赤銅の髪の魔術士【02】




 魔術を扱う魔術士と呼ばれる者達について大陸各国は、その価値を認められている所と、認められない所とはっきりと分かれる。

 突然火の玉を出現させたりする不思議の力は人々に恐れと畏れを抱かせた。その価値を認める国は血眼になって魔術士と呼ばれる者を片っ端から掻き集めて城に閉じこめたりするし、その存在を認めない国は魔女狩りと称して、徹底的に排除する。その為か、一般には、不思議の力を扱う者、としか伝わっておらず非常に知名度は低い。

 魔力は、竜族の力とは違い、精霊の元素とも呼ばれる霊力とも違い、人間は勿論大陸に息づいている全ての生物が持っているとされている生存本能を源にした精神能力というのが定説なだけであって、本当は人の何の力なのか解明されていない。仮説ばかりが乱立し、問題ばかり残るくせに魔力と呼ばれるその力は内に眠る潜在能力を開花させて昇華させることによって容易に得ることができる。

 また、不確定な定説によれば魔力と呼ばれるそれは、生命が持つ業にも等しい生存本能から派生するが故に上手くセーブをかけられず暴走させてしまうことも少なからず多いという。誰も、無意識の行動を妨げることが出来ないのと同じ事だからだと安易な理由を付けられているが、それは魔力を扱おうとしている少女にはとても致命的なものに聞こえた。

 今更のことではあるが。

 だからこそなのかもしれない。人間は自分ではできないことを他の物を使って補うことにした。

 少女ファロウが肩に掛ける青い布がそれだ。

 素材も織り方も特殊で、縫いつけられた模様も特別な意味を持つなら、その糸も特殊な方法で染め上げられた代物である。時間も手間もかかるが、材料費はもっとばかにならないが、その甲斐あってか効力は抜群で、不必要な魔力、人が生きていく為の力の流出を遮断するように防いでくれる。

 が、先人達が目的だけを優先させたこともあって、難点もあった。

 非常に複雑な魔術文字はともすれば難解な画家が描いた、もはや美術価値があるのかないのかわからない模様にも見えて、見る側としては眉を顰めずにはいられないものだった。つまり、綺麗なのは綺麗なのだが、センスがあまりにない。異様すぎる。出来れば身につけたくない代物だったのだ。

 そろそろ慣れたとはいえ、すれ違う人々の好奇な視線にファロウの溜息は尽きない。魔術を厭う地域でないだけマシなのだろうが、帰り道ひとつくらい気持ちよく歩きたいものだ。

「ただいまぁー」

「ただ今戻りました」

 宿屋の扉の上に付けられた鈴が鳴ると同時にファロウとゼルデの声が店内に響いた。

 モップでの床磨きに精を出していた女将は曲げていた腰を伸ばす。

「おや、お帰り。浴槽に湯を張ってあるからね、汗でも流したらちょうど食事の時間だよ」

 ふくよかな体を揺らす女将にファロウは小さな歓喜の声をあげて、さっさと自分の部屋に着替えを取りに向かう。

「ゼル。そこにある椅子そのままこっちに持ってきてくれ」

 少女を微笑みながら見送った彼に厨房から店の主人の声がかかる。その呼び名の気軽さが語るように親しくしてもらっているゼルデは軽く振り返って入り口のすぐそばに立て掛けてあった折り畳み式の簡易椅子を持ち、女将に視線だけの確認を交わし合ってから厨房へと向かう。

 宿屋の主人はまな板の上にずらりと並べた野菜を端から順にざくり切りにしていた。見てるだけで胸をすく軽快なリズムと豪快さには値の張る上品な宿屋では決して感じない親しみやすさが滲み出ている。野菜を中心にした食材から予想するに今夜は野菜炒めか。

「さっきから風が煩かったが、あんたらの仕業かい?」

 野菜を切っている主人ににこやかな笑みを向けていたゼルデは言われたことに微かに眉を顰めた。

 聞き返すと、主人は厳つい顔を彼に向けてからまな板と包丁に視線を戻す。

「兄さん、嬢ちゃんの魔術の特訓してるんだろ?」

 足元に転がっている木箱を避けながら主人に近づいたゼルデは頷いた。

「はい。教えてますけど。その、風が煩かったとは?」

 ゼルデ自身が独学で魔術を身につけたので本を片手に理論を説明することが難しく、実践でしか魔術を教えられない。実践練習の最中で放たれる少女と自分の魔力が他に影響しない様に、場所が街も近いこともあり、いつもより強固な結界を張っていた。

 強いと言っても直接地面に方陣を描いたりなどの本格的なものではないものの、初心者であるファロウの魔力が師であるゼルデの魔力遮断の障壁を越えられるはずがない。外への影響はないはずなのに。

 なにか迷惑をかけてしまったのか。

 ゼルデの不安を他所に野菜を切り終わった主人は今度は魚に手を伸ばした。目が透明なのと独特の魚臭さがない。採ってきたばかりの新鮮な魚だ。流石は海に面して栄えた街である。

「ああ。あんたたちが練習場に決めていた丘に向かって、海の方から音を立てて吹いていた」

 言い終わるのと同時に、ダンと魚の頭を切り落としす。

 骨を分断するために加えられた力は包丁がまな板を打った派手な音で現れた。ゼルデは思わず主人の貴婦人の腰ほどにもある太い二の腕を見てしまう。妻を得て二人の娘がそれぞれ嫁いだ今でも筋肉は縄目に引き締まっている主人にさすが元漁師と変な所で感心してしまった。

「ご迷惑をおかけしたようで、その……すみません」

「あ? いや、風が強かったってだけだ。なにも謝る事ねーさ。と、その椅子ここに広げて置いてくれ」

「はい」

 頷いて、折り畳みの椅子を広げてその場に置くとゼルデは、主人に背中を向けて厨房をあとにした。

「女将さん、あの……」

 床磨きを終えて道具の片付けをしていた女将に声をかける。

 甘い響きを帯びる声に名を呼ばれて女将は作業の手を止めた。

「おや、旦那がなんか言ったのかい?」

「へ?」

 意外なことを言われてきょとんとしたゼルデに女将はそのふくよかな体を軽く揺すって笑う。

「ここに来て、一ヶ月くらい経つけどそんな難しそうな顔してるのは初めて見たよ」

 女将はよく笑う。性格もざっくばらんで気安くゼルデとファロウはこの宿に泊まって数日ですぐに打ち解けた。店員とお客の関係のはずなのに、どこか家族みたいな付き合いをさせてもらっている。

「なんか気にさわったことならあたしが後で言ってあげようか?」

 軽口にゼルデもつられて笑った。

「いえ。どうやら魔術の影響が外まで漏れ出ていたらしく、私もまだまだだと思いまして」

「そうなのかい? ファロウちゃんに教えているくらいなんだから、あんた偉い先生なんだろ?」

 意外に驚きで目を丸くする女将にゼルデは苦笑いする。

「確かにある程度は極めてますけど独学ですからね。ちゃんと学問として修めた訳じゃありません。それに、ファロウに教えているのは基礎の基礎ですから、応用は体で覚えてもらわなければいけませんし」

 それに個人的に学校に行かせるのには気が退けた。確かに魔術士を養成する学校は存在するもののあまり良い噂を聞かない。運営者次第だし偏りもあるので、自分で教える方がまだ目が届くだけ良いと判断できる。

「ふぅん? そんなもんなのかい」

「それと前払いした宿泊費は何日分が残ってますか?」

 聞く彼に女将は小さく首を捻る。

「そうだね。一週間くらいだと思うけど、それがどうかしたのかい?」

 ちらりとゼルデは二階に続く階段に視線を流す。ファロウが降りてくる気配はまだ無い。

「明日の朝に出発しようと思いまして」

 ゼルデにつられて同じく二階を気にした女将はモップを握りなおした。

「随分急だね」

 パタンと二階から扉を閉める小さな音が聞こえる。

「ええ事情が変わったので。明後日の避難訓練はファロウが楽しみにしていただけに残念です」

 ゼルデの耳は部屋から出てきた人物が階段に向かって歩いてくる足音を捉えている。

 一瞬だけ戸惑った女将は先日の回覧板の内容を思い出した。回覧板には各地区で避難訓練をするための知らせと、避難路の書かれた地図が添付してあったはずだ。

「宿屋は希望があれば宿泊客も参加できたものだから、非日常を体験できるとファロウちゃんは乗り気だったからねぇ」

 確かに残念だと同意する女将にゼルデは目を細めて静かに頷いた。

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