赤銅の髪の魔術士【04】
いつも思うがゼルデの指は魔法の指だ。
指印が切られるたびにひとつまたひとつと中に炎を内包した透明な球体が出現し、それらはゼルデやファロウの周りを漂い巡る。
魔導師なのだからこういう芸当はお手の物と頭でわかっているのだが、幻想的な光景を見せられてしまうと自然と溜息がでた。
この幻想が自分に用意された授業の教材のひとつだと頭でわかっていても、何かの余興なのではと期待してしまうファロウだ。
「前にも話しましたが、魔力が術者にもたらすのは損益のみです」
静謐に満たされた空間に厳かな声が響く。
語られる内容は幻想に解け込むような甘い内容ではなく、否でも応でもこれが授業だという現実をファロウに突きつけた。幻想のまま聞き流したら後で大変な目に遭うだろう。状況に流されず気を引き締めないととファロウは奥歯を噛み締める。
寝台に腰掛けるゼルデは空中に漂う透明球体のひとつを手に取った。何事か呟き、息を吹きかける。すると球体の中に小さな炎が生じた。ゼルデと対面で床に正座するファロウは身を乗り出し息を詰める。
「術者は魔力がもたらす損を最小限に押さえて、益を最大限に引き出さないと命に関わります」
目に見えない駆け引きをどうやって少女に教えようか。言葉選びを躊躇うようにゼルデは下唇を舌で湿らせた。
「火の魔術を扱えば、魔力は私がこれだと示したものを焼き尽くしてはくれますが、同時に私に火傷を負わせようとします」
少女の目の高さに合わせて、炎を内包させたシャボン玉を掲げる手を下におろす。
「球が私の体で、中で揺らぐ炎を私の魔力だと思ってくださいね」
球の天頂に指の腹を置き、表面を撫でた。それだけでゼルデの魔術の施しが終わる。シャボン玉の表面に細かい文字が浮かんだ。
「はい、私が呪文を唱えました。細かい文字がそれです。 ……見ててください、呪文が形となって外にでてきますから」
言葉通りに中の炎が表面に浮かんだ文字を引き寄せて取り込み、だんだんと大きくなっていく。育った炎はゼルデの言う形になって外に出よう球体の表層に触れた途端、軽い音を立てて球体は爆ぜて割れて、ゼルデの手の上であっけなく四散した。
小さな声を漏らしファロウは息を飲む。
ゼルデは枷を失い溢れ出ようとした炎を握り潰した。
「今日は制御の話をしましょうか。制御に失敗した場合は術者は今の球と炎のようになってしまいます。いわゆる自爆型と言われていますが。内包した力を適量に扱わないと術者の体……つまり、器はずたずたに引き裂かれてしまいます。それを防ぐために術者は魔力の制御を覚えなくてはなりません」
魔力は術者に損と益しか与えない。
言い換えれば死と生だ。
魔力にも単独性が存在する。術者を死なせないように術者を眠らせて生かそうするか、己が持つ力に術者を死なせてしまうか。大概は魔力は後者の働きが大きい。だから、大なり小なり魔術には破壊効果が付きまとう。俗に防御魔術と呼ばれるものも似たような原理だ。魔力をぶつけ合って力を相殺させる。
寝台から離れ少女の横に腰をおろすゼルデにファロウは正座しなおす。
これから難解な授業が始まる。
特に、制御に関しての講義は魔力を開花する前からかなりの時間をかけて教えてもらったが、その三分の一もファロウは理解できずにいた。
制御の習得それ自体はそれほど難しくはないものの、個人差が甚だしくファロウ自身は覚えるのに時間がかかっている。覚えればさして意識せずにできるし、この肩から提げる素晴らしい布ともおさらばできるというのだが道のりは遠い。
「術者がまず、心得なければいけないことは?」
聞かれた少女は慌てて記憶をまさぐった。授業の一番始めに必ず聞かれることである。
「己の力の際限を知ること。心を平静に、取り乱さず、感情に流されず、死ぬことを恐れなければならない」
言い切った少女にゼルデは小さく笑う。
「よくできました。死にたくなかったら決して忘れないように」
さてと、一息をつく。
「魔力を制御する。と、少し難しく聞こえますよね? でも、魔力の行方を良く見る。といえばわかりますか?」
「えっとぉ」
眉間に皺が寄る。言葉を換えても、よくわからない。
縋るような目で見つめられてゼルデは笑う。
「三日前にも教えましたが?」
笑顔な師匠と。
「本当に、魔術の事に関すると厳しいのね」
むくれる弟子と。
ゼルデは小さく笑い声を立てた。
「厳しくもなります。貴女はまだ若い少女だ」
ゼルデの台詞にファロウは立ち上がっていた。
「だけどッ!」
大声を張り上げようとした少女より早くゼルデは制止の手を挙げる。
「ですが、覚悟は認めています」
思いもよらない言葉に大音量で反論しようとしたファロウの体から力が抜けた。へなっと座り込む。軽く目を伏せるゼルデに心持ち自分の体を寄せると、その綺麗な顔を下から伺うように静かに覗き込んだ。
「本当?」
恐る恐る聞き返すファロウにゼルデは頷く。
「憧れているのでしょう?」
音が爆ぜた。ゼルデの終了を強制を受けて不必要になった魔術のいくつかが消失する。シャボン状の透明球体に炎を入れるのは照明魔術の典型的な形である。持続時間の長い魔術なので、強制終了しないかぎり半日は保つ代物でひとつあれば事足りるものだ。
教材の消失は授業の終了の報せでもあった。
「うん」
少女の顔に笑みが広がる。
勉強が終わったことよりも、ゼルデが認めてくれていることがファロウはとても嬉しかった。
満面の花が咲き溢れんばかりの若々しく瑞々しい晴れやかな笑顔。
その笑みにつられて、頬を綻ばせたゼルデは最後に残しておいた照明球を自分と少女の間のやや高い空間に固定させた。できるだけ明るさを絞っているので、光量は蝋燭一本とあまり変わらない。薄暗い部屋の中で師弟は互いに座り込み、魔術が作り出す光を頼りに相手の顔を伺うように見やる。
「三年前に突然師匠になってください。は正直驚きましたよ」
苦笑したゼルデにファロウはくすりと悪戯っけに笑いをもらす。
「だって、ゼルは絶対に強い魔術士だと思ったのよ。教えてもらうのなら力の強い人がよかったの」
手ぐすね引いていたのだとはっきりと断言した少女に青年は緩く首を横に振った。
「私はそんなに強くありませんよ?」
「でも、強いと思うの。まぁ、あの人には敵わないだろうけど」
「あなたがよく話している憧れの人のことですよね?」
頷いた。少女の頬が赤く染まるのは興奮だけが理由ではない。
「うん。十二年前にたった一度しか会ったことは無いけど」
目を伏せるファロウ。情景は今でもはっきりと思い出すことができる。
幼い頃少女が天さえも焦がす灼熱の現実の中で生き抜く気力すら失い死を覚悟した時に、炎の勢いに逆らって駆けつけてくれた人がいた。
救い出してくれた人がいた。
「……赤銅の髪の魔術士」
故郷を丸ごと焦土へと変えた大火事から、奇跡的に生き残れることができたファロウは当時まだ五歳。あやふやな記憶が覚えていたのは自分を助けた人物の顔ではなく、炎の熱気に揺らぐ鮮やかな赤銅色の長い髪だった。
その人が魔術士であるということはあとになってから知った。
憧れて。忘れられず自分も魔術士になることを決意した。
大火事の後に親戚の家に身を寄せてから数年後、今から三年前に偶然にも若き魔導師ゼルデティーズと出会った。
「でも、赤銅色の髪なんて……そうそういませんよね」
呟きにファロウは小さく頷いた。
いないわけじゃないが稀だ。この世界に赤毛の持ち主はごまんといるのに。
俯いた少女にゼルデは指先で床を軽く叩く。
「その魔術士が私だったらどうします? 私の髪は白金。炎に照らせばなんとか赤銅色になりますよ?」
可能性としてはある。
思いがけない提案だったがファロウは小さく首を横に振った。
「若すぎるよ」
助けてもらったのは十二年前。ゼルデはどう見積もっても二十代前半。
自分を瓦礫の下から助けだした掌は大人の手だった。その人物がゼルデなら現在の彼はもっと歳を重ねていなければいけない。おじさんになっていないと変だ。それに子供の魔術士などまずこの世界には居ない。理解を要する魔術は幼子には扱えない代物であるのだから。
「ですね」
変なことを言ってしまいましたとゼルデは笑い、ファロウの肩を叩いて立ち上がるように促した。
「部屋に戻りなさい」
「制御の話は? 本当にこれで今日は終わりにするの?」
ファロウにゼルデは緩く首を横に振った。
「どうにも気が乗りません。また後日にしましょう」
「珍しいね。気分でも悪い? あ。あたしの頭の悪さについに嫌気がさした?」
「思ってもない事を言うものではないですよ。嘘が真になりますが?」
「嘘です、ごめんなさい。一人前になるまであたしの師匠でいてください」
「正直でよろしい。 ……いえ、出発を明日にするので支度の時間も必要だと気づいたからです」
「ずいぶんと急じゃない」
立ち上がりかけたファロウは思わずとゼルデを見た。
「はい。一週間ばかり早いですが。
……本当なら氷槍の術くらいちゃんとできるようになるまで居ようかなとも思っていたんですけどね」
事情が変わったと、歯切れの悪い口振りで残念がった。
完璧とまではいかないものの魔力が形として、物質に変化するようになってきたのはゼルデとしてもうれしいことであったのだ。だからこそあれもこれもと詰め込みたくて制御の話を持ち出したが、それこそ昨日今日で身につくようなものではないと気付かされただけだった。
このまま体が覚えているうちにそれを完成に近づけるよう訓練させたかったが、事情がそれを許してはくれないだろう。
「明日の朝に出発なのね? わかったわ」
いつまでも中腰のままはつらいと背筋の伸ばすファロウは自分の言葉を指折りながら反芻してから了解とゼルデに頷いた。
反対する理由はファロウにはなかった。素直に応じる弟子に、同じく膝を伸ばし立ち上がったゼルデは、ぽむとファロウの頭に自分の掌を乗せる。
見上げる少女に小さく笑った。
「おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい、ゼルデティーズ師」
不思議そうに首を傾げたファロウは頭上に疑問符を乗せながらも、笑ったゼルデに返すように胸の前で片手で小さく印を切った。
「朝からの行動です。今夜は準備が整ったら速やかに眠りなさい」
念を押したゼルデはファロウの印切りに形の違う印を切って返す。
二人以上が行なって完成する〝完了〟の魔術の中で一番簡単な術のひとつだ。一定範囲かまたは空間に留まって残ってしまう魔力の残滓をある程度強制的に消す効果がある。
照明用にと残した魔術も消え失せて真っ暗になった室内に多少の慌てもせず少女は「おやすみなさい」と繰り返して部屋を後にした。
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