第2話 モニターの中へ

「私の心はいつも……」

 柔らかく透明感のある、少し高い歌声が響く。ハヤテは話す時と歌う時では、発する声が変わる。日常生活の中では、特別に高い声というわけではない。だが、歌う時になると自然に声が高くなる。

 会話での声と歌う時のギャップがコンプレックスだった高校時代、ハヤテはそのことを音楽の教師に相談した。すると「歌っている時は腹式呼吸がちゃんと出来ているってことだね。普段から腹式呼吸をすると、もっと良い声で過ごせるから頑張って」とアドバイスをもらった。気にしなくても良いのか、と安心したハヤテは、それからのびのびと自分の声を信じて歌うことが出来るようになった。

 よく歌うのは女性歌手の曲だ。男性の人気アイドルやバンドの曲を歌えたらとても格好良いと思うのだが、どうも自分の声に雰囲気が合わない。それに比べて、女性歌手の曲、特にゆったりとしたバラードは自分の歌声にとてもぴったりと当てはまる。歌詞が恋や愛について綴ったものが多いので、初めの頃は恥ずかしさを覚えていたハヤテだが、歌う回数が増えた今ではもう慣れた。ただ、恋愛の経験が無いので感情を上手くメロディーに乗せられているのかが不安だ。一度は恋を経験してみたいという感情はあるが、異性にも同性にもときめきを感じたことが無い。いつかそんな出会いがあれば良いが……数年しか家族の愛情を受けたことが無い自分に、他人を愛することが出来るのだろうか。そのことがハヤテの心にいつも突き刺さってしまう。

「愛しています……」

 すっと音楽が止み、室内はしんと静まり返った。ハヤテは小さく息を吐いてから、腕時計を見た。自由な時間はあっという間に過ぎ去り、退室時間まではあと十五分だ。

「最後は、いつものやつを歌おう」

 端末を操作して、決まっていつも最後に歌う曲名を探す。それもまた恋愛の曲で、出会ってから家族になり、そして生まれ変わったらまた一緒に恋をしよう、という歌詞だ。

「家族、か」

 一瞬だけ寂しさを覚えたハヤテだが、曲が始まると気持ちを入れ替えマイクをぎゅっと握った。目を瞑り、昔、確かに与えてもらった「愛」を思い出す。そうして、すっと息を吸って口を開いた。

「俯いていたあの日……」

 モニターに表示される歌詞を目で追う。ある日お互いに落ち込んでいたふたりは偶然出会い、恋に落ちた。その恋はずっと続いて、大きな愛になった。生まれ変わっても、またきっと一緒に居よう。ずっと手を繋いでいよう……ハヤテの透き通った声が室内を満たしていく。

 曲が次の言葉で終わる。ハヤテは肩の力を抜き、それでも出来るだけ感情を込めて歌い続けた。

 その時。

「また恋をしようよ……っ?」

 突然、目の前のモニターが眩しいくらいに白く輝き出した。故障だろうか? ハヤテはそう思いながら、薄目でモニターを覗き込んでみた。そこにはもう歌詞は表示されていない。ただただ白い世界が広がっていた。

「これ、店の人に言った方が良いよな……」

 そう呟き、手に持っていたマイクをテーブルに置こうとした瞬間、びゅう、と冷たい風が室内に流れた。ハヤテは天井を見上げる。室内の温度は二十五度に設定してあるのに、こんなに冷えた空気が流れ込んでくるのはおかしい。空調まで故障したのか。これは放っておけない事態だ。ハヤテは店員を呼び出す端末を操作しようと、それに手を伸ばそうとした。だが、それは背後から「何か」に強い力で「引っ張られた」ことによって阻止されてしまう。

「え、な、何……?」

 ハヤテは振り向く。しかし、自分の後ろには誰もいない。けれど、確かに、自分は引っ張られている。真っ白く光る、モニターの方に向かって。

「ま、待って! これ、マジの心霊現象なんじゃ!?」

 ハヤテを引っ張る力はどんどん強くなる。ハヤテは前に進んで逃げようと足を動かしてみたが、自分を襲っている力には敵わなかった。

「なんで! た、助けて!」

 そう叫んだが誰も来ない。絶望に飲み込まれたハヤテだが、さらに信じられない状況になっていることに気が付いた。

 頭の半分が、モニターの中に入っている。

「ひっ……」

 ありえない。自分の身体は、今まさにモニターの中に連れて行かれようとしている。

「だ、誰か……! お願い! 誰か!」

 助けて。

 そう言葉を発する前に、ハヤテは掃除機に吸引されるかのような勢いで、全身をモニターの中に取り込まれてしまった。

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