12 呪われた家

 エインディアの森は湿っぽい。水気を多く含んだ筆で深緑色を刷いた、水彩画のようだ。今は弔いの雰囲気が、さらに空気を湿っぽくしているのかも知れない。おまけに、時折、曇った空から僅かな水滴が降って顔に当たる。目にも見えない細雨が、知らぬ間に髪や衣服をしっとりと重くする。


 木立の奥に少し開けた場所があり、明らかに人の手によって、花をつける灌木が植えてあった。そこは生者の憩いの場として整えられたわけではないと見えて、いくつか墓標が並び、端の方には新たにひとつ墓穴が用意されていた。その新しい墓穴のすぐ隣にある墓標を、エリザは暫く悲しげに見つめていた。



 ルキウス ここに眠る。 二百十八年没



 その墓石の素材こそ立派であったが、鎮魂の詩文も飾りの彫刻もなく、至極あっさりとこれだけ刻まれていた。


「ルキウス卿…、事故で亡くなった、あなたのお兄様ですね。」


 エリザの傍らに立ったアデュレイはひっそりと呟き、死者に対して黙礼した。エリザはなお暫く立ち尽くしていたが、


「事故死ではありません。」


 低く掠れた声で、短く応じた。そして、革紐を解いて荷台から棺を下ろそうとするグランにゆっくりと近づいて行った。


 俺は一瞬の躊躇の後、その背中を追い、


「私も手伝います。」


 と、思い切って申し出た。


 出発のときから全てエリザとグランの二人で取り仕切っていたこともあり、今度も断られるかと覚悟していたのだが、このときは様子が違った。一瞬、二人で顔を見合わせたが、すぐにエリザは俺の方に向き直り、目を伏せてこうべを垂れた。


「お申し出に感謝します。どうぞ、よろしくお願いします。」


 意外にも、受け容れられた。俺たちは三人がかりで丁寧に棺を運び、ごく慎重な手つきで用意された墓穴に安置した。グランが馬車からシャベルを持ち出してきたので、居合わせる全員で少しずつ土を入れて埋葬した。


 俺は、人知れずエリオースの印を切った。この地に太陽の祝福を与える。これにより、この墓所が獣に荒らされるといった災厄に見舞われることはなくなるはずだ。


 シャベルを荷台に戻して振り返ると、物言いたげな目でアデュレイがこちらを注視していることに気付いた。しかし、俺は目を逸らした。今は構うまい。俺に太陽神エリオースの神聖魔法の心得があることなど、彼にはお見通しのようだから、もはやいちいち気にしても仕様がない。


 俺は、深々と空気を胸に吸い込んだ。木々の葉を透かして、晴れ間も見えてきた。久々に気分がよかった。ついに埋葬を果たした。この墓所を祝福した。なすべきことをなした。自分で自分に命じたミッションをクリアした。この後、何が起ころうとも、全て甘受するだけだ。


 俺たちは、誰が声を掛けるでもなく、まだ土の色も新しい埋葬場所の前に集まった。エリザの許しを得て、アデュレイが短い追悼の辞を述べた。そして、全員で厳粛な黙祷を行った。やがて、一人、また一人と目を開き、再び全員が目を開いた。それから、何となく互いに表情を窺った。固い沈黙が場を押し包んだ。


「通常であれば、葬儀の後は参列者で食事会の時間を持つところですが、今日はそれどころではないですよね。」


 アデュレイはエリザに水を向けた。


「何か、おっしゃりたいことがおありではありませんか。」


 問われて短く息を飲んだエリザは、切羽詰まった表情で俺を見た。


「道中、ミスター・ベルティエがおっしゃったことは本当ですか。あなたがグレースを…、私の妹を救おうとしてくださったということは。」


 妹。


 彼女はそう言った。目の前のエリザがレディ・エリザベータだとすると、昨日見せられた家系図において姉妹は存在しなかったはずだ。


 いやな予感がして、 俺は少しの間ためらったが、思い切って頷いた。


「あなたのことも、彼女があなたの妹さんだということも存じませんでした。主人の話は本当です。私は、彼女が殺害された現場に居合わせました。それなのに、私が愚図だったせいで、未然に防ぐことができなかったんです。すぐに手当てをしましたが、間に合わなかった。」


 これを聞いてもエリザは、いつ、どこで、どのような状況で妹が殺害されたのか尋ねなかった。彼女の興味は別のところにあった。


「失礼ですが、あなたは禍々しい名前で呼ばれています。」


 エリザは直接その名を口にすることを避けて質問した。


「限られた者だけが知ることだとは思いますが、あなたの名前は古い魔王の名前と同じ発音です。治癒の魔法を使うような方が、そのような由来の名前を持つのはなぜですか。」


 俺はちらりとアデュレイの表情を窺い、乾いた唇を湿らせてから、急いで告げた。


「レディの常識でどうかは存じませんが、私はロマヌーム帝国の出で、小さな離島にいましたので。私の生地では、子が魔物に目を付けられないよう、到底、人の名とは思えないような名を隠し名として与える風習があります。私の隠し名も、魔物が恐れて避ける名として付けられたものです。」


 俺は上着を脱いで腕に引っ掛け、袖のボタンを外して捲り上げてみせた。アデュレイはみせびらかすなと忠告してくれたものだが、信用してもらうためには致し方ない。俺の腕には、儀式で刻まれた黄色い太陽の刻印があった。


「太陽神エリオースの聖印です。私が住んでいたところでは、未だ古代の神々の息吹が残っています。かつて故郷にいたとき、私はエリオースの神官でした。」


「おお…。」


 エリザは自分の手で自分の口を覆った。見開いた目にみるみる涙が盛り上がり、薄青い目の青みが濃く滲んだ。


「あの子は…、妹は、神官の治癒を受けたのですね。あの子の魂は、護られたということですよね。あの子が迷うことは、ありませんよね!」


 声が歪んで、たまりかねたようにエリザは顔を伏せた。金褐色の髪が表情を覆い隠し、一滴、二滴、涙の粒が靴先に落ちた。俺はそちらを見ないようにして、急いで衣服を元通りに直した。気遣わしげにグランが近づき、そっとエリザの肩に手を置くのが視界の端に映った。


「私には、姉としてあの子にしてあげられることは何もありませんでした…、あなたに感謝します。」


 深呼吸することで自分を落ち着かせてから、エリザは顔を上げた。激しく心を揺さぶられたのか、その頬は紅潮していた。


「今まで、不敬にも名乗らずにいたことをお許しください。私たちは、『蒼穹の猛き鷹』に所属する傭兵で、私が柔剣のエリザ、こちらが護剣のグランです。」


 彼らは、アデュレイのみならず、俺にまで挨拶の礼を示した。毅然としていた。傭兵というより、戦場の騎士のごとき礼だった。


「私は、ガーディアス家の娘でもあります。事情があって、四歳のときに隣国に移りました。こちらのグランは、当家の家令の甥にあたる者で、彼が今まで私を鍛え、護ってくれました。」


 グランは少し驚いたように目を見開いてエリザを見たが、彼女の発言を遮ることなく沈黙を守った。


「不躾な質問をお許しください。」


 軽く咳払いして、アデュレイが会話に割って入った。


「家をお出になった、その事情とは?」


 全くもって、不躾な質問であった。敢えて曖昧にしたところを追及するとは。


 しかし、エリザは咎めなかった。その代わり、苦しんでいるように見えた。紅潮していた頬に、若干、赤みが増した。それから、胸中の石を吐き出すかのように声を絞り出した。


「この家は呪われています。」


 ひどく顔をしかめて、彼女は首を振った。


「父には、後を継ぐ男子以外は必要なかった。女子には、忌むべき役割しかありません。それは家のために…、父のために死ぬことです。私は、家令の計らいにより、この呪われた家から逃げ出しました。しかし、私がいなくなったとて儀式は取りやめにはならなかった。ルークが! 兄が…、兄のルキウスが代わりに命を落としたのです。」


 彼女の声は再び歪んだ。


「儀式の生贄として。」


 グランが、震える彼女の背中を気遣わしげにさすった。その手つきからは、いたわりと慰めだけが感じられた。

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