赤銅の髪の魔術士【08】
訪れたサルテアの街は、先の焦土と化した街よりも大きく活気に満ちていた。
その理由は目を向ければすぐに見つかる宿の多さと、街の中心にある花街の規模に拠る所が大きい。この街はその道の名で少しばかり有名でもあった。
都市と都市を結び、観光としても栄えていて賑わう大通りを抜けて、ゼルデは寄り道もそこそこに、まっすぐとある宿屋を目指した。
その宿は遊学の貴族を専門に運営しているような高級宿だった。
二人の手持ちの金額では三日も泊まれない豪奢さにファロウの口は開いたまま塞がらない。非難っぽく問い詰めるような視線をファロウは横に流し、呆然自失に陥っているゼルデを見てしまい毒気を抜かれてしまう。
「噂は……本当だった」
と上擦った声で答えた姿がとても幼く少女の目に映った。
建物に近づくにつれて見えてくる旧リノア朝時代に流行していた植物をモチーフにした模様を刻む外壁。落ち着いた色を基調に気品よく塗装された建物にファロウは圧倒され、声を失った。
黒色に塗られた槍状の高い鉄柵。太い石柱門。宿屋だという情報がなかったら貴族の別荘だと勘違いしてもおかしくなかった。
「う、浮いてる…」
ぼそりと吐く。
貴族ご用達だからこそなのだろうが、街の様子と比べると、落差を覚えるくらいは浮いていた。この建物がもう少し街の中心寄りの花街らしい華やかな適所を所在地にしていたなら雰囲気さえ浮くこともなかっただろうにと無駄な狼狽心がファロウの心配に芽生えた。
気後れするファロウの隣で宿屋を見上げていたゼルデは苦さを洩らす。ゼルデもこの手の代物は苦手らしい。
「まぁ、貴族の方が気紛に建てた館に少々手を加えた宿ですからね」
「知ってるの?」
青年は建物から少女に視線を移し、再び建物を仰いで大きな樫の扉へと歩きだした。ファロウは遅れをとるまいと慌ててその後を追い隣に並ぶ。
「この街では結構有名な話ですよ。それに貴族を遇す宿は大抵朽ち果てようとした過去の貴族の館を改装したものが多いんです」
隣を歩くファロウに歩調を合わせつつゼルデは簡単な説明を添えた。
樫の扉の獅子を模った取っ手を掴み、
「おんやぁ? 随分身分不相応な宿泊客だなぁ」
ゼルデは振り返った。
背後から聞こえた声に、一拍遅れで反応しそちらに体を向けたファロウは絶句する。
長身の均等の取れた体躯に背を隠す長い白金の髪。それがゼルデと同じ髪質で同じ輝きをしていることにファロウの目は釘付けになっていた。しかもそんな髪に縁取られた顔はゼルデよりも美人だ。すんなりと通った鼻梁に皮肉げな唇は不適な笑みを浮かべ、誰をも見下す虹彩異色症の双眼。
――何よりファロウの興味を引いたのはその色違いの瞳だった。金色と鳶色の瞳。
ゼルデ以上の存在はいないと高を括っていたファロウは、耽美小説も裸足で逃げ出したくなるような外見に声も出せなかった。
そんな彼女の横を過ぎて、扉から離れたゼルデは男に近づいた。
五歩の距離を置いてゼルデは立ち止まる。心持ち自分の背中にファロウを隠すように。そして胸に片手を添えて小さく頭を垂れた。
「お久しぶりです、イズリアス。身分不相応ですみません、と言いたいところですが、そんなイズリアスも立場は同じではありませんか?」
イズリアスは皮肉な笑みを少しだけ深めて、片目を、金色の右目を瞑って見せた。
「実は、そうでもねぇんだよ」
「どういうことですか?」
表情を変えたゼルデにイズリアスは小さな笑みを唇の上で横に引き伸ばした。気怠げに腕を挙げて、宿屋の一室を迷いなく指で差し示す。
唯一窓が開いているそこ。上品な白色のカーテンの端が風にさらされて小さく揺らめいているその部屋を。
「あそこにリーガルーダがいる。素知らぬ振りをするなよ。わかってるだろ? 今回は奴が手を回してくれてな。俺も貴族どもと同じ立場さ」
示された窓に振り返ったゼルデは、明らかに意地悪な響きを含むイズリアスの説明に大きく目を見開いた。驚愕がファロウにも伝わって、少女も首を曲げ窓を振り仰ぐが、ゼルデが驚く理由が分からず頭上に疑問符を浮かべる。
開かれた窓に釘づけになった視線を自分が持てる精一杯の力で引き剥がしたゼルデは後ろ髪を引かれる思いでイズリアスに体を向けなおした。
「リーガルーダさんがイズリアスをこの地まで連れ出したということでしょうか? それまた、どうしてです?」
サルテアに訪れているという風の噂を表面的に捉えていたゼルデは不可解だと疑問を投げかけた。そんな彼にイズリアスは溜息を吐き、呆れに肩を竦める。
「いろいろ気になってるんだとさ。レギオンの動きもおまえの様子もな」
大股に歩きだして、あっという間に五歩分の距離を詰めたかと思うと、ゼルデの肩を軽く叩いたイズリアスはそのままファロウの元へと進む。
叩かれた肩を反対の手で掴みイズリアスに振り返ったゼルデは滅多に見られない美人に無遠慮に近づかれてぎくしゃくしているファロウを見た。
二人で二言三言ほど言葉を交わし、真っ赤に顔を染めるファロウを置いてイズリアスはさっさと宿屋の中に消えていく。
「どうしたの?」
「へぁ?」
頬の赤みが引き落ち着いたファロウはゼルデに振り返った。声をかけれて常にない間抜けた声を出したゼルデに少女は眉根を寄せる。
「本気でどうしたのよ?」
唖然とした顔でゼルデを見る少女。
そして今までゼルデが出会った誰よりも〝憧れ〟という言葉に強く執着している人間。
ゼルデは緩く首を横に振った。
「いえ、別に。ただ、やはり彼を前にすると緊張しますね」
「彼って、さっきの人? ゼルの古馴染みのイズリアス?」
ファロウが好奇心に瞳を輝かせるのでゼルデはどんな顔をしていいのかわからなくなった。
けれども次いで話す彼女の言葉に頬は緩んだ。
「風の噂だったんでしょ? 会えてよかったね」
会いたいと思った相手に会えた。ゼルデが会いたいと願う存在にすんなりと会えることができてファロウは純粋に嬉しかった。
にっこりと笑い、心底から喜んでくれるファロウにゼルデも微笑み返して、無意識に宿屋の開かれたままの窓に目を向ける。
惹かれるように顎を上げ、見詰め、引き取るように表情を消したゼルデに、ファロウも自然と無言になる。
しばらく経ってファロウの耳に小さな囁きが聞こえた。
「本当に会えるとは思いませんでした」
夢現に囁くゼルデの声がファロウの耳に残った。
耳が、二人の旅人たちが扉を閉める音を聞き付ける。
遥か足元の方で小さなお喋りが聞こえてきそうな気がして、彼は小さく笑みを零した。
窓枠にそっと右掌を乗せて身を乗り出すように正面の門から宿屋の入り口までゆっくりと視線を移動させる。
「聞いたか?」
背後からの声に彼は息を吐き出した。部屋には自分以外の誰の気配もなかったのにと浮かべていた笑みを引っ込める。
「ノックくらいしたらどうです? ええ、報告を受けましたから。すぐそこの街だそうですね」
大きく動いた風の流れと、誰かがソファに身を沈める音に彼は何度と無く吐き出した溜息を再び吐いた。
「久しぶりにあの子の声を聞きました」
開けたままの窓から風と共に舞い込んできた声は、青年らしくしっかりと芯のある声音だった。
「おまえの名前を出したら驚いたぜ?ああいうところは認めづらいもんなんかね。で、会わないのか?」
問い掛けに彼は、背中の半ばから三つ編みされた髪の毛先の方を掴んで持ち上げると、それを背中から胸の前へと移動させて、毛先を軽く指に絡める。
「会うのは貴方ですよ、イズリアス。そして、力を貸すのも貴方です」
きっぱりとした返答にイズリアスは肩を竦める。
「皮肉なもんだね。え? そう思わないか? 力を貸したいおまえがいて、力を貸したくない俺がいて――」
「何が言いたいんです?」
苛立つわけでもないのに強くなる語調。
イズリアスはサイドテーブルの上の小箱を引き寄せて、中から煙草を一本取り出した。
「知ってるだろ? 俺は奴が嫌いだ。あれだけ自分が責任を取るとか言いながら被害は確実に酷くなっている。現に、このまま野放しにしていたら確実に聖王都にレギオンは現われる。だから、おまえも動かざるをえない。いや、おまえにとったら格好な口実か。
とにかく、俺はこれ以上ゼルデティーズにレギオンは任せておけない」
煙草を銜えると、真新しい蝋燭を燭台に立てて、それに火を付けた。マッチを水入れの中に捨てる。
「イズリアスの言いたいことは、わかってますよ。もちろん」
顔を寄せて蝋燭の火で煙草の火を付けたイズリアスは煙を吐き出し、これ以上開けていたら虫が入ると、窓を閉めるように指示を出した。
外はもう黄昏を迎えつつある。
「すぐに処分したいのでしょう? 貴方を含めた皆さんの意見は。
確かに、今回はゼルデティーズ自身が引き起こしたことで、彼自身で処分させるべきことです。そう、今すぐにでも。
ですが、彼は処分以外の形で責任を果たそうとしている。その気持ちを尊重させてもいいと俺は思うんですけど?」
窓を閉めて振り返った彼に、イズリアスは煙草の煙を薫らせた。
「おまえのその一言で状況は今に至っている。俺としては、いつまで俺達の問題に首を突っ込んでいる気だ? と、言いたいんだがな」
物騒に細まった二色の瞳。
そんなイズリアスに彼は弱々しい微笑みを返す。
「それでも、穏便に問題が解決されて欲しいのでしょう? 貴方を含めた皆さんの意見は?」
その殊勝な笑みが一瞬にして不適な、勝ち誇るような笑みへと変わった。
「強引に処分すればなにかしらどこかに亀裂が入る。それも致命的な。
ですが、ゼルデティーズのやり方は実に理に適っていると思いませんか? もっとも理想としている形でレギオンを扱おうとしている。
この火事騒動も当の犯人であるレギオンを人として戻せば解決します。
人は人。精霊は精霊。レギオンという存在を、この二つの存在に純化させ分離させることができればどんなに望ましいでしょう」
「理想は理想だ。夢物語でしかない」
否定するイズリアスに素早く彼は首を横に振った。
「残念ながら、決して夢物語とも言い切れないんですよ?」
イズリアスは不快に眉間に皺を寄せる。
「どういうことだ?」
イズリアスは彼がこの言い合いの勝利を手中に納め始めているのを予感した。それでは気分は悪くなるし、単純に面白くない。しかし、目の前のこの鈍感は自分のそんな気持ちを欠片も察してはくれないのだ。おかげで苛立ちは募る一方である。
にこりと、彼はイズリアスに笑みを向けた。
「それは彼らが問題を起こした当事者達だからです。そして彼らに彼女が関わりを持ったからです」
「ずいぶん自信有りげに言うな。根拠もないくせに」
「根拠ならありますよ。確かに俺達から見たら人間はちっぽけな存在かもしれませんが、内に秘める力は俺達の想像を遥かに凌ぎます。きっと、ちゃんと解決してくれますよ。大地がそう言ってます」
「始まったな。というか、暴走しはじめたな、おまえの人間好きが。世界を引き合いに出して大見得を切るなよ」
「酷い言われようですね」
「否定はしねぇよ。わかった。古代種としてのお前のその発言を認めよう」
皿に灰を落として、燃えている先端を硝子細工の皿の底に押しつけて潰した。イズリアスはソファから立ち上がると彼に人差し指を向け、
「不本意だが、これから奴に全大陸制覇しようとしている放火魔の出現場所を教える。その後はすぐに撤収だ」
わかったか? と、腕を払った。
扉を開けて、ふとイズリアスは思う。
「リーガルーダ」
「なんですか?」
「本当に会わなくていいのか?」
聞くと彼は、きょとんと目を瞬き、嫌な顔をした。
「変な気遣いですね。明日、空から槍が降ってきそうです。ええ、会いませんよ。自分で決めたことなんですから自分で全うさせないと意味がないでしょう?」
心配はするが直接の手助けはしない。
「つまり、おまえなりの気遣い、か」
そもそもリーガルーダよりイズリアス側に問題があるのだ。
手を貸しているのはむしろリーガルーダの方である。
「それもありますが、これ以上突っ込んだら別の争いを引き起こし兼ねません。イズリアスを引っ張り出すこと。俺はここまでが限界なんです」
うん? と小さく唸ってイズリアスは廊下に出る。
「ああ、そうか。おまえが城の外歩くだけで戦争ものなのか」
扉が閉まる寸前にイズリアスの呟きに同意する気配がした。
場合によっては最悪な結果を生み出してしまうから中途半端な力で手を貸すわけにはいかないのだ。
「陸竜――陸の民が動き出すまでになってしまった……んだろうな。全く、面倒ばかりだ」
廊下を歩きだしながら、しっかし、とイズリアスは思う。
支配する側の存在だというのに。
日に日に行動を制限され、感情さえ押しつけられて、力はあるくせにそれを打破できずにいる。
ああやって大地の声を聞いて足掻くように結果を導こうとするので精一杯なのだろう。
「まぁ、俺達みたいな自由さを持てとは言わんけどよ。性質的にできねえだろうし」
吐き出す溜息には侮蔑が混じった。
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