第8話 別人になった恋人

 ラブストーリー系の映画撮影が始まると、多少熱愛の噂を記事に出されることがこの世界の常だった。しかし、今回の場合は言い訳が出来ない証拠写真がある。

 たとえ騙されて行った高瀬のマンションでも、理由はどうであれ、見えている通りの事実は事実とされてしまう。

 その上、高瀬は熱愛を認める気満々なのだ。



 裕星は二度の高瀬の飛び出し事故のことを思い出していた。

 ──もしかすると、この状況は最初から仕組まれていたことかもしれない。



 ――俺はあの日、ケータイショップに行って修理に出し代替機を貰って帰って来た。あの日、あいつが俺の車の前に飛び出してきたが、すぐに姿を消した。

 もしかすると、俺が混乱している間にあそこのケータイショップに入ったんじゃないか? 俺があの店から出てきたのを見ていたんだな。

 だから、お揃いのケータイだと言われたのは、どうにかして俺のケータイの機種を調べて同じものを買ったからじゃないのか?


 それに、今回だって、なぜ駐車場の車専用の出口に立っていたんだ?

 あそこは車以外、人は立ち入り禁止のところだ。それに怪我したフリまでしていた。考えれば考えるほど計画的な罠だったんだ。


 この映画のヒロイン役も、当初は別の女優に決まっていたとスタッフの一人が洩らしていた。しかし、直前になってみたら若いモデルに代わっていて、お陰で美羽はヒロインの妹役から、年齢上姉役に変更されたくらいだからな。


 あいつの事務所ぐるみの計画か? まさかな──。





 裕星は頭の中で今までの不可思議な事を一気に整理していた。納得の行かないのは、なぜこんなことをするのかだった。

 いくら売名とは言え、ここまでして裕星との熱愛記事を書かせる意図が分からなかった。



 ――美羽はどうしてるかな。全く連絡が付かないと気がおかしくなりそうだ。


 裕星は昨日のジャケットをクリーニングに出そうとして、ポケットの中身を探った。すると、見覚えのない小さなピンクのハンカチが入っていたのだ。


 ――なんだこれ? 


 裕星がハンカチをよく見ようと顔に近づけた途端、あの匂いがした。

 昨日高瀬のマンションの部屋のドアを開けた時にしていたキツイ香水の匂いだ。


 その途端、裕星は激しい目眩めまいと頭痛を覚えた。こめかみを押さえながら顔をしかめ、思わずハンカチをポイとゴミ箱に捨てた。


 明日は早朝からまた撮影がある。それも地方ロケだ。今夜は早めに寝ようと外出を控えることにした。

 夕方になって、マネージャーから電話が入った。

 明日は朝5時起きで熱海方面のロケ地に行く。ロケバスに長時間乗ることになるが、その時またあの高瀬と顔を合わせないといけない。

 約1か月半の映画撮影の間は地獄だな、と裕星は漠然ばくぜんと考えていた。


 裕星は早々と夜10時過ぎにはベッドに潜り込んだが、頭痛はさらに酷くなる一方だった。







 ***翌朝***


 裕星は5時の目覚ましの音でベッドの上に体を起こした。昨夜の頭痛はすっかり良くなっていた。

 思い切り伸びをすると、今まで何かに悩んでいたことなど嘘のように晴れ渡った爽快な気分だった。

 その通り、今の裕星には悩みなど一切なく、これから本格的になる映画撮影の事だけを考えていた。




 ロケバスの中は、まだ日の出前で薄暗いせいか、まるで夜行バスのようにしんとして静かだった。

 裕星が「おはようございます」と乗り込むと、美羽が前から3列目の席で裕星を笑顔で見つめた。


 ――良かった。裕くん今日も元気そう。昨日の記事の事は気にしてないのかな? レストランで逢う約束はどうするのかしら、後で訊いてみようかな。



 美羽が通路を歩いてきた裕星に声を掛けようと見上げた。

「おはよう……」

 すると、すぐ後ろの高瀬が美羽の声を遮るように「おはようございます、裕星さん!」と元気よく声を掛けたのだ。


「おお、お早う。今日もよろしく」

 まるで昨日の衝撃的な記事のことなどなかったかのように、裕星は明るく高瀬のあいさつに応えたのだ。それも美羽の視線をスルーして。



 ――裕くん、どうしたのかしら。きっと私の事は誰かに知られないように無視してるんだと思うけど、でも、高瀬さんにはあんなに明るく声を掛けたりして……なんだかいつもの裕くんじゃないみたい。


 美羽は、裕星が以前とは打って変わって晴れ晴れしたような明るい顔で相手役の高瀬に笑顔を見せたことに違和感を感じていた。





 ロケバスは二時間ほどで地方のロケ地に着いた。

 ロケ地は山間のひっそりとした田舎町のようだった。最初のシーンを撮り始めると、裕星はいつにも増して演技が上手かった。

 初めて高瀬演じる奥田梨恵と出逢ったとき、まるで本当に恋に堕ちたかのような切ない表情は、出番待ちで遠目で見守っていた美羽の目にも本物に見えた。


 ――裕くんて、本当に演技が上手いわ。でも、まるで瑠奈さんのことを本当に好きみたいに。でも、あれは演技なのよね?




 監督のカットが掛かると、二人は顔を見合わせて仲良さそうに微笑み合っている。時折、高瀬が裕星の腕を掴んだり、冗談を言い合い肩を軽くたたいたりしている姿は本当のカップルのようだった。



 現場に同行していたマネージャーの松島が美羽を呼んだ。

「ところで美羽さん、裕星と喧嘩でもしたの? あいつ、美羽さんを避けてるだけでなく、あの若い女優と良い仲になってるみたいですよね? あんなガセ記事を二度も出されたのに、危ないねえ、今の裕星はまるで別人みたいだ」



 松島の言うとおりだった。裕星はいつもクールで、特に仕事では他の女性に対して愛想も見せなかったはずなのに、今日の裕星はまるで別人のように相手役の女優と仲睦なかむつまじく笑顔で話している。

 少し前に美羽にくれたメールは、裕星は美羽の事を大切に想っているのが分かる愛のある内容だったはずだ。

 それがどうして一夜にしてこれほど変わって見えるのか、美羽には分からなかった。




 カット! 次はカフェのシーンを撮ります。


 監督が次のロケ地になるカフェに移動するよう皆を促した。

 今度は美羽と裕星のやりとりがある重要なシーンだ。

 美羽は緊張しながらも、裕星に一礼して目を見つめたが、裕星は少し視線を合わせただけで、まるで初対面の相手を見るように無味乾燥な表情だった。実際にもその通り、ただ淡々と美羽とのシーンを終えたのだった。

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