第9話 街でデート

「ハヤテ殿、このパンは牛乳にとても合う。ひとついかがかな?」

「ハヤテさん、このハムはスパイスが効いていてとても美味しいわ。ひとくちどう?」

「えっと……」

 ハヤテは口に運ぼうとしていたフォークを止めて、そっと皿の上に置いた。

 窓からは穏やかな朝の日差しが差し込み、室内を明るく照らしている。夕食会を行ったのと同じ部屋で、同じメンバーがテーブルを囲んでいる。こうやって朝食を取るのは五回目だ。それも、飛び飛びではなく、連続で。何度経験してもまだハヤテはこの状況に慣れないでいた。

 言葉に詰まるハヤテの横で、ミュラが呆れたように口を開いた。

「父上も母上も、ハヤテに構いすぎです。パンも牛乳も、まったく同じものがハヤテの皿の上に並んでいるのに、そんなことを言ってはハヤテが困ってしまいます」

「だが……」

「でも……」

 同じタイミングでしょんぼりとした表情になる国王と王妃を見て、ハヤテは苦笑する。王妃は国王に無事に心の内を伝えられたようで、ふたりの間に流れる空気はとても柔らかいものに変わった。良いことだとは思うのだが、お互いにふとした瞬間目が合っただけではにかんだり、時間を作っては城内でデートをしたりと、見ているこちらが赤面してしまう毎日だ。

 夫婦関係の改善に一役買ったハヤテは、国王と王妃だけでなく、城内にで働く人たちにも感謝される存在になった。この夫婦の問題は、城中の悩みの種だったらしい。ひとつ役に立てたことは嬉しいが、ハヤテの心はまだ晴れない。まだ、ミュラを眠らせることが出来ていないのだ。

「ハヤテ、口の端にソースがついている」

「え? どの辺ですか?」

「ふふ、ここだ」

 ミュラはナプキンでそっとハヤテの口を拭う。その様子を見た国王は、不満そうにミュラに言った。

「お前だって、ハヤテ殿を構っているではないか」

 国王の言葉に王妃も頷く。

「私たちよりも構っているわ。それなのに私たちに文句を言うなんて、不公平よ」

「ふふ……」

 ミュラは勝ち誇ったような表情で、金髪を揺らしながらふたりに言い放った。

「ハヤテは私の天使だから、どれだけ構っても良いのです!」

 ミュラの発言を聞いて、俯いて顔を隠した。自分は天使なんかでは無い。本当に天使なら、すぐにでもミュラを眠りにつかせることが出来るはずだ。一番大切な仕事を達成出来ていないことに、ハヤテは焦りを感じていた。

「ハヤテ、朝食が済んだら私の部屋に一緒に来てくれるか?」

「あ、はい……寝室ですか?」

「ああ、少し時間があるから歌ってほしい」

 青い瞳を輝かせるミュラ。今度こそ、絶対に成功させよう、とハヤテは力強く頷いた。

 

「眠れ……眠れ……」

「ん……」

 目を閉じてベッドに横になっているミュラから少し距離を置いて、ハヤテは姿勢を正して歌い出した。朝は声が出にくいが、そんなことを言い訳にしてはいけない。ハヤテはコールお手製の子守唄の歌詞が書かれた紙を見ながら、ゆっくりとリズムを取って歌う。

「小さな命よ……お日様を浴びて眠れ、花のような心で……小鳥たちが作る虹が見えるでしょう、瞼を閉じて雲に乗って……眠れ、眠れ、小さな命……あたたかい胸の中で……」

 すっとハヤテは息を止めて、ミュラの顔を見た。彼は目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返している。これは、眠っているのだろうか……ハヤテはベッドに近づき、どきどきしながらじっとミュラを見つめた。

「……ハヤテ」

「っ!」

 ミュラはまだ眠っていなかった。ずきりとハヤテの胸が痛む。どうして、ちゃんと出来ないのだろう。ハヤテは落ち込みながら、小さく「はい」と返事をした。

「……ごめんなさい。僕、また失敗を……」

「いや、とても心が和らいだ。ありがとう」

 ミュラは起き上がり、ハヤテの頭に手を伸ばす。大きな手のひらで撫でられると、ハヤテの心は少し楽になった。

「ハヤテ、午後は何か予定があるか?」

「予定ですか?」

 ハヤテの毎日の予定は、特に決まっていない。夜やミュラが指定した時間に歌うこと以外は、自由に過ごして良いと言われている。歌の練習はもちろん行っているが、それだけをして一日を過ごせば喉を痛めてしまう。なので、ハヤテはコールに自分が何か手伝えることはないかと訊ねてみたのだ。

「そんな、ハヤテ様にお仕事を頼むなんて、ミュラ様に叱られてしまいます!」

 コールはなかなか頷いてくれなかったが、ハヤテの熱心な懇願にとうとう折れてくれた。案の定、ミュラがそのことを知ると分かりやすくむくれてしまったのだが。

「コールさんと書類の整理をする約束をしています」

 それを聞いた途端、ミュラはくちびるを尖らせてハヤテに言う。

「むう、コールめ。また今日もハヤテをこき使うつもりか……」

「あ、いえ。僕が頼んだんです。昨日の続きの仕事で……溜まっている古い書類だから、僕が内容を見ても大丈夫だって。だから、国家機密とかそういうのには触れませんから、その……」

「まったく、ハヤテは本当に真面目だ」

 ミュラは口元を緩めながら、ハヤテの肩を指でつつく。

「だいたい、仕事の相談ならまず初めに私にするべきなのに」

「だ、だって……」

 ハヤテはぼそぼそと言う。

「王子様のお仕事の邪魔をしたら駄目ですし……それこそ、外部に漏らしたらいけない情報を取り扱っているだろうから、部外者が関わったらいけないと思って……」

「部外者だなんて言うな。ハヤテは大切なこの国の一員だ」

 ミュラはベッドから降りて、靴を履きながらハヤテに言う。

「……よし、午後からは私と共に来てもらおう」

「え? ど、どこにですか?」

「着いてからのお楽しみだ。コールには私の方から話しておくから、ハヤテもそのつもりで用意しておくように」

「は、はあ……」

 いったい、どこに行くのだろう。不安そうな表情のハヤテに向かって、ミュラは微笑む。

「楽しいデートになりそうだ」

 

 城を出発した黒塗りの車は、流れるように城下を進み、ミュラが指示した場所に到着した。

「あの、ミュラさん……」

「待て、ハヤテ。今、ドアを開けるから」

 そう言ってミュラは車から降り、そっとハヤテに向かって手を差し出した。ハヤテは一瞬ためらったが、ゆっくりとその手を取って自分も車から降りた。

「ではミュラ様、我々は遠くから警護いたしますので」

「ああ、頼む」

 従者は一礼して車を発進させた。その姿が見えなくなってから、ミュラはハヤテの手をぎゅっと握り直す。

「行こう、ハヤテ」

「で、でも……」

「心配しなくても、先に到着している警護班がそこら中にいる。安全だ」

 ミュラは、黒いジャケットを見に纏い、頭には同じ色のキャスケットを被っている。本人曰く、完璧な、変装らしい。だが、自然と放たれているオーラが眩しい。横を歩く人が、ちらちらとこちらを見てから通り過ぎている。

「ミュラさん、やっぱり帰った方が……」

 ハヤテは茶色いカーディガンの袖をきゅっと握った。まさか、この国の王子様が街をうろうろしているなんて知れたら……大問題になるのではないだろうか。そう思うと、どうしても「デート」をする気にはなれない。新聞記者にすっぱ抜かれて「王子様、公務をサボって街をぶらぶら」だなんて書かれたなら、コールはきっと卒倒してしまうに違いないだろう。

「ハヤテ、大丈夫だから。私は何度もこうやって変装して、街を訪れているのだ」

「……本当ですか?」

「ああ、本当だとも」

 ミュラは深く頷いてみせた。

「芸術家の集まりが数ヶ月に一度あるのだ。馴染みのカフェでな……私は普段、偽名を使って創作活動をしている。そのせいもあってか、一度も正体がバレたことは無い」

「へぇ……」

「創作仲間でさえ、私の正体に気がつかないのだから、街をうろうろしている他人に気づかれるわけが無いのだ。だから、ハヤテ。今は楽しむことに集中してくれ」

「そういうことなら……分かりました」

 ハヤテは「よろしくお願いします」と言って頭を下げる。ミュラはそれを見て微笑み、ゆっくりと歩みを進めた。

 街に行きたい。そうミュラに聞かされた時は、ハヤテは本当に驚いた。どこかの視察なのかと問うが、そうでは無いとミュラは首を振る。

「ハヤテに、この国の素晴らしさを感じてもらいたいのだ。デートをしよう、ハヤテ」

 だから、手を繋いでいるのだろうか。ハヤテはミュラに握られている右手をちらりと見た。デートでは手を繋ぐのは当たり前なのだろうか。そんな経験のないハヤテには、何が正解で何が不正解なのか分からない。今はただ、横を歩くミュラに身を委ねるしかなかった。

「ハヤテは甘いものが好きか?」

「はい。好きです」

「ジェラートは食べられるか?」

「はい」

「なら、あの屋台のものが美味だ」

 そう言ってミュラは、少し先にあるカラフルな屋台を指差す。そこには、恰幅の良いピンク色のエプロン姿の女性が立っていた。おそらく店主だろう。ミュラは慣れた様子でそちらに向かい、その女性に注文した。

「ジェラートをふたつ頼む」

「あら、ミューロじゃないの、久しぶりね」

 ミューロ?

 ハヤテは首を傾げるが、先ほどミュラが偽名を使っていると言っていたのを思い出した。ミュラとミューロ。響きが似ていて、偽名としての役割を果たしているのか疑問だが、少なくとも今は正体は露見していないようだ。ハヤテは胸を撫で下ろす。

「ハヤテ、どんな味が良い?」

「あ、えっと……オレンジ色のはどんな味ですか?」

「あれはオレンジという果物の果汁を使っていて……」

「え? オレンジって、この世界にもあるんですか?」

 ハヤテは驚く。そういえば、飲んで気分が悪くなった酒も「ワイン」だった。

 ミュラは、ああ、と頷く。

「ご先祖様がハヤテの世界の影響を受けたおかげで、この国は他国と少し文化が違っていてな……ハヤテが食で困ることは無いと思う。好き嫌いだけは、教えておいてほしいが」

「分かりました」

「ちょっと、何をこそこそ話しているんだか知らないけど、味は決めた?」

 女性がにゅっと首を伸ばしてミュラを覗き込む。そんなに近づいたら正体が……とハヤテは落ち着かなかったが、ミュラは何も思っていないのか、冷静な口調で「オレンジをふたつ」と注文した。

「あら、ミューロったら、可愛い子を連れているじゃないの? どうしたの? その辺で攫って来たんじゃないでしょうね?」

 笑いながら女性が言う。ミュラは慣れた様子で言葉を返した。

「そうかもしれないな。心を攫ったという意味なら」

「あはは! 相変わらず面白いね!」

 ミュラは代金を支払うために、繋いでいた手を離した。ハヤテの右手から触れていた体温が遠のく。そのことが、どうしてだかハヤテの心をそわそわとさせた。まるで、手を離したことに、寂しさを覚えたかのように。

「ハヤテ、あのベンチに座ろう」

「は、はい」

 ベンチを指差してからふたり分のジェラートを受け取ると、ミュラは先に歩き出した。ハヤテはその背中を追おうとしたが、軽く肩を叩かれて振り向く。すると屋台から女性が苦笑いしながらハヤテに小声で言った。

「あんたも大変だね。見ない顔だし、新人さん?」

「……え?」

「王子様のお世話、頼んだよ」

 そうウインクする女性を見て、ハヤテは背中をぞっと震わせた。正体がバレている。バレているのに、この女性は気が付かないふりをしてくれているのだ……!

 ハヤテは女性に一礼して、慌ててミュラを追いかけた。

「ミュラさん……!」

「おっと、ハヤテ。今の私はミューロだ」

「み、ミューロさん!」

「ほら、早く座って食べよう」

 呑気にそう言うミュラだ。ハヤテはこの状況をどう説明すべきなのか迷う。正体を自信満々で隠せていると思い込んでいるミュラだ。言葉を選ばなければ、傷つけてしまう。

 とにかく落ち着いて……とハヤテはベンチに腰掛けて、ミュラからジェラートを受け取った。

「いただきます」

「……いただきます」

 いっそのこと、正体がバレていることを伝えずに、何か理由をつけて城に引き返せば良いのではないか。そうすれば、ミュラを傷つけなくても良い。よし、その作戦でいこう。ハヤテはそう決心して、手にしているオレンジのジェラートをプラスチックのスプーンで口に運んだ。

「あ、美味しい!」

 ハヤテの口から思わずぽろりと素直な感想が出た。ミュラは満足そうに頷く。

「私はこの街のほとんどの店に入ったことがあるから、美味いものが食べたくなったら私に一番に言えば良い」

「ほ、ほとんどの店にですか?」

「ああ、自慢にもならないが、私は十代の頃に城での生活が嫌になった時期があったのだ。その時に、よくこの街に無断で逃げ込んでいた」

「怒られますよね、そんなことをしていては……」

「ああ、父にも母にもコールにも散々説教をされた。だが、あの頃の経験があるから、今の私があるのだと思う」

 ミュラは空を見上げながら、小さく息を吐いた。

「当ても無く街をうろうろしている私を助けてくれたのが、創作活動をしている人たちだったのだ。彼らはそれぞれ種類は違うが、皆、芸術を愛して……表現することを愛している人たちだった」

「……良い出会いだったんですね」

「皆、とても親切にしてくれた。だが、当時の社会は、芸術家には厳しいものだった。創作なんて、ただの娯楽と一緒だという考えが強かったのだ……だから、私が変えようと思った。素晴らしい能力がある人たちが、安心して暮らしていけるような世の中にしようと思い、芸術の発展に力を入れているのだ」

「そういう経緯があったのですね」

 ハヤテは初めてミュラの心の奥に触れた気がした。辛かった時に支えとなったものを大切にしたいという気持ちは、とても良く理解出来る。今は堂々たる王子のミュラにも、ちゃんと子供だった時期があって、その中で辛い思いをたくさんしていたのだろうと思う。ハヤテは、そっと手を伸ばしてミュラの頭をキャスケットの上から撫でた。ミュラは目を丸くする。

「ハヤテ、急にどうした?」

「あ、いえ……いつもミュラさんがこうしてくれるから真似をしました。僕はこうされると、すごく心が落ち着くし嬉しいから……王子様にこんなことをするのは失礼ですよね。ごめんなさい」

「いや、謝らなくて良い。頭を撫でられるなんて、いつぶりだろうな……私も嬉しい」

 そう言いながら、ミュラはジェラートを口にして……頭を押さえて身を屈めた。

「痛い……寝不足に冷たいものは堪えるな」

「ミュラさん! 大丈夫ですか!?」

「はは、平気だ。けれど……」

 ミュラはキャスケットを除けて、ぐっと頭をハヤテに近づける。

「ハヤテがもっと撫でてくれたら、もっと大丈夫になると思う」

「えっ……」

「ああ、また痛くなってきた」

 そう言われては、放置も出来ない。ハヤテは初めて、ミュラの金色の髪に触れた。柔らかい。けれど、ところどころ傷んでいる。きっと睡眠をしっかり取っていないからだと手を動かしながらハヤテは思った。

「ミュラさん」

「ミューロだ」

「……ミューロさん。そろそろ……」

「まだ七回しか撫でていないじゃないか」

「ジェラートが、溶けそうです」

「私とジェラート、どっちが大事なのだ」

「そんなこと言う……」

「ふふ、冗談だ」

 ミュラは顔を上げて、キャスケットを被ってから、ぽんぽんとハヤテの頭を撫でる。

「お返しだ。ありがとう」

「ミュラさんって、人に触れるのが好きなんですか?」

「うん?」

「だって、いつも僕のことを撫でてくれるし……この前は、髪に……キスしたし」

 ワインを飲んで倒れた夜のことを思い出す。嫌ではなかったが、とても恥ずかしかった。だから、鮮明に記憶に残っている。

 ミュラはしばらくの間黙っていたが、やがて口を開いてはっきりと言った。

「好きだな」

「……やっぱり」

 これが出来る男の作法というやつか。自分には到底真似は出来ない。そう思いながらジェラートを口に運ぼうとしたハヤテの腕を、ミュラが強い力で掴んだ。

「あの……?」

「勘違いしないでほしいが、私は誰それ構わず触れるような軽い奴ではないぞ?」

 ミュラの言葉に、ハヤテは慌てて言う。

「軽いだなんて、思っていませんよ!」

「だが、少し呆れたように見えた」

「呆れてもいませんよ。ただ……」

「ただ?」

「出来る男は良いなあって、ちょっとだけ思っただけで……」

「出来る男? 私が? ハヤテにはそう見えているのか?」

「ええ、そうです」

「それは大きな間違いだ」

 ミュラはため息を吐く。

「私はまだまだ未熟者で……いつかは父の跡を継がなければならないのに、正直、それが出来るのかも不安だ」

「いえ、きっとミュラさんなら……」

「皆、そう言ってくれるが、自信が無い。父は少し心配になるところもあるが、国民の支持が高い。皆に愛される国王だ。それに比べて私は……きっと睡眠障害も、将来の不安が原因かもしれないな」

 ミュラは口を大きく開けてジェラートを放り込んだ。もう痛みは感じないのか、一気にそれを口内にかき込む。

「ああ、すっきりした」

 すべてのジェラートを食べ終えて、ミュラは空いた両手を天に伸ばす。

「こんなこと、誰にも話したことが無いのに、ハヤテには何でも言ってしまう。母の言う通り、ハヤテは不思議な人だな。さすが、私の天使だ」

「っ……その天使っていうのは止めて下さい。恥ずかしいです」

 頬を赤く染めるハヤテに、ミュラはくすっと笑いながら言う。

「事実だから、仕方が無い」

「事実って……」

「ハヤテは見た目も中身も歌声も、すべてが美しい。だから、たくさん触れたくなる」

 まるで愛の告白のような言葉に、ハヤテはますます顔を赤くした。不思議なのはミュラの方だと思う。同性の自分をこんなに褒めても、なんの得にもならないのに、いつだって愛が溢れた言葉をくれる。照れくさいし、恥ずかしいし、嬉しいし……ハヤテの心は様々な感情で満たされる。

「さて、ハヤテもそろそろ食べ終わるな……次はどこへ行こうか。リクエストは?」

「うーん……ミュラさん、いえ、ミューロさんが馴染みだとおっしゃっていたカフェに行ってみたいです」

「何? あそこに行きたいのか?」

「はい。どんなところなのか、気になっています」

 ハヤテの言葉に、ミュラはうーんと唸ってみせる。

「あのカフェは、店主も芸術家で……常連客も芸術家が多いのだ」

「そうなのですね」

「だから……あまりハヤテを連れて行きたくない」

「えっ? どうしてですか?

「あそこの連中……特に店主が変わり者だから」

「変わり者?」

 ハヤテは首を傾げる。ミュラは自分の頭を手で押さえながら言った。

「すべての芸術家が変わり者と言っているのではないぞ? ただ、あのカフェは特殊なのだ。どうやったらこんなに変わった奴らが集まるのだというくらい、皆、個性が強い」

「でも、中にはミューロさんのお友達もいらっしゃるんでしょう? その方の作品も気になります」

「そうか……ハヤテがどうしてもと言うのなら、まぁ、少しくらいは……」

「ありがとうございます」

 ジェラートを食べ終えたハヤテは立ち上がる。それを見て、ミュラも腰を上げた。

「絶対に私の傍を離れないと約束してくれ」

「分かりました」

 素直に頷くハヤテの右手を、ミュラは自然な流れで握った。ハヤテは驚く。

「ミューロさん、何も今からくっつかなくても……」

「違う。単純にハヤテと手を繋ぎたくなっただけだ。ハヤテの体温を傍で感じていると心地が良い。それに、知らない土地で迷子にでもなったらどうする? この街は意外とややこしい造りになっている」

「迷子って……僕は子供じゃないです」

「子供じゃなくても、迷う時は迷うのだ」

 さぁ、向かおうとミュラはハヤテの手を引いて歩き出す。ハヤテは手から伝わる熱をどきどきしながら感じていた。

 もっと、ミュラに触れてほしい。もっと、ミュラのことが知りたい。もっと、もっと、たくさん……どうしてこんなに欲が出てしまうのだろうか。こんな気持ちにさせてしまうミュラは、やはり不思議で魅力的なのだとハヤテは思った。

 そういえば、早く帰った方が良いと提案するはずだったのに……ハヤテは、ちらりとミュラの横顔を見つめる。彼は楽しそうに街並みをハヤテに説明していた。

 もう少しだけ、デートを続けたい。そんな思いがハヤテに芽生えた。カフェに行って、それからすぐに帰るように言おう。そう心の中で誓って、ハヤテはあたたかい右手にぎゅっと力を込めた。

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