第16話 恋中さんと朝食とちっぽけな意地

「お客様、カウンター席へどうぞ」


 恋中さんの部屋に入ると机に案内された。

 前回はディスプレイやら何やらに埋め尽くされていたが、今日は一部が綺麗に片付けられている。


「ありがと。わざわざ用意してくれたんだ」


「おもてなしです」


 感謝を伝えると、彼女は得意げな様子で胸を張った。かわいい。


「あれ? この椅子、買ったの?」


 片付けられた机の手前、前は無かった丸い椅子がふたつある。


「えっとですね、それは、み……」


「み?」


 恋中さんが俺の顔を見て口をパクパクさせている。

 

「何か付いてる?」


「いえっ、その……」


 彼女は俺に背を向けて深呼吸を始めた。


 マジで謎だ。

 何か言いにくいことがあるのか?


 服装は制服。チャックは閉まってる。

 寝癖は整えたし、一応、歯も磨いた。


 分からん。

 どこがダメなんだ?


 俺が不安に思っていると、彼女は何か決意した様子で振り向いた。


 そしてあちこちに目を泳がせた後、俺を下から覗き見るようにして、口を開いた。


「……み、……み、……君専用です! 喜びなさい!」


「……うん。ありがと」


 今日の恋中さん、いつも以上に情緒が変だ。かわいいけど。

 それはさておき、椅子を買ってくれたってことは、この先も何回も部屋に呼ぶ予定があるってことだよな……やめろ。余計なこと考えるな。


「朝ご飯、持ってくるので座って待っててください」


「分かった。待ってる」


 手伝いを申し出ようかと思ったが、ここは素直に従うことにする。

 俺は奥の方にある椅子に座って、彼女から見えないように長い息を吐いた。


 開き直ってイチャイチャする。

 自分の感覚をアップデートする。


 昨夜、決意した。

 でも実際に彼女を見たら頭が真っ白だ。


「お待たせしました」


 まだ少し不機嫌そうな声。

 彼女は前回と同様に紙の皿と包装された割り箸を机に置いた。


 そして、当たり前のように隣に座った。

 ただそれだけなのに、周囲の空気が変わったように感じてしまう。


 俺は息を止めて皿に目を向ける。

 皿の半分にカラフルな野菜があり、もう半分にはハムに包まれた白い物体がある。


 これは、何だろうか?

 不思議に思っていると、恋中さんが箸を使ってふたつに分けた。


 切れ目からとろりとした黄色いモノが現れる。

 それを見た瞬間、白い物体の正体が卵だと理解した。


「美味しそう。恋中さん、本当に料理が上手だね」


「…………」


 あれ、何も言わない。

 いつもなら得意気な言葉が聞けるところなのに。


 気になって彼女の顔を見る。

 嬉しくてにやけてしまう表情を必死に堪えている様子だった。


「温かいうちに食べてくださいねっ」


「うん、ありがと。頂きます」


 軽く手を合わせ、用意された割り箸を袋から出す。

 そして……どうやって食べようか? サイズ的には一口でイケそうだけど、それは少しもったいない気がする。


 恋中さんはどうやって食べるのかな?

 目を向けると、彼女は期待と不安が入り混じったような表情で俺を見ていた。


 ……先に食べて感想を言えってことね。


 心の声が聞こえたような気がした。

 俺は内心で苦笑して、ふたつに分かれたハムエッグの一方を箸で摑む。それから、思い切って全て口の中に入れた。


 ひんやりとした触感だった。

 それをゆっくり噛むと、途中でぷにっとした弾力があった。その直後、温かい何かが口の中に広がる。多分、半熟卵だ。それは冷たいハムや白身と混ざり、上品な甘味と旨味を生み出した。


「……ん、美味しい。好きな味」


 恋中さんを見て感想を伝えると、彼女は面白いくらいに嬉しそうな顔をした。


「おかわりもありますからね」


「ありがと。因みに、今日も二百円で良いかな?」


「……私は、気にしないですよ?」


「俺が気にする」


「私の月収、6250ドルですよ?」


「それでも払う」


「でもでも、お友達ですよ?」


「友達だからこそ」


 このやりとりをするのは何回目だろうか。

 恋中さんはいつも断るけれど、俺としては譲れない。

 自立するために一人暮らしを始めたのに、たまたま隣の部屋だった同級生に養われるような状況になるなんて、数ヵ月前の俺に聞かせたら殴られてしまう。


「悪いけど、これは恋中さんが折れてくれ」


 だから、その気持ちを素直に伝える。


「俺は自立したい。そのために一人暮らしを始めた。だから、恋中さんに貰ってばっかりだと、落ち着かない」


 彼女は唇をギュッと結び、斜め下を向いた。


「……私だって、貰ってばっかりですよ」


 そして小さな声で言った。

 俺は聞こえなかったことにして、食事を再開する。


「うん、やっぱり美味しい」


「……じゃあ、これからも定期的に作りますね」


「ありがと。めっちゃ嬉しい」


「……えへへ」


 それから静かに朝食を続けた。

 淡々と食事をしているだけなのに、とても心地良かった。


 しかし、そんな時間も長くは続かない。

 というか、一瞬だった。軽い朝食という感じのメニューだったから、五分も経たずに食べ終わってしまった。


 学校へ行くまで、まだ一時間以上ある。


 どうする?

 一旦、帰るか?


 俺が次の行動を考えていると、恋中さんが言った。


「朝プロしましょう!」

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