赤銅の髪の魔術士【13】




 光の粉を降らせる不思議の空間の中にいるファロウはおもむろに両手を前に突き出して歩き始めた。

 目的も無く、その先に何かがあるという確信も無く、歩き出した。

 あれからどのくらい時間が経っているのかわからなかったが、あの白金の髪の青年が腕を振り上げた光景から一切と世界に変化はなかった。

 どんなにファロウが待っても光の粉は灰色を帯びてはくれなかった。

 何も変わらないのだと感じた。

 だからなのだろう。

 前に進んだら何かわかるのではないかと思った。

「まだあるはずよ、絶対あるはず。だって」

 だって。

 一歩、進む。

「見てないんだもの。ゼルのあの続き」

 また一歩進む。

 一歩の、その先は奈落なのかもしれない。上下左右を感じさせない白く濁る世界。その場を動けばどうなるか、命の保障はされていない。

 それなのに少女は前に進む。

「あの続きがあるはずなのよ。それを私は見たいの。絶対に見てみたいの。そしたらなにかわかるかもしれないから。

 ねぇ、どうして見せてくれないの。さっきはこっちの意向なんて全然気にしないで見せてくれたのに」

 少女は想像もしていなかった。

 愚痴のようにだだもれていくだけの自分の願いに、

「そこまでで終りだからだ」

 答える声があったなんて。

 不意に響いた声は切なくなるほど耳に心地よく、突然声をかけられたという驚きを与えないほどに優しかった。

 青年の声。どこかで聞いた声音だ。

「見てたんだろ?」

 身を捻って正対するファロウに、青年は自嘲に笑う顔で両肩を竦めた。

 黒い髪だ。青い目だ。ゼルデより肉感のある、だけど標準よりは痩躯の体。ルシエ人とは祖を同じくしながら、別の歴史を歩んだルシア人の特徴を色濃く受け継いでいる青年だった。

 その面差しは先刻の緋色を纏う精霊と同じくしている。

「レギオン……」

 ファロウが対峙し、ゼルデが血なまこになって捜索する、世界を炎上させ続けている人間。

「ん? 知ってんのか?」

 初対面だろう? と投げ掛ける青年にファロウは頷きで返した。

「ルシア……人、なの? 

 ――レギオン。

 ああ、なんて、なんで名前を聞いた時にピンと来なかったんだろう。ザレス・レギオン。会って初めて気づくなんて」

 なんたる偶然で。

 なんたる運命か。

 ゼルデの言う「レギオン」とは名ではなかったのか。

 ゼルデの語る「レギオン」とは精霊を指したのではなかったのか。

「ん。ああ、あんたルシエ人か」

 驚愕に声を失ったファロウにザレスと名を呼ばれた青年は肩を竦めた。

「え、と。ファロウ・スペンド? でいいんだな。ま、そう驚くなって。ルシエ人なら仕方無いさ。それにあんま良いもんじゃないしな」

 動揺に対しての慰めにと頭を撫でられても、ファロウは溢れ出る涙を止められなかった。

 大国を築き繁栄を極めるルシエ人と辺境に集落を囲い小さな営みを築くルシア人。その起源は世界が二度目の崩壊を起こした時に既に失われている。だからか、それぞれの一族は祖を同じくしていると謳われながら二つに別った。互いに互いを守るかの様に。

 奇跡を望めないこの世界で、運命が必然であるのなら、これは当然なのだ。

 少女がルシエ人で、青年がルシア人なら、互いに互いの運命に関わるのはむしろ当然なのだ。増して相対して感情の露呈を止められないとなれば、正に〝運命の相手〟と言って過言ではないだろう。

 ファロウ・スペンドの運命の相手はザレス・レギオンその人であった。

 故郷を焦土へと変えた男が、だ。

「ぜ、ゼルが、 ……ゼル、デティーズが」

 滅茶苦茶の思考で綴られた言葉は少女の何を一番と優先させた結果だろうか。

「さが、捜してるの。 ……あな、たを。あなたを――!」

 ゼルデティーズが貴方を捜している。

「ゼル、デティーズ?」

「会って。お願い」

「何故?」

 鼻白むザレスにファロウは両手で涙を拭う。

「何故あいつは俺を捜してるんだ?」

 どれだけゼルデがザレスに会いたがっているのか説明しようとしたファロウは、向けられた青年の目に嫌悪の色を認めた。

「処分、か……の割にはなんであいつなんだ?」

 緊張に引き結んだ唇から漏れる呟きは確信と疑惑に揺れている。

「ザレス?」

「今いつだ?」

「え」

「あのな、ここは本来どこの次元にも属さない世界なんだ。区切るものは何も無く、ただあるのは混沌。形あるものは浮かんでは消え、形の無いものはどこまでも漂っていく無限の空間。しかし、何よりも許容量の無い、狭すぎる有限の空間。つまり俺の精神世界って奴だ」

「へ?」

「此処は精霊が創り出した空間だ。契約違反に激高した精霊に俺は外部との接触の一切を許されない空間に閉じ込められたんだ。だから俺は世界を知らない。正確には今の俺が持っているのは精霊と交わした契約に違反したその瞬間までの記憶。それ以外の情報は皆無」

 早口に捲し立てるザレスの声には微かだが震えが帯び、口端が徐々に引き上がっていく。

「なぁ、世界はどうなっているんだ? ああ、でもその前になんでおまえがこの空間に存在できているっていうことから解決していこうか? それともなんで俺はまだ生きているのかを解明した方がいいか?」

 尽きぬ疑問の数々を次々と突きつけられるファロウはこめかみを引きつらせた。少女が答えられないことを知っての質問の嵐と、にやつく青年の笑みにその意図を理解したファロウは頬を怒りに染める。

「八つ当たりしないで! 私がわかるわけないじゃない」

 一介の魔術士見習いに答えを求めることがそもそも間違っている。ファロウの狼狽を愉しがっている青年に少女は怒りを抑えられず泣き腫らして赤くなった目を吊り上げて声を荒げた。

「ザレス・レギオン。貴方こそ本当は全部わかってるんじゃないの?」

 口調に棘が入るファロウにザレスは否と首を横を振った。

「いや、わからん。精霊も何も人間の理解の範疇を超えてるし、状況を検分する為の情報が足りなさすぎる。ああ、でも、俺が生きてるってのは証明されたか、な。ふぅん……」

 言って黙す。軽めに握った拳を顎下に添えて斜め右下を睨むような格好で、ザレスは思案に耽る。

「ゼルの考えそうなもんだな。そか、生かされてるのか。とすると、うん。解釈の幅が有りすぎて仮説が立てづらい。生かしているのはあいつの考えか、竜の考えか。まず人間側じゃないな。さて、どれから判断すればいいのか。この際経過年月はどうでもいいか」

 呟きを零すザレスにファロウは首を傾げた。

「そんなに自分が生きていたことが不思議なの?」

 理解はできないが少女は自分という存在に対して何の関心も示さない青年に、回答が欲しくて声をかけた。

 二の次にされたくないと強い焦燥もあった。

 兎にも角にも会話をしなければとも半ば責任の様な物も感じていた。

 一人で考えさせては駄目だ。

 現状をどうにかしなければとファロウは自分自身に急かされていた。

「良い勘してるな。そうだ、不思議に思っている。俺はルシエ国から生死を問わない指名手配を受けている重罪人だし、精霊との契約時に風竜イズリアスを立会として間に立てている。契約違反は風竜側にも落ち度があるとされるらしいから黙っているはずがない」

 そもそもな話。

「精霊に反した俺が無事であるはずがない。魂は気に入られても肉体は同じとは見なされない。いいか、あんたが俺の運命の相手っていうことは、魂と肉体を含めた器同士で引き合うルシアとルシエの思想に基づけば、俺の肉体はまだ現存してるということだ。この時点で他者の介入を認めざるをえない。

 俺は生かされている」

 苛立ちを隠さずにザレスは奥歯を鳴らした。

「って、駄目だな。おまえ相手だとどうも本音が出る」

 ザレスもまたファロウと同じく感情の露呈を止めることができないらしい。どうやら考えていることは少女と同じらしく青年はそのまま不機嫌の格好をつけた。

「まぁ、あれだ。話を聞かせてくれ。仮説を立てるのはそれからにしよう。言って置くが俺は別にあんたが此処に辿り着いたことを不思議とは感じない。ルシアとルシエの運命の相手同士ならそんなの奇跡にもならん」

 死んだ運命の相手を生き返らせたという嘘みたいな話が史実として語られているくらいだ。大国となり民族意識の薄くなったルシエの生まれで故郷を失った少女とは違い、ルシアの生まれであるザレスは少女よりも自身の一族のことをよく知っている。

「とにかく情報をくれ。全部それからだ」

 そう言われて、はいそうですねと、バトンを渡すには少女にも情報がなさすぎた。順番があべこべにならない様に気をつけながら、先ずは自分がゼルデティーズの弟子であることから切り出す。

 時間経過を端折った状況だけを説明し終えるとザレスは右目の下に不愉快を示す皺を二本ほど刻んでいた。

「俺を生かしてるのはゼルか。再契約だなんて自体を複雑化してんじゃねぇよ。んで、イズリアスが出てきたって事は風竜族が看過出来ずに痺れを切らし切ったて所か。んで、なんだ、精霊の動きが良くわからないな。随分暴れているようだが、理性を持たない癖に明確な意思を感じる」

 そして「生かされてるか」と、一言を繰り返した。実に嫌そうに不快感を顕わにした渋い顔で。

「てことは。おまえ戻った方がいいな」

「え?」

「戻った方が良いって言ったんだ。聞き返すなよ。それでも魔術士か? 普通そうだろ。精神世界に触れれるのは精神だけだ。肉体は置き去りにされてるだろうよ。下手すりゃ丸焦げだぜ?」

 にやつきながら意地悪げに諭された内容にファロウはぞっとする。気づかされてこんな場所で暢気に長話をしていた自分が、自分の体が心配で心配で不安を煽られた。

「戻らなきゃ」

 焦りが言葉になった。

「だろ。戻れ戻れ」

「でもどうやって?」

「んー。たぶん簡単だ。きっかけはわからないが、この現象がルシエとルシアがもたらしたモノなら、あんたが戻ろうと思えば戻れる。俺も背中を押そう」

 見透かしたような冷ややかな口調で肩を竦めたザレスは右手で少女の左肩を掴み、自分に背中を向けるようにファロウを促した。促されたまま少女はザレスに背を向ける。

「じゃぁ、さよならだ」

 そう微笑さえ含んだ別れの声と同時に押された掌はくっきりとした感触を残し、ファロウの背を押した。

 正確には押そうとした。

 弾けるように振り返った少女は、自分の背を押そうとした青年の腕を鷲づかみにする。

 同時に互いの視線も交差した。

「嫌よ」

 言い放つ。

「あたしが戻れるなら、貴方も戻らなきゃ」

 両手でしっかりとザレスの右腕を握った。

「貴方にはゼルが待ってるわ。私の憧れた人が貴方を待っているの」

「そんな事を言って――」

「貴方に出来ないとか嫌だとか言わせない」

 ザレスの諦めをファロウは否定した。

「絶対に言わせないわ。私はゼルの……憧れの人で恩人のあの人のあんな顔は見たくないもの」

 少女の中の優先順位は不動である。何が何でも不動である。

 問題は山積みで理解の入り口も見えなくて混乱ばかりが転がっていた。

 だからこそ少女は少女の行動を選び取ることにした。

 何が最良か最悪かわからないのなら、後悔しない道を選ぼう。

 強引にそれだけを掴んで握りしめて押し通すことにしよう。

「精霊だから、世界の規則だから、無理だ出来ないってどうしても言うのなら――」

 決意の眼差しを向けたまま、一歩後退する。有無を言わせるつもりは全くなかった。

「私が連れて行くまでよ」

 相手が、一歩前進した。

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