第22話 恋中天音は嫉妬する

「おじゃましまーす」


 彼女──鈴原さんは、手近な椅子に座りながら言った。


 私は突然のことに驚いて何も言えない。

 思考をショートさせていると、次の事件が起きた。


「俺も今日は邪魔させてもらうぜ」


 知らない男子が現れて、またまた手近な椅子に座りながら言った。


 ……な、な、な、なにが、おきたの?


 正面には三杉くん。左側には鈴原さん。

 そして右側には、話したことが無い人。

 名前は確か、戸塚とつか智成ともなり。自己紹介でそう言っていた。


「智成、お前マジか……」


 三杉くんが困った様子で言った。

 今の口振りだと何か知ってるのかな?


「天音っち、その弁当って手作り?」


 二人は三杉くんの友達なのかな?

 鈴原さんは体育の授業で少し話したけど、私じゃなくて三杉くんに興味ある感じだったし……つまり、えっと、どういうこと?


「ちょぃちょぃ、無視すんなし」


 肩を摑まれ、私はビクリとしながら体を左に向けた。


「してないわよ? 無視なんて」


「その弁当、天音っちの手作りかって聞いたじゃん」


「……あまねっち?」


 たまごっちの親戚かしら?


「恋中さんのことだよ」


 三杉くんが言った。

 私のこと? ……あ、そっか。私の名前、恋中天音だ。


 あまりにも呼ばれないから気付かなかった。

 人間って出現率の低い単語を聞くと急に難聴を患うよね。不思議だね。


「……うぇっ、えっ、あま!?」


「あはは、時差やば。急にどしたん?」


「……ぃぇっ、その、えっと」


 言いたいことはハッキリしてるのに言葉が出てこない。


 助けて三杉くん。

 救いを求めて目を向けると、彼は微かに笑みを浮かべて言った。


「急に名前で呼ばれたから、ビックリしてるらしい」


 私はコクコクと頷いた。

 鈴原さんはケラケラと笑って私に言う。


「莉子って呼んでね」


 その言葉が私の脳内で何度も反響する。

 情報量が多過ぎて、いつまでも処理が完結しない。故に、何もできない。


「天音っち、急に固まってどしたん?」


「…………」


「三杉くん、通訳よろ」


 ──待って。


「急に距離を詰め過ぎ。もう少し手加減してあげてください」


 ──今、彼女、なんて言った?


「えー、今のダメだった?」


「お前ほんと、昔から空気読めないよな」


「智成に言われたくない」


 ──三杉くん、って呼んだよね?


「大和、幼馴染が迷惑かけてすまない」


 ──やまと?


「うざ。保護者面すんな。きも過ぎ」


 ──私まだ、彼の名前、呼んだことないんだけど?


「二人は仲が良いんだな」


「「はぁ?」」


 ──私の方が、先なのに?


「大和、お前の目は節穴か?」


 ──またっ、それ私が最初に呼びたかったのに!


「三杉くん、流石にそれは無い」


 ──またぁっ! 私が先に呼ぶはずだったのに!


 もう怒った。許せない。

 私はドンッと弁当箱を机に叩き付けた。


 三人は口を閉じた。

 教室も静まり返ったような気がした。


「お昼、食べましょう」


 静かな場所は好きだ。

 私の声でも、よく聞こえる。


「ねぇ」


 私は鈴原さんを見て言った。


「……な、なに?」


 彼女は私を「天音っち」と呼んだ。正直ちょっと良いなって思った。名前で呼び合うなんて友達っぽい。だけど今の会話で分かった。あいつの目的は三杉くんだ。絶対そうなんだ。許さない。私より友達レベルが高いことをアピールして奪い取るつもりなんだ。戸塚くんの方は、百歩譲って同じ男子だから許せる。名前で呼び合うのも不思議じゃない。でも金髪ギャル貴女はダメだ。私の方が先なのに私より先に三杉くんの名前を呼ぶなんて絶対に許さない。これは明確な敵対行為だ。三杉くんよりも先に私の名前を呼んだことも度し難い。でも大丈夫。まだ「天音っち」だからギリギリ許せる。だけど普通に「天音」と呼び捨てにした時は決して許さない。私の持ち得る全ての能力と財力を注ぎ必ず報いを受けさせる。絶対に。


 そんな思いを笑顔に凝縮して私は伝える。


「私を天音と呼んだら末代まで呪います」


「……はい」


 良い返事ですね。

 言質、取りましたからね。


「えー、俺は良いと思うけど」


 三杉くん!?


「なんか、友達っぽくないか?」


 ……それは、私もそう思うけど。


「恋中さんが嫌なら、仕方ないけど」


「……っ!」


 違います。嫌なわけじゃなくて、私の名前を最初に呼ぶのは君が良いなって思っただけで、全然嫌なんて思ってなくて……っ!


「天音、今日の弁当は何を作ったの?」


 ……っ!?


「天音の料理、美味しいから楽しみだよ」


「……やめっ」


「天音、どうかした?」


「……もうっ!」


 私は唇を強く結び、三杉くんを睨む。


 嬉しい。すごく嬉しい。

 でもそれ以上に背中がムズムズする。


「……二人の時だけにしてください」


「そっか。じゃあ、そうする」


 私は俯いたまま、弁当箱の蓋を開けた。


「……今日は、スクランブルエッグと、タコさんと、それからサラダです」


「今日も二百円で大丈夫?」


「……はい、大丈夫です」


「ありがと。恋中さん、玉子をふんわり焼くの得意だよね」


 ……あ、呼び方、戻っちゃった。

 そうだよね。私が言ったことだもん。


「……はい、得意かもです」


 ちょっとだけ、寂しいかも。


「二人は昼どんな感じ?」


 三杉くんが左右に首を振って言った。


「……あれ、どうかした?」


 二人はぽかんとした表情で私を三杉くんを交互に見る。最初に口を開いたのは、男子の方だった。


「わりっ、なんでもない。俺はコンビニで買ったパンだな。二人の飯が羨ましいよ」


「まあな」


「そこは謙遜しとけよ」


「恋中さんを褒めただけだ」


 ……何か、目の前で私のされるの、恥ずかしいかも。


「鈴原さんは?」


「……あっ、えっと、莉子はカロメだよ」


「何味?」


「今日はフルーツ。ママがメッチャ買うから家にたくさんあるんだよね」


「それだと飽きない?」


「……ちょっぴり?」


 三杉くん、やっぱり会話が上手だな。

 鈴原さんとは初めて会話するはずなのに、すっごく自然に感じる。


「恋中さん、少し分けてあげたら?」


「…………えっ?」


「お弁当の交換とか、友達っぽくて良くない?」


「……とも、だち?」


 私は鈴原さんを見る。


「タコさん一匹とカロメ半分でどう?」


 お弁当交換。やったことない。

 どうしよう。どうすればいいの?


 タコさんとカロメ?

 ……あっ、カロリーメイトか。鈴原さんが手に持ってるから、そうだよね。


 それを、交換……………………?


「天音っちフリーズしちゃった」


「鈴原が睨むからだな」


「は? 睨んでねぇし。超笑顔だし」


「……あのっ!」


 わっ、思ったより大きい声出ちゃった。


「うん、なに?」


 鈴原さんが私を見る。


「……どうぞ」


 私は箸でタコさんを掴み、彼女に差し出した。


「お、マジ? ありがと」


 彼女はタコさんに顔を近付け、そのままパクリと口で受け取った。


 私は思わぬ出来事にビックリして、熱湯に触ったみたいに素早く手を引っ込めた。


「んー、なんか甘い。何この味付け」


 なに、なにいまの。なにが起こったの?


「ほーい、これお返し」


 鈴原さんがカロリーメイトをパキッと半分に割って、私に差し出した。


「…………」


 細い指先にあるバランス栄養食を見て、私は思考する。


 どうやって受け取るべきなのだろう。

 彼女のように口で受け取るべきなのかな。


 やだ、すっごい恥ずかしい。

 そんなの絶対に指を舐めちゃうよ。


「ほい、あーん」


 わっ、わっ、本当に口で受け取るの!?

 

「……」


 私は三杉くんを見る。

 彼は穏やかな表情をしていた。


 ……これが、普通、なのかな?


「天音っち、はやく」


「……ごめなさっ」


 声が裏返った。

 私は彼女の指先を見る。


 ドキドキと心臓の鼓動が早くなる。

 良いのかな。こんなこと。今日初めて会話したのに。まだ相手が喜ぶような話とか、私と仲良くするメリットとか、何も伝えてないのに。こんな友達っぽいこと……すっごく、やりたい!


「……いただきます」


 私はとても小さな声で言って、口を近付けた。すると彼女は手を押し出して、私の歯の上にそっとカロリーメイトを乗せた。


 ゆっくりと噛み、顔を引く。


 口の中の水分をごっそりと奪われるような食感があった。だけど、味は分からなかった。


「俺の菓子パンもどう? 玉子とトレードで」


「智成はダメだ」


「はー、なんでだよ」


「とにかくダメだ」


「えー、恋中さん、どう?」


 ……鈴原さん、良い人なのかも。


「おーい、恋中さん、無視しないで」


「智成……ぷーくす。嫌われちゃったね」


「うっざ。鈴原お前、後で覚えとけよ」

 

 昼休みは始まったばかり。

 人数が増えた分、すっごく賑やかだった。


 私はドキドキして、現実感が無くて、あまり喋れなかった。だからこそ、分かることがあった。


「恋中さん、プログラミングが得意なんだよね」


「……えっと、はい、得意です」


「俺、実は教えて貰ってるんだよ」


 私が除け者にならないように、三杉くんが上手に話を振ってくれていた。


 そのことに気が付いた後から、四人で食事をしているはずなのに、彼のことしか目に映らなくなった。


 これ、なんだろう?

 すごく胸が温かい。嬉しい気持ちになる。


 三杉くんの存在が、前までよりもずっと、大きく感じられる。


 とても、とても、不思議な気分だった。

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