赤銅の髪の魔術士【14】
全身の力が抜けていく。
生命を消費する剣を握り締めてどれくらいそうやっていただろう。
気づいていて、気づいたからこそ、近づけなくなっていた。
レギオン――精霊は自分の弟子をずっと見つめている。
「彼女が……なんだというのですか?」
語りかける言葉は喋っている本人に虚しさを抱かせる。
言葉が尽きるごとに、増えていく疑問にただただ焦るばかりだ。
疑問がなんのためらいも無く口に出て、そしてまた疑問が残る。
回答がないから、それは増殖する一方だった。
焦燥が全てを支配しそうで、ますます苛立ちが募る。
――精霊相手に、なにを翻弄されているのか。
誇り高いと噂される竜族としての本能がざわめくのをゼルデは認めた。滅多に疼かない感覚ではあったが、精霊ごときに手こずる自分が怒りを覚えるほど許せない。
靴底で灰と砂が擦りあう。
どうしようもなく、行き場のない憤りに更に更に強く剣を握り締めた。
「彼女が……なんだというのですかッ!」
怒号に、
「え?」
精霊は、腕を挙げて答えた。
「古ノモノ」
と。
「遙カ古ノモノ」
語る声は細く繊細。まるで乙女が恋をする歌を謳う様。
「世界ガ世界デアル証。世界ハ総ジテ同一デアルトイウ証」
それは、とゼルデの唇は音もなく動いた。
「ソレヲ証明スル者」
それは、
すなわち、
ひいては、
つまり。
「……先祖返り」
刹那、ゼルデは有りったけの力で剣を地面に突き立てていた。
「 命じるは風の司 守れ堅牢に 護れ柔軟に 己が自由自在を誇るのなら 」
彼が叫び終わるや否や世界は再び炎の海に飲み込まれた。
そして噴き上がった街を飲み込む巨大な火柱は一瞬にして消失する。
耳を裂き、脳を貫く悲鳴が空へと届くと同時に防御壁を圧迫していた力がなくなった。
「――へ?」
弟子を抹殺しようと向かってきた炎が消えて、ゼルデは顔を庇う片腕をゆっくりと降ろす。
背後で気配がざわめく。
「お、落ち着けって。大丈夫。大丈夫だから。な? 落ち着け!」
何度も何度も同じ言葉で、何度も何度も暗示をかける様にあやす声が聞こえてくる。
「な? 俺がついてる。大丈夫。大丈夫……」
少女を宥める声は、ゼルデは聞き覚えがあった。
振り返ると。
ゼルデの目と、ザレスの目が、合った。
「やぁ」
笑顔で片手を挙げるザレスと、
「ざ、れす?」
呆然と彼の名を呟くゼルデ。
びっくりして召喚した剣さえ消してしまったゼルデにザレスは感嘆の声を上げた。
「凄いなぁ。これが先祖返りの力か?」
少女の宣言通り現実に連れ戻されたザレスは精神体のままの己の姿に苦笑しつつ、ルシアとルシエの縁を軽々と超えた現象に、この〝
先祖返り。
その言葉に意味は無く、その存在にこそ価値がある。
否、価値と断言してしまえば語弊があるだろう。
その存在の有無はあまりに大きい。
血の一滴でもあれば一族の復興を望める竜族と、血の一滴でも交じれば人として繁栄できなくなる人間は、決して同じ系譜を連ねることはできない。
増して、古代種の能力は純血種のみ。人間側に、古代種と等しい能力を持って生まれてくる子供など本来ならありえない。
ただ、世界が、全くの全てが、等しく同じモノから造られているのなら。その数多の能力の一つが単に突出しているだけというのなら、先祖返りという形で後世で発現してもおかしくない。
古代種が人間に成り下がることも。
人間が古代種に成り上がることも。
なんらおかしくはなく。
それを証明する少女の存在は果たして、世界の構築するだけの物質でしかない精霊の眼にどう映っているのだろう。
「……あ、の――」
「待て待て。はやる気持ちはわからんでもない。俺も話したいことが沢山あるから」
戸惑い焦るゼルデの百面相を内心楽しむあたり、自分の性格はあまりよくないとつくづくと自覚してしまうザレスは牽制に片手を挙げた。
「あんま勘違いすんなよ。俺はあれだ」
顎をしゃくって白い前髪と真紅の後ろ髪を風に揺らしている自分の体を示した。
「でも――」
言いかけるゼルデを遮ってザレスは続けた。
「なんで俺はここにいるのか。答えは簡単だよ。こいつ」
と、だいぶ落ち着きを取り戻したファロウを示す。
「をこっちの世界に戻そうとしたらさ、一緒に引きづられて……ま、奇跡っちゃ、奇跡だわな。まず人間ならできない芸当だもんな」
あっけらかんと、肩を竦めて言い放った。
「でも事態の好転はしねぇ」
なにしろ、
「おまえの弟子が自分の力の扱い方を知らないから。扱えたとしても操作はできねーだろーなー。暴走さしちまうのが関の山か」
精霊を一瞥してから、ザレスはゼルデを見た。
「殺せなかったんだろ?」
断言した彼にゼルデは小さく呻いた。
何故この男はこうなのだろうか。昔から変わらない。
なんだかんだ文句ばかり言って一番冷静に事態を把握し、推測し、予測する。その中には一切感情は入っておらず、淡々として、切り替えが早い。
懐かしさに思わず目を細めた。
あの頃の思い出が溢れてきて止まらない。
その短い回想の沈黙がザレスにとってはいらない沈黙だった。
「俺は、殺せなかったんだろって聞いてるんだけど?」
「ん、あ、すいません。ええ、ちょっと無理でした」
声音の中の微妙な変化に彼の機嫌を損ねそうな気配を察したゼルデは慌てて頷いてみせる。
魔道師の自分が全力で叩き込んだ力は、純粋な精霊の力の前では無効だとばかりに破壊され粉砕され時には避けられた。
相手になれない。
相手にならない。
「駄目でした。例え通じたとしても」
己の両手を見下ろすゼルデ。
ファロウが、綺麗だと表現した両手。確かに男にしては綺麗すぎて非力すぎた手だ。
「……貴方は強い」
笑うゼルデにザレスは肩を竦めた。
「愚痴ならあとにしな」
ゼルデの指が跳ねる。
ザレスは煩わしそうに髪を掻き上げた。
「たく。竜のくせに相変わらずよわっちぃ神経だなぁ? ア? 何が駄目でしたよ。何が強いって? えェ? ふざけたこと言うなら帰れっつぅの。竜だから? 一族のだから? こんな時だけ、よわっちいくせに使命感に燃えんなよ?」
張り裂けんばかりに目を見開くゼルデにザレスは侮蔑に青い目を細める。
「俺を救う? 恩を返す? わらっちまうね。何も出来ないんならすっこんでろ。二度と手ぇだすなッ」
怒号に、ゼルデは大きく息を吸い、飲み込んだ。
「言っとくが、ザレスという男はこんな男だったか、なんて考えるなよ。俺は変わらねぇよ。変わったのはゼルだよ。俺という存在を美化させてるから、そういう風に見える」
ザレスは溜息を吐いた。
言葉を募れば募る分だけ、無気力で何の意味も無い溜息を吐くことになる。
本当に自分は変わらない。と、そう月日の流れを実感し、そんな自身が今更ながら情けなくてやるせない。黒色の耳にすら掛からない髪を持つ精神体の目線から見た、膝裏まで伸びた赤色の髪を靡かせる自分の肉体はザレスを愕然とさせるに充分である。
だからか。
自嘲して、そして、縋る子犬みたいな顔をしているゼルデにザレスは苦笑した。
「ホントに変わったな。近くにいたらきっとその微妙な変化に気づかなかった。老けただろ、少し」
老けただろ。若い外見の彼にそんな軽口を叩いても、ゼルデは唇の内側を噛んだまま沈黙を決め込む。その子供じみた姿にザレスは今度こそはっきりと苦い笑みを唇に乗せた。
現実を突きつけられて、自分の無力を見せ付けられて、友人だと思っていた男から暴言吐かれて、自己嫌悪しつつも、言い訳をしない。言い訳も自己弁護もしないまま、それでも他人には見せない表情を、本音を隠さず顕わにする。
無理でした。
それは本当のこと。変えたくても変えれないこと。事実であり、真実でもある。
駄目でした。
それも本当のこと。情け無いが、本当のこと。
竜の力が無い私には貴方を元に戻すことはどんな奇跡が起ころうとも無理でしょう。
殺そうとする相手が貴方だから駄目なんです。私ではあなたを殺せない。
ゼルデは全てを語らない。
口に出せない言葉を理解しているザレスは小さく笑った。
不謹慎にも優越感に頬が緩む。
竜は心を寄せる生き物。
混血ゆえに風の竜でもあるゼルデティーズはザレスに心寄せている。
自分だけは特別にされているのだ。
英雄王もこんな気持ちになったことがあるのだろうか。
疑問と好奇心が沸く。
彼の英雄もまた、竜に心寄せられた者だから。
「ありがとな。護ってくれて」
落ち着きを取り戻した少女が緩やかに首を巡らした頃、ザレスはその一言を砂粒の様に零した。
呟きにファロウが跳ねるように顔を上げる。
「大変だったろ? 一族どもから守り通すのは。自分が始末すると欺き続けて……結局、時間の引き延ばしでしかなくなっちまったみたいだけどよ」
王都に向かうということがなければ急かされることもなかった。
そこにはゼルデが憧れ続けた陸竜がいる。ゼルデは絶対にリーガルーダに迷惑はかけたくないし、陸竜と風竜という種族差の相性の悪さもあった。
板ばさみにされたゼルデは、けれど、気持ちを汲み取っているザレスに首を縦には振らない。それもまた言い訳になると知っているからだ。
事実だけを、真実だけを、本当のことはただ一言で済む。過程よりも結果。
幾人もの人間が犠牲になる中で、唯一ザレスが存在するただそのためだけに奔走し続けていた。
「だから、礼を言うよ。ありがとう。俺を選んでくれて」
柔らかい笑みに、しかし、ゼルデは固く目を閉じた。
感謝されるいわれは無いと。最後の最後で結局は竜の血を選ぼうとしている自分にはその資格は無いと拒絶した。
ファロウの頭を触れぬ手で撫でるザレスは精霊に奪われた自分の体へと視線を向けた。
白い前髪と真紅の長い髪。焦点の合わない瞳。体の周りを取り巻く旋風の小さな小さな大気達はゼルデが分け与えた護りの風だろう。
戻れそうにないなと思った。
戻りたくないとも思った。
大体の話はファロウから聞いた。
少女には言わなかったが、それが素直な感想だった。
自分も確かに沢山の人間を殺したが、精霊の行いはその比ではない。
その事実に正直、ザレスは興奮さえ覚えた。
生きることに、存在するために、人殺しなどなんとも思わない。それが大罪人であるザレスという人間なのだ。
だから、存在するために体を奪い、暴走し、全てを焼き払う精霊の姿にこんなにも興奮している。
それだから、その存在をゼルデが護っていると知った瞬間不快すら覚えた。
自分の力で生きてきた。これからもそうするつもりだった。精霊は自分の一部だから、その力を存分に使って生きていこうと決めた。
他人の手を借りてまで生きようとは微塵に思わない。他人の手で生かされて何になるのだろう。他人を利用してまで生きていくほど、生かされるほど、自分の命は軽くないし、重たくも無い。干渉されるほど落ちぶれてもいない。だからといって大切にされるほど尊くもない。
ゼルデの活躍で生き続けている自分に、どんな魅力もザレスは感じなかった。
もし戻ることが出来て、戻ったその後は?
自分から死ぬことはないだろうが、きっと生きることの意味や価値を見つけることができず過ごす日々が続くのだろう。
それなら戻らないほうがマシだ。
「あれからどれくらい年月が経ったのか、ゼルを見ればわかる。混血つっても竜族だ。人間よりは老化が遅いだけだ」
無言のままのゼルデに構わず、ザレスは続ける。
「だからその分成長しただろ? してないとおかしいもんな。考えればわかること。あの時とは現状が違う。ゼルは俺の性格をよく知っている。考えるまでもない」
ゼルデは固く目を閉じたまま、ザレスから目を逸らし、臍を噛んだ。
「答えは簡単だろ?」
わからないわけがない。
考えなくてもわかる。
ゼルデの語らない言葉がわかるザレス同様に、伝えないザレスの本音をゼルデには伝わってしまう。
「ザレス……」
呻いたゼルデに、ザレスは笑って返す。
「人間だからな」
ザレスの草原を吹き渡る風にも似た太い笑み。
二人に挟まれ、口を挟めずにいたファロウはそんなザレスを見て、大きく息を呑み、目を見開いた。
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