3 時間旅行者
〈見えざる従者〉によって、二人前の軽食が運ばれてきた。
軽食といっても、温かなソースがかかった肉詰めパイ、とろりと柔らかなオムレツ、クロテッドクリームを載せた甘くないパンケーキ、バターで焼いた蕪、爽やかな香草など、それぞれが少しずつ真っ白な平皿の上に並べられ、見目好く整えられているのだから、手間は相当なものだったろう。これも〈見えざる従者〉の仕事なのだとすると、ありきたりな人間の従者を解雇したくなったとしても無理はない。
昨夜、気がつくとこの城市の街路に立っていたのだと、俺はアデュレイに告げた。そのためか、アデュレイは「思い出すことが何かあれば」と、食事をしながら国際情勢などについて語ってくれた。
ここはエインディア連合王国の王都・ヘイヴンで、大陸を四分する強国の一つとのことだった。アデュレイ自身は南西のエルフェス王国の侯爵家の子息だが、四男ゆえに爵位は持たず、今はヘイヴンに遊学中の身だという。
「最初に君を見かけたとき、変わった服装だったのでとても興味を持ったんだ。本当に、失われた古代王国エリオースの王の仮装をしているようだったからね。しかし、俳優や道化の宣伝なら、もっとにこやかに口上を述べるはずだ。君は、そうではなかった。どこか遠くを見ていた。失ったものを慕う悲しい目つきで。」
アデュレイはナプキンで手と口元を拭うと、窺うように視線を投げかけた。
「ところどころ、記憶が抜け落ちていると言ったね? 名前以外は思い出せないのかい? どうやってここに来たのか?」
俺は、一瞬、目を閉じて奥歯を噛みしめた。
「思い出せません。」
「僕は君に干渉する魔法を掛けようとした。それは君も気づいていたね。君の格好が奇異だったから、試しに魔力を感知できるかどうか仕掛けてみたんだ。君は神の加護がそれを弾いたというけれど、どうだろう、君が受け容れれば、僕にも感知できるんじゃないか?」
「どうでしょう。」
「今、試してみても?」
「いやです。」
「君も、自分について何らかの情報を手に入れたいとは思わないか?」
「そりゃあ、もちろん。」
「じゃあ、」
「それとこれとは別です。いやです。」
アデュレイは戦法を変えることにしたらしい。
「君の神というのは、太陽神エリオースだね。」
「なぜ、そうお思いになります?」
「君の腕には、太陽の刻印がある。タトゥーのように見えるが、それは儀式で入れる聖印だね。」
思わず、俺は自分の左腕を掴んだ。今は袖のある服を着ているので、そのようなことをしなくても見えないというのに。
「見たんですか?」
「君が着替えるときに、ちょっとね。見たんじゃない、見えたんだ。」
この恐るべきストーカーは、悪びれもせず気軽く肩をすくめた。
「君はその聖印を気安く誰にでも見せない方がいい。」
「それはどうも。別に、ついさっきも、気安く誰にでも見せて歩いていたわけじゃありませんが。」
街路を歩いているときは、金襴の肩掛けの下に隠れていたので人目にはつかなかったはずだ。
「僕は真面目に忠告している。君は、魔法というものは、各々信じる神や精霊から力を導いて実現するものだと言ったね。その思想は危険だ。正解はこうだ。魔法というものは、光の神と契約した魔導師が使うものだ。太陽を司るエリオースは神ではない。光の神ナスターテの一部であり、天使だ。」
「何ですって。」
聞き捨てならない台詞を聞いた。俺は唸るような声で聞き返し、目を細めてアデュレイを睨んだ。
「エリオースがナスターテの一部ですって。どこの狂人が、そんな戯言を?」
「それが当世の常識だよ。」
アデュレイは怖じることなく俺を見つめ返すと、歴史の解説を始めた。
三百年ほど前、人という種族は存亡の危機に立たされた。魔界のゲートが開き、巨大な力を持つ魔物が地上に出現したのである。人も、エルフも、ドワーフも、精霊も、それぞれ懸命に抵抗したが、特に圧倒的な力を持つ魔王には太刀打ちできず、いずれ地上は魔物に支配されるかに見えた。
このとき、光の神がそれぞれの勢力を一つに束ね、光の神と契約した魔導師たちが戦士に力を与え、魔王を撃退した。これが人魔大戦である。
今や魔界のゲートは光の魔導師により封印され、生き残った魔物とその後裔が、魔の山レストアを擁する「竜の背骨」と言われる脊梁山脈の向こうに生息するのみ。大戦前ほどではないが、今でも時々この一帯において人魔の諍いや事件が生じるため、エインディア北方は危険地帯に位置づけられ、辺境を治める領主には通常の領地経営以上の手腕が求められることとなった。
大戦後、エルフ、ドワーフ及び精霊といった人ならぬ種族は、彼らがメグメールと呼ぶ島に移って棲み分けを行ったため、彼らが認めた者しかその地に入ることはできない。因みに、人はメグメールでなくシーガードという。精霊が守護する地という意味を込めて、そう呼ぶのだ。
この途方もない空想歴史物語を、茶々を入れずに終いまで聞くのは骨が折れた。人魔大戦はゲートが開いたことによって始まったというのは、多少言葉足らずではあるが、誤った表現ではない。概ね正しい。しかし、光の神が他の神々や精霊を一に束ねたなど、そのようなことはありえない。
「大陸には万の神が御座します。そもそも神は人とは違う。例えば、太陽神はエリオースという名前の付いた超人を指すんじゃない。エナジーです。爆発的な力を放つ至高の天体として、そう呼んでいる。その存在と契約を交わすなど、馬鹿げている。市場の商人や王宮の役人なんかじゃないんです。エナジーがどうやって署名するんです? 星がどうやって契約内容を確認しますか?」
なぜか、俺が抗議すればするほど、アデュレイの目が生き生きと輝くのに気づいた。
「全く、君に同意する!」
アデュレイは断言した。
「大戦で多くの書物が焼けてしまったため、今となっては大戦前の魔法の在り方がどうであったか、ほとんど知る術がない。しかし、僕は焚書が行われたんじゃないかと疑っているんだ。つまり、当時の権力者が意図的に本を焼いた。このようなことを往来で口にしたら、とんでもないことになるけれどもね。」
「魔法は魔導師が使うものだとおっしゃいましたね。」
俺は、ふと気づいたことを尋ねた。
「しかし、旦那はご自分のことを魔法使いだともおっしゃった。何か違いがあるんで?」
「大いにあるとも。僕は光の神と契約など結んでいない。しかし、」
アデュレイはやにわに立ち上がると、窓辺に立った。明かり取りのために撥ね上げたクラシックブルーの薄手のカーテンを透かして窓外を見上げ、何事か小さく呟いた。
――クー・ド・ヴァン・ラ・フーコン
そう、聞こえた。すると、彼が隠しから取り出した紙片が奇妙に躍り上がって膨らみ、白い鷹の姿を取るや、短く鳴いて天空に舞い上がった。俺の目には、ただの紙片が限りない純白の印象に滲み、それから鷹という形に凝縮されて移動していったように見えた。つまり、本物の鷹ではない。魔法だ。
「見てのとおりだ、僕は魔法が使える。」
向き直って、彼はやや得意げに顎を持ち上げた。
「君もまた、光の神と契約を結んでいないのに魔法を使う、魔法使いなのだろう?」
「いいえ。俺は旦那のように魔法を使いません。」
「そうかな。少なくとも、君は大戦前の魔法の在り方を知っている。まるで、三百年前から来た太陽神の神官みたいだ。そうだ、きっと君は時間旅行者なのだ!」
「時間旅行者?」
「そうとも。空間に裂け目ができて魔物が溢れ出してくるくらいだ、時間に裂け目ができて三百年前の人が出現するということもありえるんじゃないか。」
何と答えたものやら、返答に窮しているところに、折良く玄関のノッカーが打ち鳴らされた。訪問者だ。
「従者の出番だ!」
アデュレイは後ろ手に窓のへりを掴み、殊更にゆったりともたれかかった。なぜか、嬉しげに頷いている。
「見てきておくれ。」
仕方なく、玄関に行ってみると、訪ねてきたのは受付から遣わされた幼い少年だった。
「ドクター・ジョーンズから伝言です。もしよろしければ、アデュレイ卿にお越し願いたいとのことです。お越しいただけるのでしたら、午後に馬車を差し向けるそうです。何でも、ジェーン・ドウについて意見を伺いたいとか。」
少年の伝言を受けてサロンに戻ると、アデュレイはソファに座ってゆったりと足を組み、〈見えざる従者〉に注がせた葡萄酒のグラスを傾けていた。少年を玄関口に待たせているため、手早く用件を伝えると、アデュレイはグラスの残りを干し、極めて静かにグラスを机上に置いた。それから、勢いよく立ち上がる。
「もちろん、行くとも。君も行くだろう? 馬車の到着まで少し時間があるから、お互いに仮眠を取っておこうか。その後、急いで着替えねばね。チャコールグレーで正解だったな。遺体の検分に派手な服装は不謹慎だ。」
「遺体の検分?」
玄関に向かう彼の後ろに付いて歩きながら、俺は尋ねた。彼はこちらを振り返ることなく、事も無げに答えた。
「ジェーン・ドウ。行旅死亡人のことだよ。氏名不詳のご遺体というわけだ。」
その答えは簡潔すぎて、なぜアデュレイが行旅死亡人の検死に呼ばれるのか、その答えにはなっていなかった。
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