恋中さんとの隣人生活1
第3話 恋中さんと間接キス
「プログラミングを始めるために必要なことは何か、分かるかしら?」
土曜日。
俺は恋中さんの部屋に案内され、ソワソワしながら彼女の話を聞いていた。
……当たり前だけど、同じ間取りだよな。
約28平米の1K。
キッチンなどがある廊下とドアで区切られた少し広い部屋。
……仕事部屋って感じがする。
ベッドなどの一般的な家具は見当たらない。
壁一面に沿った長い机があり、その上には6枚のディスプレイとウォーターサーバーが置いてある。机の下には複数の棚と、2台のパソコンがあった。
そして彼女は、机の前にあるプログラマーっぽい椅子に座っている。因みに椅子はひとつしかないので、俺は床に正座することにした。
「ねぇ、ちょっと、聞いているの?」
「悪い、部屋見てた」
「……そう。私の話は、この部屋よりも価値が低いのね」
「そうは言ってない。仕事人の部屋って感じがして、ちょっと物珍しかった」
「……そう。私の話は、その物珍しさに負けたのね」
どんだけネガティブなんだよ。
……かわいいけど。
「わー、恋中さんの話、楽しみだなぁ」
俺は無理にテンションを上げて言った。
「ペアプロとか初めてだからワクワクする。終わったらバイト探しまで手伝ってくれるなんて、恋中さんは本当に良い人だなぁ」
胡散臭かったか?(ちら
「まったく、仕方のない人ですね!」
俺は背中に手を回しグッと拳を握った。
恋中さんチョロい。部屋にもあっさりと入れてくれたし心配になるレベルだ。
「それでは気を取り直して、君に質問です」
「はい、お願いします」
「プログラミングを始めるために必要なことを答えてください」
「……やる気?」
「パソコンを手に入れることです」
「そこからなのかよ」
「大事なことですよ? パソコンに触ることすら難しい国もあるのです。ご自身が恵まれていることを、まずは自覚してください」
「……はい」
「さて、君はパソコンを持っているのかな?」
「……実家になら」
「それは残念。でも安心してください」
彼女は椅子を降りると、床に膝を付いて一台のパソコンに両手を向けた。
「じゃーん! 恋中さんお友達特典! 初回ログインボーナスのパソコンレンタルです!」
見事なドヤ顔だ。ほら、お得でしょう? 私と友達になって良かったでしょう? という心の声が聞こえてくる。かわいい。
「メモリは128ギガ! 最新のインテルプロセッサと2台のGPUを備えた文句無しのハイエンドです!」
なんとなく拍手してみた。
彼女は満足そうな表情をした。
「もちろんパソコンがあるだけではダメです。次に必要なのは何だと思いますか?」
謎のハイテンションで目的を見失いそうになるが、話の内容は的確なのだと思う。パソコンの次に必要なのは……参考書、だろうか?
「タイピングができない者にプログラミングをする資格はありません!」
そうですね。
「あら? 今、何を当たり前のことを、という顔をしましたね?」
ごめんなさい。
「プログラミングはトライアンドエラーです。タイピング速度は試行回数を増やすことに直結します。最低でもKPSが五は必要です!」
「けーぴーえす?」
「一秒間にタイピングできる数のことです」
「なるほど」
一秒に五回って、結構早いと思うんだが……。
「早速、試験をしましょう」
彼女は立ち上がり、両手で椅子を示した。
「ささ、どうぞ座ってください」
「……ありがとう」
椅子はひとつしかない。
ちょっと遠慮する気持ちはあったが、無理に断らない方が良いと思って好意に甘えることにした。
「ふへへ、初めて私以外の人が私の椅子に座りました」
かわいい。近い。あとメッチャ座り心地が良い。
「あ、高さなど調整できますが、大丈夫ですか?」
「大丈夫。恋中さんと身長とか同じくらいだから、ちょうど良いっぽい」
「あ、あへへ、そうですね。良かったです」
恋中さんの笑い声と共にディスプレイが光った。
最初に映ったのは謎の画面。色々と英語が書いてあるが、さっぱり分からん。
「あ、すみません。OSの選択画面です」
彼女は俺の左隣から前を横切るようにして手を伸ばし、キーボードを操作した。
でかい。何がとは言わないが、すごい迫力だった。
今日は制服とは違う薄い感じの部屋着で、より強調されていて、すごかった。
「お寿司打の起動までやっちゃいますね。お寿司打、ご存知ですか?」
「ああ、知ってる。授業で何回かやったよ」
「あ、そうでしたね。すみません。過去の記憶は封印しがちなので」
それ嬉しそうに言うことなのか?
あと、恋中さんって機嫌が良いと幼い感じの敬語になるっぽいな。
「どうぞ、準備ができました」
恋中さんが身体を退ける。
画面には、お寿司打が映し出されていた。
ルールは分かる。
画面に表示される文字列を制限時間内に入力する。ノーミスで入力できると時間が伸びてハイスコアを狙える。確か、それくらいだったはずだ。
「それじゃあ、やります」
なんとなく宣言してからキーボードに手を伸ばすと、彼女が「あー!」と慌てた様子で声を出した。
「ごめんなさい! キーボードの洗浄がまだでした!」
「そんなの気にしないけど」
「でもっ、それだと二人の指紋が間接キスをすることに!」
「ならないから安心しろ」
「なるの! 除菌させてください!」
「……分かった」
すげぇ斬新。発想力が異次元過ぎてビックリだ。
苦笑する俺の前で、彼女はウェットティッシュでキーボードを丹念に拭いた。
「今度こそ、どうぞ」
なんだか無駄に遠回りした気分だ。
ともあれ、気を取り直してチャレンジしたところ、
「よしっ、上手っ、あっ、ちがっ、またっ、ああぁ」
隣、うるさかった。
そのせいか初回のKPSは三くらいで見事に不合格。
その後も十回くらい挑戦したが、四にも届かなかった。
途中、休憩がてら一度だけ恋中さんにも挑戦してもらうことになり、
「わっ、椅子が温かいです! 温かいですよ!」
子供のような笑顔を見せられた後、KPS九という異次元の速度を披露されて感情が迷子になった。ぶっちゃけ五なんて無理だろと思っていたが、彼女のレベルを見るに社会では標準クラスなのだろうか。世界は広い。
「どうやったらそんなに早くなるんだ?」
「私のレベルだと指運びの最適化とか必要ですが、KPS5は慣れですね。続ければ誰でも到達できるはずです」
指運びの最適化。
プロっぽい単語に感動しつつ、なるほど、と思った。
「そこで提案です」
彼女は椅子を回し、俺に身体を向ける。
「これから毎日、朝と夜に三十分ずつ、私の部屋で練習しましょう!」
「それは助かるけど、迷惑じゃないか?」
「平気です! むしろ来てください。お願いします」
俺は彼女から目を逸らして、首の後ろを搔きながら言う。
「……今更だけど、会ったばかりの男を部屋に入れるとか、気にならないのか?」
「友達を部屋に呼ぶのは当たり前では?」
ぽかんとした様子。
俺は言葉を探したが見つからなかった。
「……ああ、そうだな」
少し拗ねたような声が出た。
俺だけ一方的に意識してるみたいで、少し悔しかった。
「どうして不機嫌なのです? 私、何か間違えましたか?」
「……なんでもない」
「待って。明日から無視するとか言わないわよね? 違約金取るからね?」
こんな具合に。
彼女の部屋に毎日通う口実が生まれた。
俺は彼女を宥めた後、邪な感情を指先のエネルギーに変えてタイピングを続けた。結局、目標は達成できなかったが、慣れれば行けそうな感触は得られた。
練習は一時間くらいで終わりにして、次はバイトを探す時間になった。
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