第3話 お揃いの悲劇

「うわっ!」

 裕星は急ブレーキを掛けたが、女性はけるどころか車の前で微笑みすら見せて立っている。



 ぶつかる! ブレーキを踏んでハンドルに突っ伏したが、衝撃はなかった。

 女性をいてはいないが、かなり驚かせてしまっただろう。裕星がゆっくりハンドルから頭を上げて女性を探したが、女性の姿がない。


「どうしたんだ?」

 裕星は慌ててサイドブレーキを掛けて車から降り、車の前に回り込んだが、そこに女性の姿はなかった。

 裕星がキョロキョロと辺りを見回したが、さっきの女性の姿はどこにもなかったのだ。


 ――どういうことだ? 煙のように消えた。幽霊? いや、まさかな。


 しかし、裕星の心臓はまだドキドキと大きく乱れ打っていた。



 ふう~と額の汗を拭うと、裕星はまた車に乗り込み心を落ち着かせ改めて帰路についたのだった。



 ――さっきの女、なんか変だったな……逃げもせず顔色一つ変えず。


 裕星は運転しながらも、さっきの光景が頭に浮かんでいた。急に飛び出したあの女性は、正に裕星の車に接触するほど近くにいたはずだ。


 あの近さなら、普通に考えても女性が驚いて腰を抜かしていても不思議ではなかった。

 ――しかし、女性はいなかった。幻のように消えたと言ってもいいほど、どこにも姿はなかった。



「気味が悪い……ちょっと寒気もしてきたな」


 裕星はブルっと体を震わせてひとり言を言うと、到着した自宅マンションの地下駐車場で、キュキュキュと音を立てて車をバックさせ一度で停めた。


 今までは、コンサートが近くなると、メンバーたちと打ち合わせがしやすいようにと合宿所で寝泊まりするのだが、普段、個別の仕事の時は、それぞれが自分のマンションで生活している。


 地下駐車場からエレベーターで直接最上階に着くと、自分の部屋のドアのセキュリティロックを指紋で解除した。


 部屋に入るなり、裕星はシャワールームに行き、熱いお湯で体を流しすぐにベッドルームに直行したのだった。



 裕星の部屋は34階建てのタワーマンションの最上階にある。リビングとキッチン、ベッドルームと衣裳部屋にしている部屋のシンプルな2LDKだ。

 しかし、その広さは都内では珍しく100㎡はある。大きな窓には裕星が選んだ落ち着いたベージュのカーテンが下がっており、リビングにはキャメル色の革張りのソファ、足元にはフワフワの毛足の長いオフホワイトの絨毯が敷かれた、スタイリッシュで洗練された内装だ。


 ベッドルーム一杯に置かれている大きなキングサイズのベッドには白い羽毛布団がふかふかとおかれ、真っ白なリネンでカバーされていた。

 ベッドの両サイドには、喉を大事にしている裕星のこだわりで置かれた大きな最新式の加湿器があった。


 ベッドルームは天井照明を付けず、足元のフットランプのみの極めて眠る事に特化した部屋の造りにしている。以前は暗いと不安に陥り眠れず、煌々こうこうと電気を付けたまま寝ていたが、今は不安症が治ったせいか、逆に暗くないと落ち着かなくなった。

 それも美羽のお蔭だった。美羽がいてくれる安心感で、いつしか美羽に合わせている内、寝る時に照明を落としても眠れるようになったのだ。



 裕星はドサリとベッドに倒れ込み、羽毛布団に潜り込むとそのままスヤスヤと深い眠りへ落ちて行った。




 翌日は久しぶりの休みだった。裕星が目を覚ましたのは10時を回ったころだ。

 裕星のケータイが休日には珍しく朝早く鳴ったせいだった。


「……はい?」

 裕星が瞼を擦りながら電話に出ると、耳をつんざくような大声が聞えて来た。



 <裕星! お前今家か? テレビ観たか? ――まだ寝てたのか? じゃあすぐにワイドショーつけてみろ! ああ、どこでもいい、どこでもやってる。まあ予想はしていたが大騒ぎだ。それを見たら、いつでもいい事務所に連絡しろ、良いな>浅加社長からだった。



「なんだよ、休みの朝からうるさいなぁ。どーせ、またろくでもないことでもやってんだろ?」


 ブツブツいいながら裕星はテレビのリモコンを押した。


 <――ということです。まあ海原さんの事務所はまだ反応していませんね。こうなると相当なダメージは避けられないですよね。相手の方はどんな方なのでしょうか?>


 <相手はモデルをされていて、最近では女優業もする高瀬瑠奈たかせるなさん、まだ20歳ですね。海原さんよりは4歳半年下です。最近、新人女優として頭角を現したばかりで彼女の名前はまだあまり知られていませんが、洗練された綺麗な方ですね。海原さんの事務所のコメントを待っているところです>



「な、なんだ? 一体何の話をしてる?」

 裕星は頭をきながら画面を見入っていた。



 <――そうなんです。私も海原さんのラ・メールブルーのファンで、いつもコンサートにも行かせてもらってます。だからとってもショックですね。今回まだ発表されていませんが、映画の製作のための番宣ばんせんと言う噂もありまして、まだ今の段階では何とも……海原さん自身はもう24歳ですので、結婚も視野に入れてるでしょうしね。おめでたい話題ではありますね>



「――結婚? 俺が? 誰とだよ!  ん……、この女とだって?」

 裕星は画面いっぱいに映されている女性の画像を食い入るように見た。


「全くどこの誰だかもわからん!」

 裕星は首を捻って考えていたが、ふと昨夜の記憶が頭に過った。



「あっ、この女、もしかしてあの時の!」

 裕星が思い出したのは、昨夜ケータイショップの帰りに車を発進させようとしたとき、裕星の車の前に飛び出してきた女の顔に良く似ていた。



「この女……不健康そうな青白い顔、センター分けしたミディアムロングの茶髪、痩せた体にギョロりとした大きな目と大きな口、高い鷲鼻わしばなが印象的だったな。それにしても、なんで俺がこの女との結婚を噂されてるんだ? 会ったことすらないのに?」



 裕星がどこかで以前会っていたのかと、過去にさかのぼって考えていると、またテレビのコメンテーターが答えた。


 <この女性側からのリークだと言われています。週刊誌の記者に女性の関係者が海原さんとの密接な関係をリークしたようです>


 <どういう内容のリークですか?>


 <――記事のよると、彼女のヘアメイクが二人の関係に気づいて、美容関係者にリークしたのが始まりで、昨日、彼女のインスタに挙げられたケータイが海原さんのものと同じ、つまりお揃いだったことをラ・メールブルーのファンが昨夜見つけたようです。怖いですね、どこでこういうお揃いのものを見つけられるか分かりませんからね>

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