プライベートエピソード
居合わせてから、現在
どうやって生き残ったんだ。
人里離れた廃墟に注がれる月明かりは、各々の表情が判別できるほどに明るい。
「忘れては駄目ですよ。君は〝人間〟なんですから」
念を押す異国の少年は、その正体はセレンシア王都の守護竜リーガルーダである。
大陸では珍しい濁る色を纏う世を忍ぶ姿でゼルデの要請に応えて駆けつけてくれた少年は最初からずっと険しい表情のままだった。
廃棄されてからかなり久しい貴族の別荘は、差し込む月明かりも明るく、窓のそばに横たわる黒髪の青年の真横に両膝を落として顔色を伺うリーガルーダを特に浮き上がらせるようだった。
ゼルデは混乱に痛む頭を片手で抱える。これは現実で夢ではないと反対の片手は己の頬を握りしめるように掴んだ。
ぐったりとして動かず、呼吸しているのかすら疑わしい人間の青年の検分に忙しいらしく、奥歯を噛み締めるゼルデをリーガルーダは見ようともしない。
「失いたくないのなら自覚してください」
そして、口調は優しいままの厳しい言葉は、最悪な現状から目を背けようとしているゼルデに現実を認識しろと促していた。
「イズリアス」
リーガルーダは視線すら動かさないまま、僅かに距離を置いて佇んでいるイズリアスを呼んだ。奥の暗がりに身を寄せているイズリアスの反応は薄い。
「返答がありましたかと聞いているんです」
意地悪をしないでくれと陸竜が訴えると、溜息が緩く長く吐き出される。まるで、時間稼ぎをされているようでゼルデの呼吸は荒くなった。喚きそうになる感情をなんとか抑え込めたのは、イズリアスと呼ばれた男もまた、人を模した風竜であり、八つ当たろうものなら返り討ちにされるだろうことがわかりきっていたからだ。
「……陸竜殿にお任せする。だそうだ」
素っ気ないまでに淡泊な返答は呟きより小さい。けれども、それは、ゼルデの両肩は怯えるように震わせるには充分であった。
ふたりのやり取りで、その了承の一言がイズリアスの一存で決められた事項でないことが伺える。種族の中でイズリアスより権威があり、位が上のリーガルーダ――陸竜に提言できるのは、風竜族の長しかほかは居ない。
これは風竜種全ての結論なのだろう。ゼルデの処遇はリーガルーダに委ねれた。
「そうですか。それは責任重大ですね。では、どうしましょう。どうしたいですか、ゼルデティーズ」
顔を上げなさいと、リーガルーダは続けた。ゼルデはそこで自分が顔を俯けていたことに気づく。打ちひしがれている場合ではない。
下向けていた目を持ち上げると異国の少年は黒髪の青年を検分するのに忙しいままで、厳しい横顔が一瞥を向けてくるような気配がなかった。ゼルデはそのまま再び視線を床に落とす。
「顔を上げなさいと言ったんです」
強い語調が鋭く飛んだ。
「自分が何を望んで、どんな手段を使い、この結果を招いたのか自覚しなさい」
人間であることを忘れてはならない、と繰り返す。
「彼はもう二度と目覚めないかもしれない。例え目覚めても自我が保たれているのか保証ができません。全く、無茶をしましたね」
深い溜息の後、リーガルーダはゼルデに顔を向けた。そこには陸竜の淡い穏やかな表情がただただ在って、そこにゼルデが恐れていた怒りや失望と言った感情は見当たらない。微笑みに満たない穏やかさだけが雰囲気として漂っている。
「体に不自由はありませんか?」
「……ないです」
「そうですか。んー……なんと言えばいいのか。まずは、そうですね」
気の毒と思えたのかリーガルーダは自分よりも幾分体格の良い黒髪の青年の体の下に両腕を差し込み、予備動作もせずにそれを抱え持ち上げる。
身長はだいたい同じであるので、立ち上がる少年姿のリーガルーダとゼルデの目線が互いの姿を、表情を捉え認め合うことになった。
リーガルーダの眉毛が八の字に下がる。
「そうですね。まずは怯えるのを止めましょう」
視線が交差したことで直ぐさま顔を逸らしたゼルデにリーガルーダは悲しげに微笑んだ。穏やかな表情のまま、ひたとゼルデを見据えて、そして静かに語り出す。
「何故俺が此処に居るのか。それは貴方が促したからです。
何故イズリアスが大人しいのか。それは貴方が呼んだからです。
どうして貴方がそうしたのか。それは、貴方が望んだからです。
貴方が貴方の望みを叶えようとし、現状は貴方が招くべく招いた結果です。
結果としての現実です。貴方が貴方だから起こるべくして起こった現実です。もし、なんていう仮定は存在しません。この世に奇跡なんてないんですよ」
神に捨てられて二度も崩壊した世界に奇跡は存在しない。
そして、奇跡(理への干渉)を起こせる存在はそれを望めない。
「彼は精霊術士です。名前は確かザレス・レギオン。精霊との契約での仲介者は風竜。そう、イズリアス本人です。本来なら契約破棄に伴う精霊の暴走を止めるのは仲介者の役目です」
ですがと、リーガルーダは言葉を区切る。
「精霊の暴走に〝貴方が割り込んだ〟。
これを止められる力を風竜は持っていません。押さえ込むのは世界創造を遂行した古き民の末裔である古代種のみと、判断が下された。
風竜と縁があるのは空竜。空竜を頼るのが本筋。けれど、役目の為に持ち場を離れられないイズリアスの妹君は空竜ではなく陸竜である俺を頼った」
風竜族の長の決断は果たして、叶った。
「そもそもが俺の領域内での事の発生ですからね。俺自身も見過ごすことはできないんです」
委ねると了解を得られたのなら陸竜と風竜との間の摩擦もないだろうとリーガルーダは安堵を漏らす。
人間の青年を抱えてリーガルーダは外へと爪先を向けた。
「国境の外へと運びます。ゼルデティーズは追いかけてきては駄目ですよ」
宣言と忠告に弾けるようにゼルデは反応してしまう。離れていく背中へと手を伸ばし、そして、その腕を下ろした。
リーガルーダを見送った頃にはイズリアスの気配もなく、ゼルデはこの場にひとり残されていた。
ゼルデの戦慄く息がいまだ荒いまま。
今夜は、それが最善だという理由で、再契約という形の顛末として締結しようとしている。
いくつかの手順を飛ばし、誓約さえ無理やり捻じ曲げたので必ず歪むと断言された。
せめて生きていて欲しいという命乞いに、〝助けたい〟という想いは、〝救いたかった〟という過去に縛られそうになって、頬が涙で濡れる。
何がどうなったかの結果は、なってみなければわからないのだ。
陸竜を、否、陸の民という古代種を、世界を構築する理への干渉が可能な存在さえ巻き込んで、騒動を大きくしたゼルデは見届けることが許されなかった。
だから、数年後に精霊由来の大火が噴き上がったことで、ようやく事態の詳細を知ることとなる。
機会は失っていなかったのだと奮い立った。
そして、ゼルデは〝彼女〟と出会った。
ゼルデはファロウと出会ったからこそ今日まで生きていられた。
人として、魔導師として、生き存えた。
あの大火に巻き込まれた少女が自分に救いを求めたからこそ、ゼルデはゼルデの理想を貫くことができた。
ファロウが死にたくないと泣いたから、ゼルデは少女を救う者として、彼女がゼルデという存在を安定させた。
そして今、炎の中で泣きじゃくっていた幼子は、ゼルデの願いを叶うに足りる言葉を発してくれた。
夢は、願いは、想いは、この瞬間を以て実現される。
悔いなどあるはずもない。
眼前の青年は、あの日に廃墟で横たわって動かなかった人間の青年は、現実を疑っている。
強ばる唇が綴る名前は、いつかの日の約束が果たされたことをゼルデに伝えてくれた。
生き残った。
その意味を今この瞬間に正しくゼルデは理解した。
ゼルデティーズはゼルデティーズとして存在していることを今はっきりと理解した。
悔いなど。
悔いなどあるはずがない。
あの炎の日から、居合わせて現在があることにゼルデは初めて感謝した。
少女との出会いに感謝した。
今日、この日の為に、生きてきた自分にゼルデは初めて感謝した。
赤銅の髪の魔術士 ―― 支配樹の眠り 保坂紫子 @n_nagisa
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