第9話 魔女の助言

「次は奥田の姉であるカフェ店員の美香と一緒に行動を共にして妹の梨恵を探すシーン15。美香はこの時はまだ妹が死んだことを知らない。一緒に探すうちにいつしか美香は悟を好きになっている自分に気付くシーンだ」

 監督が説明をすると、はい、と裕星が無機質にセリフをブツブツ小声で練習している。


 美羽は裕星をじっと見つめているが、裕星と目が合うと、裕星は首を傾げて、「顔に何かついてますか?」と訊ねるだけだった。


 カットが掛かり休憩になると、美羽は小声で裕星に話しかけた。

「裕くん、どうしたの? 私のこと考えて無視するのは分かるけど、ちょっとやりすぎよ」


 しかし、裕星は、ん?と不思議そうに美羽の顔を見つめて訊いた。

「何のことですか? やりすぎって?」



「裕くんたら、ここなら誰も聞いてないから大丈夫よ。もう演技しなくていいよ。今日の夜の約束は予定通りで大丈夫よね?」


「演技って、今は休憩中でしょ? それに、約束ってなんのことですか?」


 何を言ってるの? と美羽は裕星の顔をまじまじと見つめた。しかし、裕星は少しも冗談を言っている風ではなかった。



 すると、そこに向こうから高瀬瑠奈が走って近づいてきた。「ゆうせーい。ここにいたの? さっきの演技とっても良かったよ! 天音さんとのシーン。ねえ、天音さんもそう思うでしょ?」と美羽に笑顔を向けた。


「わ、私は……」

 美羽が口ごもっていると、「あ、天音さんは私のお姉さん役だけど、悟の事を好きになるのよね? でも、悟は本当はずっと妹の私の方を好きなままだから、どんなにお姉さんにアプローチされても無駄なんじゃないかなって思うの。結局台本でも本当は妹は死んでなくて、悟と結ばれることになるんだけどね」ふふふと笑った。



「それに、天音さんって女優さんじゃないんだよね? 裕星とは初めての共演?」


 美羽は戸惑ったが、咄嗟とっさに嘘を言った。裕星と自分のことを悟られないようにと。


「は、はい、そうです。裕、あ、海原さんとはお芝居は初めてです。でも、前にバラエティで共演してるので知ってるんです」



「ああ、あれね。オケ、了解!」

 瑠奈は今どきの若者らしい、意味のない返答をした。


「あの、俺は以前あなたと共演したんでしたっけ? すみません、仕事をたくさんしてるうち忘れてしまっていました。初めましてじゃなかったんですね? 失礼しました」



 裕星の言葉を聞いて美羽はヒヤリとした。知らない同士のふりをするにも、これはやり過ぎだ。


「裕くん、本当にどうしたの?」

 そう聞き返すしかなかった。



「どうもしてませんけど、さっきから変ですよ」ハハハと裕星が屈託なく笑った。


 すると瑠奈が「天音さん、私たちの記事のこと、知らないの? 私たちは記事の通りずっと前から付き合ってるのよ。ねえ、裕星。でも、週刊誌にばれちゃったから、もう公認よね」と笑っている。


 美羽は、大胆な瑠奈の嘘を裕星は否定するのだろうと思っていたが、「ああ、俺たち本当に付き合ってます。出会ったのは、だいぶ前……だったな。デビュー前の俺の歌をライブハウスに聞きに来てくれたんだったよな?

 それに、その後は色んなハプニングがあったな。イタリア旅行で彼女が洞窟に閉じ込められて助けに行ったり……、でも、それも彼女とだったから乗り越えて来られたんだ」


 裕星の言葉に美羽は涙が出そうになった。今裕星が語ったエピソードの数々は、全部自分との出来事だったからだ。それをどこですり替えてしまったのか、全てが瑠奈との記憶として話していた。



「そうなのよ、天音さん、私たち、その内お付き合いしてたことを公表するつもりよ」

 高瀬には、裕星が今話したエピソードが目の前にいる美羽とのエピソードだということなど分かる余地も無かったが、示し合わせたように、裕星の言葉に乗っかって話しているようだった。


「裕くん、本当に私のことも、今日の予定のこともすっかり忘れちゃったの?」

 美羽はもう一度裕星の目を覗きこんだ。少しでも裕星がいつも自分に向けるあの熱い視線を感じたい一心だった。

 しかし、裕星はキョトンとするだけで、美羽に見つめられて逆に照れていた。


「あの……天音、さん? 何かあったんですか?」



 美羽は、目を伏せゆっくり首を横に振った。いいえ何も、と言うと、居たたまれずその場を立ち去ったのだった。


 ――裕くんは明らかに変だ。あれだけ楽しみにしていた二人だけのディナーデートだったのに……きっとなにかあったのかも……なにかおまじないみたいなこと。




 美羽は撮影が終わって都内に戻ると、裕星の予約していたレストランではなく、ある店に向かっていた。


 帰りのロケバスの中でも、裕星と瑠奈は隣同士に座り、終始体を寄せ合ったり、時折、瑠奈が顔を近づけて、深夜の暗いロケバスの車内で今にも裕星にキスをしようとする勢いだった。


 美羽はハラハラしながら二人を見守ることしかできなかった。当の裕星すら、何のフォローもしてくれない上に、二人きりでもまるで自分とは無関係の人間であるかのような態度だったからだ。


 ロケバスに揺られ、周りのスタッフやキャスト達はすっかり眠りに落ちていた。瑠奈も裕星の肩にもたれかかりグッスリ寝ている。

 美羽はバスの中で、一人だけ眠れずに考えていた。そして決心していた。


 ――あの場所に行けば、何か分かるかもしれない。

 美羽が向かったのは、以前友達から何度も聞いたことのある近所のアラビア風のレストラン。美羽はまだ行ったことがなかったが、そこは、魔女、いや、よく当たる占い師の老婆がいるレストランとして有名らしい。噂によれば、老婆は不思議な力を持っており、時に人の心を取り替えたり、時に死んだものを生き返らせる魔術を知っていると、嘘か誠か真偽しんぎは別としても、若者の間ではまことしやかに伝えられていた。その噂だけを聞けば、占い師と呼ぶには余りある魔力を持った魔女といっても過言ではない人物だ。


 裕星がおかしくなったことを、その魔女に聞けば何か分かるのではないかと、神頼みのようにわらにもすがる思いで、美羽は家路と反対方向のレストランへと向かっていた。



 美羽が深夜なのにまだ営業しているレストランのドアをゆっくり開くと、中にはスタッフも誰もいなかった。

 そのまま薄暗い店内を奥へと突き進んでいくと、カーテンの向こうに、中央に水晶玉が置かれた小さな丸テーブルと椅子が二脚見えた。


「おばあさん、おばあさん、いらっしゃいますか?」

 美羽が走って行ってステージに上がり声を張り上げると、「おやおや、お嬢さん、どうかしたのかい?」

 間もなく占い師の老婆が店の奥から姿を現したのだった。



「あの、実は……私のお付き合いしている彼が別人みたいになってしまって、もしかしてお婆さんなら、何か分かるかと思って……。もし、彼におまじないか魔法かなにかかかってたらって」

 早口でまくし立てている美羽に、「まあまあ落ち着いてそこにお座りなさいな。誰かが魔法でお前さんの大切な人を操らせたと思ったのかい?」と優しい笑顔で訊いた。



「はい、そうとしか思えないような現象が起きているのです」


「――わしの魔術は危険を伴うのじゃ。よほどのことがない限り一切を封印しておる。心変わりの魔術が出来るのは他にはおるまい」



「でも……魔法としか思えないことが起きているんです。人の性格や記憶をすり替えることって、呪いや魔法でしかできないことですよね?」



「――ふむ。もう少し詳しく聞かせてもらえないかの?」


 美羽は裕星の今日の様子の一部始終を細かく老婆に説明したのだった。


「――それは不思議なことじゃな。記憶のすり替えが起きておるのは間違いない。もし、これを魔法でやるとしても、それは大変な作業じゃ。人の性格を変えたり、自分を好きになるように心変りをさせることは、魔法でもなかなか出来ぬからのぉ」


 老婆も目を閉じて静かに考えているだけだった。


 しばらく老婆の答えを待っていたが、なかなか顔を上げないので美羽はふぅーと大きな息を吐いた。

「おばあさんでも分からないんですね……そうだとしたら、本当に裕くんの気持ちがあの子に行ってしまったのかもしれないですね。逢えない日が続いていたから仕方ないのかしら……」

 ガックリと肩を落としてその場を立ち去ろうとした。




「──お待ちなさい」

 老婆がやっと顔を上げた。

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