第4話 眠れぬ王子

「準備が整うまで、この部屋で待っていてくれ。自由にくつろいでくれて構わない」

「は、はい……」

 通されたのは、がらんと広い客間のような部屋だった。置かれているテーブル、ソファーなどの家具は、アンティークショップで売られているような年季が入りながらも上品なもので、値段のことを考えるとハヤテは座るのを少し躊躇ってしまう。

 いつまでもソファーの前で突っ立ったままのハヤテに、ミュラが不思議そうに言った。

「ハヤテ、座らないのか? ハヤテはこういったソファーよりも座布団の方が座りやすいのか?」

「あ、いえ……大丈夫です」

 ハヤテはソファーの端の方にそっと腰掛けた。座り心地は程よい硬さで抜群に良い。思わず背もたれに身体を預けてしまいたくなったが、ここは城の中で目の前にいるのは王子様だ。そう思うと、どうにも落ち着かず、ミュラが言うようにくつろぐ気持ちにはなれなかった。

 ハヤテはこの部屋にたどり着くまでの道のりを思い返した。

 城の外観は、日本史の教科書に載っていた日本の城、そのままの姿をしていた。壁は白く、屋根の瓦は黒い。三重構造になっていて、一階が一番大きく面積を占めていて、次が二階、一番小さいのが三階となっている。小さいと言っても、外から見ただけでも随分な広さがあった。きっと一番偉い人、国王やその家族……ミュラのような身分の人がそこで暮らしているのだろうと思った。

 城の中に入ってみれば、そこに広がる景色はがらりと変わった。城の外観から想像していた襖や木が剥き出しの廊下は無く、すべてが重厚な洋風の扉で、床にもカーペットが全面に敷かれていた。靴を脱ぐのか迷ったハヤテだが、先を歩くミュラが靴のまま城内に入ったので、その真似をした。城内の家臣らしき人々や、後ろを歩く警備を司っているらしき人々に何も注意をされなかったので、ハヤテはこっそりと安堵のため息を吐いたのだった。

「あの……ミュラ、さま」

「ん? どうした? 急に改まって」

 もっと気楽に呼んでくれ、とミュラはハヤテとの距離を詰めて隣に腰掛けた。その行動にハヤテの心臓が跳ねる。異世界とはいえ、真横に王族が居るというのはどうにも落ち着かない。それに、先ほどまでと同じように接しろというのも無理だと思った。

「ミュラ様、このお城は不思議ですね」

「不思議?」

「なんというか……外から見たら僕の世界に建っているお城に似ているんです。ですが、中に入ったらその……雰囲気が、外国っていうか……なんと言えば良いのか……」

「ああ、そういうことか」

 ミュラは微笑む。

「この城は私の先祖が、ハヤテの世界の城をモデルにして建てさせたものなんだよ」

「え!? 僕の世界をモデルに?」

「そう、この国を作った、大昔のご先祖様の話だ」

 ミュラは立ち上がり、窓際まで歩くとシルクのような柔らかな素材のカーテンにそっともたれかかった。

「ご先祖様は、とても魔力が強い方だったと聞いている。その力を使って、小さく危うかったこの国を作り上げたそうだ。ある時、彼は異世界というものに興味を持ち、ハヤテ、君の世界に行って色々と観光……失礼、研究をしたそうだ」

「それは……すごい話ですね」

 驚くハヤテを見て、ミュラは深く頷いてみせた。

「今、この国に異世界を簡単に行き来するほどの力を持つ者は居ない。だから、ご先祖様はとてつもない人だったんだ……ご先祖様はハヤテの世界の和と洋の違いに目をつけて、その……言い方は悪いが、良いところ取りをした城が欲しいとお考えになったそうだ。だから、この城は見た目と中身が違っている」

「なるほど……」

「ああ、先に訊いておくべきだったな。ハヤテ、寝る時はベッド派? それとも畳の上に布団派? どちらでも部屋を用意できる」

「えっと、どちらでも大丈夫です」

「そうか……コールはきっとベッドの部屋を用意しているだろう。もし、過ごしにくいことがあればいつでも知らせて欲しい。数は少ないが畳の部屋もこの城にはあるからな」

「はい。お気遣い、ありがとうございます」

「睡眠の質が落ちると……日常生活に支障が出るからな」

 そう言ったミュラの表情が曇る。親指と人差し指を眉間に当てて目を瞑ったミュラは、それから口を閉ざしてしまった。どこか体調が悪いのではないかとハヤテは心配になる。大丈夫ですか、ハヤテがそう訊ねようとしたその時、外から扉を三回ノックする音が聞こえた。ミュラは目を開けて背筋を伸ばし、ハヤテに見せた影のある表情からきりっとした顔に切り替える。

「入れ」

「はっ。失礼致します」

 扉を開けて入ってきたのはコールだった。彼は隙の無い素早い動作で室内に入り扉を閉めると、まずはミュラではなくハヤテの方に足を進め、懐から光沢のある布を取り出してハヤテに差し出した。

「ハヤテ様、こちらをお忘れになっておりました」

「え……」

 何だろうと思いながらハヤテは両手でその布を受け取る。それは重みがあって、中に何かが挟んであるようだった。ハヤテはゆっくりと布を広げる。すると、そこから出てきたのは、カラオケボックスで使っていたマイクだった。どうやら草原でいつの間にか落としてしまっていたらしい。ハヤテは礼を言ってマイクを受け取り、布をコールに返した。

 マイク……そうだ! ハヤテは勢い良く立ち上がる。

「大変だ! 僕、カラオケの代金をまだ払っていない!」

「……カラ、オケ? 何ですか、それはどのようなものなのでしょうか?」

 コールが首を傾げる。どうやらこの世界にカラオケの文化は無いらしい。ハヤテはミュラをちらりと見る。彼も不思議そうな顔をしていた。仕方がないのでハヤテは早口で説明する。

「カラオケっていうのは、歌うんです。機械があって、そこから曲を選んでそれで……また別の機械から音楽が流れる。そういう設備のある建物があるんです」

「機械から音楽が出るのか?」

 興味を持ったのか、ミュラがハヤテの隣に移動して、また隣に腰掛けた。

「まるで魔術のような話だな。それで、ハヤテ、君が手にしているそれは、カラオケで使うものなのか?」

「はい。マイクと言います。これは、声を拾って大きくしてくれる機械……なのかな。すみません、よく理解しないまま使っていて」

「いや、謝らなくても良い」

 ミュラは優しく目を細めてハヤテの頭を撫でる。だが、すぐにコールに向き直って硬い口調で彼に言った。

「音楽が関係している……コール、ハヤテがこの世界に来てしまったのは、そのカラオケというのが原因だな」

「はい。それで間違い無いかと」

 ミュラとコールは同時にハヤテを見た。ふたり分の視線が突き刺さり、思わずハヤテの心臓が跳ねる。

「ハヤテ、君は歌うことが得意なのではないか?」

「え?」

 自分で「得意です」というのは何だか照れ臭い。なのでハヤテは言葉を変えた。

「歌うことは、好きです」

「なるほど。そして、この世界にくる直前も歌っていたんだな? 間違い無いな?」

「そ、そうですけど……」

 ハヤテがそう答えると、ミュラは唐突にハヤテのことを横から抱きしめた。どうして自分がハグされているのか理解が出来ないハヤテは、目を白黒させて固まってしまう。そんなハヤテをよそに、ミュラは抱きしめる腕の力を強めて「良く来てくれた……」と呟いてハヤテの首筋に顔を埋めた。濃い触れ合いに心臓がばくばくとうるさいくらいに鳴っている。このままでは壊れてしまいそうだ。助けを求めてハヤテはコールを見るが、彼は「ハヤテ様自身が、癒しの音……」と口元に両手を当てて目を見開いている。

 癒しの音。

 草原でも聞いたその響きをハヤテは思い出した。そうだ、その意味をまだ訊いていないではないか。ハヤテはとんとんとミュラの胸を叩いて「癒しの音って何ですか!?」と出来るだけ大きな声で言った。すると、数秒の間を置いてミュラはハヤテからゆっくりと離れる。そして、ハヤテから視線を逸らして俯いてしまった。失礼な態度を取ってしまっただろうか。ハヤテは焦ったが、すっとコールが横から口を開いた。

「ハヤテ様、その件については、わたくしから説明させていただきましょう。ミュラ様の口から直接お話しされるのは、あまりにも酷な内容でございますゆえ」

「こ、酷って……」

 ハヤテは息を呑んで、コールの言葉を待った。コールは痛ましげな表情で、自分の胸に手を当てながらハヤテに言った。

「実は、ミュラ様は……」

「っ……」

「ミュラ様は、深刻な睡眠障害を抱えておられるのでございます……」

「す、睡眠障害? 眠れないんですか?」

「ああ、眠れないのだ」

 ミュラが顔を上げてハヤテに言った。コールは心配そうにミュラを見たが、ミュラは構わずに言葉を続ける。

「眠ろうと思ってベッドに入ってもまったく眠れない。眠れたとしても、数分から一時間ほどしか睡眠を取れないのだ」

「それは、困りますね……」

「ああ、こう見えて三日前から一睡もしていない」

「え!? 三日前から寝ていないのですか!?」

 ハヤテは驚く。目の前のミュラからはそんな病を抱えているようには見えない。凛々しく、しゃんとした真っ直ぐな姿勢は、王子という立場に相応しい貫禄が溢れるものだ。三日も眠っていないのなら、もっとふらふらになってもおかしくないだろう。ハヤテは心の底から心配になって訊いた。

「身体は大丈夫なのですか? 無理をしないで休んだ方が……」

「王子様という立場ゆえ、そう簡単には休めるものでは無いのですよ」

 コールが悲しげに眉を下げて言う。

「ミュラ様はずっと無理をなさっています。ついこの間、公務の最中にふらつかれましてね……そのことを居合わせた新聞記者が記事にしてしまったのです。王子様はお疲れのご様子、と……この記事の内容が、どうやら、あまり仲の良くない隣国に漏れてしまいまして……これは極秘に掴んだ情報なのですが、隣国の王子がこのことを政治利用しようとしているとかで……」

「不確かな情報に踊らされるのはどうかと思うがな」

 少し不機嫌そうな表情でミュラが言った。ハヤテはちらりとその目元を確認する。すると、今までは気にならなかったが、そこにはうっすらとクマが出来ていた。よく見ると頬やくちびるも少し荒れている。これでは、綺麗な白い肌が台無しだと思った。

 コールは咳払いをひとつすると、ミュラに反論し始めた。

「ですがミュラ様、あの王子はいつもミュラ様を見下しています! 少し歳が上だというだけなのに、偉そうに……」

「育ちが悪いのだと思って聞き流せ。それよりも、今は癒しの音のことだ」

 ミュラは頬を掻きながら眉を下げてハヤテを見る。

「恥ずかしいことに、私が体調管理を出来ないせいで多くの人々に心配をかける事態になってしまった。そこで私は、異世界の音に頼ることにしたのだ」

「音に頼る……ああ、眠る時に、心を落ち着ける音楽を流そうとしたのですか?」

「ハヤテ、君はとても察しが良いな。そう、その通りだ。この国で癒し効果のある音楽の類はすべて試した。だが、どれも効果は無かったのだ。そこで異世界の癒し効果のある音を求めた……するとハヤテ、魔術は君を選んで呼び寄せた。これがどういう意味か分かるな?」

「……僕の歌声が、もしかしたらミュラ様を眠らせる作用があるもの、ということですか?」

「大正解でございます! さすが、ハヤテ様!」

 ぱちぱちと手を叩きながら、コールは涙を流している。その様子を、ハヤテは信じられないといった様子でぼんやりと眺めていた。まさか、自分の歌声が異世界で役に立とうとしているなんて、これは本当に現実のことなのだろうか。もし、そうなら……嬉しい。それが素直なハヤテの気持ちだった。こんなにまで、他人から存在を求められた経験なんて無い。もしここで認めてもらえたら……そう思うとハヤテの心は熱くなった。

「では、さっそく歌っていただきましょうか!」

 流れる涙を、先ほどまでマイクを包んでいた布で拭きながらコールが言う。彼は両方の手のひらを胸の前で組み、目を瞑ってハヤテが歌い出すのをスタンバイしている様子だ。そんなコールに、ミュラが呆れたような声で言った。

「コール、お前は気が早すぎる」

「で、ですがミュラ様。やっとお休みになれるかもしれないのですよ? ミュラ様だって今すぐにでもベッドに飛び込みたいでしょう?」

「その前にまだ公務が残っている。それに、ハヤテは慣れない世界に連れて来られて疲れているに違いない。ハヤテ、私のことは気にしなくて良いから、今日は一日ゆっくりと休んでくれ」

「いえ、疲れていませんから大丈夫です!」

 ハヤテは必死で否定した。まさか、眠れない王子様を差し置いて、自分だけベッドですやすや眠るわけにはいかない。ハヤテはコールに向かって問うた。

「どんなものを歌えば良いですか? 僕、この世界の音楽を何も知らないから。言葉だって……って、あれ? 言葉……」

 ハヤテは違和感を覚えた。どうして、自分は初めて来た異世界の言葉を話せているのだろう。

「どうして僕は、この世界の言葉を理解出来ているのですか?」

「ああ、それは多分、ハヤテをこちらに呼び寄せた時に大量の魔力を使ったことに原因がある」

「大量の魔力……」

「ああ。異世界に干渉するためには、かなりの力が必要になるからな。その時に使った魔力がハヤテに流れ込んだに違い無い」

「えっ、じゃあ、僕は今、魔術が使えるってことですか?」

「いや……それは、厳しいな」

 ミュラは苦笑する。

「修行をすれば使えるようにはなるかもしれないが……今は言葉を理解することだけに集中してもらえると有り難い」

「分かりました」

「それにしても……」

 ミュラは眉間にシワを寄せながら、ハヤテの頬に自分の手のひらをそっと当てた。

「私以外の魔力がハヤテの中に流れているなんて……妬けるな」

「え……?」

 妬ける、とはどういう意味だろう。ハヤテはミュラを見上げる。一瞬だけぶつかった視線。その青い瞳の中に閉じ込められたような気がして、ハヤテはびくりと身体をこわばらせた。

「あ、あの……代金! お金を払わないといけないんです!」

 なんとも言えない緊張感から抜け出したくて、ハヤテはぱちんと手を叩いた。

「僕はこの世界のお金を持っていないし、自分の居た世界のお金はすべて向こうに置いてきてしまいました。なので、立て替えてはいただけないでしょうか? 働いて、必ずお返ししますので! ついでに、このマイクも返しておいてはもらえませんか?」

「ああ、そういえばそう言っていたな。いくらだ? ああ、しかし通貨が違うのだな……コール、適当に金の置物を向こうに送っておけ。メッキでは無い純金なら、どの国でも有効だろう」

「はっ。かしこまりました……ハヤテ様、そのマイクというものをわたくしにお預けいただけますか? 金の置物と一緒に、必ず送り届けますので」

「あ、はい」

 ハヤテはマイクをコールに手渡す。コールはそれを両手で受け取ると、ハヤテとミュラに一礼してから、足早に部屋を出て行った。

「純金の値段の分だけ、ちゃんと働けるかな……」

「ハヤテ? 何か不安なことがあるのか?」

「あ、その……純金って、この世界ではどのくらいの価値があるのかなって。もしかしたら、僕なんかが一生働いても返せる金額じゃないかもしれないな、と思って」

 ハヤテが小さな声でそう言うと、ミュラはぷっと吹き出した。そして、可笑しそうに声を震わせながらハヤテに言う。

「初めから返してもらおうなんて思っていない。だから、そんなことは気にしなくて良いぞ?」

「で、でも……借りたものはちゃんと返さないといけないと思います」

「ハヤテは真面目なんだな。なら……こうしよう」

 ミュラは流れるような動作で、ハヤテを横抱きにした。ハヤテは、今日で何度目かになる悲鳴を上げる。

「ミュラ様!?」

「そのミュラ様というのは止めてくれ。ミュラ、と呼び捨てにしてくれて構わない」

「そんなこと、出来ません!」

「ハヤテは意外と頑固だな。なら、出会った時のように呼んでくれ。ほら、言えるだろう? 王子の命令だ」

「……ミュラさん」

 ハヤテの言葉を聞いて、ミュラは満足げに頷いてみせた。そして、ハヤテを抱いたまま扉の方に向かって歩き出す。ハヤテは慌ててミュラに言った。

「ミュラさん、まさかこのまま外に出るつもりじゃないですよね!?」

「ああ、出る」

「それなら降ろしてください! こんなの恥ずかしいです!」

「駄目だ。これからハヤテには働いてもらわないといけないのだからな。今から移動で疲れられても困る」

「え?」

 首を傾げるハヤテに、ミュラは眩しい笑顔で言った。

「私の部屋で働いてもらおう……その身体を使ってな」

「か、身体って……」

「ふふ」

 怪しく低い声で笑うミュラ。ハヤテはその腕に抱かれながら、ただただ顔を赤くすることしか出来なかった。  

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