7 蒼穹の猛き鷹

 アデュレイは、すぐさま彼女の後を追った。慌てて、その後を俺も追う。


「お待ちください。」


 廊下に出てみると、窓から午後の日が差して、室内より随分温かみのある色に満たされていた。そこに一人の男が待機していた。壮年の男で、彼女と同じようなローブをまとっている。フードは撥ね退けてあったので、数本、若白髪の混じった黒い束髪が露になっていた。


 彼女はその男の前まで行き、声を掛けたアデュレイの方を振り返った。


「何か。」


「私も埋葬料を持ちましょう。」


 アデュレイは熱心な口調で申し出た。


「ここで関わり合ったのも何かの縁と、あなたはおっしゃった。それならば、私とて同じです。」


「異国の方には関係ありますまい。」


「私が外国人であることなど、それこそ関係ありません。見ず知らずの少女を憐れに思って供養を申し出た、あなたのお心掛けに感銘を受けました。私も、あのかわいそうな少女のために何かしたいと思います。」


 フードを被った女性は、背後に控える男と目を見交わした。厳つい男の眉間には見る見る皺が寄り、アデュレイと俺に向けられた視線には敵意が感じられた。彼女は暫し沈黙した後、小さく頷いて向き直った。


「そもそも私はあなたの申し出を断る立場にない。ならば、折半させていただこう。」


「ありがとうございます。」


「お二人とも、手を消毒してください。こちらに薬液がありますから。」


 霊安室から出てきたロバートが、会話の節目と見て、すかさず声を掛けた。部屋の鍵を看護師に預けて、


「埋葬料をご負担いただき、感謝します。先に受付に行っておりますから、後でお越しください。」


 謝意の籠もった丁寧な辞儀の後、急ぎ足で受付のある棟に向かっていった。アデュレイたちが手を消毒する間、俺は廊下に取り残され、冷えきった玄武岩のような男と二人きりになってしまった。ちらりと男の足元に目を遣ると、使い古された二人分の背嚢が置かれていた。


「あんたは、手を消毒しなくていいのか。」


 唐突に声を掛けられて、思わず身構えた。凄まれたのかと思ったが、どうやら違うらしい。


「俺は、別に。」


 短く答えると、そうかと答えて、男は再び沈黙した。男がローブの下に武装していることは明らかで、彼の足元の背嚢を暫く見つめた後、俺も声を掛けてみた。


「傭兵?」


 彼がこちらを見たので、帽子を持っている方の手で背嚢を指し示し、重ねて尋ねた。


「傭兵? 二つ名は?」


 古来、力のある傭兵は威勢のよい二つ名を付けられるものだ。物腰から、彼は有能な傭兵なのではないかと思われた。


「ああ、」


 彼は面白くもなさそうに靴先で床をこすり、唸るように答えた。


「まあ、別に。」


 ぼかされたので、それ以上、会話は続かなかった。やむを得ず、窓外の木立に鳥の影でも探している風情でひたすら立ち尽くしていたが、突然、勢いよく霊安室の扉が開いた。先程の女性が慌てた様子で走り出てきて、


「行こう。」


 背嚢の一つを掴み取り、空いている方の手で男の背中を強く押した。


 俺が呆気に取られて瞬きしていると、アデュレイは看護師と連れ立って廊下に出てきた。受付に急ぐ二人の後ろ姿を見送って、殊更に驚いたように眉を上げて俺の方を見る。一見、邪気のないその表情に騙されまいと、俺は目を細めた。


「旦那、何か仕掛けましたね。」


 部屋に鍵をかけている看護師に聞かれまいと、俺はアデュレイに近づいて声を潜めた。


「一体、彼女に何を言って脅かしたんです?」


「脅かすだなんて、人聞きが悪い。雑談をしただけだよ。」


「いやいや、雑談ごときで走り出しはしないでしょう。」


「ただの噂話さ。城兵が言っていたろう、スノーデン伯爵家で火事があったって。だから、きっと教区警察が調べに行くでしょうねって言ったんだよ。早く調べがつかないと、いつまで経っても国際倶楽部が開館されないだろう? そんなことになったら、短気な貴族連中が黙っているはずがない。そう言うと、彼女、何だかそわそわし始めてね。」


「旦那!」


俺は目を見開き、一層、声を潜めてアデュレイに顔を近づけた。


「何だってここでそんな話を? あの城兵は、秘密にしたがっているようでしたが?」


「だって、彼女は傭兵だよ? 書類に書いてあった。『蒼穹の猛き鷹』のエリザ、とね。それなら、すでに何かの情報を持っているかも知れないし、事件に興味があるかも知れない。実際、大いに興味がある様子だったじゃないか。期待が持てるね。」


 アデュレイは俺の肩を軽く叩くと、俺から帽子とステッキを奪い取った。背筋を伸ばして、口調を改める。


「さあ、私たちも急ごう。お前は先に行って、受付で手続きを済ませておくれ。私も埋葬に立ち会いたいから、明日の何時にご遺体を引き取るのか、ちゃんと確認するのだよ? それが済んだら、受付に頼んで貸し馬車を用意してくれ。金を惜しまずに、足の速い馬車を頼む。日が暮れる前に行きたい場所があるからね。」


「お…、私がそれを?」


「他に誰がいると? さあ、おしゃべりしている暇はない。早く!」


 追い払われて、俺は受付に向かって駆け出した。まだ雇用契約書も交わしていないというのに、この暴君ぶり。理不尽極まりない。


 途中で擦れ違う何人かに、廊下を走らないようにと注意を受けた。素早く詫びながらも、二人に追いつくためには足を急がせなければならない。一体、なぜ寝坊した見習いのような扱いを受けなくてはならないのか。実に、全く、理不尽極まりない。


 何とか受付で二人に追いついた。廊下に面した受付窓を覗き込んで声を掛けてから、その脇の重い木製の扉を押し開く。そこは明かり取りの窓を広く取った小部屋で、壁を塞ぐ木製の棚には書籍や巻物、筆記具が並んでいた。見るからにここは事務室で、診察は別室で行われると思われたが、紙やインクの匂いに混じって、微かに古いハーブの匂いも感じられた。


 中央のテーブルに目を遣ると、アデュレイが『蒼穹の猛き鷹』のエリザだといっていた女性が、若い男性職員の指示に従って書類に何か書き込んでいた。そしてテーブルの端では、エリザの連れの男が立ったまま革袋から数枚の銀貨を取り出して数えていた。


 ロバートは入室した俺に気づき、


「ああ、リリウさん。荷物はこちらにどうぞ。」


 棚の空いている部分を示して声をかけてくれたが、その瞬間、エリザが弾かれたように顔を上げて俺に鋭い視線を投げかけた。このときは彼女もフードをかぶっていなかったし、真正面から俺を見詰めてきたのでその面貌が俺にもはっきり見えた。


 ドキッと、驚きが胸を打った。美人といっていい面立ちだが、それが理由ではない。思わず目を見開き、しげしげと彼女の顔を見詰め返していると、突然、男が一枚の銀貨を取り落とした。貨幣を数えていた手元が狂ったらしい。銀貨は床を走り、俺の足下まで転げてきたので反射的に靴先で押さえて止めた。鞄を持っていない方の右手でそれを拾い上げ、


「どうぞ。」


 男の方に差し出したが、男はすぐに取りに来なかった。もともと厳めしい面構えだというのに、目元を鋭くしてこちらを睨んでいる。俺も負けじと軽く睨み返すと、見せつけるような仕草で、パチリと音を立てて銀貨を卓上に置いた。


「リリウさん?」


「ああ、はい。」


 ロバートに再び名を呼ばれ、一転、俺は笑顔を向けた。示された棚に近づきながら、


「ご遺体を引き取るのは明日の何時ですか。私の主人も埋葬に立ち会いたいとのことです。」


 ロバートに質問する体で、室内の全員に聞こえるように言う。


「埋葬場所にもよりますが……、」


 答えかけたロバートを遮るようにして、エリザが口を開いた。


「埋葬場所には心当たりがある。今夜、確認しよう。それなりに時間が必要なので、明日の午後がよい。昼食後の時間帯で、いかがかな。」


「承知しました。私の主人に伝えます。」


 俺は、彼女の薄青い瞳を見つめ返しながら神妙に答えた。少し癖のある金褐色の髪に縁どられた、日に焼けた顔は、直ぐに伸びた鼻梁が芯の強さを表して印象的だ。髪の色のせいだろうか。それとも、出生地が同じなのだろうか。ともかく、似ていた――霊安室に眠る、あのジェーン・ドウの面立ちに。

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