赤銅の髪の魔術士 ―― 支配樹の眠り
保坂紫子
赤銅の髪の魔術士【01】
創世神に見捨てられた世界トライ。
崩壊する度に三種族の古き民が再構築したといわれる世界は、今日も晴れやかな晴天に恵まれて夏風はどこまでも爽やかに吹き渡る。
初夏の陽気な日差しの下で高々と振り上げられたのは少女の繊手。
「 処女の眠る泉 」
天へと向けられ開かれた掌から冷気の靄が溢れ、それに押し上げられる形で砂粒大に砕かれた鉱石のような氷塊が数粒ほど生み出されて大気に解けるように消失した。
「 湧き出でるは形無き流れ 」
幼さの残る少女の声は主張するように大きいものだが、涼やかに吹き流れる風の動きを乱さず、しかし、凛とした厳かな響きを伴って大気に広がっていく。
「 汚れを知らぬ乙女の軌跡を辿り 」
並ぶ韻を完璧になぞった呪文はまるで歌を唄っているみたいに華やかだ。
「 我が元に集いて 」
詠唱が進み少女を中心にした一定の範囲の空気の温度が一気に下る。
が、少女が温度の差を感じるよりも早く、足下から彼女が指差す方向――つまり空に向かって、草原を渡るそよ風とは性質違えた強い風が噴き出した。髪や服が激しくはためくも一瞬のことですぐに落ち着く。
「 穢れ知る愚かさに 」
一音を発するごとに、挙げた片手で複雑に指印を五回切り替える少女はゆっくりと息を吐き出して鋭く吸った。
少女の周囲に解けて消えてしまったはずの鉱石が再出現し、彼女の周囲に滞空しながら陽光を受け鋭い明滅を繰り返す。
幼さの残る茶色の瞳が狙うのは五十メル先で草原に佇んでいる人物。
彼女が六回目の指印を切ると鉱石を軸としていびつながらも氷の矢が形成された。
「 絶対零度の怒りを放て 」
指印を十二回切り終えれば大気は常温を取り戻していた。初夏の熱に暖められた風がなんとも肌に心地良い。
ただ先程と違い、周囲に出現し存在を固定された少女の腕程の長さの氷の矢が、冷え冷えと白色の帯を垂れ揺らすという異質な光景がそこに在った。
氷矢は全部で三本。
〝できた〟と、喜ぶ少女。
誇らしげな彼女は挙げたままの腕を地面と水平になるまで真っ直ぐと下ろし、標的を指し示した。
「 氷槍 」
命を下す言葉に指令を受けた三本の矢がそれぞれの速さで空を滑空する。
「残念ですが――これでは及第点はあげられません」
甘さが含む男声が少女の耳に届くより早く、彼女が起こした風よりも更に更に強い、強すぎた逆風が襲い来る。
「きゃ」
突如として巻き起こった突風に押されるというよりは、飲み込まれ体の重心をずらされた少女は慌ててその場にしゃがみ込んで転倒を回避する。
そんな少女にただ草原に突っ立っていた青年は肩を竦めた。
「最後まで集中してといつも言っているでしょう?」
責める口調ではない。
「ちょっとしたちょっかいで責任を放棄しないでとも言いましたよね?」
むしろ、諦めの濃い呆れた口調だった。
「力は正確な韻をなぞると形になります。形を得れば意思を持ちます。扱えきらねば己を害する凶器になる。
……喜ぶのはいいですが、自分が放った力は最後まできちんと見ておきなさい。私が消していなければ、風に煽られ向きを変えた氷矢が貴女を目指していたかもしれないんですよ?」
何度言えばわかってくれますか。
嘆息混じりに言われて、かちんときた少女は顎を持ち上げて不満げに唇を尖らせた。
けれど、気にしてしまい思わずちらりと周囲を伺ってみると、出現し青年目がけて放たれた氷の矢はその姿を消していた。自分と青年、それか大地に刺さっていただろうそれらは綺麗さっぱりと消失していた。
少女はその場でぺたりと座った。額にはびっしりと汗が滲んでいる。
「それにしても強すぎよ。吹き飛ばされかけたわ」
「攻撃系でないだけ手加減されたものと思いなさい。それに魔術を使われるとわかっていて詠唱を待ってくれる人なんて誰もいませんよ」
「詠唱省略の略式が使えるからって前振りなしなんて卑怯だわ」
「反撃しないとは言っていません」
「――ッ!! ほんと、魔術のことになると厳しいんだから!」
未熟さを指摘する説教の口実をわざわざ作っているようにしか感じられない。
彼は草原を踏みしめる事を味わうようにゆっくりと歩み寄る。
「魔術を教わりたいと言ったのは貴女ですよ、ファロウ?」
座り込んでいる少女に助けの手を差し出した。男にしては靭やかに細い手。剣を持つことも鍬を持つことも知らない貴族のような手だ。
「それはそうだけど……こんなに難しいとは想像してなかったから」
ファロウと呼ばれた少女は伸ばされた掌を数秒睨んでから、自分の掌を乗せて立ち上がる。
「でもまぁ、呪文は完璧になりましたね。ちゃんと形として出現しましたから。あとは制御でしょうか。かなり甘いのがいただけないです。本来なら槍のはずなのに出現したのは矢でしたからね。どうしたらそうなるのか考えなければなりません」
言葉では言うものの青年はどこか嬉しそうだった。
青年もまた少女が〝できた〟ことに安堵していた。矢という形ではあったが七個の鉱石で形成できたのが三本。反応速度もバラバラだったが命令に対し素直に動き出したのだから上々と言えた。
「ファロウはルシエ人でしたか。風系ばかり教えてますが、やはり水系のが相性が良さそうですね」
「本当? ゼルは風系の人なんでしょ? だから基礎は風の魔法からって前に言ってたわよね?」
「そうですね。ですが、相性の良さを優先して明日からはこちらに切り替えましょう」
少女の服に付いた汚れを軽く叩いて払い落とすのを手伝う彼は、彼女に微笑みを向けた。
「では、宿の方に帰りますか」
大気にほどけてしまいそうなほどにも淡い笑みに不機嫌に顔をしかめていた少女も相好を崩す。
うんと頷いて彼の手を借りて立ち上がった。
少女の名はファロウ・スペンド。
大国ルシエの端の端っこにあった村の出身で、先月に十六の誕生日を迎えたばかり。
肩までの茶色の髪は不器用な自身の手腕を持って短剣で切っているせいか何度やっても不揃いだ。見かけが悪いので普段は茶色の細紐で一本に束ねている。
髪がルシエ国ルシエ人特有の色ならば、目の色も倣って茶色。十人並の器量で、右目の下ちょうど頬骨の上あたりに生来からずっとうっすらと色づいている円形の痣のその真ん中ににきびができてしまった事が当人の文字通り顔に関しての目下な悩みだ。
年相応の首から上だけなら、酷な評価をするなら凡庸とも形容できる娘。
ただ、そこらにいる少女とどこか雰囲気が違って見えるのは少女自身と言うより、着ている服装のせいだろう。首から下が少女を凡庸と割り切らせてくれないのだ。
くたびれて汚れてはいるが、袖口に小さな菫の刺繍の施された薄水色の法衣と呼ばれる装束。右肩にだけ魔術文字が縫い込まれている青い布をかけ、その布ごと麻の太い帯で胴を縛っていた。
ファロウは魔術を扱う魔術士と呼ばれる存在だった。
ただ見習いであるからこそ、その奇抜な服装を強要されている。
顔に似合わず、肩に掛ける布の仰々しいこと。
それが、少女を普通と確定させることのできなかった違和感の原因だった。
ファロウはつい最近魔力というものを手に入れた――と言ってもこの年頃で魔力を得るのは結構珍しい――いわば、若葉マークを背中に張っている彼女では、いくら魔力の流出を経験や修練によって防ぐことができるといっても、それは到底無理な注文であって仕方なく布を肩からさげるしかなかった。
自分から魔術士になると決意したものの、年頃の彼女にとって自分に似合わない格好はあまりしたくない。というのが本音だろう。凡庸と呼ばれようとも布が無い方が比較も要らないくらいマシというものであった。が、これが選んだ道の上で必要なのだから必要なのだと自分を説得し終わってもいる。
そして、少女と対峙していたのは白金の髪と青い目を持った青年。
名をゼルデティーズ。
肘まで伸びる白金の髪を首の後ろで束ねて青の布で緩く縛っている彼もまた魔術士だ。
少女と違うのは彼は、先にも説明した魔力封印の布を身につける必要のない自分の魔力を完全に制御出来るほどの熟練者であるということ。
魔術士の中で自分の魔力を完全に支配できた者は魔導師と呼ばれる。
男でありながら女性的な顔立ちに物腰も穏やか。纏う雰囲気さえふわふわと丸みを帯びているものだから、それなりの長身なはずなのに割と女性と間違えられることも多い、そんな若き師匠だ。
だから彼の微笑みは、年頃の少女であるファロウの胸をドキドキと高鳴らせてしまう。
おかげで、怒っているどころじゃない。
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