赤銅の髪の魔術士【03】
「ファロウ。お風呂ですか?」
お風呂道具を入れた籠を片腕に抱えながら階段を降りてくる少女をゼルデは手招きする。
「うん。魔術使った後って結構疲れるし、冷気で乾燥したのか肌がぱりぱりいってるわ」
浮かれた気分も丸出しにファロウは彼に頷いた。
そんな彼女に「そうですね」と相槌を打ったゼルデは自分の長い髪を一、二本引き抜き、それをファロウの首に巻き付けてほどけないように縛ってから強化の印を切った。
強化され麻糸ほどの強度をもったゼルデの髪に、それを首飾りとされたファロウは彼の突然の行動にきょとんとする。
「またお仕事?」
こういうのはこれが初めてではない。
いつもの事ねと、不満な声を出した彼女にゼルデは宥めるように笑いかけた。軽く頭を撫でて浴場へと少女の肩をやんわりと押してやる。
「一時間が限度です。お風呂から上がったら私の部屋に来なさい」
肩を押され一歩前に進んだファロウは首だけ曲げてゼルデを見上げてから、浴場へと向かった。
「行かないのかい?」
不思議に首を傾げたドロシーにゼルデは頷く。
「共にお風呂に入るわけでもありませんし、時には私など気にせずにゆっくりさせないと」
お風呂に入るということは魔力封印の布を外すということだ。常ならばゼルデはファロウが入浴している間は魔力を外に逃がして暴走させないように結界を張る。
簡単に魔力は得られても、魔術を独学で身につけるのは安易ではない。学校で学ぶか、師をとるかしないと魔術のまの字も齧ることはとても難しい。それに、魔術の教えを請うのなら弟子は師と生活をともにしなければならない。それは専門の学校でも絶対であり、教師と生徒の数はいつも等しい。生死に関わるため不思議の力を万が一にも暴走させるわけにはいかないので、師は弟子の補佐を常にしなければならず、片時も離れることは許されないし、普通ならしない。そういう事情もあって教師でもなく国にも属していない流れの魔導師が弟子を取ることは珍しいのだ。
だから本音を言うと、ゼルデは今でもファロウを自分の弟子にしたのかよくわからなかった。親子以上の結びつきを強いられる、そんな煩わしい制約が多いことくらい知っていたのに。
「まだ十六になったばかりなんですよ? 年頃の女の子です。仕方がないとはいえ終始男の私と生活を共にしているのですから、どこかで緊張しているはずです。そうでないと変じゃないですか。
……時には気分をほぐしてやらないと永眠という事態に陥られるのはまっぴらごめんです」
「永眠、だって?」
即ち死。直結に結びつけた女将にゼルデは慌てる。
「いえ、そういう意味ではなく。
……結局同じ意味にはなりますが。女将さんも仕事で疲れた日はぐっすり眠ってしまいますよね?」
娘が二人とも嫁に出した日から宿屋を夫婦二人だけで切り盛りしている女将は質問に実感を込めて頷いた。夫が食材を取り寄せるために遠出したりで不在になれば留守を預かる女将には重い荷物を運んだり、建物の痛んだところを修理したりと男仕事をこなさなければならない時があった。そんな日は早めに寝台に潜り込んであっというまに寝入ってしまう。
「人の体はちゃんと自身の限界を知っています。だから、自分の限界が近付いてきたのを感じると、それ以上無理をさせないように体に危険信号を発します。そして、体力を回復させるために一番手っ取り早い方法を取る。つまり、眠ることです。ぐっすり眠った翌朝って爽快でしょう?」
「待って」と制止を促す女将など構わずにゼルデの饒舌さは加速する。
完全な理解を求めているのではなく、ただ理論詰めにして相手を、わけのわからない状態のまま頷かせるために。
知っているような知らないような絶妙なラインの情報を捲し立てるように並べ挙げられ、それがさも当然とした顔で話されればそうなのだろうと変に納得してしまう。真偽がわからないからそれが本当なのだと思い込む。その心理現象へとゼルデは笑顔を以て女将を追い込んだ。
「魔力には今のところ二つの定義があります。魔力とは人間が持つ潜在能力か、それとも防衛本能か。私が支持しているのは後者です。確かに潜在能力ではありますが、あくまで自分を守るために生まれた力だと思っているからです。魔力も一種の生命力ですから放出し続けるといつかは死に至ります。それを防ぐために、本来呪文を唱えないと発動しない魔術が、術者を死なせないために勝手に術者に魔術をかけてしまうことがあるのです。体を休ませるために術者を眠らせる魔術をかけてしまうんです」
魔術を発動させたのが術者ではなく魔力自身なので解くことは安易ではない。
発動している魔術を解除するには、いくつか方法があるのだが、どれも術者自身か術者同等又は術士以上の実力を持った魔術士が望ましく、しかもそれは魔術がどんなのもかわかっていないと成功率は下がる。何故だと問えば、発動から停止へと魔術の方向性を変える必要性があるのだと答えよう。
ただえさえ、同門でない限り個人によって術の発動の仕方が違う上に、魔力自身が行なった魔術ならそれを解除することはほぼ不可能。そして術者はそのまま眠りに落ち、いつかは死に至る。
しかも眠りは唐突に術者を襲う。魔術の研究に没頭していた魔術士がいきなり倒れてそのまま死んだとか、混雑した道を歩いていた魔術士が突然になど、その類の話は珍しくないし後を絶たない。発動の自覚症状は個人に寄る所が多く眠ることを恐れる者もいる。ちょっとした体力の低下であっけなくという者も少なくない。
魔術士が繊細と噂される遠因だ。
だが、自己をきちんと管理していれば未然に防げることなのでそれほど怯えることはない。
が、初心者はそれが出来ない。知識と経験が無いのと、感覚がわからないからだ。魔術を扱うにはノウハウが必要なのだ。
「では、私は部屋に戻ります。食事の時間になったら降りてきますので」
ゼルデに話はこれで終わりですと微笑まれて女将は我に返った。
「あ、あぁ……」
慌てて頷く女将と擦れ違い階段へと向かうゼルデは真顔になって二階へと消える。
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