赤銅の髪の魔術士【15】
「今度は全力で頼むぜ?」
ザレスが片目を瞑って願えば、ゼルはげんなりとしながら渋々と頷いた。
「見透かされているんですね」
駄目だ、無理だとぼやく言葉の中からどうしてわかるのだろうか。
「お互い様」
「全く貴方という人は……」
諦念に嘆息したゼルデは印を結び直した。
少女はただただ二人を交互見やる。そして、その視線を一つに留めた。
笑い、目を閉じ、開けて再び笑うゼルデへと。
「だって、俺の願いを知ってるだろ? 望みを叶えたくて、ずっと付き纏ってただろ? 竜の力は使えないつってもゼルは竜族だ。なら、答えは簡単にでる」
ゼルデの脳裏で、いつか聞いた台詞が追憶の風に乗って流れる。
ザレスはあの頃から変わっていないことがひどく嬉しくてゼルデは微笑んだ。
――それは、最初に聞いた声。
己の力の際限を知ること。
心を平静に、取り乱さず、感情に流されず、死ぬことを恐れなければならない。
――真剣な目で教えを説く姿はあまりに恐くて、恐い顔をしているとは正直にいえなかった。
その魔術士が私だったら、どうします? 私の髪は白金。炎に照らせばなんとか赤銅色になりますよ?
――その質問にはきっぱりと否を唱えてしまったわ。
赤く染まる世界にいない貴方の髪は白金に輝いて、髪の色の輝きしか知らないまま気づくことは愚か疑いすらもしなかった。
憧れた人に近づくために習った力は、憧れた貴方から教えられて得たもの。
だけど。
嬉しいとは感じない。
喜んで、笑顔が絶えないくらい嬉しいはずなのに、心の真ん中が重たい。
「ねぇ。 ――どうしてそんなに悲しそうに笑うの?」
何年も何年も追い続けた人を見つけたのに。
せっかく見つけたのに、こうやって会えたのに。
同じ想いで探し当てた相手を目の前にして、どうして嬉しそうにしないの?
どうして悲しく笑うの?
なんで?
どうして?
私も、ゼルも、ちゃんとした笑顔じゃないの?
その場にへたりと座り込む少女の背後に回って、少女を後ろから支えるように触れない手で彼女の両肩を抱くザレスはその小さな呟きと、小さな肩の揺れに目を瞬かせる。
真後ろにいるために、少女の表情はわからない。
揺れる肩。しかし、それ以上の変化は無い。ザレスはしばらく少女を眺めていたが、興味を無くし、ふと炎の子と化した自分を見据えた。
もう一人の自分は、じっと少女を凝視し続けている。
ハジメから、ずっと。多分、サイゴまで見続けるのだろう。
「〝先祖返り〟か」
世界軸に触れる資格を持つ者。
それは、世界を作り壊し再生させることが出来る力を私用することを許されたことを指す。
種族に関係なく誰もが持ち得る可能性がありながら、純血の古代種以外は決して得ることができない特殊な資格を少女は持っている。
実体の無い自分よりも少女の存在のほうが非現実的に思えて仕方がなかった。
極端に言えば、少女の一声で世界が破滅しても可笑しくは無いのだから。
世界の放火魔なんて、そんなのと比べたらかわいいものだ。
思い巡らせて、ふと、唐突にザレスは息を呑む。
気づいた。
その事実に、驚きはザレスの動揺を誘う。
箱をひっくり返したように今まで感じていた矛盾がはっきりとした疑問となって振り落ちてくる。あまりに多すぎて埋まりそうだ。慌てて頭の中の書庫から辞書を開き、流れる勢いで記憶のページを捲る。
魔法学。
精霊学。
時空時論など。
自分が学び覚えた全てを今の現状と照らし合わせて確認し合う。
が、疑問は解消されない。疑問は疑問のままで、自分の知識は答えを見出してはくれない。
だから、聞いた。
「なぁ」
推測した解答用紙の内容について、恐怖を覚える前に好奇心を満たしたかった。
振り返った少女と、彼は瞳を輝かせて目線の高さを合わせて問うた。
「なぁ、どうやって生き残ったんだ?」
この震える少女なら確実な答えを教えてくれるような気がした。
他人の手で生きながらえている自分に価値はない。
潔い光すら宿し青く輝くザレスの眼差しにゼルデは苦笑する。苦笑いしかできない。
胸を一度押さえつけて、溢れ出る否の言葉を全て痛む胸に埋める。押し殺して押し殺して、全部押し殺さないと、やっていけなかった。
無言のままに精霊と対峙する。
目線の高さに持ち上げた印を結んだままの左手を、掌側を精霊に向けて押し出す。
喚きだしたい感情を閉じ込めて、唇を引き結んだ。
指の間から見えるレギオンは変わらずにファロウを見続けている。
際限の無い無表情は、とても見るに耐えないほど、哀しくゼルデの青い瞳に映った。
瞳だけを動かして空を一瞥したゼルデは大きく息を吸って、肺を焦げた空気で一杯にし、レギオンを見据えた。脳裏に先程瞳に映した空を描き出す。
星一つ無い、煙が手を伸ばす、月浮かぶ夜空とはお世辞にも言えない星の輝きさえない暗い空を再現する。
それは自分の不安定に揺れる精神を落ち着かせてくれる唯一の光景。
燃え崩れ、原型をなくした街の姿も、落ち着いたとはいえいつまた発作が起きるかわからない弟子も、触れない姿という思いもしない形で再会叶った友人も、ゼルデをただただ揺れ動かすだけだったから、それら全てを思考から追い出す為に、空の景色を求めた。
レギオンに向けて、開いていた指をゆっくりと曲げる。
レギオンを、ザレスを殺す力は、手法は確かにある。あるが、成功するかというと正直なところ自信が無い。
理由は簡単だった。
その手法は人では扱えないもので、自分はもう竜の力は使えないからだ。
成功率は低く、しかし、失敗は許されない。
誰よりもザレスの為に。
自分の為に。
詠唱に息を吸い込んだゼルデはそのまま息を呑んだ。
耳に届いたザレスの疑問に、ゼルデは目を瞠る。
どうやって生き残ったんだ。
聞こえた友人の呟きは、ゼルデの双眼を大きく見開かせるのに十分なものだった。
――突然。
視界が真っ赤に染まった。
「 断空 」
ゼルデの怒号が大気を引き裂いた。
襲い来た炎の波は突如として二つに割れて、ゼルデを先頭とした三人の両側を流れていく。
いきなりのことに度胆を抜かれたザレスとファロウは、慌ててゼルデの背中を見仰いだ。
二人の目に、両手を前に突き出して肩で荒い呼吸を繰り返す魔導師の姿が映る。熱気に大きくうねる赤銅の輝きを放つ白金の髪に見とれ惚けてしまった少女とは対照的に、同じ術者としてザレスは奥歯を軋ませてから、苦虫を潰したように顔を歪めて溜息を吐いた。
油断していたのはお互い様で、助かったのは事実なので、文句こそ出ないが、他にも方法があるだろうとゼルデの背中をザレスは睨みつける。
ゼルデは顎を伝い落ちた汗を手の甲で拭い、今にも笑い出しそうになる膝に力を入れた。
ふらつく視界に不快を覚え、目を細める。
これは、無理を押して体が限界に達しただけではなさそうだ。
今はまだ意識を失うわけにはいかない。
まして眠るわけにもいかない。
「ファロウ」
唐突に名前を呼ばれて、ファロウは間の抜けた声で師の呼びかけに答えた。
「憧れるとは焦がれること。私はいつの時代もあの人の影を追い求めていました」
呟きは、彼女の知らない内容で、彼が良く知っている内容だった。
この言葉を吐くときはゼルデが弱気になっている時だとわかっているザレスは怪訝に眉間に皺を刻み、
「ぜ……――」
「ザレスに」
黙っていてくれと、言外に制される。
「ザレスに出会うまで惑う理由すら解さない私は人間と竜との二つの種族の間で彷徨っていました。そんな決断も下せない私を容赦なく殴ったのがザレスだったんです。そうじゃないだろうと怒ってくれたんです。当時、見ず知らずの他人の私に生きろと怒ってくれたんです」
思い出しに笑ったのだろうか。が、それは気配だけで、どんな表情で笑っているのか、ファロウにもザレスにも伺い知ることができない。
「たぶんその時からなんですよ。
あのときからザレスとは共に日々を過ごすようになりました。そしてその日々を私はとても心地よく感じていました」
思い当たる節があるのか、ザレスが開きかけた口を閉じる。それはまるでゼルデの次の言葉を待っているかのように。
ゼルデは腕を振り上げた。
ゆっくりと、天上を指し示す腕の、指の動きに、ファロウの目に、いつかの光景が重なった。
「大切だからそうせずにはいられなかった。私はきっと私たちが理想とする絆を築けなかったんだと思います。でも、楽しかったんです」
ファロウは知らず声を張り上げた。
「待って!」
と。
「待って、ゼル――」
何を止めようというのか。無意識に出た単語に対しての理由が浮かばず、ファロウは口ごもる。
言葉を紡げないファロウをゼルデは無視した。
「ザレス」
呼ばれてザレスは顎を引いた。
「貴方のおかげです。 ……楽しかったです。とても。だから、ごめんなさい。貴方の理想に添うことができない私を許してください」
天を向いていたゼルデの指が小さな円陣を描く。
口笛。言葉の韻ではなく音の韻を使った詠唱はファロウは初めて耳にするもので、他言無用を強いられたザレスが苦い表情で掴めない少女の肩を鷲掴む手に知らず力を込めた。
貴方は私に教えてくれたじゃないですか。死ぬ以外の道があるということを。
だから、今度は私が貴方の助けになりたい。死ぬ以外の方法を貴方に提供したい。
情景が、ファロウの脳裏を突き抜けていく。
ファロウは大きく目を見開いた。
少女の師は謝っている。
人としてザレスという友人に。
竜として心寄せた人間に。
「潔いのは知っています。それゆえに手段を選ばないことも。だからこそ伝えたい。試したい。だって、貴方は、私に教えてくれたじゃないですか。死ぬ以外の道があるということを。今度こそ成功させます。貴方に、死ぬ以外の方法を貴方に提供し、絶対に成功させてみせます」
ファロウは、力の入らない足で思いっきり地面を蹴った。
振り上げたゼルデの指が難解な模様を描き出し、聞きなれない音律が空気を鳴かせていく。
あの腕が振り下ろされたら終わりだ。
本能的に悟って、少女は転びかけながら追いすがる。
「 時満ちたり 狂わされた時間軸は 我が名のもと 遡り戻れ 」
驚きに目を見張るザレスを尻目に、少女は数歩も離れていない師の背中を目指し、その体にしがみついた。
「ゼルッ!」
呼び声が叫びへと変わる。
後ろから抱きつかれた青年はゆっくりと首だけ振り返った。自分を慕い追いかけてきてくれた少女に気づかれたのだと察する。
柔らかい茶色の髪に触れると、びっくりして見上げてくる茶色の目。
古代種と同じ能力を秘める少女。世界の創造をも可能な少女。
でも、ゼルデの目から見ても、彼女は確かに特別だった。
「ファロウ。貴女はザレスの運命の人だったんですね」
どうしてこんなにも愛しさが溢れてくるのか、その理由をゼルデは知る。
「ならば私は師として貴女に同じ言葉を繰り返しましょう。
落ち着きなさい。そして、死ぬことを恐がりなさい」
「……ぜ、る…」
説くのは魔術士への教え。
魔術士になろうと決めたのなら守らねばならない教え。
それはファロウも、ゼルデも同じものだ。魔力を操る者なら最初に得るべき教えである。
「ファロウ。囁いて。貴女が憧れる私の為に、一言でいいから囁いてください。祈って……私の願いを叶えてください」
ファロウの目の前で白金の長い髪が揺れる。
熱気と夜風に、優しい煌きの軌跡を残して揺らめく。
あの懐かしい赤銅の燐光を放ちながら。
「私が竜の力を使える。と」
囁かれてファロウは反射的に頷いた。
それはとても普通のことだと平然と応えた。
ゼルデの素性を知っている今なら当然だと肯定した。
「ええ、ゼルが竜の力を使えないほうがおかしいわ」
自然と出た言葉は、ゼルデを大きく驚かせ、それ以上に喜ばせた。
ゼルデが一番に欲しかった言葉だったからだ。
誰よりも欲しかった、古代種の言葉だった。
魔導師は腕をゆっくりと下ろす。
「 疾くと還元せよ 」
呟きと共に。
ひくんと、レギオンが体をびくつかせた。
精神体であるはずのザレスは、全身に瞬時と張り巡らされた肉の感覚に反射的に怯える。
世界が一瞬歪んだように見えた。
捻じ曲げられた、そんな感覚が体中を支配していく。
「うぁ」
中心で小さな火花が散った。
刹那。
「うぁああああああああッ」
無数の針の花が広がる海に沈みこんだように全身に激痛が走った。
痛みが肌に食い込んでくる。
過去にない感覚だった。
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