第4話①

 俺たちはまた話す約束をしてから別れた。そこからどうやって帰って来たのかほとんど覚えてないけど、俺は自分の家の前に立っていた。


 「ただいま…」

 「おかえり〜。…ってどうしたのお兄!」


 香織は俺の顔を見るなり駆け寄ってきた。自分ではいつも通りのつもりなんだけど、そんなに変な顔をしてるかな?


 「どうしたって何が?」

 「…そっか。…なんでもない。おいで、お兄」


 香織は両手を広げて俺を呼んだ。俺は少し躊躇いつつも今日だけは香織に甘えることにした。俺より少し背の低い香織は温かくて、俺は静かに涙を流した。


 「よしよし。お兄はよく頑張りました」


 香織は俺の頭を優しく撫でてくれた。…妹に慰められるなんてカッコ悪いけど、今だけは誰かの温もりがほしかった。


 「全く、いつまでそうしてるの?…って私はお邪魔だったかしら?」


 俺たちが玄関先でやり取りをしていると、家の奥から一人の女性が出てきた。ニヤニヤしている彼女は楠木くすのき 飛鳥あすか。俺たちの母親だ。


 「全く、母さんは。…でも、ありがと」


 母さんは微笑むと俺の頭を優しく撫でてくれた。香織よりも少しだけ大きい手は、香織と同じくらい優しくて温かかった。


 家の中に入った俺たちは食卓を囲んでいた。そこで香織は開口一番俺の心を削ってきた。


 「お兄は振られたの?」

 「香織!そういうことを聞くんじゃありません!…大丈夫だからね。たとえ竜一が振られてても私の自慢の息子なのには変わりないからね」


 母さんがフォローしてくれた。それでも振られたことを前提に話しているあたり、きちんとしたフォローにはなっていないような気がするけど…。


 「…なかった」

 「えっ?」

 「…できなかった。…告白」

 「そっ、そう、なんだ。…ま、まぁ、仕方ない、よね」


 それ以上は何も聞かないでくれた。その気遣いが嬉しかった。


 俺は食後自分の部屋に戻った。電気も点けずにベッドの上に座り込むとそのまま闇の中に引きずり込まれそうになった。ドアの隙間から漏れてくる光は頼りなく、もうそこには戻れないんじゃないかという気さえしてくる。


 「…勉強、しなきゃ」


 俺は無理矢理声に出して言うことで、錆びてしまったように動きが鈍い体を動かした。部屋が明るくなると途端に俺が場違いのように感じる。まるで太陽に当たると死ぬ吸血鬼みたいだ。…いや、ただのゾンビか。


 俺は普段通りを意識して勉強机に座った。それでも、提出期限がある宿題は全て終えているので、どうしてもやる気が出なかった。それでも何かをやってないと気がおかしくなりそうだった。


 それに、俺が勉強をやるようになったのは昔のはーちゃんとの約束があったからだ。白鳥さんは覚えてないかもしれないけど、不器用だった彼女が学校の工作で失敗して、みんなから馬鹿にされた彼女とした一方的な約束だった。


 『はーちゃんができないことは俺が代わりにやるから!だから、困ったら俺を頼れ!絶対に守ってあげるから!』


 今さらではあるけど、ものすごく恥ずかしいことを叫んだんだな。…そういえば、それに彼女はなんて答えたんだっけ?


 それで自分の中では一生懸命に頑張ってきたつもりだったけど、いつの間にか白鳥さんの方が上手くできるようになってた。それでも、いつか白鳥さんが困ったときに少しでも力になれるように努力を欠かしたことはなかった。


 「お兄。お風呂空いたよ」

 「…了解」


 そうして部屋を出ると心配そうな香織が声をかけてきた。


 「…お兄、無理しないでね。私にとってお兄はお兄なんだから」

 「…ああ。大丈夫だ。ありがとう」


 それでもまだ心配そうだったけど、香織は隣にある部屋に入っていった。俺はそのまま浴室に向かった。そして、不意に目に飛び込んできたのは、鏡に写った暗く沈んだ俺の顔だった。何かに憑かれたような自分の顔を見て、どうして香織があんなに心配してたのか理解した。


 風呂を終えて自分の部屋に戻ってきた。そして、今日は早めに寝ようとベッドに入ったとき、俺のスマホにメッセージが届いた。相手は今日一日でこの二年を全部含めたよりも会話をした白鳥さんからだった。


 【おやすみ】


 たったそれだけのメッセージがすごく嬉しかった。だから俺もすぐに同じ文面を返した。


 俺は今日一日を振り返って後悔だけが残った。告白することはできたはずなのに、結局気持ちを伝えることすらできなかった。俺がヘタレなだけなのに、もしかしたらって思っちゃう。もし白鳥さんが失敗したら、振られたら…俺の恋人になってくれるかも。そんなことが頭から離れてくれない。せっかく俺を頼ってくれたのに…。こんなことなら俺がはっきり振られた方がよかった。もしもう話せなくなっても、そうすべきだったのに…。


 それでも俺は割り切れないみたいだ。この関係にしがみついてでも白鳥さんとの繋がりを作っておきたいと望んでしまう。…せめて白鳥さんの恋を応援して幸せになってほしい。そして、未来では幼馴染み兼友人としてなるべく側にいたい。


 好きな人の恋が実ってほしい、実らないでほしい。相反する願いだけど、どちらも俺の本心だ。だから俺は沢山悩んで、迷って、間違えて…それでも前に進みたい。白鳥さんの人生をなるべく近くで眺めたい。…もう俺の最初で最後の恋が終わったんだから…。

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