第7話 国王と王妃
「ほう、ではそなたの居た世界……国は、和の文化なのだな?」
「そ、そうです」
「では、ここのような外観の城は見たことはあるのか?」
「はい……本やテレビで……」
「日本食は何でも美味いというのは本当なのか? 私は直接赴いて味わったことが無いのだ。特に、本場の寿司は絶品なのだろう?」
「ええっと……」
「父上」
矢継ぎ早にハヤテに質問してばかりの国王に、ミュラが呆れた様子で言った。
「そんなにたくさん一度に訊いてしまっては、ハヤテが困ってしまいます」
ミュラの言葉に、国王ははっとして背筋を正した。手に持っているフォークに刺さった肉から、ぽたりとソースが落ちる。
「すまないな、ハヤテ殿。何しろ異世界の者と、こうして共に食事をする機会が人生の中で経験出来るとは夢にも思っていなくてな。無礼を許してくれないか?」
「ぶ、無礼だなんてとんでもないです! 何でもおっしゃって下さい!」
午後七時に夕食会は開かれた。
ぴんと張った白いシャツ、皺ひとつ無い黒いズボン、ぴかぴかに磨き上げられた茶色い革靴を身につけ、ハヤテは緊張で震える手を膝の上でぎゅっと握っている。目の前に出された料理は、もう冷めてしまっているだろう。食欲をそそる香ばしいソースがかかった分厚い肉のステーキを目の前にしても、ハヤテはそれに手をつける気分にならないほど固くなっていた。
夕食会は、城の二階で行われている。三メートルほどある長いテーブルの一番端に国王、その隣に王妃、その向かい側にミュラが陣取っている。知った顔が近くにあった方が落ち着くだろうという理由で、ハヤテはミュラの隣に座ることになった。
ミュラを挟んでいても、国王に話しかけられると、尋常では無いほどに緊張してしまう。国王は穏やかな雰囲気を持つ、優しそうな男性だ。髪はミュラと同じ金髪だが、瞳の色は夕日のようなオレンジ色をしている。身に纏っているのは豪華絢爛な装飾の上着……ではなく、ハヤテとミュラ同様に白いシャツで、ズボンもシンプルな茶色いものだった。公務で外に出る時は、煌びやかな服を着るのかもしれないが、こうして城内で家族と過ごすときは、ラフな格好なのかもしれない、とハヤテは想像した。
「あなた、食べながら話すのはお行儀が悪いですわ。話すか食べるか、どちらかに絞りなさいな」
「わ、分かっているよ……王妃」
国王は王妃に睨まれ、びくりと肩を震わせて、手に持っていたフォークを皿の上に置いた。王妃は「ふう」と息を吐き、グラスのワインをひとくち飲む。それをハヤテは、落ち着かない様子でちらりと見ていた。
王妃の髪は金色ではなく茶色い。だが、瞳はミュラと同じ青色だ。とても綺麗だと思うが、ハヤテはその瞳を直視出来ないでいた……この王妃の雰囲気が、少し叔母に似ているのだ。見た目はまったく異なっているが、きりっとした目つきがどことなく叔母のことを思い出させる。今頃、叔母はどうしているだろうか。姿を急に消したハヤテのことを、怒り狂って探しているかもしれない。そう思うとぞっとした。
「ハヤテさん」
「はっ、はい!」
王妃が表情を崩さないまま口を開く。
「国王のことは放っておいて、お酒でもお飲みなさい。喉が渇いているでしょうに」
「……いただきます」
ハヤテはグラスを手に取り、赤いワインをじっと眺めた。今までの人生で、ワイン……酒類を飲んだことが無いので戸惑ったが、ここで断るのも悪い気がする。ハヤテは意を決して、グラスの中のワインをぐいっと半分ほど飲んだ。
「おお、良い飲みっぷりだ! 異世界の者というのは、とても興味深い」
「……恐れ入ります。とても美味しいお酒ですね」
本当は、苦くて渋くて、まったく美味いとは思わなかった。けれども、失礼なことは言えない。ハヤテは無理やり笑顔を作って、グラスをそっとテーブルの上に戻した。
「ミュラよ」
「はい、父上」
「私は気になっていることがある」
「何でしょうか」
「ずばり、ハヤテ殿の歌声についてだ!」
癖なのだろう、またフォークを手に取ろうとした国王だ。それを王妃が「あなた?」と声で制した。気まずそうに咳払いをして、国王は両手を下げながら言う。
「そなたは、ハヤテ殿の歌声を……子守唄を聞けば、眠れるかもしれない。そう言っていたな?」
「はい」
「その歌声が……気になって仕方が無いのだよ」
国王は、そわそわした様子でハヤテに言う。
「ハヤテ殿よ、今ここでその歌声を披露してはくれないか」
「……えっ」
この夕食会で歌えと言われるとは思ってもみなかった。どうしよう。心の準備も出来ていなければ、アルコールが通った喉が熱くてひりひりしているのだ。いつも通りの声が出るとは、到底思えない。
ハヤテが返す言葉に迷っていると、王妃が国王を睨みながら言う。
「あなた、今はお食事の場ですよ。それなのに、歌が聴きたいですって? 冗談じゃないわ。私が騒がしいのが嫌いなのをお忘れなのかしら?」
そう言うと、王妃は立ち上がる。王妃は濃い緑色の装飾の少ないシンプルなデザインのドレスを身に纏っていた。その裾を翻し、皆に背を向けてしまう。
「お遊戯会なら、私の居ないところでやってちょうだい」
「王妃! どうか機嫌を直して……」
国王の言葉に耳を貸さず、王妃は早足で室内から出て行ってしまった。テーブルが沈黙に包まれる。
「……どうして、父上はいつも、母上の機嫌を損ねるのですか?」
ミュラが呆れたように言う。国王は俯いて深いため息を吐いた。
「だって、王妃が何を考えているのかが、良く分からなくて……」
「何年、夫婦をやっておられるのですか」
「……三十年くらい」
「真面目にお答えにならなくて結構です」
ミュラは呆れ顔で切り分けていたステーキの最後の塊を口の中に入れた。それを飲み込んでから、隣のハヤテに笑いかける。
「恥ずかしい場面を見られてしまったな」
「いえ、そんな……」
「ご覧の通り、私の家族はかなり不安定な状態にある」
ミュラは息を吐く。
「父上も母上も、喧嘩をしているわけでもないのに、何故かすれ違っているのだ。公務の際は仲睦まじい関係を装っているが、実際はこんな感じで……こうやってテーブルを囲んだのは、いつぶりでしょうかね、父上」
「うう……」
すっかり国王の威厳は影を潜めてしまっている。ハヤテの目には、ただの少しげっそりとした男性が映る。
「……家族って、大変なんだな」
ぼそりとそう呟いて、ハヤテは喉を潤そうとグラスに手をかけた。本当はオレンジジュースが飲みたい気分だったが、まだワインが残ったままだ。これを放置するのは悪い気がして、ハヤテは残りを勢い良く飲み干した。
「ハヤテ殿のご両親は、どんな方たちなのかな?」
「え?」
突然の国王の問いかけに、ハヤテは硬直する。両親は居ない。けれど、真実を話せばこの食事会の空気は今よりもずっと重くなってしまうだろう。
「えっと、僕の家族は……」
「父上、他の誰かの家族の形を真似ようとされていますね? いけませんよ、我々は我々の家族を築かねば」
草原でのハヤテの様子を覚えていてくれたのだろう。ミュラの助け舟にハヤテはほっとした……同時に、鋭い頭痛に襲われる。
「ハヤテ?」
「っ……」
テーブルに肘をついて頭を押さえるハヤテの顔を、ミュラが心配そうに覗き込んだ。
「ハヤテ、頭が痛むのか? 気分が悪いのか?」
「あ、いえ、平気です……」
そう言いながらも、ハヤテの視界はかすみ、酷い耳鳴りがしていた。心臓がばくばくと鳴って、汗が額から首を伝う。全身が熱くて苦しくて、とても気分が悪かった。
「う……」
「ハヤテ!」
ふらついたハヤテの身体をミュラが抱き止める。
「医者を! 早く医者を呼べ!」
そう叫ぶミュラの声を、ハヤテは遠のく意識の中で聞いていた。
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