赤銅の髪の魔術士【11】
駆け抜ける灼熱に燃える街。
炎の照り返しに赤銅に染まる白金の髪を靡かせてゼルデは走る。逃げ惑う人々を掻き分けて一際激しく燃えている火事の発生地へと急いでいた。
「……レギ、オン」
荒い呼吸の隙間から漏れる声。
「ザレス・レギオン……」
呼ぶのは、遥か昔に、人として生きる、生への執着を自分に見せた青年の名。
過去の記憶なのに鮮やかに憶えている。
忘れられないほどにくっきりと。
ゼルデは粉雪のように落ちてくる火の粉さえ構わずに走り続けた。
イズリアス――否、一族の者達が与えてくれる最後の機会だった。
これを逃すわけにはいかない。自分の不手際で起こしたこの事件のせいで聖王都まで巻き込むわけにはいかなかった。
長い年月をかけて追ったレギオンの足取りは、多少の回り道はあったが確実に聖王都を目指している。炎のレギオンがどんな理由で聖王都に引き付けられているのかわからないが、被害をその地へと広げるわけにはいかない。
臍を噛む。
――聖王都は陸竜の加護を受けている都。
加護を授けているのは隻眼の竜。
心の中で、言葉もなく喚く。
陸竜は『地』の属性の竜族。
対し、自分は半分とはいえ風竜で『天』の属性の竜族。
決して相容れない仲。
ゼルデは、立ち止まった。
「〝憧れ〟ているだけでは……駄目なのですか?」
空を仰ぐ。
黄昏に沢山の手を伸ばし空を求める炎を見つめた。
「ザレス・レギオン……答えてくださいよ……」
息を吸った。
脳裏に思い描く姿は後ろ姿。精霊の力を身に埋め込み、黒かった髪を赤へと変色させて、忽然と大気に消えたゼルデが最後に見た青年の姿。
拳を肌が白くなるまで強く握り締める。
「応えてくださいよォッ!」
絶叫が逃げ惑う人々の悲鳴の中でどこまでも一際強く、大気を貫いた。
大声を放ったことで、大量の煙を吸ってしまったゼルデはその場で激しい咳き込みに背を丸める。
目尻に涙が溜まった。
触発されて、泣きたくなった。
本当は知っている。
消滅させなければ救えない。
人としての意思は既にない。あるのは、精霊の本能と膨大な力を秘めた肉体のみ。
たとえ、精霊の力と人間の肉体をそれぞれ純化させ、分離させることができたとしても、精霊の力は媒介を失い呆気なく消滅し、魂のない肉体は死んで土に還るか、腐り落ちるまで死を与えられないかのどちらかだ。
レギオンという人間を、以前の彼のまま還元させることは理論上できない。
「……私は」
歩きだす。
それでも進むしかゼルデに残された道はない。
それ以外にレギオンを、そしてゼルデ自身を救う道は他にない。
竜の中では、ときたま自分の仔に人化の術をかけて、人間社会の中に置き去りにしていく親竜がいる。
どのような理由でか、竜の間では稀にある。
ゼルデティーズは人間に育てられた風の竜。人と竜の間に生まれ、結局はどちらの親も育てることができず、結果別の人間によって育てられた半竜。
ルーダと名乗った異国の少年との出会いに触発され、半竜ではあるが竜としての覚醒を果たし、そして、風の竜としては持ちにくい感情の一つである〝憧れ〟を抱いた。
陸竜リーガルーダに。
ゼルデティーズが人間が扱う魔術を覚えたのは、ひとえに、リーガルーダの側にいたいと願ったから。
少年が陸竜だとゼルデが知ったのはかなり後になってから。
地の属性の竜に天の属性である自分は側にいさせてはもらえない。側にいるだけで周囲に影響が及ぶ。だから、竜としてではなく、人間として、一人の魔術師として、陸竜ではなく、国を守る者の側にいようと心に決めた。遥か昔に竜として覚醒してしまったが、自分が竜としての資格を失ってもいいとさえ思った。
赤く燃える空を見上げて、ゼルデは小さく自嘲の笑みを零す。
長い間ひとりで旅をしていたのに、どうして突然ファロウを弟子に、更には養女にしたのか、わかった気がする。
似ているのだ。
自分と、あの少女が。
憧れという名の情熱が。
拳を握り締める。
この町にはファロウがいる。いくら宿にリーガルーダとイズリアスがいるといっても二人はそれぞれの事情を抱えているはず。あの少女の面倒を見てくれているのかどうか怪しいところだ。
少女は炎に対して心の傷を持っている。
今頃は神経性の発作で苦しんでるのかもしれない。
早くレギオンを見つけ出し、彼を人として救い出して炎を消さなければ。
少女は自分の弟子である。師である自分の助力を必要としているはずだ。
今回が最後の機会。ファロウを安全な場所まで運ぶ時間はない。ならば、取る手段はひとつ。レギオンを元に戻し、早くこの突発性大火事を消せばいい。精霊の力で起こった火種の無い火事は、その力の源流を断てば、呆気なく消える。
熱風に混じって吹き抜ける僅かな冷風を手繰り寄せて早足で劫火に燃え盛る街の中をゼルデは駆け抜けていく。
ゼルデティーズは風の竜。
その事実にファロウは動揺しっぱなしだった。
イズリアスと別れた彼女は、燃え盛る炎の街へと無謀にも飛び込み走り抜ける。
心的外傷からなる精神性の発作も今は無く、少女は師匠であり自分を助けた命の恩人を求めた。
逢いたかった。
会って顔をみたかった。
声を聞きたかった。
ずっと側にいたのに、気づかなかった。
世界で一番会いたかった人。
燃え盛る炎の海。
目を細めて崩れ落ちる家屋の横を走り抜ける少女はしかし、一筋の汗も流してはいなかった。そのことに少女も薄々感ずいている。
轟音を立てて、すぐ右隣りの教会らしき建物が崩壊した。散った大量の火の粉に度肝を抜かれたファロウが思わず一歩後退る。が、一陣の風が彼女に襲いかかろうとした火の粉を掻っ攫い、空へと舞い上げた。
「……え?」
漏れたのは意味の無い、疑問の声。
そして、認めた。自分が、火事の熱を感じていないことを。
ファロウが精神性の発作を起こすきっかけは、肌が感じた熱圧。全身を包み込むあの熱さ。
でも、それを今の彼女は感じていない。むしろ、涼しいとさえ思っている。
『守護の風』
脳裏に、師ゼルデの言葉がよみがえる。
彼が追い求めている者の側には守護の風がある。だから、近づけない。
寂しそうに呟く師の顔を思い出し、ファロウは顔を俯かせた。
熱気と冷気。二つの大気の流れが巨大な風の流れを生み出す。その威力に気づかないのは風が発生する中心部に居るファロウだけ。
故に、顔を俯かせた少女は、自分の周りで起こっている現象に気づくことができなかった。
切り裂くような声が矢となりて、ファロウの脳を突き刺した。
振り向いたと同時に中身から燃えて脆くなった建物が轟音を立てて崩れ落ちた。
下から吹き上げた火の粉は荒波の飛沫に似ていて、被害がないと知っていても腕を挙げて顔面をかばってしまう迫力があった。
熱風は少女の周りを囲んでいる冷気を押し、ファロウのスカートの裾や髪、魔力封印の布を激しく靡かせる。
「……っ!」
幸い少女と倒壊した建物との間には十分な距離が置いてあったので、これといった被害はないが、豪快に崩れ落ちた建物に防御反応で体の前で交差させた腕をファロウは下ろし安堵の息を吐いた。
巻き込まれる人間はいなかった。
ファロウの周りにも人はいなかった。
幸いといってもいいのだろうか少々迷うが、皆は逃げ出したあとらしい。そこらに残っているのは逃げ遅れて炎に抱かれて焼け焦げた死体だけ。
「〝通りすぎない〟のね……」
死者が増える予感に師を探すファロウはキュッと唇を噛んだ。
炎の海に包み込まれた街の中を歩くのは、これが初めてであるファロウは生きた心地がしない。
ゼルデの元へ行こうと歩き出そうとした彼女は、小さな呟きと共に自分の足を自分の意思で止めてしまっていた。
こんなところ、いつまでもいたら無残な炭になってしまうというのに。
いや、自分の意思で止まったというには少し違うかもしれない。
なんせ彼女の目の前には、
「誰?」
彼女の行く道を遮る様に存在そのものが佇んでいたからだ。
誰、と表現してしまったファロウは自分の声に奥歯を噛み締める。
人間ではない事はひと目でわかった。
人間以外の存在の話を少女は最近耳にしている。
人の形を纏う精霊。
否、人間の肉に封じ込められた精霊。
人間が精霊に乗っ取られれば、姿はそれであっても人とは形容できなくなるのかと妙に納得してしまう。
少女に向けられる視線は、およそ視線と呼ばれるものではなかった。
ただただ注がれる注視。そこには何の意味も含まれておらず、この場に在るという不確定で不安定さが現実味を削ぎ落としていて、いかに浮世離れした存在であるのかを少女に知らしめている。
故に、赤を衣とし、劫火を纏い、灼熱を取り巻いていても違和感が無く、逆に良く映え、また、似合っていた。
「レ、ギオン」
呟きに、しかし、反応は返ってこない。
気持ちが悪い程の注目を浴びながらファロウは奥歯を噛み締め続ける。
この状況はどう考えても危険だった。
精霊に相対した経験などファロウにあるわけもなく、この精霊に用事があるはずのゼルデよりも先に出会ってしまったことが既に失敗に思えて仕方がない。
なんたる偶然。
なんたる運命か。
目前の
どうすればいい。
どうすればいい。
どうすればいい。
精霊は何を考えているのかわからず、ただただ気味が悪い。
そんなのと対峙するだけで、気持ち悪い。
これならあのまま宿に留まっていればよかった。
おとなしく師匠の帰りを待っていればよかった。
イズリアスの告白に心躍らせてうかうかとこんな所にまで来なければよかった。
会いたかったのはこんな薄気味悪い存在ではない。
ふ、と。少女は顔を、知らず下向けていた顔を上げた。
「ゼル。そうよ、ゼルに教えなきゃ!」
こんな不気味極まりない相手でも、会いたいと願い続ける存在がいるじゃないか。と、ファロウは手放し掛けた自身の理性を鷲掴みにした。
しかし、方法をどうするか。
朝な夕な一時も離れなかった相手。離れ離れになるなんて事態がそもそも想定外なのである。遠方に送る合図の方法など、その手段など皆無に等しい。
等しいが、提案が無いわけでもなく逡巡を巡らせに巡らせて、少女は小さく気合いの声で、考えに自信を込める。
『魔力は術者に損益しか与えません。
理解しなさい。
そして操りなさい。
魔力が与えてくれる損を最小限に、益を最大限に引き出せば、魔力はなによりも勝る貴女の力となりましょう。
貴女が意のままに扱うことのできる、貴女の力となりましょう』
思い出したのは、いつもどんな時でも忘れてはいけない魔術士の心得だった。
魔術士は魔力の流れに敏感だ。規模のある魔術なら多少距離があっても認知認識できる。初心者然のファロウならその判断も難しいだろうが、魔導師であるゼルデなら一目瞭然とばかりに気づいてもらえる。いいや、気づいて欲しい。
「『恐れなさい。そして、挑みなさい』」
見習い弟子は師匠の教えを復唱する。
「『ねじ伏せて、支配して、貴女の力を、貴女のモノになさい』」
それは、彼女の精神統一の方法。
一息を吐いて、吸った。
「 荘厳なる空の調べ 偉大なる大地の王の弟よ その華麗さ その奔放さ その一途さを 我に見せん 」
眼光鋭く見据えて狙う先は空。
これは、賭けだ。
彼女はまだ、一度として魔術を会得していない。
制御に失敗すれば、体はたちまちにバラバラに吹っ飛んでしまうだろう。
でも、それでも、ファロウは一向も気にはしなかった。
無意識という名の無限の力。それを具現化させるという無謀な行為。死を恐れなかったらきっと手に入れることはできない。
ゼルデが昔言っていたことを、ファロウは思い出した。
死を覚悟した者は魔力を操ることができない。自分に想像以上の力を持っていると思っている者も扱えはしない。死を恐れ、自己を把握している者しか扱えない。否、扱ってはならない。
「はい、師匠」
ザッと靴底を地に滑らせて、左手で右手首を掴み、支えた。
「ファロウは死を恐れてます。また、自分を過信しません。ファロウはゼルデティーズ師匠の弟子です。ファロウは自分の無力さを良くわかっています。そして、死にたくありません。ファロウは、ファロウは師匠に……」
一息を吸って、溜める。
「会いたいし、それに、師匠に恩を売って良い気分にもなりたいです」
気持ちを吐露し幾分落ち着いたファロウは本番はここから自身に気合を入れた。
「 大気のしらべよ 寄り添いてと請い願う 」
ヒュオンと、風が鳴った。
「 柔らかな指で爪弾き 奏でて歌えと請い願う 」
が、そのことに気づかないファロウは鋭く呼気を放ち、怒声を天高く張り上げた。
「 風波ッ! 」
決意を宿した開放の力在る言葉に反応して、一瞬、全ての〝音が止まる〟。
風波。攻撃魔法の中ではもっとも単純で扱いは容易。簡便な基礎の魔術。
――のはずであったのだ。
精霊の炎は聖火。
全てを焼き尽くす。という点で現世界において右にでる対象は皆無。
強力すぎて風竜の息吹でも揺らぐことは滅多に無い。
それなのに――。
音の無い爆発が揺らぐはずのない炎達を震え上がらせた。
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