第13話 手紙と贈り物
「ハヤテ様! おはようございます!」
「ハヤテ様! お疲れ様です!
「ハヤテ様! 王子様なら書斎ですよ!」
「……ど、どうも……おはようございます」
広い城内を、ハヤテは小さくなってそそくさと歩いた。これから、コールと共に行う書類の整理が待っている。そのために廊下を歩いていただけなのに、ハヤテは何十人という人間から明るく声をかけられ続けている。最近はずっとそうだ。誰もが、ハヤテに優しい言葉をくれる。その原因は……。
「ハヤテ!」
「っ……!」
原因を作った張本人、ミュラが廊下の反対側から笑顔で大きく手を振っている。ハヤテは小さく息を吐いて、ミュラに向かって頭を下げた。
一週間前に、この国と隣国との間で新たな条約が結ばれた。それは、今までの不平等な関係を大きく見直すもので、表面上での差は感じさせないが、深く中身を見ると、こちら側が優位に立つ内容になっている。ミュラや国王らの努力の賜物だ。
トニーは極秘で自分の国に送還された。最後まで悪態をつき続けていたが、自分の父である国王に強烈なビンタをくらって気絶をしたと、送還に立ち会った者たちが報告していた。
「その光景が見たかったな。向こうの国王の目の黒いうちは、厳重な監視の中で生きることになるだろう。まぁ、他人の家庭のことは放っておこう」
中庭のベンチにもたれながらミュラが言う。睡眠障害から解放されたその顔からはクマが消え、その表情はとても明るい。肌にも髪にも、美しい艶が戻っていた。
「……僕は、あの王子の顔を一生見たくありません」
「ああ、見る必要はない。その美しい瞳に、汚れたものは映さなくて良い」
ミュラは隣に座るハヤテの頭を撫でる。
「ハヤテを悲しませた代償は大きいということを、向こうは身をもって知ることになるのだ」
「ミュラさん……」
「……さて」
ミュラは羽織っていた上着のポケットから白い封筒を取り出して、ハヤテの手に握らせた。
「今日も読んでほしい」
「は、はい」
ハヤテは封筒を見る。「ハヤテへ」と書かれたそれには、赤い薔薇のシールが貼られていた。
「では、私はそろそろ戻る」
「あ、はい」
「また夜に」
ミュラと別れて、ハヤテは自室に戻ろうと廊下を歩いていた。すると、部屋の扉の前に数人の人影が見えた。ハヤテは駆け寄る。
「あの、どうかされましたか?」
「ああ、ハヤテ様ですね? 私はこういうものです」
一番風格のある男性が名刺が差し出してきた名刺をハヤテは受け取る。そこには「テーラー」の文字があった。
「仕立て屋さん……」
「はい。本日は王子様の命で参りました。ハヤテ様に、最高のお洋服をと……さっそく、採寸の方に取り掛かりたいのですが、よろしいですか?」
「え、あ、はい……」
わけがわからなまま、ハヤテは身体のサイズを詳しく測られ、好みの布について詳しく訊かれ、着たいデザインをサンプルの中から選ばされた。
テーラー軍団が部屋を出て行ってから、ハヤテはぐったりとベッドに倒れ込む。経験したことの無い疲れがどっと押し寄せていた。
「ミュラさん、会った時に教えてくれれば良かったのに……」
そういえば、とハヤテはポケットに入れていた手紙を開ける。
「えっと……オーダーメイドの服をプレゼントしたい。受け取ってくれ……?」
ハヤテはぐったりとベッドに沈んだ。
「……直接、口で言ってほしい……」
ミュラは毎日のようにハヤテに手紙を渡し続けている。最初の三日間は一緒に花束までついてきた。
「このお花はどうされたのですか?」とハヤテが問えば、ミュラは「中庭に咲いているものを切った」と答えた。こんなに頻繁に切ってしまっては、花も庭師も悲しむだろう。
「嬉しいですけど、せっかく綺麗に咲いているお花を切ってしまっては可哀想です」とハヤテが伝えると、ミュラは「ハヤテは本当に優しいな」と言って微笑んだ。
花束のプレゼントは終わったのだが、次はもののプレゼントに切り替わってしまった。
毎日ではないが、今日のように王族御用達の業者が出入りすることも珍しくない。つい先日は星がいくつついているのか忘れたが、有名なレストランのシェフが昼食を運んで来たばかりだ。
ハヤテにプレゼントを贈り続けるミュラのことを、城の者たちは微笑ましそうに見守っている。その視線はハヤテにも向けられていて、ハヤテは落ち着かない心で毎日を過ごしていた。
「すみません、遅れてしまって……」
すでに仕事に取り掛かっていたコールに、ハヤテは頭を下げる。コールは「いえいえ」と首を横に振った。
「事情は伺っております。ハヤテ様も大変ですねぇ」
「……」
「それで、今日こそは告白されましたか?」
「……いえ、まだ……」
ハヤテの言葉に、コールはため息を吐く。
「これだけ好意をにおわせておいて、まだ告白のひとつも出来ないのですか! いつまでハヤテ様を待たせれば気が済むのでしょうか! 早く当たって砕ければ良いのに!」
「……砕けるって、そんな……」
ハヤテは苦笑する。毎日のように熱い情熱をぶつけられて、何も感じないほどハヤテは鈍くはない。これは愛を伝えるための手段なのだと、はっきりと分かっていた。
「……僕の方から、言っちゃおうかな」
そう呟いたハヤテに、コールは目を見開いて言う。
「それは、いつのご予定で!?」
「いつ、って言われても……」
「このコール、ハヤテ様の勇姿をこの目にしかと焼き付けたく! 場所はどこでしますか? 夜景を見ながら!? それとも書斎でのオフィスラブ……」
「……コールさん、楽しんでいますね?」
にやにやと笑うコールを見て、ハヤテは息を吐く。こんな話を出来るのは城内ではコールしか居ない。年齢が近そうな者は城にたくさん居て話したことはあるのだが、親しい関係とまではいかない状態だ。そんな相手と恋について語り合う勇気など無い。ハヤテは心のもやもやを溜めてばかりいた。
仕事が終わって部屋に戻り、ハヤテは机に向かった。そして、今日の仕事内容をノートに書き記す。日記代わりにこうやって日々の記録をつけるのがハヤテの日課だった。
「えっと、過去の書類のファイリング……それから、書庫への本の返却……」
ハヤテは、ノートの余白をじっと見る。そうだ……言えないのなら、書いてしまえば少しはすっきりするかもしれない。ハヤテは思いのままにペンをきつく握り、心の声をノートに書き連ねた。
「……いつも優しい愛をくれる、花束も嬉しいけれど、言葉が欲しい、告白、好きという言葉……」
ペンを走らせるハヤテの耳に、扉をノックする音が飛び込んで来た。ハヤテは慌ててノートを閉じ、それを机の引き出しに突っ込んだ。
「は、はい!」
「ハヤテ、私だ。今、良いか?」
「どうぞ!」
きい、と扉が開いてミュラが入って来た。扉の隙間から見えた警護の男性がにこにことこちらを見ているのが目に入り、ハヤテは急に恥ずかしくなった。
「ハヤテ、休んでいるところにすまないな」
「いえ……どうされましたか? 何かお手伝い出来ることがあるなら……」
「ハヤテ」
ハヤテの肩を指でつつきながらミュラが言う。
「ハヤテはいつだって真面目だな。最近は仕事にハヤテを取られてしまって寂しい」
「……ミュラさんだって、仕事が恋人だっておっしゃってましたよ?」
「それは過去の話だ」
くすりと笑いながらミュラは言う。
「今日は夕食のお誘いに来たのだ」
「夕食、ですか?」
「ああ、父と母が夕食会をやりたいと言い出してな……良かったらハヤテにも参加してもらいたい」
「それは有り難く参加させていただきたいですけど……ミュラさんと国王様はお忙しいのでは?」
ハヤテは驚く。ここのところ、皆、ばたばたとしていて、揃って食事をする機会は無かった。数回、偶然国王を目撃した時、その顔には濃いクマが出来ていて、かなり疲労を溜めているのが窺えた。
ハヤテの言葉に、ミュラは微笑む。
「ようやく落ち着いてきて時間が出来た。ここ最近は朝食もばらばらに取っているだろう? だから、父も母も皆が揃っての食事を楽しみにしている」
「分かりました。僕も楽しみです。是非、参加させて下さい」
「良かった。ありがとう」
そう言ってミュラはソファーに腰掛けた。どうやら、部屋を出る気は無いらしい。どうしようかと迷ったが、ハヤテは移動してミュラの横に座ることにした。
「ハヤテの部屋は落ち着くな」
「え? そうですか?」
「ああ、ハヤテのにおいがして落ち着く」
「……どんな、においですか?」
「オレンジジュース」
「もう……」
くすくすとミュラは笑う。ハヤテもつられて破顔した。
「……今日はホットケーキを食べたんだ」
「おやつですか?」
「いや、昼食に」
ミュラは自分のこめかみに指を当てる。
「ホットケーキには、バターとシロップがついてくることが多い」
「そうですね」
「どうして、あの組み合わせなのだろうかと私は考えた」
最近は、こうやって軽い雑談をする時間が増えている。ミュラの息抜きになるのなら嬉しいので、ハヤテはそれに付き合う。なんでもない会話をすることは、とても楽しい時間だ。
「両方いっぺんに出されても、先にどちらを塗って良いのか困る。作った人間に訊いても、好きなように食べてくれとしか言わない。とても無責任だ。正解が欲しいのに」
「僕は……先にシロップですね。なんとなく、ですけど」
「私はバターだ。ホットケーキが熱い間に、溶かして塗り込みたい」
「ああ、それは美味しそうですね。今度やってみます……自分で作ろうかな」
そう言ったハヤテの顔をミュラは凝視する。
「ハヤテ、料理が出来るのか?」
「ええ、まぁ……得意ってわけでは無いのですけど」
元いた世界では、いつも料理をしていた。風邪を引いても、学校の日でも、シフトがある日でも、包丁を握らないことは叔母に許されなかったのだ。なので、一般的な料理のスキルは身についている。
ミュラはハヤテの手を掴み言った。
「食べてみたいな、ハヤテの手料理」
「それは、構いませんが……お口に合うかなぁ……僕は専属のシェフの方が作る料理は出来ないですよ?」
「問題無い。ハヤテの作る家庭料理が食べたい……褒め言葉にあるだろう? 確か、毎日、味噌汁を作ってくれ、というのが」
「……」
それは褒め言葉ではなく、プロポーズの言葉だ。ハヤテは数秒置いてから「僕は聞いたことが無いです」と作り笑顔で答えた。
「そうか、文化が違うのだな」
「……たぶん、そうかと。ミュラさん、好きな食べ物はなんですか? オレンジジュースは無しですよ?」
「ふふ……好きな食べ物は……困るな、出されたものは好き嫌いなく食べるように叩き込まれたから、あまり深く考えたことがない」
「おつまみ系なら、何を食べますか?」
「チーズやハムだな」
「それは調理しなくても、そのまま食べられますね……」
「……ああ、そうだ! 弁当が食べたい」
「え? お弁当ですか?」
「そうだ、それなら色々な味が楽しめる」
ミュラは目を輝かせる。
「ピクニックをしよう、ハヤテ。きっと楽しい」
「素敵ですね。でも、上手に出来るかな……冷凍食品ってこの世界にありますか?」
「うん? 食品を冷凍するのか?」
「そうです……急速冷凍って言うのかな。食品を素早く冷凍したら、美味しいままで保存出来るって、確か……」
「興味深い話だ。そんなことが出来たら、様々な分野で食というものは変わってくるだろう……メモがしたい。ハヤテ、何か書けるもの……紙とペンを貸してくれないか?」
「あ、はい。ちょっと待って下さいね」
ハヤテは立ち上がり、机に向かった。そして、先ほどまで使っていたペンを手に取る。
「えっと、紙……」
この部屋にメモ帳は無い。仕方がないので、ハヤテはノートを引き出しから取り出して、何も書かれていない白いページを破った。それらをミュラに手渡す。
「どうぞ」
「ありがとう。冷凍食品……急速冷凍……よし、これで忘れない」
ミュラはノートの紙を丁寧に追って、上着のポケットに入れた。それから、ペンをハヤテに返して立ち上がる。
「そろそろ行こうか。良い時間だ」
ミュラは腕時計を見る。ミュラと時計の組み合わせは、なんだか新鮮だ。思わずじっと見つめてしまったハヤテに、ミュラが訊ねる。
「どうかしたか?」
「あ、いえ……格好良い時計だなって」
「格好良いのは時計だけか?」
「えっ? いえ、そういうわけでは……」
慌てるハヤテを見て、ミュラは可笑しそうに口元を緩める。
「冗談だ。さぁ、行こう」
ミュラはハヤテに手を差し出す。ハヤテはその手をゆっくりと取った。
「こうやって、ゆっくりと食事が出来るようになり、まずは一安心だ」
国王がワインの入ったグラスを掲げながら言う。
「また忙しくなることもあるだろうが、まずはこのひとときに感謝して……乾杯」
王妃とミュラ、そしてハヤテは国王の言葉に合わせてグラスを掲げる。ハヤテのグラスにはワインではなく、雰囲気だけでもとブドウジュースが入っていた。
「ハヤテ殿、毎日慌ただしくてすまないね。こちらでの生活には慣れたかな?」
「はい。おかげさまで毎日充実しています」
「そうか……その、ミュラと仲良くしてくれてありがとう」
「仲良くだなんて、恐れ多いです」
ハヤテの言葉に、ミュラは不機嫌そうな表情になる。
「仲が良いのは事実だ。恐縮する必要は無いぞ」
「ミュラさん……!」
「あの、その……」
国王は、もじもじと落ち着かない様子でハヤテに言った。
「順調に進んでいるのかな?」
「順調? お仕事のことでしょうか? それはコールさんにご指導していただき、毎日勉強を……」
「いや、そうではなく、ミュラとはどこまで進んで……痛いっ!?」
国王が声を上げる。急に叫んだ国王を見てハヤテはぎょっとした。
「酷いよ……ハイヒールで踏むなんて!」
「あら失礼。足が滑ったわ」
王妃はそう言って、目の前のアクアパッツァにナイフを入れる。
「ハヤテさん、我が国はお魚も美味しいの。是非食べてちょうだい」
「は、はい……」
ハヤテはそれを口に運ぶ。トマトの濃厚な味が口の中に広がった。
「父上、近いうちに休みをいただきたいのですが、よろしいですか?」
フォークを置いて姿勢を正したミュラが言う。国王が首を傾げた。
「休み? ああ、休みなさい。いちいち訊かなくても良いから」
「ここ最近は予定が狂ったように入っていましたので。念のため、父上に確認をしておこうかと」
「そうだな……しばらくは、平常運転だ。何かあれば早めに伝えよう」
「ありがとうございます。では、ハヤテに合わせて休ませていただきます」
ミュラはハヤテを見て言う。
「ハヤテ、コールと相談してからで良いから空いている日を教えてくれ。都合が良い時に行こう」
どこに行くのかと疑問に思ったが、おそらくピクニックのことだろう。ハヤテは食べる手を止めて「はい」と頷いた。
「え? ふたりでどこに行くんだ?」
目を丸くする国王に、ミュラは自慢そうな態度で言った。
「ピクニックです」
「ピクニック!? ミュラが!? 似合わないなぁ……」
「なんとでも、おっしゃって下さい」
「美術館ではないのか? お前の定番だろう?」
「美術館は飲食禁止ですから」
ミュラはハヤテを優しい瞳で見つめながら言う。
「ハヤテの手料理、楽しみにしているな」
「……はい。頑張ります」
ハヤテはどきどきしながら頷いた。
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