赤銅の髪の魔術士【17】
「そいつは気絶したのか?」
意識を失った少女を抱えて、存在消去の魔法を解いたイズリアスが血塗れのリーガルーダに近寄り、顎をしゃくってザレスを示す。
煩わしいのか不機嫌そうに色違いの瞳を半眼にさせる彼の周りには常に風が巡り、血臭など寄せ付けない。涼やかな事この上なかった。
「体に反動がきたのでしょう。数日は目は醒めないでしょうし、目覚めてもしばらくは体の自由はきかないですね」
注がれる視線に気づき、リーガルーダはゼルデの変化の術を解いてやった。真紅の髪が一瞬にして白金に戻る。属性が戻り無理に取り巻くことがなくなって解放された風が四方に広がり、髪の先や服の裾を舞い上がらせた。炎の熱はゼルデの心臓と共に握りつぶされたのか、あっけなく鎮火し冷えて、同時に街を取り巻く炎も消失する。
「おまえはいつでも血塗れだな」
風が落ち着くまで黙っていた陸竜は垂れ下がる前髪の奥で微笑んだ。
「ゼルデティーズたっての願いであり、この役目は俺がもっとも相応しいでしょう? ザレスでは少々荷が重いです。暴発を誘うだけになる。心中なんてゼルデティーズは望まないでしょう」
問われ、イズリアスは倒れていたザレスの頭を軽く蹴る。反応が無い死人同然だった。
「頼まれたのか?」
起き出す気配がないゼルデティーズの姿をしているザレスにリーガルーダは思わず苦笑し、ゼルデの体から腕を引き抜いた。
勢いの無い血流はただしとどにリーガルーダの服や肌や、地面をその色に染めていく。
「ええ。約束してたんです。けれど出来ればザレス本人の手で終わらせてあげたかった」
肯定に、イズリアスは陸竜にちらりと視線を投げかけて、
「よくわからんな」
と、感想をもらした。
その反応は、リーガルーダから苦笑を引きだした。
「あなたにも心寄せる方が出来れば分かりますよ」
自分と同じくらいの体躯のゼルデを難なく抱え上げて、炎が消えたとはいえ、余熱で
「そんな面倒な奴は作らんさ」
向けられた視線にイズリアスは返す。
そんなイズリアスに「でしょうね」とリーガルーダは同意した。
風竜に歩み寄った陸竜はゼルデを片腕に抱え直し、地面に横たわるザレスをも残った腕で抱えあげる。両腕が埋まった彼の姿に、風竜は両腕で抱き上げている少女を軽く持ち上げて陸竜に示した。
「俺がこいつを預かろう。 ……どうせ暫くしたらお前が引き取ってくれるんだろうし?」
ファロウが先祖返りと判明した今、彼女を放置するわけにはいかず、イズリアスは最終的責任はリーガルーダに押し付けて、ゼルデの代わりとなる保護者を名乗り上げた。
「お願いします」
少女の事まで手が回らないリーガルーダは素直にイズリアスの手を借りる事にする。
「伝達は既にしておいた。俺の事は適当に誤魔化しておいてくれ」
「わかりました。では、一旦ここでお別れですね」
単独風竜の郷へと向かうため先に行動を起こした陸竜の背を見送り、今は郷に近づきたくない風竜は抱えた少女を見下ろした。
「甥の忘れ形見、か……」
苦笑めいた囁きと共にイズリアスはこれからの手順を思い浮かべて、手続きの多さに辟易した。先ずはここから一番近いだろう南の賢者に会い、西東北それぞれの賢者の話を聞き、これからのファロウへの対応を検討しなくてはならない。
〝原初の海の時代からの先祖返り〟。
それを目の当たりにしたイズリアスは、まさかそんな厄介な存在が実在し、こうして抱き上げているという自分自身を心底呪いたくなった。
読み終えて、ファロウは手紙を丁寧に二つに畳む。
「何度目の読み返しだ?」
声をかけられて、封筒に入れようとした手を止めた。
『ザレス』
青年の耳に空気を震わせない声が囁きの言葉を返す。
あれから二年。
からかいの声に眉を寄せるファロウに、白金の髪の青年は人である証のような平凡なる青い目を自嘲に歪ませた。
セレンシア王国で宮廷魔導師の肩書きを担うザレス――今はゼルデティーズか――は、腰に両手を置き軽く肩を竦める。
「ゼルデでもいいんだぜ? ……って無駄な相談か」
ふたりが居るのは王宮に割り振られたファロウの私室。
彼女もまた宮廷付きの魔術士、厳密には守護竜リーガルーダの弟子になっていた。
白に近い薄い蜂蜜色に塗られた部屋には、椅子とテーブルとクローゼット、寝台とランプと本棚。最低限の調度品のみで、訪問者であるゼルデの姿のままのザレスは閉めた扉に背中を預けた。
ザレスは溜息を吐く。自然とこの色彩と風景を選んだのだろうが、人生のたった数年とはいえ、成長期の真っ只中を彼と過ごしたのだ。その影響力と失った喪失感は早々埋まるものでは無いらしい。
また、ザレスにとってもそれは同じ痛みだった。
彼女が何度も彼が遺した手紙を繰り返し読むのと同じように、ザレスも何度鏡を覗き込んでは、幾度その鏡を割ったことだろう。
幸いだったと思うべきは少女と青年は互いに運命の相手であったことか。でなければ青年は懲りずに同じ道を選んで罪を重ねて、少女は覚悟を決めなかった。
封筒に手紙を入れて、机の引きだしにそれをしまうとファロウは立ち上がる。
『困った師匠よね』
眉を八の字にし、額に銀の環を廻す。なんの刻印も飾り石もない環は彼女の階級を示したものである。飾り無く階級を表さないそれは、階級が無い、即ち別階級を意味している。
『でも、ゼルが望んだことならば、仕方ないじゃない。
……おかげであなただって価値が無いと斬り捨てられないでしょう?』
ゼルデの姿で新しい人生を歩む事になったザレスは、ただただ不愉快だと口をひん曲げる。
少女の声は空気の振動を伴わない無音。しかし、青年はきちんと聞き取れる。他人には聞こえないファロウの声は運命の相手であるザレスだからこそ聞き取れるものだった。これは所詮奇跡ではない。
『いまだにあたしはわからないの。ゼルは自分の命を以ってあなたを救ったわ。あなたも何だかんだ言いながら私とあなたと二頭の竜しか知らないのに、それでも罪を償おうとしている。あたしはこれから何を成せばいいのかしら』
ねぇ? と問いかけの視線をザレスに向けて、ファロウは微笑む。クローゼットから外套を取り出し、肩にひっかけた。
「どこへ?」
使用済みの銀杯を片手に、ファロウは扉を開けた。
『リーガルーダの庭よ』
教えを請いにと、行く場所をザレスに答えて扉を閉める。
一人取り残されたザレスは再び溜息を吐いた。こういう時、男を締め出すようなものだが、ファロウにはその感覚がないのだ。常にゼルデと生活を共にしていた。その後遺症のようなものなのだろう。
白でも、乙女らしい薄紅でもなく、淡い蜂蜜色で塗られた部屋は白金を彷彿とさせる。
部屋を眺め、ザレスは小さく笑った。
「なにをしたらいいかだって? 自分が一番良く分かってるだろ」
ゼルデの望みはただ一つだったのだ。
それを知っているからこそ、彼女は自分の声を差し出してこの王宮に赴き、リーガルーダの弟子になった。
せめて人としてあの人の側に仕えたい。
彼のその願いの為だけに、少女は世界に命令を下す『声』を捨てた。
古代種としてよりも、人として生きていく為に。
ただ、憧れた人を求める為に。
それしか残っていなかったから。
それしか残されなかったから。
思い出はこんなにも鮮やかだ。
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