第11話 自覚した思い

 城には中庭がある。

 城の外観に似合わず、そこは洋風の作りで、砂利ではなく芝生が敷き詰められている。大きさは学校のプールほどの広さがあって縦に長い。その四方には色とりどりの花が植えられていて、毎朝、庭師が水や肥料をやる世話をしている。

 ハヤテは庭のちょうど真ん中に置かれた木製のベンチに腰掛けて、ぼんやりと空を見上げていた。

「……はぁ」

 口からはため息ばかり出る。空は雲ひとつなく晴れ渡っているが、ハヤテの心は今ひとつ晴れない。

 カフェでの一件から、今日で一週間になる。あれからこの国と隣国の間で、極秘の取引が続いている状況だ。詳しい話は聞かせてもらえない状況のハヤテだが、ミュラやコールがオブラートに包んで言うには、隣国の国王は、どうにかして息子が犯した罪を隠蔽したいらしい。そんなことは許さないと、強気なのはこちらの国だ。今はまだ情報を統制しているが、いつだってこのカードは自由に動かせると隣国に圧をかけている。

 前々から両国は静かに睨み合っている状態が続いていた。それが今、どう動くかで、毎日のように城内には緊張が走っている。ハヤテは、今回の件に深く関われない立場にいることが、どうにももどかしかった。

「ハヤテ!」

 ハヤテが呼ばれた声の方を見ると、三階の窓を開けたミュラが大きく手を振っていた。何か用だろうか、と立ち上がろうとしたハヤテに向かってミュラが叫ぶ。

「そこに居てくれ! すぐに行くから!」

 ハヤテが返事をする間も無く、ミュラは窓を閉めてしまった。ハヤテの心拍数が上がる。自分でも、わくわくしているのが恥ずかしいくらいに分かった。

 数分の後、ミュラが中庭に入ってきた。階段を駆け降りて来たのだろうか、その息は少し乱れている。

「ミュラさん、何かご用なら僕の方から伺いますよ?」

 ハヤテの言葉に、ミュラは笑顔で返す。

「いや、休憩しようと窓の外を見たらハヤテが居たから会いたくなっただけだ。用は特に無い」

 そう言いながら、ミュラはハヤテの横に腰掛ける。疲労が溜まっているのだろう。その顔色は悪く、前よりもクマが酷くなっている。ハヤテの心は痛んだ。

「さて、と……」

 ミュラはベンチの背もたれに身体を預けながらハヤテを見た。

「今日は何を歌ってもらおうかな?」

「ミュラさん……」

 

 きっかけは、五日前の書庫でのことだ。コールに手伝いを頼まれたハヤテは、使わなくなった数冊の本を腕に抱えて書庫を訪れた。書庫内は静かで人の気配は感じられない。ハヤテは少し不気味さを感じながら、本の背表紙に貼られたシールの番号と、棚の番号を照らし合わせて慎重に目的の場所を探した。

「えっと……ここか」

 すべての本には種類ごとに番号が振られている。その番号によって収納する棚が決まっているので、慣れた者は目的の棚にすぐに向かうことができる。ハヤテにはまだそれが出来ないので、きょろきょろとしながら薄暗い書庫内を進む毎日だ。

「……正しい睡眠方法、か」

 棚に戻した本のタイトルを見てハヤテは苦笑する。誰よりもコールはミュラのことを心配していたに違いない。返すように言われたのは、このようなタイトルのものばかりだった。

「こっちのは、眠れない夜に読む物語……」

 ハヤテは本を棚に戻しながら、似たような歌詞の曲があったな、と思い出す。

「眠れない夜に読むのはあなたの手紙……」

 どさっ、と遠くの方で床に本が落ちる音が響いた。ハヤテははっとする。つい口ずさんでしまったが、ここは書庫だ。静かにするのがマナーなのに、とんでもないことをしてしまった……!

 どかどかと靴音がこちらに近付いて来る。ああ、叱られてしまう、と身構えたハヤテは一瞬にして身体を大きなぬくもりに包まれてしまった。

「み、ミュラさん!?」

「……ハヤテ。ああ、ハヤテ……」

「ミュラさん、いつからここに!?」

「ハヤテが入ってくる前から居た。驚かせようと棚の奥に隠れていたのだ……ハヤテ」

 ミュラはハヤテを腕の中に閉じ込めたまま言った。

「今の歌を、もっと聴きたい」

「え……?」

「子守唄以外も歌ってほしい。ハヤテが歌えるもの、すべてを聴きたい……」

 懇願するような青い瞳で見つめられたハヤテは、首を縦に振るしかなかった。

 

「甘い夢のような愛を下さい……月のように優しい愛を……」

「……」

 ハヤテの歌声を、ミュラは目を閉じて黙って聴いている。集中しているのか、リラックスしているのか、目を休めているのか、分からない。ハヤテとしては、この状況は有り難かった。いつだって歌うのはカラオケボックスや、家に誰も居ない時だけだったので、人に見つめられながら歌うのは緊張してしまう。なので、ミュラの視線を感じていない状態ならば、のびのびと歌うことが出来た。

「……ミュラさん?」

「……」

 ミュラは動かない。いつもなら、歌い終わったハヤテに賞賛の言葉を贈っているのに、今日は何も言わない。美しい姿勢を崩さないままで、規則正しい呼吸を繰り返している。

「あ……」

 ハヤテは両手で自分の口を押さえた。今、ミュラに話しかけてはいけない。何故ならミュラは……。

「……寝て、る……?」

 小声でそう呟いて、ハヤテは音を立てないように気を付けながらミュラの顔を見る。薄く開いた口からは、すうすうと呼吸の音がする。それに合わせて、長い睫毛が小さく揺れている。これは、確実に眠っている……! ハヤテの心は踊った。自分の歌でミュラが眠るのは初めてのことだった。

「……ん」

「っ!」

「んん……」

「……ふう」

 ハヤテはベンチにもたれながら、安堵の息を吐く。嬉しい。ミュラが目を覚ましたら、ありがとうと言って褒めてくれるだろうか。頭を撫でてくれるだろうか。どきどきと心臓の音が耳に響く。膝の上の手が緊張で震えていた。

 ミュラさん、とハヤテは心の中でその名を呼ぶ。ここ最近は、ハヤテも熟睡出来ない日々が続いていた。ベッドに入って目を閉じると、瞼の裏にミュラの顔が浮かんでしまうのだ。それだけではない。夢の中にまで、ミュラは現れる。夢の中のミュラは一段とハヤテを甘く扱ってくれる。手を繋いで、指を絡め、耳元で「ハヤテ」と囁く。その声を聞いた途端、ハヤテはいつだって目を覚ましてしまう。目を開けて、空っぽの右手を見ては肩を落とす毎日だ。

「……ん、ん?」

 ミュラの瞼がぴくりと動き、ゆっくりと開いた。

「おはようございます、ミュラさん」

 ハヤテは笑顔でミュラに言った。ミュラはぼんやりとハヤテの顔を見つめていたかと思うと「なんということだ!」と叫んで立ち上がる。

「ハヤテの歌の途中で眠ってしまった! なんという不覚!」

「ミュラさん……」

 ハヤテは苦笑しながらミュラに言う。

「眠れたんですよ! その、僕の歌で……」

「眠れた……ああ、私は、そうか……寝ていたんだな……?」

 混乱している様子のミュラに、ハヤテは頷いてみせた。

「はい、十分くらいですけど」

「眠れた……そうか、ああ……なんだか頭がすっきりとしている。目の疲れも取れたようだ……ハヤテ、ありがとう。ハヤテの歌声を聴き逃してしまったのは大問題だが、一歩前に進めたようだ」

「ふふ、次は夜ですね。いっぱい聴いて下さい。僕、頑張って歌いますから」

「頼もしいな、ハヤテは」

 そう言ってミュラはハヤテの頭を撫でる。ああ、このぬくもりが、今日ずっと欲しかった。ハヤテはうっとりと目を細めた。

「それにしても、ハヤテは意外と情熱的なのだな」

「え? 僕がですか?」

 首を傾げるハヤテの頬を、ミュラはつんと指でつつく。

「昨日の歌も、一昨日の歌も、恋愛の歌だった。歌詞から熱い思いが伝わってきて、聴いていると少し照れてしまうな」

「えっと……違う感じのやつが良かったですか?」

「いや、いつも通りの感じが良い。なんと言うか……この国の子守唄よりも、ハヤテの感情が伝わってくるみたいで好きだ」

「そ、そうですか……」

 ミュラの発言に、ハヤテはどきどきしながら笑顔を作る。感情が……心の底がミュラに伝わってしまうのは、まずい。

 ミュラのことを考えると胸があたたかくなったり、ずきりと痛んだりする。ああ、きっとこれが恋というものなのだと、ハヤテはとうとう自覚していた。恋は甘くて苦い、とよく歌う曲の歌詞にある。まったくその通りだと思った。

「ハヤテ、もう昼食は取ったのか?」

「いえ、まだです。ミュラさんは?」

「私もまだだが……今手をつけている仕事が終わってからにしようと思う。ハヤテ、午後からの予定は?」

「えっと、いつも通りにコールさんに指示を貰います」

「そうか、無理をしないようにな」

 ハヤテの肩をぽんと軽く叩いてから、ミュラは「また後で」と言って城の中に戻って行った。その背中が見えなくなるまで、ハヤテはじっとそれを見つめていた。

「会ったばかりなのに、また会いたくなるなんて……」

 ハヤテは気に入っている歌詞のワンフレーズを口ずさむ。恋を知らなかった頃に比べれば、上手く歌えているような気がした。

 

「ハヤテ様! これからお昼でございますか?」

「はい。コールさんも?」

「その通りでございます」

 廊下でコールに会ったので、ふたりは共に食堂へ向かうことにした。食堂は一階にあり、この城に仕えている者なら誰でも自由に無料で利用することが出来る。

 ミュラはハヤテに専属のシェフをつけようとしていたのだが、それはハヤテが断ったので実現しなかった。なので、ハヤテはこの城に仕えている者たちと同じものを食べることが多い。

「そういえば、ハヤテ様とお食事をご一緒するのは初めてですね」

「そうですね」

 食堂は一度に百人ほどが入れるのではないかというくらいに広い。テーブルと椅子を片付ければ、緊急時に人が集まれるように広く設計されているらしい。ハヤテとコールは、入り口の近くの席に座った。座ってすぐに、ウェイターが注文を取りに来る。ここでは座る前に外のメニュー表から注文する内容を決めておくのがルールだ。

「ご注文をどうぞ」

「……オムライスの小サイズ、ドリンクはオレンジジュースで」

 子供っぽいと思われたら恥ずかしいな、と思いながらハヤテはそれを注文した。昨日はハンバーグとライスのセットを食べている。食堂のメニューをすべて制覇しようというのが、ハヤテの密かな目標だ。

「わたくしは、シェフの気まぐれカレーを辛さ二十倍、トッピングに赤唐辛子を五本で。ドリンクはジンジャエールをお願いします」

「かしこまりました」

 ウェイターが立ち去ってから、ハヤテは驚いた顔でコールに訊いた。

「コールさんって、辛いものがお好きなんですか?」

「いやぁ、お恥ずかしい」

 コールは照れくさそうに頬を掻く。

「辛いものを食べていると、不思議とストレスから解放されるのですよ」

「ストレス……」

「ええ、ここ最近は城内がぴりぴりしているでしょう? ミュラ様の体調のことも気がかりですし、もうどこへこの鬱憤をぶつければ良いのか……そんな時は辛いものです。胃薬に頼るか辛いものに頼るか……わたくしは絶対に後者を選びます」

「そ、そうですか……」

 仕事を頑張って、コールの負担が減るように頑張ろう。ハヤテはそう決意した。

 注文したそれぞれの料理が運ばれて来たので、ふたりはスプーンを握って食事を開始した。口の中のオムライスを飲み込んだところで、ハヤテは「そういえば」と口を開く。

「さっき、中庭に居たんですけど」

「そうでしたか。歌の練習ですか?」

「練習ではなく、本番でした」

「と、言いますと?」

「ミュラさんが来られたので、僕は歌ったんです。そうしたら、ミュラさん、十分くらい眠られました」

「へぇ! あのミュラ様がお眠りになられたんですか……へっ?」

 からん、とコールの手からスプーンが滑り落ちる。

「ハヤテ様!」

「は、はいっ!?」

「そういうことは、もっと早くおっしゃって下さい! ああ、お赤飯を炊かないと! それともターキーの方が良いでしょうか!?」

「こ、コールさん?」

「ああ、おめでたい……! これぞ、愛の力……! 素晴らしい!」

 今にも食堂を飛び出して王族専属のシェフのもとに向かって行きそうなコールに、ハヤテは慌てて言った。

「コールさん! ミュラさんはたった十分程度しか寝ていないんですよ! まだ睡眠障害が完治したわけではありません!」

「分かっています! 分かっていますともっ! ですがハヤテ様! これは大きな一歩です! きっと愛の力が効果を発揮したのですよ!」

「愛の力って……」

「ふふふ、このコールが何も気付いていないとお思いですか?」

 コールの言葉に、ハヤテはどきりとする。もしかして、自分の恋心が露顕しているのではないか……身を固くするハヤテに、コールは不敵に笑いながら言った。

「ハヤテ様とミュラ様、ふたりは幸せ全開のカップルなのでしょう?」

「……え?」

 首を傾げるハヤテを見て、コールもまた首を傾げた。

「あれ? 違うのですか?」

「……違います」

「ええっ!? そんな……それじゃあ、おふたりはお付き合いもまだなのに、そこら中でいちゃいちゃされているんですか!?」

「い、いちゃいちゃなんかしてません!」

 否定するハヤテに、コールは怪訝そうな視線を送る。

「目撃情報があるんですよ?」

「目撃情報って?」

「ハヤテ様とミュラ様が、書庫で抱き合って熱いキスを交わしていた、と」

「き、キス!?」

 ハヤテは顔を真っ赤にして言った。

「キスはしてません!」

「ほほう、抱き合ってはいたのですね?」

「っ……」

 しまった、と思えど時すでに遅し。にやにやするコールの前で、ハヤテは力無く項垂れた。

「……あれはミュラさんが急に抱きしめてきて、それで……」

「あんな薄暗い書庫で、こっそり逢引きを重ねておられたのですね?」

「そんなんじゃなくて、偶然……」

「その時の心境は!? ミュラ様はどう言って口説いてこられましたか!?」

「……コールさん、ゴシップ好きですね?」

「大好物でございます」

 うふふと笑うコールだ。ハヤテはこんなに楽しそうなコールを今まで見たことが無かった。

「ミュラさんって、スキンシップが多いですよね? 誰にでもあんな感じなんですか?」

 ハヤテの問いかけに、コールは大きく首を横に振る。

「とんでも無い! 普段は王子として節度のある態度を取られています。他人にべたべた触れるようなことはありません」

「えっ、でも……」

 ハヤテは今までのミュラの行動を振り返った。思えば、出会ったその日にベッドの上で抱きしめられている。本当にキスが出来そうな距離で話をしたり、頭や頬を撫でたり……たくさん触れられてきた。これはいったい、どういうことなのだろう。首を捻るハヤテに、コールは「そこなのです」と強く頷いてみせた。

「どうやら、ハヤテ様の前となると、ミュラ様の距離感のリミッターが故障してしまうようなのです」

「故障って……」

「ハヤテ様、長年ミュラ様にお仕えしているわたくしには分かります。あの方は今、ハヤテ様に間違いなく、ほの字です……!」

 そうなのだろうか。そうだとしたら、嬉しい。ハヤテはどきどきと鳴る胸を押さえた。

「あとは、ハヤテ様次第ですな。ミュラ様のことを受け入れるかどうかは」

「ぼ、僕は……」

「さて、そろそろ食事を再開いたしましょうか。冷めてしまう前に」

 そう言ってコールはカレーを口に運んだ。ハヤテも少し遅れてからオムライスを食べ始める。今夜、ミュラに会うというのに、今からこんな話をしていては緊張してしまうではないか。緊張をほぐそうと、ハヤテはオレンジジュースをひとくち飲んだ。その程度で緊張からは解放されるわけもなく、好物のその味を上手く感じ取れないまま、ハヤテは食事を終わらせたのだった。

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