第6話 突然現れた噂の女

 ――これから私はどうなるのかしら? プロの俳優さん達に混じって上手く演技が出来るのかしら?


 美羽には不安しかなかった。


「――ということで、明日の朝から早速シューティング(撮影)になります。順撮じゅんどりで行きますので、遠野と奥田の出逢いから入ります。他の方はシーンの説明をしますので──」



 映画の専門用語が飛び交う中、美羽はまるで部外者になったかのような疎外感そがいかんを感じていた。


 ――私が出るシーンはどこなのかしら?

 ペラペラと台本のページをめくって行っても、どこにもまだ美羽の出番は無かった。




 一日目の顔合わせが終わった。それぞれ帰り支度を始めた頃、美羽はふと裕星へ視線を向けたが、裕星は相変わらず一瞬たりとも美羽の事を見ることはなかった。


 グッタリ疲れ切ったまま帰って来た美羽は、寮の部屋でバタリとベッドに倒れ込んだ。


 ――何にもしてないのに、初日からこんなんじゃ、この先どうなるのかしら? 私の出番はずっと先の方だし、台本をちゃんと読まないと全く話が見えてこないわ。


 美羽はベッドにうつ伏しながら、台本をめくって読み始めたが、話が進むにつれてどんどん不安が押し寄せてきた。




『主人公の遠野悟とおのさとる、つまり裕星は、旅先で出会った美しい謎の女性に一目惚れをする。

 たった一日で恋に堕ちた二人。遠野は初めて会った奥田を運命の人だと信じている。


 旅を終えて帰宅した遠野の心をいつまでも捉えて離さない奥田の残像。遠野はいつしか奥田を追って旅先で訪れた町に戻ってくる。


 しかし奥田は姿を消していた。仕方なく立ち寄ったカフェで、店員の女性と話をする遠野。店員の話で、奥田が別の町に引っ越したことが分かる。

 しかし、その町に辿りつくと、また奥田がいなくなっている。まるで遠野から逃れるかのように。


 遠野はどうしても彼女を見つけたい。カフェの店員の女性が有力な情報を聞いたと連絡してくる。

 それは奥田はすでに亡くなっていたという情報。

 そのカフェの店員は実は奥田の実の姉だったのだ。しかし遠野はまだ奥田を忘れられず──』




 美羽はそこまで読んだが、いつの間にか睡魔すいまに襲われ夢の中に入り込んでいた。



 美羽は見知らぬ町のカフェで働いている。コーヒーの香りがしている店内を見回すと、窓際の隅にあるテーブルで一人の男がコーヒーを飲んでいた。


 ――ここはどこ? そういえば、さっきまで台本を読んでいたわよね? 台本のお話の夢なのかな。あの人は……誰?


 美羽がそっと男のテーブルに近づいて行くと、男がパッと顔を上げた。


 ――裕くん!


 すると裕星は表情を変えず「僕に何か用ですか?」と美羽を見上げた。


 ――やっぱり、さっきの台本のシーンを夢で見てるんだわ。――でも、こんなにハッキリしてる夢は初めて。


 すると、今度は店のドアが開いて、女性が入って来た。

 綺麗な顔立ちの若い女性。裕星を見つけると、小走りに近寄って声を掛けた。


「裕星! お待たせ!」


「瑠奈、待ってないよ、今来たばかりだ」


 ――ウソ、裕くんはずっと前からここにいたのよ。

 美羽は夢の中で突っ込んだ。



 ――でも私、このままこの夢を見続けるのかしら? なんかヤキモキしちゃう。実際に映画の撮影が始まったら、同じことを感じそうで怖いわ。


 美羽は夢の中でもがいていた。早く目が覚めるように、と。





 ジリリリリリ──、けたたましい目覚まし時計の音で美羽は眼を覚ました。美羽は寮のベッドの上で服を着たままうつぶせで眠っていたのだった。

 春休みで大学は休みだが、今日は朝からまた撮影が控えている。慌てて起き上がると、着替えを済ませ顔を洗うために洗面所に向かって行った。








 ***昨夜、車の中の裕星***


 裕星は初顔合わせの後、真っ直ぐに自宅マンションに帰ろうと愛車に乗り込んだ。

 顔合わせの時、美羽がおどおどしながら一生懸命その場に馴れようとしていた姿を思い出し、愛しい気持ちが湧いていた。


 ――完全に無視したみたいで可哀そうだったな。でも、俺が下手に意識したら、どこかで誰かが見ていて俺達のことをリークをするかもしれないからな。仕事場ではとことん知らないふりをしたけど、美羽は分かってくれたかな?

 きっと美羽なら大丈夫だ。俺の事は分かっていてくれてる。


 満足げに美羽のことを想像しながら、裕星はケータイを取り出して美羽に電話を入れようとした。しかし、地下駐車場が圏外になっているのか全く繋がらない。

 仕方なく、裕星は車のダッシュボードの上にケータイをポンと置くと、エンジンを掛けた。


 周りに人がいないことを確認して発進して、出口付近の少し上りのカーブで裕星はアクセルをグンと踏み込んだ。

 するとその時、車の前にいきなり人が現れたのだった。


 まだ上り始めでスピードは出ていなかったものの、上り切るためにアクセルを強く踏んだばかりだったが、慌ててブレーキを踏み直した。



「うわっ!」


 ガクン、と車は出口の坂の途中で止まった。

 予期せず起きた二度目の飛び出しに、裕星は心臓がバクバクと早鐘はやがねのように打っていた。

 顔を上げると、そこにはさっき会ったばかりの高瀬瑠奈が立っていたのだ。



 裕星は高瀬が無事かどうか確かめようとその場で車を降りようとした。しかし、余りのショックのせいか足が震えて立てない。仕方なく裕星は外に出るのを諦めてウィンドウを下げた。


「あの……お怪我はありませんでしたか?」


 すると高瀬は「ちょっと……このままだと仕事に支障ししょうきたすかも」と困ったような顔を見せた。



「怪我したんですか?」


「膝が……」

 高瀬が裕星に近づいて来て見せたのは、りむいたように血がにじんでいる右膝だった。




「すぐに病院に行かないと。乗って下さい!」裕星は運転席から声を掛けた。


 高瀬は一瞬驚いたような顔を見せたが、こくりと頷くと助手席側へと回って、自らドアを開けて躊躇いなく乗り込んできた。




「かかりつけの病院はありますか? それともこの近くでいいのかな?」

 裕星の問いかけに、高瀬は、「それじゃあ、指示を出しますので、そこへお願いします」とニコリとしたのだった。

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