赤銅の髪の魔術士【07】
「ねぇ、ゼル」
神経性の発作を起こして疲れ果てた体を押して少女は青年に詰め寄る。
「なんですか?」
ゼルデも珍しく彼女の質問に答える姿勢のようだ。
本当に珍しいとファロウは意外に思う。
「そのレギオンって人はゼルとどんな関係なの?」
「どうって、追いつ追いかけられる関係で――」
「違うわ」
言い掛けたゼルデの声をファロウは遮った。
「あたしが聞いているのはその追いかけっこしている間柄になる前の二人の関係。どんなふうに出会ったの? そしてどんなふうに関わっていったの?」
あたしねと、彼女は続けた。
「本当はずっと聞きたかったの。自分の人生の全て投げ打ってレギオンって人を追い掛けているゼルの本音が聞きたかったの。ゼルが街でも村でも国さえもつけ火して回っている誰かを追い掛けているのはこんなあたしでも知ってるの。驚かないで? 一緒に旅をしているし、ゼルは隠そうともしなかったじゃない」
それに。
「ゼルの行動は復讐を果たそうというものじゃなかった。恨みを晴らそうと追い掛けているんじゃないって。逆にレギオンという人物を知っていてその行動を止めようとしていると感じるようになったわ」
ファロウの目から見てもわかるほどにゼルデは奔走している。情熱を傾けて、必死な彼の姿は復讐を成し遂げようとする者の姿ではない。
「ファロウ」
まっすぐにファロウの茶色の瞳は深いブルーの双眸を見据えた。
「でなきゃ、会えなかったのが悲しくて泣きそうな顔にはならないものね?」
言って微笑むファロウに間の抜けた声をゼルデは洩らした。
「あれ? 自覚無かったの? ゼルって周りの人を壊れ物を扱うようにそっと大切な物のように接するけど、いざって時は凄く簡単に見切りをつけちゃうんだよ? 気づかなかった?」
人の命を助けれなかったより会いたかった人に会えなかったことを深く悔やむ。無意識の世界では人命など塵よりも軽いと考えている。
事実、彼は多くの人間を見殺し続けている。それも、罪悪感に苛まれることなく、だ。
少女に諭され驚愕に目を剥くゼルデ。純粋な驚きに言葉を失った彼に、ファロウは小さく笑った。
「でも、きっとあたしもあんまり変わらないと思う。見ず知らずの他人の命を考えるより会いたい人に会えなかった事をあたしも悲しむだろうから。それにゼルには火事が起きることは他言できない制約もあるしね」
仕方がないことよ。
それが人間の心理ってものじゃないかしら?
目だけで彼女はそう彼に問い掛けた。もちろん、これに関しての解答は得られなかったが。
「見透かしているんですね」
「見習いだけど魔術士だもの。〝制約〟を守っている間は〝レギオンを追いかけられる〟んだって、それくらいは見抜けるわ」
ゼルデはファロウから視線を外すと、遠くに見える黒煙を立ち上らせる焦土と化した街と、その中で蟻のように忙しく動いている人を眺めた。
「レギオンと最後に会ったのは彼が既に精霊との契約を破った後でした」
〝あの日〟も今日のように雲が白く輝くほどに晴れた日であった。
「私はまだ術者として未熟で、彼を取り巻いている現状をどうすることもできませんでした。精霊の力に苦しんでいる彼に対してただただ慌てるだけで、 ……私は、何も、できなかった」
報せを受けて駆けつけた街の外れ。訪れた廃墟には匂い立つほどにも強い精霊の気配に満ちていた。焦燥と予感に追い立てられて朽ちた正面玄関を震える手で開くとそこに〝彼〟は居た。契約反故に精霊の力に苛まれて苦痛でのたうち回る青年がゼルデの目の前に在った。
知り合いの報せの通り、力を制御できずまた解放も暴走も、そのいずれもできずに青年が藻掻き苦しんでいた。
「処分しか……殺すしか無いと言われて向かわされたのに、私は現実を受け入れることができなかった。私は助けたかった。彼が彼として生きていて欲しかったから」
だから。
「私は、私の出来うること全てを試したんです。そしてそれは全て無駄に終わりました」
何も出来なかった。
後悔の沈黙の後に、ゼルデはファロウに緩く首を横に振った。
「最終的に私は、彼の現状を報せてくれた知り合いに頼みこみました。
彼の肉体を砕かずに精霊の力を解放させて、彼を有るべき形に戻すことはできないので、その代わりに彼の中の精霊の力を押さえこむことのできる方を呼んでほしいと。その願いはすぐに聞き届けられました。レギオンは処分を免れたんです」
最悪な結末と難局は回避できたが、問題は残されたのだとゼルデは続ける。
「結果として、その代償に人の心を失いました。それからです。忽然と街に現われては炎の力を解放させ街を焦土へと変えるようになったのは。今でも鮮明に思い出せます。炎の熱気に髪を靡かせて、燃えていく街を見下ろすその顔を。その表情を。あの無表情を……私は〝彼〟を喪ってしまった。
ファロウ。貴女の故郷が犠牲になったのは私のせいです」
頻度こそ多くないが原因不明の大火事はその時期から起こり始め、その大火でファロウの故郷は焦土と成ったのだ。
告白に少女は目を瞬き、ゼルデの語る内容を反復する。
驚きはしなかった。
〝そうだろうな〟と予想が当たっただけの感慨の感情しか生まれなかった。世界を燃やす〝聖火〟をファロウは忘れたくとも忘れられない。ただの火と聖火との違いが判別できるだけ、炎を追いかけるゼルデは何かしら関係していると早くから気づいていたのだ。
許してくださいと、事がある度にゼルデはファロウに願っていて、少女の心の整理はとっくの昔についていた。
だから、驚かないし、責めないし、許しもしない。少女ひとりが許して得られる救済をゼルデは求めていないのをファロウは確信している。
それよりもファロウの考えは別の疑問へと興味を移していた。
精霊との契約反故ではなく、第三者の介入による強引な再契約が物事を複雑化させたのだろうか? と。
「私には責任がある」
それでも処分しなかったことを後悔していないと断言するゼルデにファロウは無意識に下げていた視線を上げる。
「ですから、旅は続けます」
だからそれ以上この事については聞くな。
少女は、妙な引っ掛かりを彼に問おうとして寸でで飲み込んだ。
詮索の会話はここで打ち止めになってしまった。
彼があまり自分のことを話したがらない。
ファロウは溜息を吐いた。
「はぁい」
自分から会話を切るように場違いに明るい声で良い返事を返して、ファロウも街へと視線を投げた。
蟻みたいな黒い点が真っ黒な街の中をあちらこちらと動き回っている。
ゼルと旅をするようになって何回見た光景だろう。まだ片手で数えられるのは幸いというべきか。
「今回は〝通り過ぎただけ〟みたいね」
故郷の時とは違って、極々短時間で焼け落ちた家屋の規模に比べて死者は不思議なほどに少なくすんでいるのが遠目でもわかる。奔走している人の姿の多さにお世話になった人達が無事であることをファロウは願った。
「ねぇ、ゼル」
途端に火が失せたので消火活動から救助活動に切り替え始めたそことは違い、ふたりが居る場所はなんて平和なんだろう。風上で焦げ臭さなんて欠片もない。爽やかで肌に心地よい。風が心地よい。平穏が心地よい。
「なんでしょう?」
「これからどこに行くの? こっちの道は予定していたカミシャの村の方向じゃないわよね?」
ファロウの回復を待って再び歩こうとしている街道はゼルデが次の目的地とした場所とは方向が逆だった。
確かに訪れてから火事――人が住む場所での出火が多い――が起こっているが、ゼルデがレギオンの行く先々を予測できているとはファロウは思えなかった。今日のように旅の出発を急に繰り上げたりなど過去からしてかなり行き当たりばったりなのである。
人の心を失ったレギオンを動かしているのは精霊の意思だとゼルデは推測している。精霊の動向を予測し先回りするのは不可能だと言えた。
聞いた彼女にゼルデは、街の焼け跡とは逆の方を、これから自分達が歩きだす方へと指先を向けた。
「サルテアの街ですよ。あそこに風の噂ですがイズリアスが居ると耳にしました」
イズリアスとは、さっきゼルデが言っていた。
「ゼルの古馴染みの?」
青年が頷く。
「はい。彼は私が知っている誰よりも占術に長けていますから。彼ならレギオンの行く先がわかるかな……と」
自信を持てない曖昧な笑顔をゼルデは浮かべた。
「そういえば、いつもはどうやって先回りできたの?」
イズリアスという人物に対し尻込み気味なゼルデに、その人は怖い存在なのだろうかとファロウは首を傾げ、脳裏に過った疑問を口にした。
問いかけにゼルデは渋い顔をしてから思案に表情の動きを止めた。
「私の勘……冗談です」
ファロウの半眼が痛かった。ゼルデはあまり勘は良くない。
「直接風の動きを読んでいたんです」
「風?」
「はい。ほら、火事が発生する前に突風が吹くでしょう?」
前兆の強風と火付け役の熱風。
ゼルデが説明しているのは前者。だが、前者を知らないファロウは全てを焼き尽くさんと空を駆けた熱風の熱さを思い出した。
火膨れを起こさないのが不思議なくらい、熱い風。
「その風の行き先を追っていたんです。でも今回は見逃してしまいました。人伝ての話はあまり信用できません。人柄の信用ではなく、精霊が起こした事象事態の常識が、まず信用できません」
前兆の風が吹いたのが少女の授業中だった。結界を張った為に半隔離状態になっていたのが仇になってしまった。実際に見ていない分だけ、宿屋の主人が話してくれた内容では情報が足りずゼルデは判断できないのだ。
「レギオンは普通の人間とは違います。その体は限りなく人間とかけ離れていて、唐突に現われては忽然と消えることも可能です。彼を取り巻く守護の風が唯一の行動を示す手がかりになのです」
「守護?」
きょとんと目を瞬かせて聞き返すファロウにゼルデは笑いながら少し困ったような顔になる。
「何年も昔に、それこそファロウに出会う前に一度だけですが、偶然に彼と再会できた時があったんです。けれど私は彼に近付くことができなかった。私と彼を阻んだのは火ではなく風だったんです。なので私は彼を取り巻く風を守護と呼んでいます」
「ふぅん?」
ファロウは小さく鼻を鳴らす。
「じゃぁ、会うことができても話ができるかどうか、わかんないんだね」
近づけないからではなく、風が阻んでいるというのなら声が届くかは怪しいものだろう。事実過去がそうだったというのだから、運良く再会できても意思の疎通は難しいのかもしれない。
呟いた少女に青年は「そういうことです」と寂しげに呟いた。
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