吸が上手く出来なくなる。ハヤテが少し顔をずらして酸素を求めると、ミュラが短く言葉を発した。

「鼻で呼吸して」

「あ、ん……」

 ミュラの舌が口内で動くのを、ハヤテは遠くなりそうな意識の中で感じていた。吸われて、舐められて、絡み取られて、身体のすべて神経が、そこに集中しているかのようだった。

「っ、ふ……?」

「……ハヤテ」

 ゆっくりとミュラは身体を起こし、今度はハヤテの耳に音を立ててキスをした。くすぐったさに、ハヤテは身をよじる。

「ハヤテ……もっと、触れたい」

「っ!」

 ミュラは掛け布団を払いのけて、ハヤテの夜間着に手をかけた。少しずらしてその中に手を入れ、ゆっくりとハヤテの肌を撫で回す。

「な、何をして……」

「ハヤテの気持ち良いところを探している」

「気持ち良いって……あ、っ!」

 ミュラの手が臍の下に当たって、思わずハヤテは声を上げた。びくりと身体が跳ねて、心臓の音が耳に響く。ハヤテの反応を見て、ミュラは満足そうに微笑んだ。

「どうやら、ハヤテの感度は良いみたいだ」

「感度って、ちょっと!」

 ミュラはハヤテの夜間着のボタンをひとつずつ外し始めた。ミュラが、これから何をしようと考えているのかがはっきりと分かる。これ以上は、駄目だ。自分の中でのキャパを超えてしまう。ハヤテは慌てて、動いている手を掴んだ。

「駄目! これ以上は、駄目!」

「恥ずかしいのか? 大丈夫だ。私しか見ていない」

「僕は経験が無いんです! まずは勉強からスタートさせて下さい!」

「ならば、一から私が教える。ハヤテ、男とも経験が無いのか?」

「無いからこんなに焦っているんです!」

 ハヤテの言葉に、ミュラは「そうか」と言いながら勢い良くハヤテのズボンを引っ張って脱がせた。

「ひえ!」

「ハヤテ、男とするのには……」

 ミュラは下着の上からハヤテの尻を撫でる。

「ここを使うんだ……」

「な……」

「優しくするから安心すると良い」

 熱のこもった目で見つめられ、ハヤテは深く……頷かなかった。身体を起こして、投げ捨てられたズボンに手を伸ばす。

「駄目ったら駄目!」

「こら、逃げるな」

 ベッドから降りようとしたハヤテの足をミュラは掴む。ハヤテはベッドに沈んだ。ミュラは呆れたような声で言う。

「ハヤテ、こういうのにはムードが必要だ」

「ムードって……」

「良い子だから、私に身を委ねて……」

「ちょ、あっ!」

 ミュラの手がハヤテの内ももを撫でる。身体中に電気が走ったような感覚に襲われ、ハヤテは咄嗟にシーツを掴んだ。

「はぁ……っ、やぁ……」

「ハヤテは歌声だけでなく、鳴き声も美しいな」

「待っ、て……狼じゃないって、言った、くせに……ん、っ……」

「撤回しよう。私は紳士的な狼だ」

「意味が、分からない、っ……!」

 ミュラの手がハヤテの下着に触れる。駄目だ。このままでは脱がされてしまう……!

 ハヤテは思いきり叫んだ。

「僕の国では! こういうことは結婚するまでしちゃ駄目なんです!」

「……え?」

 ミュラの愛撫が止まる。その隙に、ハヤテはさっと起き上がってズボンを履いた。

「はぁ……っ、はぁ……」

「そうなのか、ハヤテ?」

「っ……」

 どれだけのカップルが貞操を守っているのかは知らないが、ハヤテは深く頷いた。

「それが侘び寂びとか武士道とか大和撫子なんですっ!」

「ワビ……何?」

 自分でも何を言っているのかよく分からなくなったが、とにかくハヤテはミュラを納得させようと必死になった。

「それこそが、守るべき伝統なんです!」

「伝統……ハヤテが育った国は、とても高貴なのだな……」

 ミュラは顎に手を当ててじっとハヤテを見つめた。

「……結婚を前提とした付き合いでも駄目か?」

「はい!」

「……キスは良いのに?」

「キスまでは、良いんです!」

「まぁ、そういうしきたりなら……仕方がないな」

 そう言って、ミュラは布団を整えてベッドに横になった。

「おいで、本当に眠ろう」

「……」

 ハヤテはおそるおそるミュラの横に寝転んだ。ミュラは手を伸ばしてハヤテの頭を撫でる。

「出来るだけ我慢を頑張るから、これからは毎日一緒に寝てほしい」

「が、我慢……」

「ハヤテはとても愛らしいから、いつまで理性が保てるかが不安だな」

「……つ、つまみ食いくらいなら、しても良い……かもしれません……」

「……!」

「今日は駄目ですよ!? もっと、時間をかけて……」

「まぁ、果実が熟すのを待つのも良いかもしれないな」

「熟すって……」

「ふふ」

 ミュラはハヤテの背中に手を回し、子供を寝かしつけるように、一定のリズムでぽんぽんと優しく叩いた。

「眠れぇ、眠れぇ……」

「み、ミュラさん?」

 突然歌い出したミュラの顔を、ハヤテは凝視する。ミュラは、笑みをこぼしながら言った。

「今夜は、私がハヤテに歌ってみようと思った。幸せな夢が見られるように」

「……もう十分に幸せです」

「もっともっと、幸せになれば良い」

「ミュラさん……そうだ、一緒に歌いませんか?」

「一緒に?」

「少しずつ、交代しながら歌うんです」

 ハヤテの提案に、ミュラは嬉しそうに微笑んだ。

「では、私から」

「はい」

「……眠れぇ、眠れぇ、小さな命よぉ……」

「お日様を浴びて眠れ、花のような心で」

「小鳥たちが作る虹が見えるでしょおぅ」

「瞼を閉じて雲に乗って……」

「眠れぇ、眠れぇ、小さな命ぃ……」

「あたたかい胸の中で……」

「……」

「……」

「ふふ」

「……えへへ」

 見つめ合って、ふたり同時にくすくすと笑い出した。

「楽しいな。ハヤテと歌うのはとても楽しい……」

「ふたりで歌うと、雰囲気も変わりますね」

「そうだな……ハヤテ、考えてみたんだが、あのポエムに音楽をつけてみたらどうだ?」

「え、ええっ!? 駄目ですよ! あれは心の中にしまっておくものです!」

「なら、歌うことを前提で歌詞を考えてみれば良い。きっと楽しいと思う」

 ミュラの提案に、ハヤテは唸る。歌詞を作るなんて経験は今までに無い。なので、上手く出来るか不安だった。

「難しそうで……ちゃんと出来るかな……」

「ハヤテ、最初から上手く作ろうとしなくて良い。私だって、最初の頃は満足のいく作品を生み出すことが出来なかった」

 ハヤテはミュラの顔を見る。ミュラの瞳は優しくこちらを見つめていた。ハヤテは、考える。ものを作るという共通の話題があれば、これからのコミュニケーションが潤滑になるかもしれない。そうすれば、もっとミュラのことを知ることが出来るかもしれない、と。

「そうですね……やってみようかな」

 頷いたハヤテの手を、ミュラは笑みを浮かべながら握った。

「今日からハヤテも、創作仲間の一員だ。歓迎しよう」

「それじゃ、あのカフェの集会に参加出来ますね」

 ハヤテの言葉に、ミュラは眉を下げる。

「あまりハヤテをあそこに連れて行きたくないが……ハヤテが望むなら一緒に行こう。ただ……」

 ミュラは、そっとハヤテを抱き寄せる。

「もうしばらくは、ハヤテのことを独り占めしていたい」

 甘い独占欲を感じながら、ハヤテはそっと目を閉じる。

 思いが通じ合って初めての夜。その時間は穏やかに過ぎていった。

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