第8話 恋中さんは寝かせてくれない
食事の後、恋中さんに相談しながらバイトを探した。彼女はバイトに詳しくなかったけれど、話し相手が居るというだけで随分と心が軽くなった。
何せ俺にとっては初めてのアルバイトだ。一人だったら不安過ぎて無機物と会話していたかもしれない。
俺は近場のカフェを選ぶことにした。
大して魅力的な条件ではないが、まずは慣れることを目的として、通い易い場所を選ぶことにした。
そのまま勢いで電話すると、早速面接を受けることになった。
今から来れる?
はい、行けます。
会話はこんな感じ。
かくして俺は現場へ向かうことになった。
「それじゃあ恋中さん、本当にありがとう」
「とんでもないです。面接、頑張ってください」
「うん。行ってくる」
「はい。行ってらっしゃい」
俺は恋中さんに見送られて部屋を出た。
それからスマホの地図を頼りに現地へ行き店に入った。
当然だけど初めて見るカフェだった。
出入口から入店するとカラカラという鈴の音が聞こえた。店内は落ち着いた雰囲気で、向かって左側の壁一面が本棚になっていた。その手間にはカウンター席があり、パソコンを開いている人がチラホラと座っている。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
制服を着た若い女性の店員さんに声をかけられた。
俺は店内のどこか大人っぽい雰囲気に緊張しながらも、腹に力を込めて返事をする
「面接で来ました」
「あー、はい。少々お待ちくださいね」
彼女は振り向いて、
「パパ~、バイトの子が来たよ」
パパ。まさかの呼び名に驚愕していると、向かって右側、カウンターの奥にある扉から背の高い男性が現れた。
遠目でも威圧感がある。
俺が身体を強張らせていると、彼は少し長い顎髭を軽く撫でながら言った。
「早かったね。近いの?」
「はいっ、徒歩で十分くらいでした」
「いいね。土日、入れる?」
「はいっ、入れます」
「うち11時スタート9時終わりだけど、何時から何時までイケる?」
「全部行けます」
「よし、採用」
……え、あ、え? 今ので面接終わり?
「
「ほーい」
店長さん(?)はテキパキ指示を出すと、また奥へと戻っていった。
「君、高校生?」
「……あっ、はいっ、一年生です」
ポカンとしていると、女性の方に声をかけられ、俺は慌てて返事をした。すると、その反応が面白かったのか彼女は肩を揺らした。
「へー、そっか。かわいいね」
「……初めて言われました」
大学生くらいだろうか。大人っぽい雰囲気で緊張してしまう。どういう態度で接するべきか分からない。
「じゃ、裏に行こっか。ついて来て」
「はいっ、お願いします」
その後、あちこちのサイズを測られながら、仕事について聞いた。
どうやら、これまではバイトを雇わず、偶に娘の珠希さんが手伝うだけだったらしい。
しかし、最近なんかバズって客が増え始めたことでバイトを雇うことにしたようだ。
このため従業員用の制服が無いので、作る必要がある。だから今日はサイズだけ測って仕事は来週から、ということみたいだ。
「来週からよろしくね」
「はいっ、こちらこそっ」
頭を下げ、店を後にする。
こうして、人生で初めてのバイト面接は、あっさりと終わった。
「……恋中さんに連絡しとくか」
俺はラインを開き、教えて貰ったばかりの連絡先に「バイト決まった」と送った。
なんとなく、十秒くらい待つ。
彼女のことだから直ぐに既読が付きそうなイメージだったけれど、そうはならなかった。
「そういや恋中さん、いつ仕事してんだ?」
平日は学校で、今日は朝から昼まで一緒に過ごしていた。仕事部屋は見たが、働いている姿は一度も見ていない。
もしかしたら、今まさに仕事なのかもしれない。その場合、俺に遠慮して時間を調整してくれていたというわけで、ちょっぴり申し訳ない気持ちになる。
「まぁ、そのうち聞けばいいか」
俺は納得して、スーパーに寄って買い物をしてから帰宅した。
その後は、のんびりとした時間だった。
イヤホンを付けてスマホで動画を見たり、地元の友達とラインをしたり……せっかくの一人暮らし、何かやらなければという焦燥感みたいなモノを覚えながらも、実家に居た頃と同じような時間を過ごした。
変化があったのは、午後六時頃。
「おっ、恋中さんから返信きた」
通知を見て、直ぐにラインを開く。
「なっが」
読む気のしない長文メッセージだった。
「まぁ、恋中さんらしいけど」
俺は少しイタズラしたくなって「長いよ」という思ったままのメッセージを送った。
一瞬で既読。
そして慌てた様子で謝罪が始まった。
俺はクスクスと笑って、別に怒ってないよと返事をしようとする。その数秒の間に、新たなメッセージが次々と届いた。
ごめ
ごめなs
ごめんなさい
何度もすみません
いきなりあんな長文ドン引きですよね
嫌わないでください
今3行でまとめます
ちょっと待ってください
「べつに怒ってないよ」
俺は直前のメッセージを消して、新たに別の文章を入力する。
「今から読む。こっちこそ、待ってて」
送信すると、また即座に既読が付き、その直後に「いつまでも待ちます」という返信が来た。
「パソコンでやってんのかな?」
スマホにしては早過ぎる。
いや、恋中さんならスマホ入力も早いのか?
「とりま読むか」
結論から言えば、一万文字くらいのエグい長文だった。
内容は今日のお礼と感想。そしてバイトが決まったことに対するお祝い。それらが恋中さんらしい文章で長々と記されていた。
「恋中さん、文才あるな」
意外と退屈しなかった。
流石は働いている人と言うべきか、まるで隙あらば比喩表現を入れる小説のように頻繁に入り込む自虐を除けば、読みやすかった。
その後、日常生活を送りながらラインでやりとりを繰り返した。
恋中さんはパソコンの前に張り付いているのか、俺が返事をすると、いつも一瞬で既読が付いた。しかし返事が来るまでには五分くらいの間が空く。多分、悩んでいるのだろう。
そのまま時間が過ぎて、いつの間にか日付が変わっていた。
なんというか会話の止めどころが分からなかった。
きっと恋中さんも同じだ。むしろ彼女から会話を切るイメージが全く無い。俺が返事を続ける限り、半永久的に続くだろう。見方を変えれば、彼女の睡眠時間を奪っている状況とも考えられる。だから、俺の方から終わりを提案した。
「ごめん、そろそろ眠い」
いつも通り、直ぐに既読が付いた。
とりあえず十秒ほど待ったけれど、返事は無い。
俺はスマホを枕元に置いて、軽く目を閉じた。
それから身体を恋中さんの部屋がある方へ向ける。
彼女は、この壁の先に居る。
きっと少し大きな声を出せば聞こえるような距離だ。
それを考えると、何時間も文章だけで会話していることが少し可笑しく思えた。
「お、返信来た」
通知音を聞き、寝転がったままスマホを摑む。
『電話しても良いですか?』
「なんだろ?」
俺は不思議に思いながら、とりあえず返事をする代わりに通話ボタンを押した。
『わっ!?』
壁の向こうから声が聞こえた。
思わず肩を揺らしながら、通話が繋がるのを待つ。
六コール目くらいだろうか?
ようやく、彼女は電話に出た。
『……も、もしもし?』
緊張が伝わる声色。
生の声とは少し違うせいもあってか、とても久々に聞いたような気がした。
「こんばんは」
『こ、こば、ゎ』
俺は息を止めて笑いを堪え、少し間を空けてから問いかける。
「どうしたの?」
『……いぇ、その、大した用事じゃないんですけど』
息を整える音がして、
『……おやすみが、聞きたくて』
「…………そっか」
かなり悩んで、それしか言えなかった。
だって強烈な不意打ちだった。彼女は友達と接しているつもりなのだろうが、普通に考えて、これは友達の距離感じゃない。
『あの、えっと、ごめんなさい。やっぱり今の忘れてください』
「恋中さん」
『はいっ』
「……おやすみ」
息を吸い込む音がした。
『……えへ、えへへ。はい、おやすみなさい』
それは俺にとって、一人暮らしを始めてから、初めてのおやすみだった。
だから、そのせいだ。こんなにも特別に感じる理由は、それだけのはずだ。
『あの、もうひとつ、良いですか?』
「うん、なに?」
『電話、繋いだまま、寝ませんか?』
「良いけど、なんで?」
『……なんとなく、です』
言葉を濁したような声だった。
その本心がとても気になるけれど、今は考えないことにする。
「分かった。いびきとかうるさかったら、こっそり教えてくれ」
『……こちらこそ。お恥ずかしい音が聞こえたら、こっそり教えてください』
お互いに小さな声で伝え合った。
それから無音の静寂が生まれて、俺は目を閉じた。
電話は繋がっている。
声を出せば、きっと返事がある。
……いや、今日は寝よう。
そのまま目を閉じて眠りを待つ。
しばらくすると、寝息が聞こえ始めた。
……意外だな。俺が先に寝ると思ってた。
やっぱり向こうからは会話を止めると言い出せず、睡眠時間を奪ってしまっていたのだろうか?
申し訳ないことをした。
次は、ちゃんと終わる時間を決めて話すことにしよう。
『……んぁ……ぁ……んぅ』
待ってくれ。
『……ぁ……ん……んぁ』
「恋中さん、それ、寝てるんだよね?」
返事の代わりに聞こえたのは寝息。
「……勘弁してくれ」
俺は手で顔を覆った。
ここはあえて、知的な話をしよう。
人の声は筋肉によって制御される。
この筋肉を司るのは体性神経系という末梢神経である。
末梢神経の働きが鈍くなった時、人は声をコントロールできなくなる。つまり勝手に声が出たり、逆に出なくなったりするのだ。
だから、この音は、べつに不自然なものではない。
寝息なんだ。これは寝息。ただの寝息なんだ。
「……通話、切るか?」
多分、朝起きて通話が切れていたら、恋中さんはショックを受ける。逆の場合は、嬉しそうな顔をしてくれると思う。
通話が切れた場合の言い訳は無数に思い浮かぶ。
寝相が悪かったとか、スマホの電源が切れたとか。
しかし、しかしである。
俺は何も悪いことをしていない。
『……ぃや、あん……ん、んぁ』
「いやダメだこれ。切ろう。聞いちゃダメな奴だ」
慌てて身体を起こし、スマホを握る。
その瞬間、
『……電話……切っちゃ……やだ……』
「……それは、ズルいだろ」
俺は布団の上で正座して、枕に額を押し付けた。
その間も「寝息」は断続的に聞こえてくる。
その日、恋中さんは、俺は朝まで寝かせてくれなかった。
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