第15話 お嬢様モデルの化けの皮

 ***翌朝 撮影所***



「急ですまないが、今日はちょっと台本の変更がある。今まで撮って来て、どうしても変えたい箇所が出てきたので、新しい台本を渡します。後半だけなので、今までのは廃棄してくれていいです」

 ヴァレンティノ監督がニコニコしながらキャストたちに通達つうたつした。


 急な台本変更に周りはザワザワとしている。

「今頃変更って、どういうこと?」

「やりにくいよね? もう覚えたのに」様々な声が上がっていた。

 ディレクターが出演者一人一人に台本を渡していく途中で、一際ひときわ大声で叫ぶ者がいた。


「なんなの、これ!」高瀬瑠奈だった。


「どうした、高瀬」

 ディレクターに聞かれると、瑠奈は台本を片手でブラブラさせながら不機嫌そうにやって来た。



「この結末、これじゃ、私の立場が逆になってるじゃないですか? なんですか、これ! 梨絵りえは本当に死んでいて、姉である理香の方が悟と結ばれるなんて結末……。こんな無茶苦茶むちゃくたゃな結末って、おかしくないですか?」



「……いや、でも監督が昨夜脚本家と考えた結末ですから」

 ディレクターが瑠奈を制止した。


「監督! これじゃ、私がまるでピエロじゃないですか! 全然ヒロインじゃないじゃないですか! どういうことですかっ!」

 瑠奈はまだ新人だというのに、身分もわきまえず監督に抗議している。



 するとヴァレンティノ監督はニコリともせずに瑠奈に近づいてきた。

「私の作品は純粋な愛を持つ恋人たちの物語です。最後に結ばれるのは、真剣に愛し合う二人の方なんですよ」



 瑠奈はヴァレンティノの言葉の意味が分からないのか、言葉を発せず呆然と立ち尽くしている。


「さあ、それでは新しいシーンの撮影から始める。皆準備して!」

 ヴァレンティノは立ち尽くしている瑠奈の前を素通りして監督椅子にドカリと座ったのだった。




 映画のラストシーン撮りが始まった。


『悟が追いかけていたのは、たった一日会っただけの 梨絵のまぼろしではなく、悟のために自分を犠牲にして、いつも傍におり惜しみなく力を貸してくれた女性、理香だと気づいたのだった。

 いつ振り返っても、彼女との思い出だけが思いおこされた。


 東京に戻った悟が二度目に会いに行ったのは、理香のところだった。

 カフェの前で抱き合う二人。季節外れの春の雪が降ってきた。二人は生まれる前から決まっていたベターハーフ。魂が呼び寄せたふたりだったのだ』




 裕星も美羽も監督の突然の変更に驚いたが、指示を出されるまま、新しい台本通りに演じた。




「カーット!」

 監督の声で裕星と美羽は抱き合っていた体を放し微笑んで見つめあっていた。まるで本当の恋人同士のように。


「オールアップです! 海原さん、天音さん、お疲れ様でした!」

 ディレクターが声を掛けた。すると、スタッフたちが駆け寄り、イエローとラベンダーの色調にまとめられた美しい花束を二人に渡したのだった。



 裕星と美羽は、急いでヴァレンティノ監督のもとに駆け寄って挨拶をした。


「素敵な作品に参加させていただき、ありがとうございました! 一か月半お疲れ様でした」



 すると、ヴァレンティノは、笑いながら皆の前で言った。


「君たちと仕事が出来て良かったですよ。最後に台本を変えたのは、実は当初の計画にはなかったことでしたが、君たちを見ていて、映画の中では嘘は通用しないことが分かったのです」



「嘘?」

 裕星が訊くと、「最初は主人公の悟とヒロイン梨絵のラブストーリーでした。だが、とても本物の愛がそこには見えてこなかった。嘘はどんなにつくろって上塗りしても、メッキはがれるものです。


 しかし、本物の愛というのは、とても純粋でしなやかで、そして強い。どこを削っても紛い物など出て来ない。それがようやく分かったのですよ。


 私の先祖、聖ウァレンティヌスは真実の愛の二人を結び付けようとしていたんだ。僕がご先祖様にそむいて偽りの愛を成就じょうじゅさせては罰が当たりますからね」


 そう言うと、ワハハハと笑いながらスタッフの元へと行ってしまったのだった。




 映画の打ち上げが都内のレストランで行われた。

 裕星にまだ催眠術が掛かっていると信じている瑠奈が、ちゃっかり裕星の隣に座り小声でささやいた。


「裕星、ねえ、今夜ウチに来ない? 泊まっていきなよ」



 すると裕星は、「ああ。だけど、その前に俺たちの事を皆に発表しなくていいのか?」とニコリとした。


「今ここで? ああ、それはいいアイディアね! ちゃんと監督とスタッフや他の俳優たちにも私たちの事を正式に報告した方がいいわね」

ふふふと嬉しそうに笑っている。



 打ち上げも終わりに近づき、そろそろお開きにしようとしている頃、裕星がいきなり立ち上がって皆に向かって声を掛けた。


「実は、皆さんにお話ししておくことがあります。誤解のないように今日ハッキリさせたいので」


 瑠奈はそわそわしながら、いつ自分と裕星の交際を発表してくれるかと隣で肩をすくめて周りをチラチラと見回し、隠しきれない笑みを漏らしている。





「実は、皆さんも分かっていらっしゃるかもしれませんが、僕はこの映画のために演技をしてきました。あの……少し前の僕の週刊誌記事のことをご存知だと思うので、今ここでハッキリ言います」


 瑠奈は顔を上げて背筋を伸ばし、裕星に名前を呼ばれ、立ち上がって皆に祝福される準備をしている。


 すると、裕星はチラリと瑠奈を見たが、皆の方へ向きなおして言った。


「あの週刊誌記事は……まったくの捏造ねつぞうで、デタラメです! この映画のために僕たちは演技を続けてきましたが、もうオールアップし、後は公開を待つだけですので、熱愛ごっこはこれで終わらせて頂きたいと思います!

 誤解されていた皆さんは、だまされてお疲れ様でした! お陰で良い映画になったと信じています! そうですよね、監督?」

 そう言うと、裕星はヴァレンティノの方を笑顔で見た。



 瑠奈が一瞬、何が起きたのか理解出来ず呆然としている。


「ああ、海原くんにプライベートでも高瀬くんと恋人同士の演技をして頂いたお蔭で、僕の映画の宣伝が無事成功しました。みんなも騙されてくれてありがとう!」ワハハと笑った。



 周りのスタッフや共演のキャストたちも、なーんだ、そういうことだったのかと顔を見あわせながら大笑いしている。



 しかし、瑠奈は険しい表情のまま、茫然ぼうぜんとしているだけだった。


 裕星が椅子に座ると、隣の瑠奈が怒り狂ったように言った。

「どうしたのよ、裕星。私と交際宣言をするはずでしょ!」


 ふっと笑ってから、裕星が瑠奈の顔も見ずに言った。

「だから、今言っただろ? もう演技は終わったって。

 交際のふりは映画の間だけだ。一応最初は主人公の憧れのヒロインだったんだからな」と笑った。




「どういうこと? ――ねぇ、裕星、私のあげたハンカチは持ってきてないの? ねぇ見せて?」



「ハンカチ? ああ、あの変な匂いのやつか。――とっくに捨てたよ」


「――捨てた? どうして! ずっと身に付けててって言ったでしょ!」


「ふん、あの嫌な匂いで頭が痛くなるんだよ。悪いけど、俺にはあの匂いは合わないみたいだな」と笑った。



 瑠奈は怒りに震え言葉も出せず、いきなり立ち上がるとつかつかと出口に向かっていった。


「瑠奈さん、どうしたの?」

 スタッフの一人に聞かれ、「つまんないから、もう帰るのよ!」とプイと出て行った。


 外に出るなり、「どうして、どうして? 私がわざわざスクールに通ってあんなに勉強してまで催眠術を習得しゅうとくしたのに、どうして裕星には掛からなかったのよぉ!

 『週刊女の春』の記者に先に知らせといて、わざわざあんな証拠写真まで撮らせてやったのに、これじゃまた不発に終わったじゃん!


 私なんて、そこいらの女と違ってお金持ちのお嬢様だし、パパに自分のブランド服の会社まで立ち上げてもらったのよ!


 高価な海外ブランドのアクセだって全て持ってるし、海外旅行だって同い年の子たちに比べたらバンバン行けるわ。高級ホテルでランチしてプールで泳いで、温泉やエステで常に磨いて優雅なハイレベルの生活してるのよ。

 裕星が私と結婚したら、ママのアパレル会社を継がせてあげたのに! 裕星だって、うちのブランドの社長になれるのを易々やすやすと棒に振ったわね!

 それに、こんな美人な私なら裕星の彼女として遜色そんしょくないはずでしょ?

 昔からずっと裕星のファンだったから、同じブランドの高価なアクセだってすぐに買って揃えてきたのに! この私になびかないなんて普通の男じゃないわよ! あいつ、どっか頭、可笑しいんじゃないの!」


 大きな声でぶつぶつ独り言を言いながら、慌てて外まで追いかけてきた事務所のマネージャーが、車のドアを開けるなり、後部座席に乱暴にドサリと乗り込んだのだった。

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